第二十話「断ち切る感情」part3

 第二章 亡霊編


 第二十話「断ち切る感情」part3



 巨人の爪で引き裂かれたようなパックリとした傷跡が残る工場に、月明かりが差し込んでいた。

 纏うように月光を一身に受けながら、右腕にリストバンドのようなもので固定させて魔法で生成した剣――アクアソードを、蒼は構える。

 余計な力を抜いて、いつ攻撃に転じるかを計る眼差しに迷いはなく、外見から心の揺らぎは一切感じられない。

 一方、月明かりの届かない暗闇に、異形の存在がいた。

 悪が形を成したもの。見たものを恐怖に陥れ、地獄へと誘うような人ならざる存在は、威圧的な空気を纏っている。

 一般的に悪魔と例えられる外見で、尖った牙を覗かせた口を歪ませ、恐怖心を煽る。

 何も知らない人間なら、視認しただけで畏怖を抱いて逃げ出そうとする外見だが、蒼は確かな意志の灯る瞳で悪魔を捉えて、動じることがない。

 悪魔が他者の血で出来たすら思えてしまう、赤黒い色の鎌を揚々と振り上げる。


「ワイを正面から見据えても動かん瞳、素晴らしいもんや。いやまったく、一応の人間と真っ当に本気出して戦うなんて久しぶりやからなぁ──すぐに壊れんなやぁ!」


 その言葉は、開戦の合図だった。

 瞬く間に蒼に接近した悪魔の鎌が、風を切るほどの凄まじいさで振り下ろされる。

 蒼は相手の僅かな動きで攻撃を察知し、なんとか後方に飛び退きながら回避。

 鎌が刺さった周囲のコンクリートがいとも簡単に砕けて飛び散る。起きた現象そのものが、凄まじい威力を証明している。

 言葉通り先ほどまでは本気で戦っていなかったのか──元から鎌に当たれば一撃で戦闘不能なのは確実だったが、掠ることすら許されないかもしれない。

 鎌に少しでも触れてしまったら、そこから根こそぎ持っていかれる。

 避けられることは予想済みだったのだろう悪魔は動作を止めず、まるでトラックのように力強く移動しながら、鎌でコンクリートを抉り、軽々しく鎌を振り上げた。

 一連の動作は川が流れるかの如くで、隙も見せず反撃を許さない。この超攻撃的スタイルが、悪魔の本領か。


「ほらほら! 仕返してこんと、ワイには勝てんでぇ!」


 蒼は口を挟む余裕すらないというのに、悪魔は軽やかに口が回っている。

 悪魔の鎌が、縦横無尽の軌道を描く。

 蒼は鎌の動きを見て飛び退き、鎌の進行方向とは真逆に前転したりとあらゆる手段を使いながら回避していくが、悪魔はしっかりとついてくる。

 距離を離すことができず、先ほどまで行っていた一撃離脱の戦法も封じられていた。

 頻繁に立ち位置を変えているが、ジリジリと壁際に追い詰められる感覚と共に、蒼の額から汗が噴き出る。

 今まで感じたことのない焦燥が、心を掴む。

 迂闊に接近して、魔法分解能力の効果が最も発揮される位置にでも飛び込んで武器を失えば、おそらく魔法分解能力の効果で魔法で武器を生成できず、一巻の終わりだ。

 この戦闘において悪魔の戦闘技術が、蒼の戦闘技術を絶対的に上回っているわけではない。

 反撃さえできれば互角の勝負ができるだろう。しかし悪魔の魔法分解能力が、それを阻む。

 近距離に位置していることそのものが、不利になってしまうのだ。

 苦しいが防御に専念して一瞬の隙を作りだし、そこを突いて終わらせるしかないだろう。

 一瞬で決めるには、的確に急所を狙う必要がある。

 悪魔に対する有効な攻撃手段の箇所もわからないが、人体において致命的な部分である心臓に、蒼は狙いを定めた。

 人体と同じ位置に心臓があるかも不明だし、死という概念があるかどうかすら、わからないが一か八かに賭けるしかない。

 蒼は掠りそうになる鎌の一撃をアクアソードで弾き、和志の様子を窺う。

 アクアソードは、鎌を弾けてあと二回がいいところだ。武器が砕かれれば、決定的な隙を晒したとして、蒼を仕留めにくるだろう。

 それまでに和志は間に合うだろうか?


「……」


 和志は周りの音が聞こえないほどに、意識を集中しているのだろうか。蒼の視線に気づかない。

 和志は両手を胸の前で合わせて、平行に開いていく。手と手の間の空間には、無から有を生み出すように、魔法で剣が生成されつつあった。

 もう少しの時間があれば和志の魔法は完成するだろうが……蒼が耐えられるかどうかは、不明だった。

 また鎌が避け辛い軌道で迫る。

 アクアソードで弾く。

 弾けてあと一回。

 悪魔は巧みに鎌を操って、蒼の逃げ場所を制限し、追い詰めていく。

 何度か鎌を回避したのち──。


「しまった……!」


 ついに蒼の背が、コンクリート壁にぶつかる。

 悪魔の顔に、禍々しく鋭利な歯が覗けてしまうほどの笑みが浮かぶ。

 一歩、一歩と確実に仕留められる距離に悪魔が接近してくる。

 左右は開けた場所だが、逆に言えば左右にしか逃げ場所がない。

 鎌を持った相手に対して、退く選択肢が存在しないというのは、王手をかけられたも同然だ。

 鎌を一回は防げても、アクアソードが砕けて次はない。

 魔法分解能力の効果範囲内で魔法を詠唱するのは、魔力結合ができないはずだ。

 最後の手段として賭けみてもいいが、望みのない無謀な選択は死を決定付けることに他ならない。

 現実的な範囲で残された頼みの綱は、残り一回だけ使えるアクアソードと和志が魔法で生成している剣なのだが。

 和志とは距離が離れていて、悪魔を挟む形になってしまっているから簡単に剣を受け取ることができない。

 どうする、どうすれば、この状況を打破できる。

 危機に陥りながらも解決を模索していると、一誠が力強い目をしているのが、視界に入った。

 一誠は、ずっとそうしていたのだろう。蒼がようやく気づいたのを理解すると、執拗に自分を指さして頷き始めた。

 正確になにを伝えたいのかを、理解できたわけではないが、その瞳の意味していることはなんとなくわかる。

 ──俺たちを頼れと。

 真摯に蒼を見つめる瞳が、そう言っているのだと思えた。

 蒼は、人と協力したことなど今までなかった。

 いまだってそうだ。一人だけで戦うつもりで思考を巡らせていた。

 一誠や和志を信頼していないわけではないが、経験上、自分一人で解決する癖もついている。

 円卓の騎士団では、ランスロット卿として一人で任務を請け負うことが多く、大規模な作戦に参加しても、与えられる役割を考えると一人で動いたほうが確実だったからだ。

 もし協力できるなら、そちらのほうがいいのだろうか?

 悪魔は、もう目の前にいる。

 絶望的な状況なのは、火を見るよりも明らか確かだ。一閃されるだけで、蒼の意識は消え失せてしまうだろう。

 だが誰かを頼れることに、蒼は一筋の光を見た。

 なにもなかったはずの自分に、なにかが芽生えているのかもしれない。

 それがどんな感情かは、知らない。

 でも、悪い気はしなかった。

 亡霊が、鎌をゆっくりと構える。


「賢明に逃げとったみたいやけど追い詰めたで? なんや勇者言うても昔と比べたら魔法もなにもかも常識的で拍子抜けやけど……まっ、そこまでの奴やったっちゅうことかなぁ」


 気落ちしたようにしながら、一方的に捲し立てる悪魔を、冷静に観察する。

 蒼は、悪魔が動き出すのをひたすらに待つ。

 人間でも、悪魔でも同じだ。

 自分が勝つと分かった瞬間に、相手を仕留めるための確実性を重視する。

 この悪魔はお喋りで、いまは蒼だけを見ている。他に気を払っている様子はない。

 そこに、一瞬の隙をついた勝機がある。

 鎌が動き始める少し前に、蒼が頷く。


「これでおわっ……ととなんや?」


 悪魔が鎌を持っている手にナイフが刺さり、バランスが崩れて鎌が一瞬だけ支えられなくなる。

 それは鈍痛がはしっているのだろう腹部を抑えながらも、一誠が投擲したコンバットナイフだった。

 魔力容量も限界だったのだろう、これまで一誠が生成していたコンバットナイフよりも、小型で貧相なものになっている。


「へへっ、いくら余裕だからってよそ見、厳禁だぜ」

 

 悪魔の魔法分解能力で、コンバットナイフはすぐに消えてしまうが、それでいい。

 一瞬でも隙を作りだせれば、光が差す。


「俺だけに注視していたのが仇だっ!」


 僅かに動きが乱れた直後に攻めるため、蒼はアクアソードを振るう。

 目的は、悪魔の心臓ではない。

 魔力結合が崩壊しかかっているアクアソードでは、悪魔が周囲に発生させる魔法分解能力に、とてもではないが耐えられないだろう。

 悪魔の心臓を貫く前に剣が折れてしまっては、意味がない。蒼がただ裸を晒すも同然で鎌の前に出ていくだけになる。

 なら、どこを狙うべきなのか。

 少しの時間を稼ぎながら、自分を囮にするために。

 悪魔が持っている鎌に向かって、一閃。


「骨折れとるはずやし邪魔せんかと思っとったけど、連携して鎌壊したぐらいで、こんなもんすぐにでも直せるんやで!」


 柄が折られた鎌が地面にたどり着く前に、悪魔は鎌を生成して握る。

 同時に、蒼のアクアソードが砕け散って、蒼は無防備な姿を悪魔の前で晒した。

 正確に首を捉えて、振るわれようとする鎌を、蒼は見ていなかった。

 恐怖はない。そこにはあるのは、自分の中で初めて芽生えたように思える感情。

 相手を信頼するということ。

 意図を汲んで、悪魔の背後に躍り出る影に、蒼は叫ぶ。

 

「心臓を狙え!」

「どおっりゃあああ!」


 和志の剣が背を向けている悪魔の体に容易く突き刺さり、前面に突き出る。悪魔が人間と同じ身体構造をしているのならば、心臓を確実に貫いた。

 静寂。

 誰も言葉を発することができなかった。敵の生死すら曖昧な緊張感のある時間が流れる。

 深々と突き刺さった剣が、悪魔の魔法分解能力で、少しずつだが粒子となって空気中に消えていく。

 いかに和志の固有魔法である魔力結合の強化があろうとも、魔法分解能力の効果が最大限に発揮されるだろう悪魔の中では、十数秒が限界だった。


「がっ……ぐっ……くっそっ……余裕やと思ったのに、ヘマ、してもうたか……」


 突き刺さっていた剣が空気中に消えると同時に、悪魔が膝を折って、異形の存在が地面に力なく倒れる。

 瞬く間に戦闘の喧噪は過ぎ去って、戦闘の轟々としていた空気を静かに入れ替える、穏やかな風が工場に流れ込んだ。



 第二十話「断ち切る感情」part3終わり

 第二十話「断ち切る感情」part4へ続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る