概要
広州に二千年の歴史がある。海のシルクロードで世界を結ぶ港が存在したのだ
梗 概
前漢初期、嶺南《れいなん》に南越《なんえつ》国という独立国があった。国都は番禺《ばんぐう》(広州)、国王は趙佗《ちょうた》、中原《ちゅうげん》のもと趙国の出自である。嶺南とは、華南からベトナム北部にかけての地域をいう。
趙佗は少年のころ、同じ趙の遺臣 任囂《じんごう》にしたがい秦《しん》に投降し、数年後、始皇帝の近侍として警護の任につき、全国巡幸に随行する。秦は中原統一後、五十万の大軍で嶺南に侵攻する。嶺南 百越《ひゃくえつ》族の抵抗に遭い、初代前線指揮官 屠雎《としょ》は戦死する。後任の指揮官任囂は、副官に趙佗を抜擢する。趙佗は始皇帝のもとを去り参戦、嶺南を制覇する。秦帝国の統治下、南海郡竜川県令となった趙佗は、南遷移民を受け入れ、嶺南開発の緒につく。
一方、始皇帝の急死にと
前漢初期、嶺南《れいなん》に南越《なんえつ》国という独立国があった。国都は番禺《ばんぐう》(広州)、国王は趙佗《ちょうた》、中原《ちゅうげん》のもと趙国の出自である。嶺南とは、華南からベトナム北部にかけての地域をいう。
趙佗は少年のころ、同じ趙の遺臣 任囂《じんごう》にしたがい秦《しん》に投降し、数年後、始皇帝の近侍として警護の任につき、全国巡幸に随行する。秦は中原統一後、五十万の大軍で嶺南に侵攻する。嶺南 百越《ひゃくえつ》族の抵抗に遭い、初代前線指揮官 屠雎《としょ》は戦死する。後任の指揮官任囂は、副官に趙佗を抜擢する。趙佗は始皇帝のもとを去り参戦、嶺南を制覇する。秦帝国の統治下、南海郡竜川県令となった趙佗は、南遷移民を受け入れ、嶺南開発の緒につく。
一方、始皇帝の急死にと
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- ★★★ Excellent!!!南越国とは何か?初心者の私には分かりやすかった!
現在宮崎県の西都原考古学博物館で江戸時代末に宮崎県の串間市の古墳から見つかったとされる玉壁が展示されています。これは故宮博物館の学芸員も驚いたものらしく本物のようです。(http://www.kudomi.com/assets/siryo_hyuga_h31.pdf など参考に)この中で南越国という国があったのを初めて知るとともに、玉壁が一番たくさん出ているという事実を知りとても興味を持ちました。南越国を調べるとこのサイトにたどり着き、読み始めるとおぼろげに知っていた中国の戦国時代から秦そして漢の時代のことが面白いように目に浮かんできて、気が付くとあっという間に読み切っていました。もちろん小…続きを読む