第十二話「目視情報の成り立ち」
第二章 亡霊編
第十二話「目視情報の成り立ち」
蒼たちは医務室に、まだ気絶している和志と兄が心配な紗綾、それに二人の面倒を見ると言った律を残して、ソリューション前線基地の無数にある部屋の一つである指令室に訪れていた。
指令室には、箱を思わせる一室の壁に沿って設置された本棚に大量の資料らしきものが入っていて、部屋の中央には金色の刺繍が施された赤い絨毯と、来客用の茶色いソファが二つテーブルを挟んで置いてある。テーブルの奥には美久が普段使っているのであろう重苦しさを感じさせる重厚さを持ったデスクがあった。
物品の端々から高級感が至るところに広がっていて、なんとなく校長室を連想させる。客人を迎えるような作りにすら思える。
「ふぁあぁ……寝かしてくれてもいいと思うんだけどな、ソリューション大将さんよ」
昨日から一睡もしていないまま、指令室に通された一誠は、口をあくびに従わせていた。
亡霊と戦った傷は紗綾のおかげで癒えたとはいえ、疲れていることに変わりなく。人間は眠らなければ効率が落ちると、とろんとした黒い瞳が訴えかけていた。
しかし美久は、そんなことは草の根ほど関係ないとばかりにデスクまで歩いていく。
「ま、適当に腰かけといて。私もとっとと亡霊に関しての指示とか出さないといけないから、ちょっと話を聞きたいだけよ」
美久はデスクの下部の空洞に入り込んでいたオフィスチェアを引き出して、座る。そして蒼と一誠が座るのを待った。
聞く耳を持たない美久に、一誠は諦めたように呪詛のような溜息をつきながら首を振って、きょろきょろと回りを観察し始めた。
「へぇ、来客なんてほとんどこないだろうに絨毯とかソファまでご丁寧にあんだな。お、柔らかい」
感想を言いながら腰をおろして、一誠は心から包まれるかのようなソファの柔らかさに驚く。
饒舌に喋る一誠とは対照的に、蒼はさっさと無言で腰を下ろしていた。
無言であっても、ソリューション前線基地に帰ってきた当初のように考え事をしている雰囲気は鳴りを潜めており、至って平常通りの無感情な顔の輪郭しか描かれていない仮面のような表情を蒼はしていた。亡霊と戦闘してから上の空だっただけに、剥がれない仮面の裏で何を考えているのか、一誠と美久には分からなかったが、蒼が話してくるまでふたりとも思考の迷路を進む蒼に助言をする気はないらしかった。
「しかし、よくこんな高級そうなもん買い揃えたもんだな。備品調達するのだって円卓の騎士団が目光らせてんだから大変だったろ。そんなに備品に拘りあんのか?」
一誠の言葉に答えようと、美久はオフィスチェアに沈むように腰を預けて、天井を見上げた。空すら見えないコンクリートに過去を馳せるかのような姿は、過ぎ去ったものを懐かしむようでもあり、そこから生じる後悔の荒波に沈んでいるようだった。
しかし、それを無理やり鎮めるようにして笑顔を作った美久は、朗らかな声を出した。
「ま、あの人の趣味よ。こういうところは来客があろうがなかろうがきっちりしてないと、心がたるむからってね。何もこんな高級な家具揃えなくてもいいと思ったんだけどね」
「なんというか、豪傑なのにささいなことを気にする、あの人らしいことで」
「ええ、まったく、その通りだわ」
美久は思い出したものを、忘れるために息を小さく吐いてから、本題に戻るためソファに座っている一誠と蒼を視界に入れた。
「さて、お喋りは終わりにして、亡霊についての報告を聞かせてもらおうかしら。眠たいんでしょう?」
「そりゃねむてぇさ。けどな、報告つったって、美久も現場に来てたんじゃねぇのか?」
蒼たちに撤退を伝える際に聞こえた声は美久のものだから、美久は近くにいたはずだ。撤退を伝えるだけなら、美久は声を響かせられる距離に居ればいいが、光や闇属性といった遠距離属性の応用魔法の放出地点を決めるには、設置場所を視界に入れておく必要がある。人間の視覚では、壁に阻まれた建物の中身を見ることは叶わず、外側から見えない内側に魔法を設置するなど、目隠しをされているにも等しく不可能なことだ。ならば、ある程度、亡霊を目視していてもおかしくはない。
「紗綾と蒼の通信機に連絡しようとしたら繋がらないから行ったのは確かだけど、撤退を伝えるために工場に入って合図して返っただけで、一部始終なんてものすら見てないわよ。亡霊に見つかって追いかけまわされるのは御免だったからね。和志のこととか、亡霊のことをあなたの目線で教えて頂戴」
「なるほど、ね――」
一誠は納得して頷いた後に、ソファの背もたれの頂点に両手と後頭部を乗せて、川の流れに身を任せるようにしながら話し出した
「――まずは、和志のことでいいか」
「ええ」
「今の和志は間違いなく復讐心に囚われてるとみて間違いないだろうよ。亡霊との戦闘に俺が介入してもやめようともしないし、蒼と紗綾の声にも耳を貸す気配はなかった。でも亡霊が子猫ちゃんに目標を定めたら反応はしてたし、復讐だけに心が染まって周りが見えなくなってたわけじゃなさげなんだがな」
「それで、和志は復讐心から戻ってこれそう?」
一誠は問いに、すぐ答えられなかった。白色の、答えなんて微塵も転がっていない天井を見つめる。
戻ってこられるか、戻ってこられないか。
正直のところ、分からなかった。
和志の過去を知らないから憶測でしか考えられないが、自分と違って和志は亡霊によって全てを失ったわけじゃないはずだ。
和志が一誠とは違い、亡霊を探しながらもソリューションとして活動していたことから、分かる。
もし全て失っていたら、和志は自分のようになっていただろうから。亡霊に復讐するためだけに、苦しみに身を晒して生きていただろう。でも、そうじゃない。
和志がソリューションとして居られた一番の理由は、おそらく――。
「子猫ちゃん――いや、紗綾ちゃんが和志の最後の心のストッパーなら、もしかしたら俺みたいにならずに済むかもな」
一誠の呟きは、願望が込められているのか、期待が込められているのか、はたまた自分が辿れなかった可能性を羨ましく思っているのか、暗闇の中にある一筋の光を模索するような物言いだった。
「これから次第ってところ?」
「まぁ、そういうこった。和志についてはこんなもんかね。で、本題の亡霊のほうだが」
「聞かせて」
一誠はリラックスしていた姿勢から身体を起こして両膝に両肘を置いて両手を絡める。安らぎから目の色が変わり、明らかにしっかり話す姿勢を整えていた。
見ているだけで、一誠の心を感じて体中が粟立ってしまうかのような殺気が放たれている。
亡霊に対しての真剣さというものが、そこから見て取れた。
亡霊に襲われた者同士という観点から、和志には入れ込んでいそうだが、あくまで亡霊とは別に副次的に考えていたことだったのだろう。
和志のことを語っていたときよりも、直線的な感情の奔流が態度から現れていた。
「今回の亡霊は戦った限りではあるが、魔法固有を手にしたと考えて間違いないだろうな。それもとびっきり厄介な奴を、だ」
魔法固有は魔法を使える人間だけが持つ固有の魔法で、人によってその性質は異なることもあり、能力は多岐に渡ることが確認されている。
物体の中に魔力を流し込んで魔力を付与したり、治癒の速度、精度を高めたり、魔法の攻撃に耐性を持っていたり、と。つまるところ、他人には使えない自分だけが持つ唯一無二の魔法と言ったところである。
しかし魔法を使える人間すべてが魔法固有を持っているわけではなく、魔法が一日数回から十数回程度しか使えない一般的なコモンマジックスキルの人間は魔法固有を持っていることが珍しく、一千万人に一人の確率で生まれる、一日で魔法を数十回に渡って使用できるレアリティマジックスキルの人間は魔法固有を持っている確率が高いことから、貯蔵できる魔力の量によって魔法固有を得られるのではないか、と言うのが定説である。
それを亡霊は手にしたと、一誠は言っていた。
「魔法固有? 今までの亡霊は持っていなかったの?」
「今まで俺が亡霊と戦ってきた中で、魔法固有らしきものを見たことはなかったさ」
「魔法固有がなかったはずが、今回現れた亡霊は、魔法固有を手にしていたと」
「そういうことになる。ただ、見たと言っても物理的に見えたりする能力じゃなかったんだがな」
「どんな能力だったの。報告してきたからには、見当がついているんでしょう?」
一誠は頭の中で、亡霊に近づくと魔力結合が解除された武器を思い浮かべる。
自分のグランドコンバット、グランドハンドはもちろんのこと、蒼が生成した武器まで数秒で魔力結合が解除されていた。魔法で生成した武器は生成した本人の体に触れている限り、魔力結合は保持されるにもかかわらずだ。
もし亡霊の力が想定より上がっていて、魔力結合と魔力結合のぶつかり合いで武器が潰されたにしても、明らかに速すぎると言えるスピードで魔力結合が解除されていたのは間違いない。見当はついているのだが一誠には、今一つ自信を持って言うことのできない。
しこりのように気になることがあった。
「見当はついてんだがな」
「なによ、引っかかる言い方ね」
「まさに俺自身が引っかかってることなんだが、結論から言うと亡霊の魔法固有はおそらく魔力結合の強制分解能力だ。それも火、風、土、水の基礎魔法限定のな。美久の打ったフラッシュがあるだろ、あれは軽減できているように見えなかった」
「私も確認していたけど、フラッシュの威力減衰はなかったから、基礎魔法限定で合っているでしょう。中々に厄介な代物ね。むしろ今まで私が見てきた魔法固有の中でもずば抜けてる」
「そりゃそうだろうさ。俺だってお前らより色々見てるはずなのに、そんな魔法固有なんかには出会ったことはねぇ」
「蒼くんはある?」
「……そこまで強力な魔法固有は目にしたことがない」
ここに来て、初めて話を振られた蒼は二拍ほど間を置いて、首を横に振って否定を表しながら答えた。どうにも反応が悪いのは、まだ亡霊について心の片隅で考えているからだろうか。
「名誉階級のメンバーにそこまでの魔法固有保持者はいないってことかしら」
「そもそも魔法固有は信頼のおける仲間でなければ、簡単に明かすものではないだろう。名誉階級同士だからと言って魔法固有を教えられたことはない」
魔法固有は自分だけの力であり、他人とは違う、自分だけのアドバンテージの源だ。それを話せる相手は、末代まで敵対する可能性がないものか、考えなしの脳に花が咲いているような人間だけだろう。自分が生きるか死ぬかを分ける可能性のあるものを、ぺらぺらと教えられるわけがない。
現に戦闘技術の全てを蒼に教え込んだ縁李 無頼の魔法固有を、蒼は知らない。いつか蒼が敵になることを見越していたのか分からないが、無頼と蒼は師弟と言ってもいい関係で、信頼関係にあったものの、魔法固有を教えられたことはなかった。
「信頼を置ける仲間ね。ま、その通りだけど、名誉階級はよほど仲間意識がなかったのねぇ……。ところで、蒼くんの魔法固有は何?」
美久は試すような、一見してみれば天使みたく思えるが、少し意地の悪い小悪魔のような笑みを浮かべた。愛らしいように感じるのに、体が戦慄いてしまいそうになる。
「えげつねぇなぁ」
一誠が乾いた笑いを表情に張り付かせたまま、呟く。美久の言葉は、まさしく悪魔を模しているかのようなものに違いなかったからだ。
美久は青空を感じさせる清涼な笑顔を、一誠に向ける。裏に秘めたものがなければ、崇めたくなるほどだ。
「なにか、言った?」
「いえ、なーんにもございませんとも」
美久は蒼の信頼のおける仲間でなければ簡単に明かすものではない、との言葉に反応して、蒼が美久を信用しているか、美久が蒼を信用できるか試そうとしている。
魔法固有を教えるということは、自分の有利条件を一つ失うということ。蒼がもし円卓の騎士団からのスパイだという可能性があった場合、敵対するのなら殺される可能性をわざわざ広げるようなもので、気軽に教えられるはずがない。嘘をついたとしても魔法固有は常時発動している力で、それは自分に止めることができないものだ。
だから嘘をつけばバレる。
八方ふさがりの暗い夜道に迷いこんでしまう。
それに、どう答えるのか。
蒼も一誠と同じく美久の意図にすぐ気づいたが、迷うことない意思と共に口が勝手に動いていた。
「俺の魔法固有は、魔法耐性だ」
「あら、信頼のおける仲間にしか教えれらないって言ってたわりに、簡単に教えてくれるのね」
「俺はもう円卓の騎士団ではなく、ソリューションの人間だからな」
美久は、蒼の表情をはかるように眺める。
蒼の表情は多くのことが読み取れるほど多彩ではない。むしろ無地の布に近い感覚がある。だがそこからでも、こういう大事な局面であるなら、人の思いは読み取れる。
蒼からは人を騙そうとする意思や敵対心は表情から毛ほども感じられず、雲ひとつない青空のように真実を言っているのだと、美久の感覚は告げていた。
己の感覚を信じている美久は、ほんの僅かに自嘲気味の笑みを浮かべる。
「その通りね。試すようなことを言ってごめんなさい」
「いや、俺は円卓の騎士団の裏切り者だ。本来あるはずの円卓の騎士団からの追ってもない。疑われてもしょうがないものだ」
「蒼くんがそう言ってくれるなら、助かるわね。でも、これではっきりしたわ。私は何があっても蒼くんを信じる。こんな意地悪な質問に、素直に答えられる人が、スパイやってるなんて思いたくもないしね。にしても魔法耐性って、魔法が効き辛いってことよね?」
「そういうことになる。放出型の応用魔法の光、闇属性に、火、水、土、風属性の基礎魔法も俺に被害を及ぼす可能性のあるすべての魔法に耐性がある」
蒼の説明を聞いた美久は、蒼と初めて対峙してフラッシュの魔法を使ったことを思い出していた。
今にして思えば、美久はフラッシュを蒼に不意打ちしたにも関わらず、あまり効果がなくて、すぐ魔法で治療されてしまった。本来ならば十分は目くらまし効果が期待できた魔法のはずで、治療したとしてもフラッシュが有効に効いて入れば、もう少し時間を稼げたはずだが、ようやく蒼にフラッシュが効きにくかったのか、納得できた。
「道理で、あんたに向けて撃ったフラッシュが効き辛かったわけね。それに、あなたが強いわけだわ」
魔法は人によって一日の使用限界があるとはいえ、超常的現象には違いなく、科学で作られた現代兵器より製造面でのコストが掛からない。
昨今の現代兵器は主に魔法が使えない人間か、物好きが使う代物になっていることもあり、蒼の魔法固有は現代の戦闘において、現代の人間が背を向けてでも逃げ出したくなるほどには、相手にしたくない類のものに違いなかった。
「だが、蒼の上をいく魔法固有がおそらく亡霊にはある」
ひと段落した会話を見届けてから、一誠は口を挟む。
蒼の魔法固有が魔法耐性で、亡霊の魔法固有が魔力結合の分解であれば、基礎魔法限定とはいえ魔力結合が解除できる亡霊のほうが強いと言える。
蒼のはあくまで魔法が効き辛いだけであって、亡霊のように魔法を分解したりできないこともあって、魔力結合で出来た物体に斬りつけられれば傷を負う。
つまり、少なからずダメージを与えることは可能だ。
しかし亡霊の魔法固有は、魔力結合で出来た物体では切っ先が届く前に、切っ先そのものがなくなってしまう。
傷を負わせることすら許されないのだ。
「ちょっと脱線しすぎちゃったわね。亡霊の魔法固有が魔力結合の分解なら、ほんとに厄介なことこの上ないけど、何か対策はある?」
「対策とはちと違うんだが、もしかしたら亡霊に有効打を与えられるもんがあるかもしれない」
「なによ? それは。それが亡霊の魔法固有を話す前に引っかかってたって言ってたこと?」
「そうなんだが――」
一誠は自分の考えをまとめるように口元へ右手を当てる。彼の頭の中には、亡霊と対峙している和志の光景が存在していた。
和志は、亡霊と対等とまで言わずとも魔法で作った武器で戦っていた。
亡霊は魔力結合を分解する魔法固有を持っているはずなのに、だ。
「――和志の武器は亡霊と戦っているのに、まったく魔力結合が解除される様子がなかったんだが、和志の魔法固有は魔力結合の強固化じゃないか?」
一誠の質問に、美久は考えを巡らせて言葉の意味に確信を得たのか、頷いた。
それは、魔力結合分解という絶対的な支配を逃られれる、暗闇に対しての一筋の光のように思えた。
「和志の能力ですら解除されてるんじゃないかって思ってたけど、なるほどね。一誠の言う通り和志の魔法固有は魔力結合の強固化と言ってもいいものよ。詳細が聞きたいなら和志にでも言ってくれると助かるけどね」
「何も根掘り葉掘り聞こうってんじゃない。和志の魔法固有が魔力結合を強固にできるものなら、それを基点にして戦いを構築できるはずだ。本来、魔力で生成した武器は持ち主の手を離れると魔力結合を保持するための魔力が供給されずに自壊してしまう。だが、和志の場合は魔力結合から漏れ出るはずの魔力を強固な魔力結合にすることで魔力が放出することを防いでいるのだとしたら、亡霊の魔力結合強制分解能力にも対処できる。和志は実際、亡霊と魔法で生成した武器で戦っていたしな。和志の魔法固有に強制分解を防げるほどの力があるのなら、俺たちも和志が生成した武器を持っても早々魔力結合は解除されないだろうし、そうなれば亡霊に、俺、和志、蒼で戦えるようになる。亡霊を殺すだけなら、それでいけるはずだ」
「藤幹 和志を基点に、か。それは少し問題があるように思えるが」
「わぁってるよ。今の和志が指示通り動くかってことだろ?」
一誠は困ったように後頭部を右手で掻く。蒼の言葉に穴を突かれたと言いたげだった。
亡霊との戦闘でも和志は言葉に耳を貸そうとしなかったし、復讐心に囚われているだろうから、まともに協力体制が築けるか疑問を抱くのも無理ない。
「そこは和志が起きたらなんとか説得しましょう。魔力が強制的に分解される以上、拳銃とか持ってきたいところだけど、魔法で凌がれておしまいでしょうし、拳銃も易々と手に入るものじゃないからあとはなるようになる、ね。できるだけ手早く片付けたいところなんだけど」
美久は話し合いに疲れたように、オフィスチェアへ体を預けて言った。それに一誠も再びソファに体を預けて同意する。
「違いねぇな」
周りが空気を柔らかなものにする中、蒼だけが背筋を針のように伸ばして座っていた。
「どういうことだ?」
「直接亡霊と戦うのにいらない知識だったから、蒼にはちゃんと説明してなかったがな、亡霊は憎しみのある人間以外のところにも現れることがあるんだよ。標的が誰かなんて予想できない、強いて言えば幸せを持ってる人間のところに現れんだ」
「……そして、殺していく、というわけか」
「正解だ」
蒼が亡霊が亡霊と呼ばれている語源に辿り着いた言葉を聞いて、怒りと諦念が含まれた感情が幾層にもある目を濁しながら、一誠は答える。
自分がどんな風に亡霊に刈り取られたか、それだけを思い出しながら。
「幸せの絶頂に居る人間の大事なものを雑草みたいに、ゴミ屑のように刈って、亡霊はそいつに自分を憎ませるんだ」
「自分を憎ませるか、何が目的なのか分かったものじゃないな」
人は何かを目的として生きる欲望を持った生き物だ。正と負、どんな目的であれ、それを指標に日々を生きる。そして次の目的へ繋げていく。
個人の中で永遠に続く欲望の連鎖こそが、人の生きる歴史を作っている。連鎖の中にある目的が他人には分からないものでも、その人間だけはその欲望がどこに繋がっているか、本能的に知っている。
なら、亡霊は憎まれて何をしようとしているのか。
「亡霊の目的、ねぇ……考えたこともなかったが、もしかしたら意味なんてないのかもしれないぞ。今の俺たちに亡霊の目的として分かるのは、わざわざ幸せな人間を不幸にして憎しみに染まった人間を殺す、ひたすらに頭がイカれてる狂人ってことだけだ」
一誠の亡霊を突き放した物言いに、美久は言葉を挟んだ。
「目的と意味なんてものは、人によって幾万にも変わるものよ。人を殺すことに目的と意味を見出す者が入れば、人を殺して、法に裁かれることで自分が楽になることを目的と意味にするものがいる。どちらも求める結果は違うけれど、人を殺すことは同じよ。そこが通過点であろうとなかろうと、一つの事象にどんな意味を見出すかは、十人十色でしょう? どちらにしろ、私たちはこれ以上罪のない一般市民が亡霊のエゴで犠牲になるのを止めたい。例え、亡霊が名前の通り何度現れようとも殺すしかないわ。人を殺す亡霊に崇高な目的があったとしてもね」
そこで美久は言葉を区切り、確かな呼吸をした。それから視線を晴天を思わせる蒼の瞳に向ける。
「蒼くん、こういう話のついでに聞きたいんだけど、円卓の騎士団――いいえ、この場合はアーサー王と言ったほうがいいわね。アーサー王の目的ってなんなのかしら? 彼らは日本に住む人間の欲望を禁止したわ。それも人生に関わる進路や就職、一部の人間は趣味さえ制限されている者がいる。すべての人の欲望を管理するなんて、人の一生が掛かってもできることじゃない、多くの人を管理に割こうとも人の心は制御できない。絶対にどこかで管理漏れは生まれる。それなのに、なぜアーサー王は人の欲望を管理しようとしているのかしら」
矢継ぎ早に放たれた言葉を、蒼は不愛想にも見える顔をしながら、感心した様子で返した。
「円卓の騎士団の目的か、考えたこともなかったな」
「考えたこともなかった、ね。円卓の騎士団に所属していた昔はそうでも、今考えてみたら、どう? 目的がわからなくてもアーサー王の情報だけでも教えてちょうだい。元々メディアには円卓の騎士団は出てこないし、私たち円卓の騎士団に入っていない人間が知っていることなんて、白い仮面を被っているってことくらいだから」
蒼の円卓の騎士団での日々は無関心で構成されていて、目的なんて考えたこともなかった。思うことがあっても、感情を押し殺すことによって兵士として人の死を感じることなく、久遠のことを探さず生きてこられたのだから、そんな暇はないにも等しかった。だが美久の言葉通り、今なら考えられるかもしれない。
美久に視線を合わせながら思考をまとめて、蒼は一言一句にアーサー王を鮮烈に浮かべた。
「アーサー王は氷のように自分の感情を見せず、冷徹な人物だった。中性的な声をしているが、その声にはいつも他人を自然に威圧できる力があった。誰かと常に一緒に居ることもなく、いつも一人。そう多くのことをアーサー王と話したことがあるわけではない。だが、思うにアーサー王は人を管理して喜ぶ、矮小で俗物的人間ではなかったと思う――いや、少し語弊のある言い方になった。人の欲望を管理したところでそれで心を満たすような人間では、ない。アーサー王という立場である故か、欲望なんてものを感じたことすらない」
蒼が喋り終えたあと、美久はアーサー王がどんな人間であるか推測するように目を細めて、手を口元に当てた。
「顔は、わからないの?」
「素顔は見たことがない。俺が見たことのあるアーサー王は、ずっと白い仮面をつけていた」
「そう。蒼くんの話を聞いてると仮面で素顔をただ隠す臆病者だとも思えないし、よほど狡猾な人間なのかしらね、感情を見せず、冷徹、誰も信じていないような印象を受けるわ」
「まー、仮面を常日頃被ってる奴の考えていることは、自分の本性を晒したくないとか、隠し事があるからだと思うぞ」
アーサー王の話になって黙っていた一誠は、気楽に答えた。円卓の騎士団という存在をさして重要視していないらしいことが、言葉にこもった感情の端々から窺える。
一誠の心のすべては、やはりと言うべきか、亡霊に収束されているらしい。
「きっと何かあるってことね。ありがとう、蒼くん。ところで――」
美久は気難しい目をしていたと思ったら、次の瞬間にはジトっとした目をして、あひる口をする。一見すると拗ねているように見えるが、呆れていた。
「なんだ」
「――あんた、昨日勝手に学校来たでしょ、昨日の早朝のうちにあんた、退学になってたわよ」
蒼は思考を巡らせて、確信したように手をたたいた。まるでその思考に至らなかった、と美久に乏しいながら感心の視線すら送っている。
「円卓の騎士団からの命令で大魔法高等学校に居たのだから、退学していて当然だったな」
「うん、一応退学の処理はしておいたけど、また学校に来ても問題ないわよ。円卓の騎士団が騙せるように書類の偽装とかその他諸々はやっておいたから。蒼くんはあの学校にいないことになっていて、蒼くんの素顔を知っている人も殆ど円卓の騎士団にいないって話だったから、学校の中で円卓の騎士団に見つかることはないと思うわ」
「大魔法高等学校は円卓の騎士団が管理している学校のはずだが、情報操作でもしたのか?」
蒼が大魔法高等学校に居られるようにするということは、円卓の騎士団の中にソリューションの人間が入り込んでいる証拠に他ならなず、蒼は驚きを隠せなかった。
それを見た美久は少々得意げに答える。指がピアノでも奏でるように机の上でリズムを刻んでいて、楽し気だ。
「まぁ、ちょちょいとね。大魔法高等学校を円卓の騎士団が管理してても、円卓の騎士団は大日本帝国を統治できる程度には大きな組織だからいくらでも誰かが入れる余地はあるわよ。組織の形態が大きくなっていくほど、下部の組織を制御するのは難しくなるし、上にも行きやすくなるってものよ」
「美久、ここにランスロット卿が居ると聞いた! 失礼するぞ」
「失礼するなら帰って」
「その通りだな!」
美久が話終わるや否や、自動ドアから入ってきた男は、気に留める暇もないまま落ち着いた声で納得して指令室から出て行った。
蒼は珍しく、鳩が豆鉄砲を食らった顔をしていた。美久と侵入者の会話があまりに芸術的な流れだったため、思考が数秒遅れてやってくる。
「……なんだ、今のは」
「ん? んん、あいつの顔どっかで見たことあるよーな気がすんだが」
「一誠はあると思うわよ」
「失礼する、と言ったものに失礼するならって言うのはマナー違反だと思うんだがどうだ」
再び自動ドアから入ってきた男は、なにやら文句があったらしく、生真面目な顔をして言った。
美久は口を動かすのすら面倒そうな顔をして、人差し指でデスクを叩いていた。
「そんなこと知ったことじゃないわよ、武(たけし)」
「武?」
人物名らしき名前を聞いた一誠が首を傾げて、男を執拗に見る。
髪は針のように尖って黒い。
背は大木のように高い印象が、外見的特徴として目に飛び込んでくる。顔は強面で、不機嫌さが現れているようなツリ目をしているが、それでいて生真面目さを感じさせる穏やかな瞳をしていた。
大魔法高等学校の制服を着ているが、第一ボタンまできっちりと止めていることから、よほどの生真面目だとそこからも確信できる。
一誠はこめかみに手を当てて、必死に頭の奥底にある棚から見覚えのある姿を引きずり出そうとしていた。
「な、なんだ」
一誠の視線があまりに力強かったため、武と呼ばれた男は後ずさってまた自動ドアが開いた。
「電力もったいないからやめなさいよ」
美久は風船に空気を入れるかの如く、不満をありったけ含ませた言葉を投げる。この武と言う男が来てからと言うもの、機嫌が目に見えて悪い。
「お、俺だってやりたくてやっているわけじゃない! そもそもこいつが睨んでくるから――」
必死に弁解をしようとする男を差し置いて、一誠は右指からパチンっと乾いた音を響かせた。顔がひらめいたと告げていたこともあり、誰もが一誠に視線を合わせる。
「あっ! そうそう、上野 武(うえの たけし)か!?」
「俺は上野 武だが、誰だ貴様は、会ったことあったか?」
武は訝しげに一誠を見定めようとする。その薄情とも言える様子に、一誠は身を乗り出して答えた。
「あるある。俺だよ俺。お前の小さい頃に会ったことあるだろ」
「昔に会ったことがあると言って詰め寄り、油断を誘う。まるで何処かの詐欺師のようだなっ! まず名前を名乗ったらどうだ。そしたら思い出すかもしれん」
「おおっそりゃそうだ。俺は野木原 一誠だ。武は小さかったから覚えてないかもしれんが、お前の親父さんと会ったときにお前とも会ってるぞ」
「親父と? ってまさか、一誠か?」
訝しげにしていた武の表情が、輝いたものに変わる。まるで、遊び相手でも見つけたかのようだ。
「まさかも何もそう言ったんだが」
「昔は黒髪だったから、まったく気づかなかったぞ」
さらっとした金髪を見ながら、武が言う。
一誠は、ばつが悪そうに武から視線を逸らして金髪を手でささやかに弄る。
「ま、色々あってな。気持ちの変化だとかそんなんだよ、な、蒼」
一誠は、あまりこの会話を続けて欲しくないらしく、武が来てから喋っていなかった蒼に話を振る。一誠にとって踏み込んでもらいたくない心の深い領域にあるものの一つが、日本人らしからぬ色をした金髪なのだろう。
鋭い刃物のような雰囲気が、一誠の感情の隙間から顔を出していた。
「俺に言われても返答はできないぞ。答えを知らないからな」
蒼は少々困ったようにも無関心そうにも思える微細な変化で、答えてくれる。返事を寄越してくれるあたり、一誠の触れられたくない部分を思って、助け舟でもくれたのかもしれない。
なんとも正直な奴だ、と一誠は含み笑いで、感情の隙間から出てしまった鋭い雰囲気をさっと隠す。お調子者を気取るよう、自分がだらしなく見えるように。
「くくっ、だろうな。ところで、武はどうしてこんなところに来たんだ?」
一誠が問いかけると武は、はっと息を吸い込む。今の今まで忘れていたのであろう、指令室まで来た目的を美久に話した。
「ここに、ランスロットが居ると聞いた」
「ここには、いないわよ」
「なんだ?」
あくまでそっけない美久に代わり、当然とばかりに蒼は返事をする。
美久は蒼がランスロット卿ということを武に隠したいらしいが、自分に話があるのなら耳を貸すつもりらしい。
それを美久は面倒くさそうでもあり、面白くなさそうに見つめた。どうやら、武と蒼を接触させたくはなかったようで、呆れた溜息をついている。
「はぁ……なんで蒼くんは素直に返事しちゃうのかしらね。こういう場合じゃ、そういうの美点じゃないわよ」
「いけなかったか」
「いけなくはないけど……あんたがいいなら、それでいいけどね。ただし面倒なことになると思いなさいよ」
蒼と面識のなかった人間が、自分を探していた。しかもソリューションの人間が。
その事実から、上野 武の目的を想像することは容易く、いつか衝突する問題だと蒼は考えていた。
美久、和志、律は、蒼をソリューションに歓迎しただけあって、仲間になったあとも試すようなことをしつつも、根本的に蒼を仲間だと思っていてくれていた。
しかし、それはランスロット卿という表向きの仮面だけでなく、蒼の本質に彼女らが触れようと、心の中にある蒼すら気づいていないものを曝け出してくれたからだ。
他のソリューションの人間はそうでもなく、紗綾も蒼がランスロット卿だと知ったときには敵意を現した。あの場は、美久が取り持ってくれたおかげもあり、和志のことを最優先事項とできた。だから争わずに済んだ。
だが他のソリューションの人間も紗綾同様に敵意を持っているというのは間違いなく、そもそも元の組織を裏切った人間を、そう簡単に信頼できるわけがない。
どこで折り合いをつけられるか。いつか直面するはずの問題が、今に追いついただけだ。
「分かっている。大方、ランスロットがソリューションに入ったことによる不満だと思ったんだが、的外れだったろうか」
「いや、合っているぞ、ランスロット」
武に向かって呟かれたのだろう言葉に、武は蒼を親の仇でもあるかのように睨みつけながら答えた。
「武、あんたねぇ、私は説明をちゃんとしたじゃない。ランスロットは私たちの仲間だって、私たちと同じように叶えたい欲望ができたから、私たちの味方になったんだって。それじゃあ、矛は収められない?」
亡霊が暴れているときに面倒ごとはごめんだ、という意図が見える美久の口調に、武はあくまで蒼から目を離さない。
むしろ相手に、目だけで己の中にある沸騰しそうな激情を伝えられるように注視して、震える手を力強く握った。
「そんな説明で納得できるわけないだろうっ! 円卓の騎士団のランスロットと言えば、俺たちソリューションの仲間をっ……何人もっ、何人もっ! 殺してきた奴だぞ! 今まで、敵だった人間だ。仲間になったからと言われて、納得できるかっ!」
「……じゃあ、どうしたいの。どうしたら、あんたは納得するの?」
美久の言葉は、武にとって待ち望んでいたもの。
武は、揚々と右指で蒼を鋭く指して、高らかに宣言する。それは清く、自分の心に愚直で素直なまでに従った言葉だった。
「俺と戦え、ランスロット。俺がお前が信頼できるか、戦って確かめる。だが、これは決してやられた仲間の復讐じゃないぞ、あくまで俺がお前を信頼できるか、仲間として納得できるかの問題だ。仲間を殺してきた奴だとは言ったが、殺し、殺されたからと言って、ここに至ってまで憎しみを持ち込もうとは思わない。敵同士だったのだから、当たり前で仕方のないことでもある。だが俺は仲間になりました、と言われてほいほいと納得できる性格でもない。お前と戦って、俺はお前が仲間に相応しいか決める」
蒼は指された指から目を一切背けず、鋼のように固く変わらない意志を感じさせる瞳をしていた。蒼はその瞳に怯むことなく、武の瞳をまっすぐに見つめた。
「いいだろう。戦いの中で俺が信頼できる存在か確かめられるのなら、そうすればいい」
戦いで信頼を勝ち取れるというのなら、思う存分に戦わせてもらって、見定めてもらう。それが、ソリューションに入ったばかりの自分が、目の前に居る彼にできることだから。
「見上げた度胸だ。戦闘内容についてだが――」
何やらまとまりかけている話に、美久は溜息をついて目を手のひらで覆った。二人とも感情に対して素直すぎて、何かを言うのも馬鹿らしく思える。
「あ~、こんなときに、なんて面倒なことしてくれるのかしら。今は忙しいからあんまり戦いなんてしないで欲しいんだけど」
愚痴を並べる美久に、一誠は蒼と武を見て唇を緩やかに吊り上げて笑っていた。
「まぁまぁ、いいんじゃねぇの、青春っぽくて。殺し合いじゃなく、相手と殴ってわかり合うなんて、少年漫画の王道っぽいじゃないか? 司令官殿」
「なに一誠、嫌味? ただでさえ亡霊が現れてごたごたしてるのに、勘弁してもらいたいわよ。こっちは」
「なら、やめさせりゃあいい。それくらいはできるだろ?」
「そうできれば、いいのだけどね――」
美久は目尻を柔らかに下げて、睨みあいながらも会話を続けている武と蒼を視界に捉える。
目を手のひらで覆うような様子とは変わって、美久の表情には子を見守る母親を思わせる、柔らかで暖かなものが確かに浮かんで、唇が緩んでいた。
「――これも蒼くんとソリューションの人間が仲間として認め合うためのものだと思ったら、やめさせにくくてね。武はソリューション前指揮官の息子だから、幹部以外のメンバーからの信頼も厚いし、彼から認められることは、蒼くんにわだかまりを持っている人を、黙らせるいい機会になるかもしれない。それに一時的にでも信じてもらえるのなら、そのあとは蒼くんの行動次第でソリューションの仲間として、みんなから本当に認めてもらえるかもしれない。だから悪い話じゃないのよ、亡霊さえ出没してなければ」
「今の信頼があれば、後から本当の信頼に変えることもできる、か。亡霊が出てるつっても、和志が起きてくれないと、どうせ亡霊に対策が取れねぇんだから、今はやらしておけばいいんじゃないのかね」
「まったく、その通り――ん、何かしら、内線ね」
基地内の何処かからの着信を知らせる足早な機械音が、デスクの上に置いてある電話から響く。
美久は音に急かされるように一誠との話を中断して、受話器を手に取った。
「私よ。律? どうしたの。うん、うん。分かったわ、すぐに向かうからそこから出ないように抑えつけておいて」
美久はオフィスチェアから腰をあげながら、電話の相手らしい律との会話を数秒で終わらせて、受話器を置く。
ソファに視界を向けると、会話から何かが起きたことを察したらしく、蒼たちは美久の言葉を待っているようだった。
美久は緩んでいた気持ちを、息として吐いてから気持ちを引き締めた。
「和志の意識が戻ったらしいわ。で、また亡霊を追いかけようとして暴れてるらしいの。取り押さえる意味でも、今後のことを考える意味でも、蒼くん、一誠、急いで医務室までいきましょう」
「ちょっと待ってくれ!」
美久の口早な言葉に、待ったをかけたのは眉をひそめている武だった。美久は、刺してしまうのではないかと思えるほどに鋭利な視線で武を射抜く。
「何か問題でもある?」
心に突き刺さり、気を抜けば足を後退させかねない視線をひしひしと感じながら、武は口を開けた。
「俺は今からランスロット卿と戦うつもりだ。連れられると戦うこともできない。美久も、さっきまでは納得していたじゃないか。やらせてくれ」
「状況が変わったのよ。武もわかるでしょう? 和志が目覚めた以上、今は和志と亡霊の件を片付けるのが最優先事項だわ。またいつ、誰が死ぬとも限らないんだから。とりあえず亡霊のことが終わるまで、蒼くんと戦うのは待ってちょうだい」
苦々しい顔をしながら、武は頷いた。顔で納得は示したが心は納得していない。そんな思いが透けている。
しかし武は、決まったことに口を出すつもりはないらしく、気持ちを切り替えるようにしながらも感情を抑えきれず、蒼を如何にも不機嫌な瞳で見た。
「ランスロット、俺はここで事態が解決するのを待っておいてやる。逃げることなく、必ず戦いにこい」
「……了解した」
蒼が静かに頷くと、武はそれを見届けたあと眠るようにして目を瞑り、扉近くの壁に体を預けた。
「解決したわね。いくわよ」
会話を見届けた美久は、蒼と一誠に動くことを促して指令室から出る。思わぬことで時間をとられてしまったせいもあってか、足早だ。
蒼と一誠も美久に続く。
「なぁ、美久さんよ」
「なによ」
廊下にコンクリートからの乾いた足音を響かせながら、一誠の言葉に美久は、ひたすらに向かうべき正面を見据えていた。
「武の奴、ここで待つって言ってたな」
「それがどうかしたの」
「いや……」
一誠は歯切れが悪そうにしながら、続く言葉を捻り出した。もしかしたらあるかもしれない、可能性を。
「武、蒼が行かなけりゃ、ずっと指令室で待つつもりじゃないかと思ってな」
武は、確かに"ここで事態が解決するのを待っておいてやる"と言っていた。
つまり、彼の"ここ"とは指令室であることは疑うまでもなく、武の愚直なまでに真面目すぎる性格からして、絶対に蒼を銅像のように待ち続けるであろうことを思いながら、美久は眉のあたりをぴくぴくと動かしながら答えた。
「……私が指令室に戻ってからも居たら、絶対に追い出してやるわ」
そんな言葉と共に、美久は和志が居るであろう医務室に向けて、さらに足を進めた。
第十二話「目視情報の成り立ち」 終わり
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