第十七話「悪魔の顕現」

 第二章 亡霊編


 第十七話「悪魔の顕現」


 蒼、一誠、和志は夜の工場区画に訪れていた。

 道路の左右に軒を連ねる工場の火はすでに落とされて、周辺には嵐の前の静けさとも言えるものが訪れている。

 不気味思えるほど、穏やかな風だけが通り抜けていく。

 等間隔に配置された街灯の灯りと、月光を頼りに彼らは歩いた。

 しばらく道なりに行ったのち、会話がないのに耐えかねた和志が尋ねる。


「なあ一誠、あんた本当に復讐なんてしようと思ってるのか?」


 先導して歩いていた一誠が振り返り、怪訝な表情を浮かべていた。

 自分の復讐する理由は話したはずだが、と表情が語っている。


「あんたが復讐しようとしてる理由は聞いたけどさ……あんたの行動から熱が感じられないんだよ。俺みたいに――自分の身を犠牲にして戦おうってのが感じられない。本気で復讐したいのか?」

「復讐はしたいさ、もちろんな。だが、その感じ方は、おそらく正解だ」

「おそらく?」


 自分のことなのに、おそらくとは、なんとも不確かな回答だ。

 復讐を抱く理由にしては、弱気なものに思える。

 一誠は視線を彷徨わせてから、真上の、いまにも消えようと明滅する街灯を指さした。


「俺の心は、この街灯だ。時折、光がつくみたいに復讐へ心を委ねそうになる。でも、ふっと光が消えて冷めちまう。その繰り返しだ。ここ数年はな」

「俺に復讐心があるなら真っ先に亡霊を追いかけていたはずだ、とか言ってたじゃないか」

「実際、昔はすぐ飛び出していったさ、お前くらいの年の頃は」


 一誠は街灯に向けていた手を、自分の正面に持ってくる。

 そして幾度となく、復活する相手に復讐を成し遂げてきた手を、疲れた表情で見つめた。


「時間が経って、擦れちまったんだろうな。どうでもいいとは言わないが、昔ほど亡霊に拘りがあるわけじゃないんだ」

「一誠は……それなのに亡霊を倒して回っているのか」


 口を閉じていた蒼が参加してくる。

 一誠の欲望は憎しみから亡霊を倒すことだと蒼は理解していたのだが、それはどうやら少し違うらしかった。

 憎しみだけでは、ここまでの執念を抱けないということだろうか。


「その通りだ。なんていうか、気恥ずかしいんだけどな――」


 一誠は復讐に塗れた手を握り、和志と蒼を見据えた。

 その瞳は、復讐者のように燃え盛るだけではなく、整然とした理性を伴っていた。


「――亡霊の犠牲者を出さない。もう俺のような人を作らないために、俺は亡霊を狩っている。これを正義なんて気取るつもりはないし、まだ昔のことを思い出してしまうのも事実だ。復讐に身を委ねたくなる時もある。亡霊を消滅させるか、諦めない限り、俺は亡霊に囚われる続けるだろうな」

「それが分かっていながら、なぜ戦い続けられる? 苦しいだけだろう」

「意地だ。最初に復讐心から逃げ出せば、俺はファントムハンターなんて呼ばれなかったはずだ。だが俺は、我欲から目を背けることができなかった。年月が経つってのは、そういうことなんだよ。戻れないところまで来ちまった」

 

 一誠の復讐という欲望は劣化して、いつしか心の中で錆びついてしまっていたのだろう。

 一誠が言ったように亡霊を消滅させるか、諦めない限り、錆びた復讐に囚われる。

 復讐の牢獄。そう言ってもいいかもしれない。

 だが、囚われていると理解しつつも、一誠の瞳に暗たるものは見受けられなかった。


「おいおい、あんまり黙るこたぁない。俺はこれで満足してるんだよ。自分のためでも、他人のためにも戦うことができるんだからな。亡霊と決着がついたら、その時には生き方を考えることになるだろうが……な。ほら、そろそろいい時間だし、お喋りもおしまいにして急ぐぞ」

「……一誠がいいのなら、それでいいのかもしれないな」

「その通りだ、蒼。他人に任せた自分の結果ならともかく、これは自分で選択した結果だ。今まで歩んできたものに俺は後悔なんぞないからな。お前も、自分の道を見つけるんだぞ」

「自分の選択、自分の道、か……」


ぽつりと呟いた蒼は、自身が想像できないほどに苦々しい表情をしていた。

蒼は、自分の目的が定まっていない。

紅 久遠を探したい。

その執着は円卓の騎士を抜ける原動力でもあったように思える。しかし一誠や和志のように、身をすり減らしてまで行いたいものかと問われるなら、違うのだ。

 心がどこかで、お前の望むことは違うと叫んでしまう。

それが何か蒼にも分からない。だから、迷ってしまう。


「今はあまり考えんなよ、蒼」

「和志……」

「亡霊と戦ってくれるんだろ? 今はそっちに集中するべきだ」


和志の言葉に、浮いていた意識が戻される。

蒼は、美久に言ったのだ。

人が殺されている姿を見るのは、好きではないと。

だから亡霊退治にも付き合っている。誰の命令でもない、自分の心から出た言葉に。

 そこに迷いはなく、自分の選択として信じるに値する言葉だ。


「そうだな。すまない、和志」

「そういう時はありがとうでいいんだ」

「ふむ? じゃあ、ありがとう」

「あんま気負わせるようなことを言うつもりはなかったんだがなぁ。すまんすまん」


言いながら一誠が歩き出そうとすると、


「あぁああぁぁぁー……!」


 静寂を切り裂く悲鳴が、やってきた。

 全員が瞬時に、身構える。

 距離はそう遠くない。悲鳴の方角は、目指していた廃棄工場付近だろう。

 時刻は、午前零時。

 こんな時間に悲鳴が上がることなど、そうそうない。

 何かが、起こっている。

 いち早く行動したのは、蒼だった、


「先行する。素は風、アクセル」


 一瞬で状況を判断して、蒼は基礎魔法である風系統の加速を用いて走り出した。

 初速から最高速に至るまで、そう時間はかからない。


「お、おい!?」

「ちっ、まさかこの時間に残ってた人がいるってのか!」


 後方で声をあげる二人を置いて、蒼は断末魔が上がった方向に急いだ。

 一秒でも早く、辿り着かなければならない。奇妙な焦燥感を覚えながら、蒼は地面を飛ぶように走った。


……


 蒼が、断末魔のあった廃棄工場に踏み込む。

 昨日とは違って、工場の中では月光が内部を照らすように差し込んでいた。

 天井が、巨人の爪で切り裂かれたかのようにぱっくりと、夜空を取り込んでいる。


「これは……」


 そこにあったのは、目を覆いたくなるほどのおびただしい量の血が絨毯のように広がっている、惨たらしい光景だった。

 体が横に切り裂かれて――即死だっただろう。

 反射的に蒼の口の中で、酸っぱいものが広がりかける。

 死という現象は、心構えがなければ平然としていられない。

 頭を、どうにか切り替える。

 人の死は当然である。

 人の死は突然である。

 こうでも思わなければ、人の死を見ることはできない。蒼は、ランスロット卿である頃からいつもこうしてきた。

 幾人の人の死を見ても、慣れるようなものではない。

 蒼が立ちすくんでいると、一誠と和志が追いついた。


「うげ……」

「くそっ、犠牲者ってところか。天井の裂け目は……亡霊の仕業か?」


 和志はげんなり。

 一誠は、状況把握のために辺りを見渡す。

 蒼もそれに倣う。

 天井と、半身に別けられた人体以外にも、周辺の細かい傷から外気が入り込んでいる。

 方向性がでたらめで、鋭利な魔法が全方位に向けて放出された。そのような様相だ。

 状況から見て、魔法が使用されたのは確かだが、どのような魔法かは判断がつかなかった。


「あ、ああああ、た、助けてくれ!」


 助けを懇願する声。

 遠くない。

 工場の中で、反響するほど大きく聞こえたそれに、蒼が反応する。

 加速の魔法は切れていない、そのまま走り出す。


「まだいたのか!」

「急ぐぞ、和志!」


 声を置いて、蒼はさらに工場奥へ進んだ。



……


 蒼は昨日のうちに、ある程度工場の構造を把握していた。

 音の方向と記憶から目星をつけて、工場の中を走る。

 一定の区間を過ぎた頃、さらに空気が張りつめた気がした。

 肌が強張り、体の芯に熱が入っていく。

 思考が鋭利に研ぎ澄まされ、亡霊が居ることを知らせている。

 前方。

 尻もちをついている男性と、亡霊がいる。

 亡霊が今まさに、身の丈ほどもあるルビーのように赤く透き通る大鎌を振り上げた。

 魔法で編み上げられた武器は体の一部であるかのように、手に馴染み、軽い。

 振り下ろされるまで、あと数秒だろう。

 しかし、この距離なら間に合う。

 蒼は、二つの魔法の同時に詠唱できない。

 加速の魔法を切ってから、異なる魔法を唱えるために思考を整える。

 移動速度は加速魔法の影響で、亡霊にたどり着くまで維持できる。

 魔法武器は、色合いによって属性を判断できる。

 亡霊が握ってる大鎌が赤いことから、属性は炎だと判別し、相性が有利な属性を選択した。

 蒼は、全ての基礎魔法属性を自在に行使することができる。代わりに、応用魔法は一切使用できない。

 蒼がランスロット卿の位置に収まっていたのは、近接戦闘のセンスはもちろん、接近戦において、状況対応力が抜きんでているからに他ならない。


「素は水、アクアソード」


 瞬間、袖の内から水色の剣が生えるように現れた。

 剣ならば本来、持ち手として柄が存在するが、蒼は柄をバンド状に生成して手首に巻きつけることで、剣を固定している。

 亡霊が尻餅をついている人物に意識を向けているこの状態なら、亡霊に剣を当てることは難しくないだろう。

 だが亡霊を優先した結果、鎌が振り下ろされてしまっては意味がない。

 いつもは命令されるままに、命を奪う側だった。

 今度は、救う。

 その感情と共に、蒼は亡霊と男性の間に入り、で大鎌の切っ先を剣の刀身で受け止めた。


「やらせないっ……!」

「お前、は……」


 亡霊がとんっと地面を蹴って、後方に退く。

 蒼は自分の立ち位置を尻もちをついている男性を守るように調整しながら、静かに構えた。

 相手が突っ込んでこようとも、少しは対処できるように注意深く相手を観察する。


「蒼!」

「追いついたぜ!」

「和志、そこの人を頼む」

「任せろ」


 蒼から送れること少し、一誠と和志が追いついた。

 一誠は蒼と並び立つように位置し、すでにコンバットナイフを模造した魔法の武器を構えている。

 和志は尻もちをついた男性に寄って、立ち上がらせた。


「おい、大丈夫か?」

「あっああぁ……」


 命が消える寸前だった故か、心ここにあらずと言った様子だが、このまま放置するわけにもいかない。

 和志は男の背中を押して、告げる。


「走れ! 今度こそ殺されるかもしれないぞ」

「うっ、うわああああ──!」


 殺される。

 亡霊が大鎌を振り上げた姿が脳裏に浮かんだのだろう、その言葉に過剰なほど反応して、男は工場の中を突き進んでいった。


「少し、強引じゃないかねぇ」

「あれぐらい言わなきゃ、腰が砕けて動かねぇよ」

「ま、そりゃそうか。さってと、亡霊! お前にまた引導を渡してやる」


 仕切り直した一誠が、コンバットナイフを突き出す。

 来るなら来い。

 行動で示したものの、亡霊はそれを視認していなかった。


「うっ……ぐっう……」


 亡霊は体の軸を左右にゆらゆらさせながら、地面に膝をつく。


「な、なんだ?」


 和志が困惑しながらも、蒼の背後で魔法を唱えるために両手を合わせて身構える。

 そんな動作は意にも介さず、亡霊は大鎌を手から落とし、顔を手で覆い──絶叫した。


「あぁぁ──ああああぁぁぁッ!」


 それは、この世への憎悪を本能的に感じ取れる叫び。

 全員が身構える中、亡霊ともう一人、変調をきたしている人物がいた。

 いち早く気づいた和志が、名前を呼ぶ。


「お、おい!? 蒼!」


 ぐらっとバランスを崩した蒼が、前のめりに倒れた。

 

 ……

 …


 和志の大袈裟にも思える、自分を呼ぶ声を蒼はしっかりと認識していた。

 何かの予兆があったわけではない。

 ただ、力が電池が切れたみたいに抜けたのだ。

 自分が倒れていく様子も、蒼はしっかりと把握していた。

 視界の端から絵具を塗られていくかのように、黒い靄が視界にかかっていく。


(なんだ、これは。抗えない)



 自分自身でも抗えない何かが、蒼に負荷をかけていた。

 一誠と和志の声が、次第に遠ざかっていく。

 彼らが遠ざかっているわけではない。自分の意識が離れている。

 得体のしれない事態に薄ら寒いものを感じながら、蒼の意識は強制的に落とされた。


……


 地面に倒れ伏した蒼に反応した一誠が駆け寄って、亡霊からは気を逸らさず、蒼の状態を確認する。


「息はしっかりしてる。脈も……大丈夫だ。意識を失っているだけ……? どういうこった、こりゃ」

「俺に顔向けてもわかんねーよ!」

「だろうな……ってなんだぁ!?」


 一誠の目線の先で、絶叫していた亡霊が異形に変化しようとしていた。

 亡霊ですらも照らしていた月光を遮るように、亡霊の周囲が黒い糸で覆われていく。

 黒い糸は時間を加速するように、亡霊を覆う速度を上げる。

 ものの数秒で、黒い糸は外界を拒絶するかのように繭を完成させた。

 和志が呆然とその光景を見て、口にする。


「こっちも何が起こってんだよ……?」

「わからん、だが俺たちの想像の上を遥かに超えた事象が起こってるのは確かだろうな」

「蒼も倒れて目ぇ覚まさねーし、はっ、キスでもしてみるか!?」

「落ち着け、白雪姫じゃあないだろ……しばらく、様子を見守るしかない。あの黒い繭、なんだか不吉なものに感じる。下手につついて藪蛇だったりしたら目も当てられんからな」


 一誠は、険しい目つきでそう言った。

 亡霊が絶叫し、崩れ落ちたあとに黒い糸が現れて繭を構成した事実は、異常事態にもほどがあるし、繭そのものから底知れないものを一誠は感じていた。

 言われて、和志も目線を繭に合わせてみる。


「確かに、あの繭からは気持ちわりぃもんを感じるな……心の底から不安になる」


 和志も一誠に似たものを感じていた。

 繭を見ていると、心がざわつき、不安になる。

 まるで心を覗かれているような、漠然とした不安。

 和志がしばらく黒い繭を注視していると──。


「なあ、一誠、あの繭動いてないか」


 一誠は蒼の状態を再度確認していたが、ばっと表を上げる。


「は? んなわけ……」


 繭は確かに動いていた。

 卵が孵るとでも言うのだろうか。小刻みに震え、段階を踏んでいくかのようにその震えは、強くなっていく。

 見た目は可愛らしい光景だが、黒い繭の中心にいるのは間違いなく亡霊だ。見た面い騙されてはいけない。

 一誠は意識がない蒼を手近な壁にもたれさせ、魔法で生成したコンバットナイフを構える。


「和志、構えろ。何が出てくるかわからん」

「あっ、ああ、分かった!」


 和志がパンっと両手を合わせ、ゆっくりと横に開いていく。

 手のひらから流れ出た魔力が、手と手の隙間で武器を形作る。

 両手をいっぱいにまで広げきる頃には、手と手の間に透き通るエメラルドのような斧が現れていた。

 それを手に取り、易々と構える。

 魔法で生成されている斧は、見た目の無骨さに比べて遥かに軽い。

 準備が整うのと同時だった。

 黒い繭がひび割れて砕け散り、中から異形そのものが現れたのは。

 月光が、異形をくまなく照らし出す。


「あく、ま……?」


 悪魔。

 それは全貌を見た和志の口から、つい漏れた言葉だった。

 人間に似た形をしているが、肌は黒く、尖った爪のあるコウモリに似た翼に、尾先が鋭い尻尾。

 頭部には山羊のように尖った角を生やし、尖った耳、尖った歯が口から覗いている。

 それは、まさしく悪魔のような見た目をしていた。

 人が考える悪魔として模範的にすら見えるその姿は、見るものに畏怖を与えるだろう。

 模範的に作られているかのようにすら、思えてしまうほどの悪魔。

 悪魔は、遠慮なく自分を照らし続ける月光を見上げ、その口で言葉を紡ぎ出した。


「おー、おー、月が綺麗やなー。何年や、今? しっかしまぁ、やぁっと娑婆に出られたし、好きなことさせてもらうかねぇ。ねぇ? そこにいるお二方」


 悪魔が、一誠と和志を獰猛な赤い目で見つめた。

 心が竦んでいた。

 本能が危険を訴えていた。

 亡霊と相対した時より、もっと深く、鋭く警報を鳴らしている。

 この場に居ては、いけない。あれは、本当に正真正銘の悪魔なのだと。

 二人は蛇に睨まれたカエルのように、動くことを許されなかった。

 


 第十七話終わり

 第十八話へ続く

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