第十一話「迷いの帰還」
第二章 亡霊編
第十一話「迷いの帰還」
大魔法高等学校の中央区の土地を使った広大な学内の端には、今は使用されていない朽ち果てた旧校舎がぽつんと存在していた。
大魔法高等学校ができる前にあった小さな校舎のため、取り壊す案もあったのだが1950年に認定された魔法提唱の第一人者である"紅 健次郎"が卒業した母校という観点から取り壊されず、紅 健次郎のように羽ばたけるように、と大魔法高等学校の発展を願ったシンボルとして残されいる。
しかし老朽化した旧校舎は危なく、立ち入り禁止の看板が立てられているせいか、外から鑑賞を促すものになっている。
看板があるにも関わらず旧校舎の中に入ってくる生徒はいるものの、旧校舎の周りには生意気な雑木林があって、行く手の奥へ進もうとする気力を奪う。
なので旧校舎へ看板を無視して一般の生徒がわざわざ来ることはなく、存在を卒業するまで知らない人間も居る。
それに旧校舎まで生徒が侵入したとしても中身はぼろぼろで、まともに探索するところもなく帰るしかなくなってしまう。
もし何かがあったとしても昔の生徒が使っていた消しゴムだとかの名残ばかりだが、ソリューションの前線基地はそんな場所の地下にあった。
……
…
創崎 蒼と野木原 一誠が亡霊と戦ってから一夜が明けていた。
いつもと同じように太陽は昇ろうとして空は青く、儚く澄み渡り、見ている人の心を穏やかにさせるようであった。
亡霊と戦闘中に聞こえた声に従って一誠は紗綾と、蒼は和志を気絶させて亡霊との戦闘から離脱した後に合流していた。
亡霊が追ってこないことを確認した一行は、大魔法高等学校まで帰ってきていた。
誰もが無言だった。
亡霊と戦闘して思うところがあったのか、一誠と蒼は無言で紗綾は時折、蒼に肩に担がれている和志を見ては顔を沈ませている。誰も話そうとしない。
早朝の人目がないうちに旧校舎へ入って、今は何も置かれていない用具室に訪れると隅っこの壁が振動して人ひとりが通れる程度の階段が勝手に現れた。
「みんなお疲れさん。とっとと入ってきてやー」
どこからか関西弁の朗らかな声が聞こえた。大方、壁にでもカモフラージュされたスピーカーと監視カメラでもあるのだろう。
蒼と紗綾は返事をすることもなく、淡々と暗がりの階段に向かっていく。その背中には確かな暗雲が圧し掛かっているようだった。
「おー戸締り頼んだぞ。関西弁のねえちゃん」
返事をしない蒼と紗綾の代わりに、一誠は軽く口を開きながら歩き出す。
「あんさんにねえちゃんって言われる年でもないんやけどなー。でも返事してくれてありがとな」
「いえいえ、どう致しましてっと、入ったぞー」
「ちゃあんと見えとるよ。閉めるで」
一誠が階段を下り始めると、用具室と階段を壁が塞ぐ。
外からの光がなくなった階段は、等間隔で設置してある照明だけが頼りだ。薄暗い程度の光なので、周りはよく見える。ただ、見えると言っても周りは壁に覆われているから見るものと言えば先頭を歩いている二人くらいのものだ。
普段は閉めきられている空間だから空気が悪いかと思いきや、空調は制御されているようで爽やかな空気が心身に安らぎを与えようとする。
しばらくの間階段を下りていると、光が漏れ出ていて出口があることを教えてくれた。
光を見た瞬間に、一誠は全身の力が満遍なく抜けていくのを感じた。張っていたらしい肩が勝手に下がっていく。どうにも亡霊と戦っていた緊張感が抜けなかったらしい。
亡霊の予想外の能力もあったが、紗綾を狙われたことで思ったより心労してしまったようだ。
誰も失うことがなくてよかった。
亡霊の攻撃を受け止められたのは、まさに紙一重で、少しでも判断が遅れていたら紗綾を死なせていただろう。
一誠に守られた当人である紗綾は、和志を見て何度も顔を伏せることを繰り返しているが、それは当人たちが解決するべき問題だから声を掛けるのも躊躇われた。
兄妹の過去に何かあったかは知らないが、おそらく一誠に起こったことと、そう大差ないはずだ。亡霊に関わった人間の出来事にそう違いはない。
個人として、亡霊の起こした事象にどう歩んでいくか。それだけの違い。
その違いが果てのない闇としてふたりの進む道を阻んでいることは理解できた。しかし、過去を知らない人間がそこに入り込めるわけがない。
土足で踏み込まれたくない、他人に見せられない負の領域だ。
だから一誠は気兼ねなく話せるであろう、もうひとりに意識を向けた。
「ふー、ようやく一息つけそうだな。な、蒼」
「……そうだな」
話しかけてみるも蒼の意識はここにないらしく、気のない返事だ。
蒼も亡霊と戦ってから何かを考えている。それは何か、一誠には分らなかったが。
「お前、亡霊と戦ってから変だぞ。どうかしたのか?」
「そうかもしれないな。心の中でずっと考えている。これまで経験したことがないくらいに」
そう口にして、蒼は正面を見据える。どこか遠くを、自分の思いを視線の先に投影しているのかもしれない。だが階段で足元の意識を疎かにしているのに、下りることに不安定さは微塵もなかった。
「ひとりで悩むより、話したほうが楽になるかもしれないぞ? 亡霊のことなら特にな」
「まだ整理ができていない。話せると思ったら話させてもらう」
当たり障りのない言葉に、一誠は自然と困ったように首をすくめた。
「ま、あんまり抱えすぎんなよ。抱えすぎると行き詰るもんだからな」
「……覚えておこう」
それから言葉が途切れて、しばらく階段を下りて光に満たされた出口に三人が入っていく。
「おっ、司令官自らのご登場かい」
明かりがある灰色の空間で、彼らをふたりの人間が出迎えた。
「おかえりなさい」
「おかえりー」
紅 美久は自然体でほほ笑みながら、黒未 律は笑顔で手を振ってそれにつられる形でちょこんとしたポニーテールが揺れている。
二人とも大魔法高等学校の制服姿で、彼らの帰りを待っていたらしい。
「おう、ただいま。ほら、蒼と子猫ちゃんも何か言ったらどうだ?」
「「……」」
ふたりは無言で何やら考えているようで、反応しなかった。
一誠はお手上げらしく、顔を横に振る。
「色々あった……みたいね」
「ああ、件の和志だけならまだしも、ふたりとも喋らなくなっちまってな」
「おーい、紗綾ー?」
美久と一誠が話す横で、律が紗綾に呼びかけるものの返事がない。まるで律が空気にでもなってしまったかのように気にも留めていない。
「ま、亡霊と戦って無事に帰ってこれただけでも、儲けものよ」
「そりゃそうなんだがな……ところで、亡霊と戦ってたら声が聞こえたんだが、ありゃ美久か?」
亡霊と戦っている際に、撤退を指示する声があった。それに従ってここまで帰ってきたわけだが、ついぞ声の主は姿を現していなかったことを聞いているのだろう。
「そうよ。あの近辺で円卓の騎士団の動きがあったみたいで、見つかったら危険だったから駆けつけて撤退の支援をしたってわけ」
「にしては帰ってくるのがはえーね」
「私はあんたたちみたいに亡霊に追いかけられる可能性もなかったし、ひとり護衛を連れてってたから、彼のおかげで速く帰ってこれたのよ」
「へぇ、そんな奴がいたんだな」
「さーやー?」
「今はどっかで寝てるみたいだから、起きてきたら紹介してあげるわよ」
「そうかい、楽しみにさせてもらっと――……っ」
一誠の言葉が不自然に切れて、息を少し乱しながら左手首を抑えて膝をつく。
「どうしたの!?」
美久は驚きながらも一誠に近づいて、抑えている左手を見て心配そうにする。
亡霊の大鎌を受け止め、皮膚が見事に焼かれてしまった左手だ。対処をしていないせいか、見るからに酷い火傷で痛々しさが増している。
「酷い火傷じゃない、どうして黙ってたの?」
「いやなに、あとで知り合いの治癒士にでも見てもらおうかと思っててな、緊張が続いて痛みも全然感じなかったんだが……今更痛くなってきやがったんだよ」
「ったく、そんなことならとっとと言いなさい、知り合いに見てもらう必要なんてないわ」
「このまま放置で自然治癒か……ソリューションの大将は鬼畜だな……」
「違うわよ! そんな冗談言ってる余裕があるうちは大丈夫そうだけど、紗綾!」
「……」
「おーい、紗綾ー? さーやー?」
律が紗綾の前で手を大袈裟に振るものの、気づいてもらえない。帰ってきてからずっとやっているのにだ。
視線だけは律に向いているから、無視されているようにも見えてしまう。
「ダメやね。全然気づかへん……」
「紗綾! 患者よ!」
「そんな病人みたいに言わないでくれ」
「火傷は立派な病人よ、とっても危険な、ね。でも安心なさい。紗綾にかかれば治療なんてすぐだわ」
「お兄ちゃん……」
「お兄ちゃん、じゃないわよ! あんたどこまでブラコンなの!」
ブラコン、という単語に反応して紗綾が、がばっと俯かせていた顔をあげる。
「ブ、ブラコンじゃあないです! 心配してるだけです! って、あれ律さんに美久さん……?」
「あれ、じゃないわよ。 一誠が怪我してるから見てあげて」
「は、はいっ」
急に意識が戻ったようになりつつも、紗綾は怪我と聞いて間もなく動き出した。
少しの時間でも怪我と聞いたら放っておけないらしい。
紗綾が一誠に駆け寄り火傷の具合を見て、瞳が悲痛に変化する。自責の念と心配する心が入り混じっているようだ。
「酷い怪我じゃないですかっ。私を庇ったときのものですよね……。なんで気づかなかったんだろう、ごめんなさい。じっとしててください」
そう言って紗綾は一誠の左手を覆うように両手を添えて、優しげな声で魔法を唱え始める。
「癒しの海、ヒール……」
一誠の左手を覆った両手から、安らぎの象徴でもあるかのように青い光が降り注ぐ。
光に触れる一誠の左手は時間でも巻き戻すかのように赤みがなくなっていき、焼かれた皮膚ですら肌色に戻って潤いが戻ってくる。
もし、時代が時代であれば奇跡としか言いようのない光景。
数秒もすれば手は健康そのもので、火傷をしていた痕すら見当たらない完璧な治癒魔法だった。
治ったことを確認すると、紗綾は覆っていた両手を引っ込めて疲れたのか息を吐き、立ち上がりながら告げた。
「おしまいです」
「お、おう……?」
あまりに早い治癒に、一誠は少し半信半疑気味で試しに両手を合わせて見るが、なんら痛くはなく感覚もあって手が健康そのものであると主張していた。
「すごいな……痛みも何もないし、手の感覚もまったくいつもと変わらない。しかも数秒でこんな治療できるなんて、子猫ちゃんまさか天才か?」
まったく驚きを隠すこともない直球な感想が、口から出る。
魔法は使う人間によって効果の幅が違ったり、効き目が違ったりするのだが治癒魔法であれば本来、軽傷の火傷を治すだけでも五分ほど使うことは珍しくないし、完璧に怪我が治ることは少なく多少は感覚のズレというものがある。それでも魔法を使用しない医者に頼るより、よっぽど早く治るのだが紗綾の治癒は一線を画するもので驚嘆に値するものだった。
紗綾は一誠の言葉を否定するように頭を下げた。
「そんな……天才だなんてことはないです、私にできることはこれくらいですから。そんなことより、あのときは助けてくださって本当にありがとうございました。あのまま襲われていたら私は死んでいたかもしれません……」
「いやいや、子猫ちゃんが無事だったらいいってことよ。ただし、もうあんまり前線に出てこないようにしてくれ、兄ちゃんが心配なのはわかるが、あのときは駆けつけられたから助かったものの、次はこういかねぇかもしれないからな」
いつもの、どこ吹く風の雰囲気を隠して、真面目な雰囲気を一誠は身に纏いながら告げた。厳しいもの言いかもしれないが、もしかしたら守れていなかったかもしれないのだ。それが一誠の言動を強いものにしていた。
「はい。すいませんでした」
紗綾は一誠の雰囲気を理解しているのか、瞳を苦悩に染めながらも頷いた。納得はしているが、かと言って和志を追いかけるのをやめられないと、表情が物語っていた。
「ま、お話しはそれくらいにしてもらって、報告を聞かせてもらおうかしらね。それに和志を蒼くんに背負わせたままにしておけないし」
話題が出たにも関わらず、蒼は空気の一点を見つめるように白い壁を見つめていて気づく気配もない。和志を背負っているのだが、どうにも気にしていないように見える。
美久はまたか、と言いたげに目を細めた。
「どうしたの、あれ。さっきまでの紗綾みたいなんだけど」
「私あんなんじゃなかったと思います」
「知らぬは自分だけやで」
「亡霊とやりあった後からだ。何かあったっぽいんだが、俺にゃあさっぱりだ」
「ふーん、蒼くん、起きなさい」
「いや寝てないやろっ」
律が虚空に右手で素早くツッコミを入れる。
「誰もツッコンでなんて言ってないわよ! そういう意味じゃなくて、意識を覚まさせなさいってことなのよ」
「わかっとるがな」
「だったら説明させないで」
美久は疲れたような眼差しを律に送るが、見えませんとばかりに手を目の前で覆っていた。
「やれやれ。どうしたものかしら、引っ叩いたら元に戻るかしらね」
言うが早いなり、美久は右手を肩より高く振り上げる。それと同時に美久の紅の髪がさらっと揺れた。
「えいっ」
なんとも軽い言葉と共に力を乗せて蒼の頬、目掛けて振り下ろされる右手だったが、それは空振りすることになる。
蒼が危険を察知したのか一瞬だけ後ろに顔を退いて避けていた。
どうやらしっかりと危険察知するところはしているらしい。
「なんだ」
美久の手を回避した蒼が、何事もなかったかのように問いかける。
ビンタが当たると思っていた美久は、右手を残念そうに見つめてから答えた。
「呼んでるのにあんたが反応しないからビンタでもしようとしたんだけどね」
「ああ、後ろの連中を見ればわかる」
「えっ?」
淡々とした蒼の言葉に、美久が疑問を口にしながら振り向く。すると、そこには列を成して待機する三人の姿があった。
全員が手を肩の上よりあげて、いつでも叩ける姿勢を取っているのがシュール極まりない。
「美久のビンタで意識戻らんかったら、叩かせてもらえるんかなって」
「その場のノリで……」
「左手が動くか確かめたくなったもんでな」
三者三様に言い訳がましいことを言い並べる。まるで被害者面とでも言えそうなほどに悪びれた様子がない。
「あんたたち、真面目にしなさいよね」
美久は大袈裟に溜息をついて、自分を棚に上げた物言いをする。そこに三人が間もおかず、異口同音で答えた。
「「「美久(さん)こそな(ね)!」」」
第十一話「迷いの帰還」 終わり
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