南越王伝奇
ははそ しげき
天の章 1.草原伝説
前漢初期、中国南方の
嶺南は五嶺の南、いまの
五嶺は、広東・広西北部と湖南・江西を南北にわけて東西にそびえる
珠江は、西江・北江・東江の三江が合流する広州から河口までの下流域をいうが、水系全体を珠江と総称すれば、黄河・長江とともに中国三大河のひとつにならび称される。
趙佗は戦国時代末期、趙国
石家荘市趙陵舗村の東南に「趙佗先人墓」がある。いちど呂后によって徹底破壊されたが、のちに文帝が修復、歴代の王朝によって祀られた。かつては三十余の塚があり、「煙樹蒼茫趙陵を
石家荘の東北約二七〇キロさきに北京がある。真南に約一六〇キロ下れば趙の都
趙佗の没年については、漢武帝建元四年(前一三七年)と、『史記』『漢書』とも明確に記されているが、生年についての記録は史書にない。享年は「百歳をこえる」とあるのみで、生年は不明である。巷説に、秦の中原統一の年(前二二一年)、同じ趙国人
とまれ秦の攻略で趙国は亡び、趙佗は祖国を失うことになる。ときに趙佗十二歳。爾来、全土を
趙佗には、戦国時代の趙
趙佗の生まれる五十数年まえまで、邯鄲の北方一五〇キロさきに、
さて、武霊王のことである。武霊王は趙佗にとって祖国の英雄、大先達であるにとどまらず、のちのち秦の始皇帝にも比せられる、歴史上の大人物である。
武霊王が十二歳で王位をついだ当時、趙国は四方を強敵にかこまれていた。斉・燕・秦・韓・魏の中原列強にくわえ、北方の遊牧民族がおりかさなって包囲していた。遊牧民族は、三胡とよばれる
「いつの日か、かならず誅滅してくれる」
略奪された村を見舞った少年王は、かたく心に復仇を誓った。
「騎兵に対抗するには、騎兵をもってあたることだ」
年少にしてかれは、すでに道理をわきまえていた。
この時代、秦が国力を増し、西から東に向かって進出しはじめていた。商鞅の変法による大胆な改革で、軍事力と経済力を増強した結果である。他の六国は、戦々恐々として対応に追われた。連合して秦を迎え撃つべきか(
趙の課題も富国強兵にある。西に秦、東に中山をはさんで斉、南に魏、いずれも強国がつけいる隙を狙っていた。武霊王は、まず北に版図を伸ばそうと考えた。
即位から十九年目(前三〇七年)、武霊王は北方遠征を敢行した。まだ三十歳の男盛りである。北に中山の地を攻略し、
『中国歴史地図集』の「戦国、趙・中山地図」によれば、房子は邯鄲の北約七〇キロ、中山国の一邑で趙との国境に近い。代はいまの北京の西方一五〇キロさき、
そもそも「中山の地を攻略した」とはいうものの、かんじんの戦果の記載がない。遠征といっても、敵情視察が目的だったと思われる。行程の過半、無人の草原は馬で駆けぬけたのだろう。いずれにせよ、その西方向、かれらが通過したあたりは当時、楼煩・林胡が居住していた地域である。さらにその北、いまの内蒙古の外側には匈奴がひかえ、虎視眈々、出番をうかがっていた。東胡は東側、燕の北方(旧満洲)を居処としていた。
武霊王一行は胡服に着替え、騎馬で行進した。中華風のゆったりした長袖のワンピースでは、馬にも乗れない。胡服は細身の上着に太目のズボンをはき、帯を締めた。帯に止め金(
「これでなくてはいかん」
武霊王は得心し、
中原においても、馬は軍事上、重要な役割を担っていた。兵車を牽かせたのである。しかし兵車は平原での大会戦でこそ威力を発揮できるが、河川・丘陵・山林では立ち往生せざるをえない。いかんせん、騎馬の機動性にはおよぶべくもない。しかも騎馬は、疾駆して矢を射るのである。加速度をつけると、威力は倍加する。
騎乗はもとより、騎射に胡服は必須である。ところが中原では、この服装をとりいれるというだけで、蜂の巣をつついたような騒ぎとなる。因循守旧は、趙国においても例外ではない。武霊王ら一行は、長期の遠征をつうじて、すでに胡服を常用し、騎乗・騎射をマスターしていた。効果のほどは身をもって実証済みである。胡服騎射の制度導入こそ、騎馬民族に対抗しうる最強にして唯一の策である。しかも中原においてもなお、他国を圧倒するに十分な破壊力を有している。趙国が北に版図をひろげ、中原に覇を称えるには、これをもって富国強兵策を実行に移す以外にない。
武霊王は確信し、遠征帰国後、
「百年前わが先王
「よろしゅうございましょう」
楼緩は賛意を示した。しかし群臣は容易に肯じない。
武霊王はかたわらに侍る肥義をみて、さらに言葉をついだ。
「世俗に反し胡服を着用すれば、夷狄の風をまねるものよと非難され、蔑まれよう。しかし国を失っては元も子もない。わしは胡服を着、馬に乗り、弓を射って、
肥義は、正面をみすえて明言した。
「半信半疑でおこなっても、成果は得られません。王がすでに決心されたのなら、もはや世間の思惑など顧慮されますな。むかし
「わしは天下のもの笑いになるかと危惧するだけで、胡服の着用に迷いはない。笑いたいものは笑うがよい。胡服にきりかえ、胡の地中山を、かならずこの手で掴んでみせる」
群臣は、武霊王の迫力ある説得に押され、ようやく納得した。胡服の導入を是としたのである。しかし、なお抗うものがいた。叔父の公子
「中国は聡明叡智の人士がおり、仁義のおこなわれるところである。未開の蛮夷はこれを範とし、見習ってこそ道理というべきものを、なにを血迷うて蛮夷の風をとりいれようとされるか。いま王には、この中国を捨てるお考えか。わが古の教えに背き、蛮族になびくなど、中国を離れて胡地へでも移られるおつもりか」
罵倒に近い反対だが、武霊王は冷静に聞き流した。
「病とあらば、わしが見舞おう」
みずから出向き、考えをあらためるよう説得したのである。
「服装というものは、使って便利で、邪魔にならないことが大事だ。礼というものも同じである。
この間の経緯は、『史記』に詳しく述べられている。例として示されている瓯越・大呉の国は、いまの温州を中心とする浙江沿岸部と、蘇州を中心とする江蘇南部の地域で、呉・越の前身にあたる。
服装をひとつ替えるだけでなにを大げさな、といまのわれわれは思いがちである。しかし当時の
武霊王は、この抵抗勢力にたいし、根気よく丁寧に説得している。
中原諸国の蔑視と反発は必至である。かれらは同盟をむすんで、中華文明の看板に泥を塗った趙国に、懲罰の聖戦をしかけてくる。武霊王が強権発動でなく、説得によって兵制の改革を断行しようとした理由はここにある。国内にすこしでも不満分子を残しておいてはならない。後顧の憂いは、前線の士気に影響する。四周を外敵にかこまれた趙国にとっては、全国人が一丸となって変革にあたることが必須条件だった。意識の変革が先行したゆえんである。
公子成が折れ、国人すべて合意のもと「胡服令」が発せられた。実施後の動きは速かった。全軍あげて、服装の改変にしたがった。胡服に着替えた兵士に騎馬を指導し、騎射を訓練した。全国に尚武の気がみなぎり、兵士の顔は緊張感で引き締まった。
ちなみにここでいう「中国」とは、国家概念ではない。中華文明のおよぶ世界の中央を意味する地理概念で、中原と読み替えてよい。戦国諸侯国の領有する地域の総称でもある。時代が下り、領土が拡大するにつれ、中華の範囲はさらに拡大し、こんにちにいたる。
「中国」のそとは「外国」である。そこには未開の
北方遠征の翌年(前三〇六年)、武霊王は軍を発動した。これまでの歩兵主体の軍編成にかえ、騎馬部隊が主力である。たちまち中山に侵攻し、
その後、毎年のように兵を出し、中山の各邑を蚕食、胡地を侵略した。原陽(いまの内蒙古フホホト東南・黒水河南岸)攻略後、「
前二九九年、武霊王は外征に専念するため、国政から身を引く。太子
「馬に乗り、北方辺疆の草原を思うぞんぶん疾駆したい」
本音を問えば、そう答えたかもしれない。事実これ以後も、主父こと武霊王は北の大草原を自由奔放に駆けまわる。ただし代償は高くついた。のちに命と引きかえることになる。
この時期、武霊王の北方雄飛事業は、最盛期を迎えたといっていい。いまの北京西方一帯に、代・雁門・雲中の三郡を設置し、実勢支配したのである。(雁門はいまの大同の西方約八十キロ地点)。趙国は上下士・新旧人(以前からの趙人と新たに徴募された胡人)一体となり、中原で唯一、独力で秦に対抗しうる勢力を保持した。北方に自前の長城を築造し、のちに万里といわれる長城の
最盛時の疆域は、「地は方二千里」といわれた。当時の一里は四〇五メートルだから、約八〇〇キロ四方である。東西の距離は、いまの北京から西に、山西を抜け、寧夏・銀川の手前、北上する黄河のあたりまでと思えばわかりやすい。さらに「帯甲(武装兵力)数十万、兵車千乗、軍馬一万匹にくわえ、
恵文王の三年(前二九六年)、中山国は滅亡する。胡服騎射の導入いらい十年、ここに武霊王の悲願は達成された。しかしその翌年、主父武霊王はあっけなく急逝する。餓死という異常な死であった。享年四十一歳、惜しまれる若さである。
こののち趙国には、
「趙人は震えあがった」が、一方で秦人にたいする憎悪を募らせた。この戦いで趙軍は、合計四十五万人の兵卒を失った。趙国全体で三百万人といわれる当時の人口である。一五パーセントの消耗はいかにも大きい。ついに武霊王の栄光を回復できないまま、前二二八年の滅亡を迎えることになる。
胡服騎射・雄才大略・気魄宏大、さまざまに形容される趙武霊王の騎馬部隊による北方草原制覇の事歴は、少年趙佗の時代には、まだ生々しく語られたことであろう。少年たちの夢を育んだ武霊王在りし日の趙国の雄々しい昔がたりは、やがて不朽の伝説となった。
こののち趙佗ら趙国遺臣の脳裏に残り、南越建国をつうじて嶺南に受けつがれることになるのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます