地の章 7.百越制覇
前二一四年、秦軍は楼船で兵士を南下させ、ふたたび嶺南に攻め入った。霊渠から堂々の進軍である。
「われらは侵略するためにきたのではない。嶺南を開拓するためにきたのだ。戦をやめ、平和に生きよう。手を携えて、ともに働き、ともに暮らそう。衣服と食糧、それに農耕具と
南海郡、いまの広東領域の南越族は、早い時期に服属している。おもに広西に居住する
――親身になって説得すれば、かならず分かってもらえる。
趙佗はこどものころに聞いた、武霊王が「胡服騎射」の導入時にねばり強く国人を説得した話を思い出していた。
はるかな奥地に山砦を築き、ゲリラ戦による徹底抗戦を意思表示し、和平交渉に応じようとしなかったものたちだけが、掃討作戦の対象だった。武器を放棄し逃亡するものたちは、見逃した。秦軍のゆく手には、まだ大多数の西甌族人が無言のまま立ちはだかっていた。しかしかつての獰猛なむきだしの敵意は薄れていた。
前後三年間にわたる膠着状態から解き放たれた新たな秦軍は、これまでとはまったく対応を異にしていた。霊渠を通じて大量の糧食と軍用物資を嶺南に運び入れた。同時に多数の民間の罪人を移民として送り込んだ。かれらは中原の文化と道具を携えてきた。
新たな秦軍はまず後方をかため、ついで着々と陣営を前進させ、各地に城邑を築いた。送り込まれた民間人は、罪人といっても「暴秦」の犠牲者で、無辜に近い。秦代以外なら罪に問われることはない。
かれらは、それぞれの知識や技術を駆使して、「
成果の大半は個人に還元されたから、かれらは命がけで働いた。
任囂・趙佗の再侵攻軍は、面目を一新し、またたくまに西甌族を説得し、反抗を鎮圧した。豊富な食料を携え、飢えた西甌族部落へ提供したのである。族人は武器を捨て、食料に群がった。腹が満たされると不満が解消し、反抗意欲がなくなった。
「これまでとはちがう。一方的に奪うだけの秦軍ではない」
うわさが広まった。逃散した族人は、半信半疑で集落に戻った。
暖かい煮物が待っていた。安らぎの場が復活していた。土間に種籾と農耕具が積んであった。かれらは一族の無事を喜びあい、ふたたび生きる意欲を蘇らせた。腹を満たし、泥のように眠りこけた翌早暁、かれらは堅くなった畑の土を耕しはじめた。農民は農地に帰り、戦場には戻らなかった。
族長
おもにいまの広西やその周辺に分布する西甌族の居留地域は休戦状態にはいり、やがて秦朝政権に服属した。最後まで抵抗したのが、亡き譯吁宋の妻女ひきいる一派である。かの女は西甌族中、もっとも強硬な抗秦ゲリラのリーダーのひとりだった。
趙佗は単身、その本拠地へ乗り込んだ。丸腰である。
「話し合いに武器はいらない」
危ぶむ部下を麓に残し、食糧を背負い、森林に分け入った。
山砦に近づくと、ゲリラ側の物見に
「族長に会いたい」
こうぜんと顔を上げて、ゲリラに食糧を渡した。
「いまさらなんの話がある」
対応したのは譯吁宋の妻女である。幼児をかたわらにおいている。
「譯吁宋どのお子か」
「戦はやめぬか。いや、その子のためにも、やめてもらえぬか」
「秦がこれまでのなしよう、ご承知のうえでいっておられるのか。わたしは秦にだまし討ちされた譯朱宋のむすめだ。仇をとった婿の夫も秦に殺された。われらがはじめた戦ではない。戦をやめるのは秦の側ではないのか」
「そのつもりできた。わしは秦の南海郡尉任囂の副官、趙佗だ。戦はやめる。武器を捨て、山を下りて、秦に服してくれ。いや、秦とともにこの地の開拓に力を貸してくれ」
「どこに保証がある」
「わしの身をあずける。山を下りて、
趙佗とて亡国の民であることにかわりはない。戦争で肉親を失ったものの痛みもわかる。征服者のおごりはない。
「われらが過去の
敵陣にあることも忘れたかのように、趙佗は熱っぽく語った。
わが子の将来に思いを馳せない母親はいない。復仇にこだわっていた妻女のかたくなさがほぐれた。
「わしにも子がある。同じ年ごろだ。気持ちはわかる。わしに任せてはもらえぬか」
妻女の手から短剣がすべり落ちた。かたわらの幼児が拾い、趙佗に手渡した。思わず趙佗はその子を抱き上げていた。
「
新たな秦軍はときに干戈をふるい、またときに投降を説得して西へ向かい、さらに南下して、駱越族をいまのベトナム側に追いやった。駱越族は、戦国末期からすでに一定の社会組織を有し、独自の部落連盟の長をたてていた。しかしのちに西から来た、「蜀王子」ひきいるべつの強大な部族に征服されていた。蜀王子はみずから「安陽王」となのり、駱越族の首領となって、ベトナムの北部一帯を実勢支配していた。かれらも秦にたいし全面的交戦は望まず、自主的に後退した。秦が嶺南を平定した初期のころ、象郡を設置し、駱越族の地まで統治したといっても、支配基盤はきわめて脆弱なものでしかなかった。開戦にいたらない双方対峙状態で、暗黙に和解していた。こうして、前二一八年に発動した嶺南征服戦争は、足かけ五年の歳月を費やし、前二一四年、秦軍の百越制圧をもって終息した。
任囂・趙佗の両将は、武力制圧作戦の無益なことを思い、和平説得工作を重視した。越人を
ある日の昼下がり、任囂は趙佗をともない、順徳邑におもむいた。太刀を佩き、矛を手にしただけの軽装である。中原から持ち込んだ小物の包みを肩から背負った。当地にはない珍しい品々をみやげにしている。二騎の駒は轡をならべ、珠江沿いに川岸を駆けた。
「呂氏一族に不穏の動きがあるという。わしは利をもってまえの
利にはうといが、情には熱い。いくつになっても性格はかわらない。趙佗は黙ってうなずいた。呂氏は番禺の西に隣接する順徳一帯を支配する、在来の南越族である。当初、任囂が番禺を占拠したおり、さほどの抵抗なしに服属した。比較的スムーズに中原の感化がすすんでいたと見られていた。
「武器が運び込まれているという報告があった。人が蝟集している。一触即発の危険な状態だそうだ」
こともなげにそういいすてるや、任囂は馬に一鞭くれた。趙佗も馬腹をけって、そのあとにしたがった。順徳は近い。
「
あっと驚き、邑人はあとずさりした。その場に土下座するものさえいた。任囂はこの地域の最高司令官である。威光がとどいていた。
「なんだ」
ひとりの少年が、人垣をかきわけて顔をのぞかせた。
「
趙佗は直感した。老族長の長子呂嘉にちがいなかった。精悍だが知的な面立ちである。任囂と趙佗は、手綱を呂嘉の配下にあずけ、呂嘉にしたがった。配下のものは、おそるおそる手綱をもったが、まえにすすめず、馬に牽かれる格好であとについた。
この時代、嶺南で馬はまだ珍しかった。耕作に使われ一般化するには、いましばらく待たなければならない。ましてや騎馬でこれを乗りこなすなど、驚天動地の曲芸に近かった。しかし任囂と趙佗はもと趙国人である。武霊王の「胡服騎射」の薫陶が生きている。
族長の館で、任囂は老族長を説いた。両者とも戦に訴える気は毛頭なかった。足かけ五年の消耗戦で、これ以上の戦はごめんこうむりたかった。もっとも順徳一族の帰順は早かったから被害は極力抑えられたが、族長も争いごとは好まなかった。しかし、
「若い者が怒っている。かれらの怒りを止められない」
老族長は、濁り酒を飲みながら嘆いた。
「なにが原因か」
小物の包みをほどき、中原の珍しい人形や美しい小箱、絹織り物などをとりだし、手にとってみせながら、任囂は訊ねた。
邑のはずれの民家が襲われたという。襲ったのは外来の流れ者集団である。中原からの入植者の増加につれ、人の質が落ちてきている。食い詰めたあぶれものが集団で暴挙におよんだのである。食糧や家財は奪われ、手向かった村の男たちは殺された。女こどもはさらわれ、役にたたない老人だけが放置され、そのうえ住まいに火をかけられた。直接の加害者だけではなく、いわばよそ者の中原人そのものにたいする不信感が生まれていた。ことに若者らは、秦の侵略軍との一戦も辞さないと、いきまいているという。
任囂は率直に詫びた。嶺南地域の治安の責任は新たな統治者側にある。その場で謝罪し、経済補償を前提に善処することを約した。
族長は満足げにうなずいた。
一方、趙佗は怒った。
「罪なき民に、かかる狼藉は許せん。おれが成敗してくれる」
佩刀を抜いてかざしてみせた。呂嘉が刀の刃を指でそっとなすった。皮が切れ、血が一直線ににじみ出た。呂嘉は羨ましげに刀をみて、傷口を吸った。
趙佗と呂嘉は一党をひきつれ、流れ者集団を追った。女こども連れの一団は逃走に手間取り、容易に発見できた。
「呂嘉よ、太刀は使えるか」
「ああ、使えるとも」
趙佗は呂嘉に太刀を渡し、自身は矛を手にした。呂嘉は嬉しげに太刀を腰に佩き、抜き身をかざして、先頭きって突進した。配下の一党も
報復は容赦なかった。呂嘉は太刀をふるった。小気味よい切れ味を腕に感じた。趙佗も矛を自在にふりまわし、そのたび数人を薙ぎ倒した。ふたりの呼吸はぴったり合った。殺戮の現場で友情が芽生えた。こののちふたりは、文字通り百年の知己となる。
流れ者は数十人の無頼集団だった。呂嘉の配下の武器は、弓・槍・棍棒に
乱闘のあと、趙佗は呂嘉にその太刀を贈った。呂嘉は感激で涙ぐんだ。配下の一党がはやしたてた。
この事件をきっかけに、趙佗は越人の内懐に飛び込んだ。たびたび順徳にたちより、呂嘉との交友を深めたのである。
あるとき、呂嘉が神妙な顔つきでひとりの
「わしの妹だ。
日本流にいえば、お英である。
趙佗の妻は中原においたままであった。秦の慣例によれば妻は人質にひとしく、呼びよせることができない。じぶんが帰らないかぎり、終生、別居生活を強いられる。一子趙始はひきとったが、東奔西走、戦闘に明け暮れる日々で、ろくにかまってやれなかった。すでに乳母の手は離れていた。
「ぜひもない。ありがたく頂戴する」
小柄で浅黒い、典型的な嶺南のむすめである。美人とまではいかないが、健康的な印象が好ましかった。趙佗は頭をさげて、ぎこちなく謝意を述べた。珍妙なあいさつをうけて、お英がくすりと笑った。愛くるしい笑いにつられて趙佗が顔をあげたとき、お英は恥じらい、奥へ逃げていった。かすかにむすめの芳香が残されていた。
趙始はすぐに新しい母に慣れた。越族のなかでの暮らしに溶けこんだのである。
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