第四話「紅 美久」

 第一章 邂逅編


 第四話「紅 美久」


 無秩序な瓦礫にこびりつく血と、放置された遺体を青色の瞳に焼き付けないようにして、蒼は疾走する。

 人間を人形のように殺しても、死んだ人間を見るのは今でも苦手だった。

 無頼は蒼のことを理想の兵士と呼ぶが、それは感情を殺しているからできていただけのこと。

 迷いがなく、命令だけを聞く機械であるから、為せたことだ。

 こんなにも死体を意識したのは、久しぶりだった。


「俺は、迷っているのか……?」


 奥底に閉まっていたはずの心は、突如出現して迷いを蒼にもたらした。

 迷いなど、当の昔に捨てたはずだった。

 死んだ人を見ることも、人を殺すことも感情を殺すことでなんとかしたつもりなのに、そんなことは関係ないとばかりに罪悪感というものが続々と浮かんでくる。

 迷いを抱えながら、円卓の会議場から数分を掛けて瓦礫の築かれた地域を抜けると、そこは生活臭漂う住宅街に繋がっていた。

 住宅街に到着するやいなや、誰にも見られていないことを確認してから、蒼は魔法を取り消し、周りに合わせるために地面を歩きだした。

 蒼は一般市民にその特異性故に、見られてはいけない事情があった。

 旧名日本を制圧した円卓の騎士団は、現在、概ね国民に受け入れられているとはいえ、未だに争いの温床となる火種に違いなかったからだ。

 日本が大日本帝国として名を変えて十一年の月日がたっているが、国防組織、円卓の騎士団に対して反感を抱くものも多く、ソリューションなどその最たるものだった。

 円卓の騎士団が全員白い仮面を被っているのも、反感を持つ敵対組織に対して素性を知られないためである。

 そのため、素顔のまま円卓の会議場へ戻ったり、一般市民の闊歩する住宅街へ出る際には細心の注意を払っているのだ。

 午前八時頃の住宅街は、通勤途中のサラリーマンや学生が多く見受けられた。

 顔に笑顔を浮かべているものは少なく、大多数の人間はまるで機械のように動いており、人ではないように蒼には感じられた。

 少ないながら笑顔を浮かべているものもいるが、諦めからくるものか悟ってしまったのか、そんな類の人間にすら見える。

 俺もあんなつまらなそうな顔をしているのだろうか、と蒼は手で頬を触ってみるがよくわからなかった。鏡があっても同じく分からないだろう。

 誰もが命令に従って会社や学校に向かっている姿は歪なのか、そうでないのか。

 命令を素直に遂行する人間たちを端々に捉えつつも、蒼は学校へ向かう。

 そこに、命令は生きがい、そんな自らの感情を揺るがすものが待っているとも知らずに。


 ……

 …


 大魔法高等学校は住宅街を抜けた先にあった。京都市の真ん中、中央区に作られた巨大な建造物。

 世界で唯一の魔法専門学校ということもあり、生徒人数は五千人にも及ぶマンモス学校だ。

 大日本帝国は国内の欲望を禁止しているが、海外に対して強制はせず、魔法を学びたいといった生徒を留学生という形で迎え入れていた。

 よくよく考えれば、おかしな話である。

 国内で欲望を抱くことを禁止する法律があり、人生の旅路を決められた日本人を目の前に、留学生が嬉々として学び舎に入ってきている。

 アーサー王は欲望を禁止したはずなのに、全面的な禁止には至っていない。

 そもそも、個人の欲望を抱かせないことなど無理なことだ。前提条件から矛盾しか生じていない。実際、欲望を持っていない人間などこの世にはいないはずであり、なんとも荒唐無稽な法律だ。

 これまで考えもしなかったことが次々と浮かび上がってくる。まるで、水からぶくぶくと漏れ出る泡のようだ。

 そんなことを考えているといつの間にか、くじらの口ほどもありそうな広さを持つ校門に到着していた。

 校門に入り込む人間は、二通りの恰好をしていた。

 女子生徒は白と赤を基調にしたセーラー服の上下で、ワンポイントに胸のあたりにリボンがついている可愛いデザイン。

 男子生徒は白いYシャツに黒いブレザーと色合いを合わせるための黒いスラックスだ。

 いつも通り、周りの人間もどんどんくじらの口へ入り込んでいくので、蒼もそれに習って入っていく。

 校門を通り抜けた頃、不意に蒼を呼び込む声が一陣の風に乗って届けられる。


「おはよう。昨日はよく眠れたかしら? 創崎 蒼くん――いえ、ランスロット卿」


 快活で女性らしくも、凛々しい声に、蒼の心臓が自然と大きく脈動する。

 覚えのある声に、記憶の奥底へ仕舞ってあったものが浮上して、視界を埋め尽くす。

 十数年の間、考えようとは決してしなかった、蒼にとって世界の中心だった人物。

 紅 久遠。

 そこにいるのだろうか、振り向いたら笑ってくれているのだろうか。

 蒼の知っている彼女のまま、存在しているのだろうか。

 不安と恐れと驚き――いくつもの感情が交じり合った不可解な顔で、蒼は振り向いた。

 春の麗らかな風に揺らめき、日光に照らされて燃えているような紅くさらさらとした細かな髪。

 気の強さを象徴しているのであろうツリ目に、透き通るように白い肌、すっとした鼻、ぷっくりと柔らかそうな唇。

 蒼の記憶に眠る紅 久遠をそのまま成長させればこうなるのではないか、そんな美少女だった。


「く……おん……?」


 思わず蒼の口から漏れた一声がそれだった。

 久遠らしき人物は、それに首を傾げた。


「くおん? 誰の名前か知らないけど、私は紅 美久(くれない みく)よ」


 聞いたことのない名前に、今度は蒼が首を傾げる番だった。

 紅 美久などという名前を、蒼は知らなかった。


「美久? お前は、久遠ではないのか?」


 神妙な顔で、美久と名乗った少女は口に手を当てる。

 覚えのない名前なのだろうか、少し間を空けてから、顔をあげて言った。


「聞いたことない名前だわ。そんなことより……昨晩のことは覚えてるはずなのにすぐ襲ってこないの?」


 やはり目の前にいる人物は久遠ではなかったのだろうか。蒼は少し落胆するも、普段みたいに面倒なことを無視することなく、当たり前のことを言うように美久を見つめた。


「今は円卓の騎士団の人間ではなく、大魔法高等学校の人間だ。第一、円卓の騎士団の防衛意思は受動的に発動されるものだ」


 それを聞いて、疑いの眼差しを美久は蒼に向ける。

 疑われるのも当然だろう。

 敵対している組織の指揮官の顔がわかっているのだから、拘束しない理由は蒼側に一切ないのだ。

 今朝、無頼にでも情報を語っていれば目の前の少女――紅 美久は捕縛されていた可能性はある。だが、所詮、可能性の話である。

 円卓の騎士団の身内であろうとも、得体のしれないアーサー王がどう判断するかなど想像すらできない。そうであっても、報告しなかったのは蒼にとっては自分のことながら、不可解なことだった。

 報告ができなかったのは、紅の髪をした少女を見て動揺してしまっていたからなのだろうか。

 無心で機械な心を乱す、それほどまでに蒼にとって、数年経っても久遠という少女は心の一部であり、世界であった。

 目の前の少女が久遠に瓜二つの人間だとわかっていても、蒼に芽生えた迷いは消えることはなく、むしろ迷いは加速していく。


「受動的、ねぇ……。それは敵の面子が分かっていても適応されるのかしら? 私はあなたに事故ながらも、素顔を晒してしまった。円卓の騎士団に敵対意思を持つ人間の面子が割れたなら拘束するのが普通だと思うけど?」

「……俺たちはあくまで防衛組織だ。受動的にしか行動することができない。お前もソリューションの指揮官であればそれくらい知っているだろう。何かが起こってしまった現場でしか、円卓の騎士団は自衛権を行使できない」

「やっぱり面倒な組織なのね、円卓の騎士団は。ま、あんたが私を捕まえにこなくて助かったわ」

「一人でノコノコでてきたんだ、それなりの備えはしていただろう。 そこの奴でてこい」


 蒼は明後日の方向を向きながら言った。すると、小枝を掻き分ける音と共に人間がでてくる。

 小枝が散漫する場所で待機していたせいだろう、黒い髪に葉っぱが乗っかっており、なんとなく馬鹿っぽい。

 体躯も制服の上からではわかりにくいが、それなりに鍛えているようで、制服が少しばかり盛り上がっていた。


「バレてたとはさすが、ランスロット卿だぜ」

「あんた気配消してたんじゃないの。ばればれじゃ意味ないじゃない」

「そのつもりだったんだけどなぁ……ダメだったみたいだ」


 頭を掻いて葉っぱを払いながら、悔やみを見せる男。蒼は少しばかり警戒したが、あちらも馬鹿ではないらしく、ここで襲ってくるような気配はない。

 ソリューションから襲ってくれば、それは自衛権を行使できる理由になる。それを分かっているのだろう。


「ダメだったみたい、じゃないわよ。もし私が襲われたらどうするつもりだったのよ?」

「お前のことだから俺以外の保険も用意してんだろ。俺がでる幕じゃねーっつーの。それに俺を囮にしようとしてたろ!」

「……なんのことだ?」


 まさか、この期に及んで何か仕掛けようとしているのだろうか? 

 蒼は身構えて注意深く美久を観察する。

 一手一手の仕草に危険なところは特に感じられないむしろ、リラックスしているようにすら見える。

 美久は右手を差し出して、パチン! と指を鳴らす。


「……」


 動きを警戒していた蒼をよそに、美久は力を抜いて柔らかく微笑んだ。


「ランスロット卿は何を警戒してるか知らないけど私は何もしないわよ。こんなところで騒ぎ起こしても私たちに得ないしね。無駄な争いはしない趣味なの」

「無駄な争いはしない、か。お前たちの行動そのものが無駄なことではないのか」


 蒼は常々、ソリューションに対して抱いている思いをいつの間にか吐露していた。

 人間が生きるうえで最高の環境を大日葡印帝国は与えている。人生の旅路が予め決められている以外は、なんとも過ごしやすい世界だろう。

 旅路が決められているということは、迷わなくてもよいということだ。楽な道であるはずなのに、なぜそれを選ばないのか、蒼にとってはそれが疑問だった。

 心の奥に終われた感情、普段ならばこんな感情の吐き出しは絶対にしないはずなのに、やってしまっている。

 命令にだけ従うことが全部であったはずの蒼は、感情を表してしまった。

 らしくない――無頼に言われたことが蒼の胸に突き刺さる。それでも本能という欲望は動いてしまう。


「ソリューションの活動自体が無駄ってことを言いたいの?」

「その通りだ。今の世の中で一体何が不満なんだ? 命令にただ従って生きる世の中のほうが、楽だろう」


 美久は、真正面に蒼を見据えてしっかりとした口調で告げる。それが自分の欲望だとでも言うように。


「そうね、あなたの言う世界は確かに楽よ。でも、それだけだわ。私たち人間はどうしても楽なほうに流されて生きるし、それも仕方のないことだと思うけど、私はそんな人生を生きたくない。だから、ソリューションで戦っているの。あなたは思ったことない!? 人の夢がない世界で機械的に学校、会社に赴く人間の姿を見て、なんとも思わない? おかしいのよ、こんな世界は!」


 堂々と宣言する美久を尻目に、蒼の脳裏では今朝の光景がフラッシュバックする。

 住宅街で、会社に赴くもの、学校に行くもの、殆どのものに笑顔はなかった。もし居ても、それは悟りを開いたような人間だけだった。


「こんな世界はおかしい……か」

「そう! 夢という欲望を縛る円卓の騎士団を私は許さない。命令にだけ従う世界なんて真っ平御免だわ」

「だが、それを望んでいない人間もいるだろう。そんなことをする必要があるのか?」

「あーランスロット卿は何を勘違いしてるのかしらねーけどな、俺たちは人々のために、なんて大儀なもののために戦ってるんじゃないんだぜ。あくまで、俺たちは俺たちのために戦ってるんだよ。こんな世界は嫌だから、戦ってるんだ」


 自分のために戦う。

 人として当然のようなことをしている人間たちを前に、蒼は少しばかり目を細めた。

 命令ばかりを遂行しようとする自分とはまったく違う人種で、己のことを第一に考える姿勢は眩しいものだった。


「楽な世の中ではなく、自分の生きがいある世の中を望む、か……」

「あら、よくわかってくれてるじゃない。あなた、円卓の騎士団なんて向いてないんじゃない?」

「俺は命令の中で生きられれば、それだけでいい」

「そんなことないでしょ、あなたの閉ざされた心から少し欲望を感じるのよねぇ……。あなた、紅 久遠って言ったわよね、その人を探してるの?」


 蒼は、美久とこれまで話して気づいた。

 久遠と美久は確実に違う人間だ。しかし、美久の物言いには不思議と魔力のようなものを感じられる。

 美久は蒼と違って明確な欲望を持っている。これまで、欲望を持っている人間にはそれなりに接してきた。

 円卓の騎士団の中でも、欲望を持っていない人間などおらず、誰も彼もが何かしらの欲望を抱えてきた。それを円卓の騎士団は思いの外に出さないだけだ。だが、ソリューションは違う。

 欲望を明確に示してくる。それが蒼にとって物珍しく、惹かれてしまったのかもしれない。

 俺はこのままで良いのか。彼らのほうが人間として自然なのではないか、そんな風に蒼は思ってしまう。

 心に芽生えた感情に戸惑いながらも、蒼は答えた。


「……ああ。ずっと探している大切な人だ」

「そう、見つかると良いわね。今のあなた、人間らしいわ。和志、行くわよ」


 紅の髪を暖かな風になびかせて、美久は去ろうとする。しかし、和志というらしい男のほうは怪訝な顔をした。


「お、おい? それだけでいいのか? 本来の目的はどこいったよ!?」

「あっ、それ忘れてたわ」

「忘れんなよ……一番重要なことなんだろ」

「うん、わかってる――ランスロット卿……いいえ、創崎 蒼」


 なびく紅の髪を右手で抑えながら美久は振り返り、蒼の未来を変える言葉を告げる。

 迷いを確信に変えるような、そんな思いの詰まった一言。


「ソリューションに入隊しない? あなたの大切な人、紅 久遠も探せるかもしれないわよ。円卓の騎士団なんかに居たら一生探せないままになるわよ?」


 蒼は思わず目を見開いた。

 人々の欲望を縛っている円卓の騎士団の名誉階級を授かっているものに言うセリフではない。

 美久は驚いている蒼の反応を一通り観察したあと、ふいに唇を綻ばして去り際に言葉を残した。


「返事はまた今度でいいわ。じゃあね」

「美久! いっつも俺より先にいくなっての! 創崎、じゃあな! 考えておいてくれよ!」


 嵐のように去った二人組みを蒼は呆然として見送った。

 己の中にある感情を制御仕切れない。紅 美久と昨晩出会ってから久々に浮上してきた感情は、止まるところを知らない。


「なぜ、あんな言葉に心が揺れる……?」


 美久の言っていたことは確かな真実だ。

 確かに、円卓の騎士団にこのまま入れば久遠を探すことなどできないだろう。個人の欲望にまで口をだすことがないとはいえ、円卓の騎士団の中で欲望を曝け出すのは語法度だ。

 蒼は円卓の騎士団に入った当初、久遠を探すのが目的だった。

 自分の世界を構築した一人の少女。

 誰よりも大切だからこそ、探そうと思った。だが、時が立つにつれてそんな感情はなくなったものだと思っていた。

 久遠を探したい。

 そしてソリューションがなぜあれだけ必死に戦うのか、理由を聞いて憧れと言っていいのか、それに類する感情を抱いてしまっている。

 昨晩より以前の蒼ならこんなことを考えることもなかった。ただ指定されたルーチンワークをこなすだけの単純化された世界のはずだった。

 欲望のある人間に言わせてみれば、蒼の世界は灰色に見えるだろう。

 蒼は、紅 美久との接触で、灰色の陰鬱としたものから人として当たり前の欲望の色を取り戻し始めていた。


 第四話「紅 美久」終わり

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