第六話「迷いの行方」

 第一章 邂逅編


 第六話「迷いの行方」


 円卓の会議場――京都の中央区から少し離れた北区をまるまるすっぽりと使ったそこは、大日本帝国の中心で、アーサー王の住まう家である。

 家というには幾分大きい建造物だが、それもそのはずで円卓の騎士団の総本部も兼ねているのだ。

 膨大な人数に及ぶ円卓の騎士団兵士たちを住まわせる寮の存在や、食料の配給を目的とした食料所など一通り生活に必要なものが内部に完備されている。

 その中でもっとも大きく、スペースをとっているのが演習場だ。

 大規模な小隊演習から小規模の個人演習も行える場所が複数あり、今も円卓の騎士団兵士たちは演習に勤しんでいた。

 広大で開けたグラウンドを眼下に見据えて、無頼は模擬戦の様子をコントロール室から観察していた。

 眼下では、十小隊と十一小隊の総勢およそ二百名が小細工の効かない開けたグラウンドで一進一退の交戦を繰り広げている。

 十小隊は右に、十一小隊は左に、と正反対の位置に配置されて模擬戦をしているのだが、戦闘が行われているのは丁度その真ん中で小規模な戦闘が起きているだけだ。後方では傷ついた兵の治療や休息が行われている。

 どちらも守りを固めて相手を本陣に接近させないようにしているため、両者ともに攻めあぐねて戦局はそれほど動いていない。

 開戦当初、両者共攻めの一手を慣行していたが、被害が広がるにつれて戦闘は小規模なものへ推移していった。

 今も先遣隊が継続的に戦っているものの、どちらも被害を最小限に抑えようとしており、戦場は膠着状態に陥っていた。

 このように、どちらも攻める気力のない戦いはそう安々と終わることはない。

 実際の戦いでは、後方支援からの兵糧が尽きるのが先か、それとも決死の覚悟で戦線を強引に押し上げて大将首を取りにくるのが先かと言ったところだが、どちらも攻める様子はないようだ。

 このままいけば、どちらも設定された兵糧を使い切って最後には泥沼の戦場になるだろう。

 無頼はため息をついて、戦闘の感想を独り言(ご)つ。


「兵糧の設定はしていたが、模擬戦自体に時間制限を設けなかったのがいけなかったか。部隊の錬度は高くなってきたが、どちらも慎重すぎる。同戦力同士を対戦相手に選らんだというのに、待ちの戦いを選ぶとは……部隊長の作戦次第で膠着状態も潰せるだろうが、どいつもこいつも攻め気を教える必要があるな」


 冷静に戦場を分析していると。


「ん~ダメダメねぇ。もっと荒野の野獣みたいに、乱暴に相手を殺しにかからなきゃ」


 無頼の言葉に反応するように、アクロヴァル卿――望月 智がコントロール室に現れた。開いた窓からの穏やかな風に波打つ桃色の髪、物静かさを感じる容姿、どれをとってもおよそ演習場には似合わないような風貌を相変わらず晒している。


「アクロヴァル卿か、どうした? 何か不手際でもあったか」


 膠着している模擬戦の観察を見切って、智に視線を合わせる。

 薄翠色ながらも色濃く見える瞳には、思わず吸い込まれそうになってしまう。ずっと見つめていたら闇に呑まれてしまうとすら思えるほどに、陰鬱とした瞳なのだ。

 そんな彼女は、冗談めかしたように微笑んで、マイペースながら話始めた。


「や~ね~不手際なんて、そんなことないわよ~。遺体の身元を解析してたんだけどね~、この前の国籍不明の部隊がどの国籍だったかわかったのよ~それで一応、報告にきたの~」

「そうか。聞こう」


 国籍不明の部隊とは昨晩、円卓の騎士団が海岸沿いに面した地方で戦闘を行った一味のことだった。

 潜水艦で現れた彼らはどこから着たのかも分からず、所持している武装もてんでバラバラで詳細な情報を得ることはできなかった。

 以前から国籍不明部隊は大日本帝国に襲撃を繰り返していたが、昨晩のような大規模で広範囲の戦闘は初めてであり、多くの戦死者のサンプルから情報が揃ったということなのだろう。

 智はもったいぶるように右手人差し指を頬に当てる。


「えっとね~。簡潔に述べさせてもらうと、国籍不明の部隊は大日本帝国以外の国家からの尖兵ってところかしらね~。血液サンプルから解析した結果、東洋人やら西洋人やら黒人が軍隊を組んでいたことが発覚したの。つまり、国家を超えた特殊部隊ってところね~」

「やはりあらゆる人種が入り混じった混成部隊だったか。主導権を握っているのは、やはり連合に加盟している国々か?」


 無頼はおおよその見当をつけていたらしく、さして驚いた様子はなかった。

 智は変わらぬ微笑みを浮かべながらも、無邪気に右手をあげて言った。


「断言することはできないけどそうでしょうね~。ここで私からガウェイン卿に質問がありま~す」

「……」


 顔色一つ変えずに無頼は智を見つめ続ける。次に紡がれる言葉を待っているようだ。

 智はいつも身に纏っているふんわりとした気配を潜める。目を細めて無頼に対して妖艶に微笑み、己の唇をなぞる。まるで、無頼の中にある真実を覗こうとするかのように、底知れない闇を感じる薄翠の瞳を無頼に向け続ける。


「国籍不明の部隊を仮に連合部隊としてまとめるとその目的が不明なのよね~。彼らが大日本帝国に攻撃する理由はどこにあるのかしら?日本なんて、元は世界で先進国と持て囃されていようとも、諸外国から戦争で攻められればお終いの弱小国家の一つに過ぎないわ。理想を掲げて現実を見ず、ただのインテリを気取って、たった一人の人権すらまともに守れない腐った国だったわけだけど、元がそんなところを攻撃して何かしら得があるとは思えないのよね~。連合組織はあくまであらゆる国家の集合体であり、利益以外で戦闘を仕掛けてくるとは考えられないのよ~それなら日本国内に、国連が欲しがる何かがあるって仮説が立てられるのだけど~その辺どうなのよ~?」


 智の日本に対する言い方には明らかな悪意が込められていたが、無頼はそれに気づきながらも無視して問いかけに答えた。


「単純に日本から大日本帝国への転換期に際して、逃げのびた政治家が指示をだしているだけかもしれんぞ?」

「そんなわけないわよ~。そんなことをしても連合国家に得があるとは思えないもの~。日本を救ってくれ、なんて愛国心溢れた人間が国外に逃亡なんてすると思う? 自らの力ではなく、海外勢力に頼ったら、国を取り戻した時に傀儡になると言っているようなものだわね~。それに連合国家を動かせるなんてよほどの人物よ~そんな人物が旧日本にいるわけがないでしょう? きっと、大日本帝国には何かがあるのよ~。国家権力が総動員して探している何かが」

「存じないな。アーサー王に謁見してくればどうだ。王なら何か知っているかもしれん」

「あらそう。あくまで知らないのね~?」

「その通りだ。何度聞かれようとも知らないものは答えられん」


 智は面白くないように頬を膨らませて、顔をそっぽに向ける。自分の望む回答を得られなかったからか、幼稚な行動だった。


「ふ~ん。わかったわ、今はそういうことにしておこうかしらね~? ガウェイン卿」

「アクロヴァル卿がそれで納得するならそれで構わんがな……。どちらにせよお前に答えを与えることはできんぞ」

「しょうがないわねぇ。でも、私が個人的に調べるのは、構わないのよね~?」

「その通りだが、ここが欲望を禁止している大日本帝国の中心部、円卓の騎士団と知って言っているんだな?」

「欲望を抱くのが禁止だから調べちゃいけないってことを言いたいのかしら~? でもそんなこと関係ないわよ~。欲望を持ってない人間なんて、この世には存在しないんだから、そんなことを言っても無駄でしょうね~」

「あくまでバレないようにやれ、ということだ。どうせ止めてもやめんのだろう」

「よく私のこと分かっててくれて嬉しいわ~。じゃあね~」


 智は最後には上機嫌な様子で、演習所から去っていった。関心ごとの移り変わりが随分と早い性格らしい。

 無頼は智が去る光景を見ながらも肩をすくめた。


「……いつか辿りつこうとする奴が現れるとは思っていたが、こんなにも早いとはな。あまり時間はないか――」

「無頼」

「今日は客人の多い日だな……」


 無頼は声のした右方向に振り向いて、客人を視線に捕らえた。

 海のように透き通る蒼色の瞳、くせっ毛が抜けきっていなくて一見ボサっとしている黒髪――創崎 蒼だ。


「蒼か、早かったな」

「ああ……」

「何の用だ? お前が自主的に話かけてくるなどそうそうあることではないからな」

「相談したいことがある」


 蒼の迷いを含んだ言葉に、無頼は思わず驚きの表情を表す。

 無頼の目の前で、蒼が迷いを見せたのはこれが初めてだったからだ。。


「お前からの相談とは尚珍しいことだな。お前が帰宅したら朝に言っていた通り、模擬戦を行おうかと思っていたが」

「……やりながらで構わない。戦闘をしていたほうが頭が冴えて考えもまとまるかもしれない」

「なるほどな、お前らしい」


 無頼はコントロール室の機器を操作して、眼下で未だ膠着状態を続けている十小隊と十一小隊に回線を繋げた。


「今日の模擬戦はこれにて終了とする。各小隊長は反省会の実施を徹底しておけ。今回の模擬戦は点数で言えば十点だ。各自その意味を十分に考えろ。それでは解散だ」


 指示を聞いて、十小隊と十一小隊がグラウンドの脇から続々と素早く撤退していく。ものの数十秒でグラウンドには人一人いなくなった。


「さすがに統制は取れているな……」


 待っている間に、蒼は十小隊と十一小隊の撤退風景を観察していた。

 無頼は納得いかなそうに、難しい顔をして蒼の呟きに答えた。


「錬度は高いのだが、総じて攻め気がないのが問題でな……逃げるだけに特化しても、戦闘では使い物にならん」

「そのようだな」

「そこはあとの課題としてこちらで処理するとして、すぐに始めるか?」

「ああ。そうしよう」

 

 ……


 生えている草の付け根まで視認できるほど開けたグラウンドでは、春特有の陽気な風が緩やかに吹いていた。

 無頼は目を瞑り、それに耳を澄ませる。


「良い風が吹いているな。ルール確認はいるか?」

「いや、いい」


 無頼の気遣うような言葉に、蒼は否定を示した。以前の模擬戦と特に何が変わっているわけでもないだろうからだ。

 円卓の騎士団での模擬戦は、基本的に時間無制限、相手を倒すまで継続される。

 倒した、という判定は相手が降参するかそれ以降の戦闘が困難な場合で決定されることになっている。例えば相手の喉下に剣を突き立てれば、それ以降の戦闘は継続させるのが難しいので、模擬戦は終了ということになる。

 無頼と蒼が以前に模擬戦をしたのは既に二年前まで遡る。蒼が円卓の騎士団でランスロット卿の階級を授かる前日だった。

 あの時、自分はどんな感情を持って無頼と戦っただろうか。

 きっと、何も考えていなかったんだろう。

 


「久方振りに心躍る戦いになる。楽しませてもらうぞ、蒼!」


 無頼は強面の顔に心地よさそうな笑みを浮かべて、マントと背中の間に装着されている斧を豪快に取り出し、緩やかに吹く風を切り裂いて地面に突き立てた。


「素は風、ウィンドソード」


 平坦で感情のあまり灯らない声に、蒼の体内に存在する魔力が反応して、右袖にただの実体剣が生成される。フレイムソードのように何かを身に纏っているわけでもない、それはただの剣のように見えた。

 それから蒼は右腕を全面に突き出すように移動させて、時が来るのを待った。

 二人の頬を包むように風が流れ込み、心が静まる。集中力が最高の状態に推移していく感覚。

 草の根一本一本が風に煽られて揺らめくのすら、把握できるほどに両者の心は澄み渡り、世界には自分と相手だけしかいないと認識を作り変えていく。

 視界を捉えるのは、相手のみ。

 次第に風が微風になり、無風へと変化していく。


「……」

「……」


 風が、息を止める。

 蒼が地面を蹴って、瞬きの間に一寸の距離まで接近し、ウィンドソードを横凪ぎに一閃する。

 無頼はそれを予想していたように後退して回避。

 横凪ぎされた空間では、不自然なまでに強烈な気流の乱れが発生して蒼の髪を乱す。

 蒼も攻撃が外れることは予想していたため、すぐに次の行動へ移行しようとするが、無頼が即座に接近し、すくい上げるように斧を短く振りぬく。

 短い振りであろうとも、その加速は絶大で無頼が普段どれほどに己を鍛えているかを如実に反映していた。

 蒼は避けることができないと一瞬で判断し、魔法で生成された剣を振り下げて、斧と擦り合わせる。

 斧は剣と接触する寸前で停止して微動だにしない。

 空気の壁、そう言った類のものに阻まれているようだが、無頼はそれの正体をすぐに見破った。


「魔力で練り上げた風の気流を視認できないまでに昇華したか! 風のエキスパートとしてもやっていけそうだな」


 無頼が強面の顔に対して、心底嬉しそうに見破った蒼の剣は、不可視の風を纏っていた。

 以前、無頼が見た蒼の剣は多少ながらも纏った気流の流れを視認できたのだが、目の前に実物として存在する剣は、完全な透明で視認不可能なものだった。

 風を纏った剣は、斧の鋭利な先端を少しずつ削り、微量ながら剣の矛先が前進していく。

 無頼は斧を手放し、横飛びしながら魔法を唱える。蒼もそれに反応し、呪文が完成する前に攻撃を加えようとするが、無頼の魔法発動センスはもはや神速の域に達していた。


「我、戦うもの為り、ウィンドアックス」


 始動語源から己の使う魔法をイメージして唱えると、瞬きする間に無頼の手には再び斧が握られていた。

 翠色の形で、武器らしからぬ色をしているが、無頼の得意武器の斧であることに間違いなかった。それを振り上げて、単純に落とす。

 蒼は無頼に接近しようとしていた速度を押し殺すことはせずに緩めて、その慣性を利用し、右前斜めに前転。

 後方で地割れでもしたかのような音が耳をつんざく。

 前転する途中で見えたものは、無頼が振り下ろした翠の斧で地が割れている姿だった。

 前転していなければ今頃、ミンチ風に叩き潰されていたかもしれない。

 それほどまでに無頼の一撃は強力無比で圧倒的な力だった。


「ふっ!」


 前転から即復帰。

 無頼が技後硬直で固まっている一瞬の隙を突こうと蒼は接近を試みるが、無頼は既に動きだして蒼に攻撃を加えようとしていた。

 斧という武器にしては似合わないほどに俊敏で、技の隙がない。

 右に飛んできたかと思いきや、次には左から飛んできて、真上から飛んでくる。

 神速という言葉がよく似合う。

 蒼はそれを前転や体の捻りから様々に避けつつ、反撃の機会を窺う。


「今日のお前は動きのキレが悪い、な!」


 振り下ろされた斧を蒼はすんでのところで回避するが、斧に触れておらずとも左袖がカマイタチを受けたように破ける。

 どうやら、あの斧には蒼の剣と同じく風を纏わせているようで、それが触れてしまったらしい。

 蒼も自らの不調には気づいていたが、どの動作に対しても一歩レスポンスが遅れてしまう。

 いつもの自分ではない。

 そんな感情だけが、水たまりのように広がっていく。


「くっ……」


 不調を知っていながらも、無頼は執拗に容赦なく斧を振り回し続ける。一撃に全てを込めた大降りではなく、得物を短く持って小刻みに軌道を変えてくる。

 避けたと思えば次は避けた先に、さらにその先に予測攻撃が雨あられ。


「鈍い、鈍いぞ! 優秀な兵士としてランスロット卿の地位まで上りつめたお前がどうした!? お前の抱えている迷いは、お前をそこまで追い詰めるものか! 一体何を悩んでいる? いつだって冷静だったお前の心に一体、何が生まれた!?」


 無頼が鋭い斧の連撃を止めて、最後の一突きとばかりに迫らせた斧を風の気流が届かない蒼の眼前で停止させる。

 その暴風にも似た風圧で、蒼の髪が乱暴に荒れ狂う。

 無頼の瞳は、蒼の真実を――心を探るように見据えられていた。蒼は斧から発生する風に目もくれず、無頼を見て言った。


「……俺は紅 久遠を探したい」


 実直なまでに素直でありながら苦悩溢れる言葉に、無頼は辛く顔を歪める。


「久遠は既に死んでいる。そう何度も教えたはずだ……。俺の目の前で、テロリストの人間の闘争に巻き込まれて死んだ。それが唯一不変の事実だと」

「だが、俺は自分の目で見て、本当に俺の世界と同義であった彼女が死んだのか、確かめたい。遺体も残っていないんだろう?」


 遺体は残っていない。

 それは無頼が言っていたことだ。蒼にとって、ただ口頭で伝えられただけの情報だから、十数年経とうとも、納得できないのも無理はない。


「遺体は木っ端微塵、肉片すら残っていなかった。それより、円卓の騎士団は個人が欲望を抱くことを禁止している……その環境下でどう探すつもりだ? まさか、円卓の騎士団を除隊するとは言うまいな?」


 円卓の騎士団に居ては久遠の捜索を大掛かりに行うことはできない。無頼が智に言っていたように、大々的に己の欲望を円卓の騎士団で曝け出すのはご法度だ。バレないようにやるのはどうしても限界がある。

 その状況下でどう動くのか、蒼は一人の女性によってその答えを得ていた。


「円卓の騎士団を除隊し、ソリューションに入隊する」


 無頼はその言葉を聞いた途端、目を見開いた。


「それは円卓の騎士団に敵対するということだぞ? 分かっているのか」 

「重々承知している。だが久遠を探すにはこの方法しかない――いや、俺がそうしたい」

「それはお前にも欲望が目覚めた、ということか。冷静沈着で命令を着実に遂行する兵士だったお前の心に」

「そういうこと、だろうな」


 もはや模擬戦のことなど忘れて、蒼は雲ひとつなく透き通る青空を見上げながら、さらに言葉を紡ぐ。


「命令を幾分の狂いもなく遂行する者は兵士として完璧なんだろうが、人としてはどうだ? 何の疑問も持たず命令だからと目的もなく、命令を遂行する。きっとそれは人として間違っている。あいつらを――欲望を自分の思うままに曝け出して日々過ごすあいつらを見てそう思った……俺は、あいつらを羨ましいと思った」


 蒼は命令を聞くだけの兵士ではなく、人間らしい紅 美久や藤幹 和志を見て憧れを抱いていた。

 欲望を持つ人間の光に少し触れて、それを羨ましいと感じたのだ。

 人は自分にないものを持つ人間を羨ましいと思ってしまう。それと同じものが蒼にも現れていた。

 無頼は蒼の眼前に迫らせていた魔法斧を力なく引き戻し、地面に突き立て空を清々しく見上げた。


「お前は確かに迷っているが、既に答えはでているようだな。いま、この時ばかりは円卓の騎士団、第二位ガウェイン卿ではなく一個人、縁李 無頼として創崎 蒼に述べよう。迷いはどんな立場である人間であろうとも逃れられないものとして存在し、自分を追い詰める――今のお前がそれだ。誰も彼もが迷いを消し去って日々過ごしているわけではない。迷いという壁を抱えて日々という前へ進み続けている。迷いを無理に肯定し、解決しようとするな。いくら迷おうとも、時がこなければ結果は訪れない」


 無頼はそこで一旦言葉を区切って、もう一度蒼をじっと見つめる。

 蒼もそれに気づいて青空から視線を戻した。

 一言一句、大切なことを言うように無頼は口を開く。それは透き通る青空にも響き渡る。


「お前は欲望の垣間見えない兵士として、どのような作戦にも疑問を持たない優秀さだった。だが、それは確かにお前の言う通り、人間らしくはないだろう。実を言うとな、俺もお前には欲望を持って欲しかった。円卓の騎士団に所属してからというもの、感情を殺したお前を見るのに、辛さも感じていた。ちょうどいい頃合いだろう。お前も誰かに自分の行き方を定めるのではなく、自分の意思で道を選択しろ。迷いも決意もすべて飲み込んで、欲望のままに、自身を動かせ。俺はお前がどんな選択をしようとも干渉しない。羨んだようにがむしゃらに人間らしく動け。それが創崎 蒼の師である俺から言える最後の言葉だ」


 言いたいことを言い終わった無頼は、後ろに振り返り音もなく去ろうとする。

 無頼を後押しするように、涼しい風は吹く。

 蒼はしばらく己の内で考えるように顔を俯かせた。

 迷いは未だ心に渦巻いている。しかし、無頼はそこで立ち止まり思考を停止するな、と言った。なら、答えは決まっている。

 元々、自分の中で決まっていた答えに霞をかけていただけなのだ。

 無頼がグラウンドから去る前に、蒼は決意して顔をあげた。


「ありがとう、無頼。俺は、俺の道を行く」


 ありがとう。

 その単語にどれほどの思いが詰め込まれているのか。

 感情を押し殺す結果になったとはいえ、久遠を失って絶望していた蒼を優秀な兵士として育成した。そのおかげでここまで生きながらえることはできた。

 もし、無頼が蒼を拾わなければ、蒼は誰の身寄りもないまま死んでいただろう。

 育ての親と同義である無頼に向けられた言葉は、理解されただろうか。

 無頼は蒼の真摯な言葉に動きを一瞬止めて、何事もなかったように再び歩みを始めた。

 一瞬のことではあったが、無頼が立ち止まったことで蒼は自分の思いが無頼に届いていることを確認できた。

 人生の岐路を自ら選択したことを蒼自身も分かっている。このまま円卓の騎士団で命令を聞く人形であるのが楽な道だっただろう。

 しかし、紅 美久はそれを面白くないと言った。そう思えるのがとても羨ましく、そう在りたいから蒼は欲望も迷いも肯定して選択する。

 幼い頃死んだとされる蒼にとっては世界と同義である紅 久遠を探すために、人間として当たり前の原動力を持つ紅 美久や藤幹 和志のようになりたいから、蒼はソリューションに入隊する決意を――欲望を固めた。


 第六話「迷いの行方」終わり

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