地の章 11.任囂遺訓
情報の伝達に不足はない。数千里を離れているにもかかわらず、中原で発生している事象は、時間差こそあれ細大漏らさず、すべて嶺南地域に伝えられ、大きな波紋を投げかけていた。このころ嶺南の最高指導者は、南海尉
当時、秦朝が直面した「北胡南越」問題の対応において、北の蒙恬に対比されるのは南の王翦であったが、王翦自身、五嶺を越えることはなかった。最前線で陣頭指揮したのは屠雎であり、任囂である。
蒙恬は長城を築き、匈奴を駆逐した。いわば腕力で威嚇し黙らせた。一方、任囂は、蛮族のなかに素手で飛び込み、恩愛の情で百越とうち解けた。秦末、天下は大いに乱れたが、「南海は平穏で戦火に見舞われなかった。これは任囂の力である」と、後世の評にある。
「力攻めには限りがある。力でむりに攻め入っても、力尽きれば押し返される。力のあるうち、力を背景に民の心をつかめ。力を畏怖の道具とせず、敬愛される平和の守り神として用いよ」
老齢の王翦は、すでにみずからの死期を悟っていた。南海尉任囂に嶺南征伐の指揮権を譲るにさいし、この言を
任囂には理解できた。強引に力で押さえつけようとした前任者屠雎の失敗を反面教師にして、治世の基本を「
先住者にたいし侵略者然とした傲慢な態度をあらため、暴力による蹂躙をかたく禁じた。開拓者の意識で嶺南の大地を考え、百越の民を思いやった。
まず秦越融和策を積極的に推進した。さらに中原の文化・経済を意識して導入、秦化をつうじて、人民の生活の安定を保証し、秦の嶺南における統治を強固にした。やがて嶺南各地で任囂の声望が高まってきた。任囂の治世が人びとに認識されはじめたのである。
任囂の深層意識のなかに潜在していた、嶺南で自立し割拠するという漠然とした思いが、しだいに現実味をおびてきた。中原の動向からすると、秦朝の命運はすでに尽きたもどうぜんに思われたのである。遠からず秦朝が瓦解し、戦国諸侯が復活する兆しが、ここかしこにみえ隠れしていた。
「北は峻岳に守られ、南は海に臨む。この地は天然の要害だ」
東路の先駆け軍として北江沿いに珠江を下り、はじめて番禺に入ったときの興奮を、任囂は昨日のことのように思いだしていた。ひと目みて、任囂は番禺に魅いられた。
――いずれこの地で、独立割拠できるのではないか。
瞬間的に
秦は二世皇帝の時代に入り、天体に微妙な変化が生じはじめていた。任囂は天文をよくした。星をみて吉凶を占うことができたのである。趙佗らに説いて聞かせた。
「
南斗星は秦の象徴である。南斗星の光はつねに五星を圧する。その力が衰えていた。五星は木・火・金・水・土の五惑星で、順に東・南・西・北・中央に位置する。なかでも土星の光彩が群を抜いていた。
五行説で、土に配するのは
蛇足めくが、ここでいう揚州は、江蘇省の一都市のことではない。古代九州のひとつで、いまの江蘇・安徽・江西・浙江・福建一帯の地をさす。ちなみに九州とは中国全土のことで、禹が天下をひらいて九つの州に分けたという伝説にもとづく。その九つとは『書経』の禹貢によれば、
天文を観て、任囂はこれを嶺南割拠の予兆と判断した。かれの意識のなかで、嶺南侵攻時のあの興奮が蘇った。
――命は天にあり。しかし、このまま夢で終らせはせぬ。
始皇帝崩御の翌年(前二〇九年)、陳勝・呉広が決起し、叛秦の大旗をひるがえした。天下はたちまち入り乱れ、呼応するものがあとを絶たなかった。この時期、任囂は南海で尉の職に任じてすでに六年、独立割拠の悲願は手のとどく位置まで近づいていた。
しかし運命の女神はきまぐれであった。ときに臨んで任囂は、篤い病の床に臥せていた。
かれはすでに自分の持ち時間を使い切っていた。もはや長考している局面ではない。
急遽、任囂は竜川から趙佗を召しだし、大事を託したのである。
「いま中原では陳勝・呉広らが謀叛し、天下は麻のごとく乱れている。
始皇帝の天下統一から十二年、あまりに早い破綻である。
「中原にあれば、われらは秦を守り叛徒を成敗すべき立場だが、いかんせん嶺南は中原に遠い。されば秦の名のもとにこの地を盗兵の蹂躙から守ることこそ、われらのつとめである。わしは兵を動員して嶺南への侵入路を塞ぎ、守りに徹する。盗兵は一兵たりともこの地に足を踏み入れさせず、いましばし天下の形勢を見守りたい」
いわゆる「盗兵」は、秦末に各方面で兵を挙げた群雄をいう。かれらが勢いに乗じて国境を越え、兵糧の調達や兵士の徴用に名を借りて掠奪狼藉におよぶことを、懸念したのである。「まず守りに徹すべし」、任囂の采配は手堅い。むろん、ただの墨守に終らない。
「われらが嶺南の地は東西数千里、地勢はまた険要である。ことに番禺は、山を負うて海に守られている。天然の要害といっていい。幸い秦の駐留軍士の助けも得られる。中原には出るにおよばぬ。天のときがいたれば、この地において、みずから一国をなすもよし」
始皇帝あってこその秦帝国である。中原の趨勢は、戦国の再来を思わせるものがある。秦の命脈が断たれれば、嶺南はどうなる。
任囂はおのれの余命が、秦に先んずるのを予感していた。
「臥竜は雷雨をえて飛翔し、豪傑は乱に乗じて大成する。しかしわしの病は重く、長くはもたぬ。とうていわしの出番ではない」
任囂は番禺に妻子がある。子はまだ小さく、動乱の世を乗り切る器ではない。任囂が後継に指名したのは、趙佗である。
「郡の将官あまたあるうち、いずれを見わたしても、お主をのぞいて、他に人はおらぬ。わしの願いだが、お主に後事を託したい。聞き届けてもらえるかな。いや、是が非でも聞き入れてもらわなければならない」
もとより趙佗に異存はない。嶺南の経略、南海の航路開拓は、始皇帝から託された大事でもある。他に適任者はいないか、いちどは固辞したが、兄とも慕う任囂の
任囂はただちに、趙佗の南海郡尉任命を、二世皇帝にかわって発令した。独断専行は有事のならいである。人望あるふたりの合意を怪しむものはいない。趙佗は竜川から番禺に居を移した。ほどなく任囂は他界した。臨終の言は、民族融和の戒めである。
「南越の民と心を
趙佗は三十二歳に達していた。
桂陽(湖南
任囂の遺訓を忠実に履行し、乱軍の侵犯にそなえたのである。
その後、かねて悪評の高い管轄下の郡県官吏を一掃した。いずれも私利私欲にはしる秦朝派遣の
「巧遅は拙速に如かず」である。世間が動揺してからでは遅い。迅速な処断が望ましかった。
任囂麾下の旧趙国遺臣軍団が、若い趙佗の背後を支えた。また呂嘉を中心に地元の越人グループが与党に与し、趙佗の耳目となり手足となって動いた。ことにその表沙汰にできない闇の部分を仕切ったのが、
越人ではあるが、代々秦朝につかえている。ことに父の代、中原で間諜として六国制覇に陰の功があった。そんな先人に練磨され、羅伯はすぐれた用間の術を身につけていた。はじめ王翦が任囂との
かれは悪徳官吏の邸宅に配下の
「恐るべきことに、腐敗行為は上下を問わず、蔓延しております。徴税の役人は税収の一部を己が懐に納め、同僚上司と分けあい、互いの口を封じあっております。行政の要人は政府の金を無断借用し、
「厳法をもってなる秦の法治のしくみも、監察がゆるみ、風紀が乱れれば形骸と化すか。公正なればこそ暴秦も許されてきた。しかるに、
その証拠を盾に、趙佗は強硬手段に打って出た。軍を出動し、大物から順に逮捕、拘束したのである。呂嘉の実弟で侍大将格の呂祐が、ここぞとばかりに陣頭指揮ではたらいた。
身に覚えがあるものたちは、頑強に抗った。刃を抜いて歯向かうものには、刃で返した。やってとうぜんと嘯くものには、悲鳴を上げて許しを請うまで拷問した。長沙国に内通し、罪を逃れようとするものもいた。非常時である。暗殺という荒っぽい手段で、片をつけた。一族挙げて謀叛をたくらむものもいた。邸宅を焼き討ちし、一族もろとも根絶やしにした。
悪質な確信犯には酷刑を課した。肉刑といわれる残酷刑である。
「百越の民はどう見ているか」
趙佗は動静をたずねた。
「これまでは越人が処刑されても、秦人官吏が酷刑にあったためしはありません。ことに大族長の
ここまでいうと、羅伯は顔をあげて趙佗を仰いだ。
「どうした。わしの顔になにかついておるか」
「いえ、これはご無礼いたしました。秦越融和とは申せ、これまでは秦と越とのあいだには明らかにちがいがありました。ところがこのたびの厳格な取締りで、越人の郡尉を見る目がかわってまいりました」
「どうかわった」
「秦人ではなく、われらと同じ越人に見えてまいりました」
迅速で厳しい措置は、新たな体制の確立を予感させた。
更迭した部署の後任にはすべて、趙佗の与党となる有能な腹心を配した。内部紛争の火種を根源から断ちきり、自己の統治基盤を早急にかためる必要があったのである。
前二〇六年、秦王朝覆滅の知らせが伝わった。趙佗はただちに出兵し、武力をもって桂林郡と象郡を併合した。すでに戦闘意欲を喪失していた旧秦の将兵は投降し、趙佗に臣従した。嶺南地域は気迫に勝る趙佗の積極果敢な指揮のもと、一気呵成に勢力地図を塗りかえようとしていた。
趙佗が嶺南で覇を称えるにさいし重要な鍵を握るのは、百越各族の動向であった。南越族が多く居留する南海郡は、呂嘉の一族を
趙佗がこの二郡の実質的な統治権を奪取するには、部族の首長の臣服と族人の支持を得ることが必要だった。幸い、趙佗はまだ西甌族には大規模な軍事発動をおこなっていない。以前、任囂が採用した西甌族にたいする懐柔政策が功を奏していたから、事態を好転させる可能性は大いにあった。かつて南海郡尉屠雎を殺害した譯吁宋の妻女と遺子も、趙佗を理解する側に立っていた。
問題は駱越族である。趙佗の南越建国のまえに、安陽王が大きく立ちはだかっていた。
任囂は南越国の誕生を見ることなく、逝去した。だれよりもその生誕を望んでいたのは、まぎれもなく任囂その人であった。
いまさらいうまでもないことだが、南越国の建国は、趙佗ひとりの力によるものでない。広大な嶺南の開発には、膨大な歴史的時間と数多くの人びとの献身的な努力がかかわっている。その過程で、幾多の尊い命が犠牲になっていることも忘れてはならない。そのなかにあって特筆すべきは、やはり任囂である。
明末清初の
星を観て越の覇を知るも 道絶えて秦の滅ぶを待つ
虎豹三関に踞《うずくま)り 旌旗五嶺に揚がる
民を保つの功小さからず 祠廟あまねく炎方
任囂は番禺侵攻にさいし、はじめ瀧口西岸に居住し、嶺南側の兵站部を確保した。瀧口は、いまの韶関楽昌県南五里の地である。湖南に源を発する武水(いまの武江)が楽昌の傍らを流れ、
任囂は天文を観て、越の地で割拠自立する可能性のあることを知った。嶺南の中原に通じる道を封鎖し、横浦・陽山・湟渓の三関の内側で、勇み立つ気をおさえつつ、
南越西部の部族のなかでは、駱越(または
駱越について『交州外域記』には、こう記されている。
「桂林・象郡にまだ郡県が敷かれるまえ、
広西からベトナム中北部にかけて、まだ郡県が敷かれてなかった春秋戦国時代、安陽王国はいまの広西紅水河下流にあった。蜀王の子「
その安陽国が、趙佗の南進を阻んでいたのである。趙佗は、象郡を奪取しようとした。そのためには象郡の南部に勢威を張る安陽王の服属が必須であった。しかし安陽王が拒否し抵抗したため、やむなく趙佗は武力を行使して安陽城を攻めた。
安陽王の補佐役に、
この戦に趙佗の一子趙始がくわわっていた。十六歳の初陣である。戦闘が両軍一進一退の膠着状態に陥ったとき、趙佗はこの趙始を和議談判の全権大使として安陽国へ派遣した。
「趙始よ、汝に和議談判の大使を命ずる。敵の神弩はことのほか手ごわく、容易にこれを抜くことができぬ。神弩があるかぎり、わが方に勝ち目はない。和議談判に名を借り敵方の内懐へもぐりこみ、油断をみすまして、この神弩の弱点を探れ。弱点を見出したうえで、これを略奪、あるいは破壊せよ」
軍事抗争から外交駆け引きへの転換である。縦横無尽な戦国いらいの伝統的処方といえる。まだ若い趙始は初陣の軍功にこだわっていたが、「戦わずして勝つ、これこそ戦の極意である」という、父王の命を拝受した。趙成以下十数名のものがつきしたがった。決死の覚悟を面上にめぐらせ、かれらは安陽城に向け出立した。
安陽王は勝利に驕っていた。無敵を誇る趙佗の遠征軍を足止めにしただけでも勝ち戦といえる。上機嫌で和議の使節を受け入れた。
会見の席で趙始をひと目見て気に入り、「娘婿にもらいうけたし」。その場で和議の条件につけくわえた。趙成は困惑したが、趙佗に急報した。回答は、「諾」である。
安陽王には、十七をかしらに年子で三人の姉妹がいた。南国の三奇絶と異名をとった。奇絶とはすぐれて美しいことで、安陽王自慢の三姉妹である。安陽王は長女の婿に趙始を迎えようとした。末の
「趙始さまのお世話は、わたくしがお引き受けいたします」
一行滞在中の接待役をかってでたのである。
皋通は神人といわれていた。神人とは神がかり的な逸材をいう。しかし安陽王は皋通が神人であることも、ずば抜けた高級技術者であることも認めようとせず、知ろうともしなかった。かれを正当に評価しなかったのである。
和議の受け入れが、その証左のひとつといえた。戦は優勢にすすんでいる。和議する局面ではない。天才にありがちな独善主義に、皋通も犯されていた。
「やめた」
皋通は安陽王をみかぎった。戦どころか安陽王のもとからさえも、去る決心をした。去り際にすて
「わが神弩をよく保持しうれば興り、さもなければ亡ぶ」
精一杯の抗議であったが、あいにく安陽王の耳には届かなかった。王は祝宴のはしごで、多忙をきわめていたのである。
趙始の一行のなかに、羅伯がくわわっていた。現地語と現地事情に通暁している。かれは皋通に接触した。南越への帰順をさそい、高額な報酬を餌に神弩の弱点を問うた。
「
皋通はそのひとことを残し、南に去った。帰順にはのらなかった。神人とまで讃えられた矜持が、裏切りを許さなかったのであろう。
羅伯はこれを趙成につたえ、趙成は趙始にはかった。
「金亀の爪とは、なにか」
趙始は媚珠に近づき、ひそかにその秘密をたずねた。
「ただでは申せませぬ」
媚珠は天性の美形をゆがめ、趙始の手をとって懇請した。
「趙始さま、わたしを華夏の地へ連れていって」
趙始との出会いは、十五歳の媚珠の心に微妙な変化をおよぼしていた。話にきく中原文化の粋を、趙始の
――中原の文化に触れたい、都へ行ってみたい。
たまらずそう願った。国を捨ててもいいとさえ思った。
「媚珠」とは婉媚なる宝珠、つまりしとやかで美しい宝をいう。女性にたいする最高級の形容である。安陽王がかくあれかしと期待を込めて命名した。期待にたがわず媚珠は美しく成長した。しかし本人にその意識はまったくない。 無垢の肌身を飾ることを知らず、女の自覚を封印したまま、こんにちにいたったのである。巧みに武器を駆使し、荒馬を乗りこなし、海に出れば放胆に帆をあやつる、男勝りの自然児として奔放に育った。女の姿こそ借りてはいたが、荒くれ男を叱咤し、ときに励ます、怖いもの知らずの公主であった。
そんな媚珠が、変身した。趙始にすがり、安陽国から連れ出してもらうことを条件に、金亀の爪の正体を明かしたのである。
「金亀の爪とは、神弩の引き金です」
百本の弓を束ねて、いちどきに発射制御する強力な引き金である。磨耗に強いすぐれた耐久性と、錆びが生じない特殊な不銹性能をもつ。金色に輝き亀の爪に似ているところから、この名がある。取り外しができ、紐をつければペンダントにもなる。掌におさまる大きさだが、装着に手間がかかる。安全管理のため、平時は外してある。
「金亀の爪は、安陽王の文箱のなかにあります」
羅伯が探りを入れてきた。
「ならば、わたくしが父王より内緒で、いただいてまいりましょう」
媚珠はこともなげにいい放ち、宮中へ向かった。羅伯が見え隠れに後を追った。趙始らは顔を見合った。いまは媚珠を信じるだけだ。
安陽王から呼び出しの使いがあった。趙始は緊張して殿上へおもむいた。
「媚珠が貴公に嫁入りしたいと泣いて訴えてきた。いつのまにそんな仲になったかは知らぬが、あれはまだこどもだ。いっときの熱に浮かされているにすぎぬ。わしは貴公の嫁には長女を考えておる。長女との祝言を急ぐので、さよう心得ておかれたい」
和議の大使とはいえ、態のいい人質である。ひとまず休戦に持ち込んだが、婿入りが和議の条件である。婿入りを拒否し、戦闘が再開されれば、真っ先に生贄となる。
羅伯が媚珠からのメッセージを伝えた。
「父王の文箱から金亀の爪をちょうだいした。夕刻までに抜け出すので、西の裏門に馬を用意し、お待ちいただきたい」
趙始らは監視の目を盗み、分散して脱出にそなえた。
西の空が真っ赤に燃えつきるころ、媚珠は男装に変身してあらわれた。趙始を見て、無言で微笑んだ。首からさげたペンダントの金亀の爪が、夕日の残光に映えて金色の光を放った。侍女から受け取った荷を、媚珠は背に負うた。侍女は声を詰まらせて別れを告げた。趙成らが城門を開けた。騎乗のふたりは馬腹をけった。駒がいななき二騎は紅土を蹴散らし、消えかかる夕日に向かって疾駆した。
安陽城を脱出したふたりは、追っ手をはるかに引き離し、味方の陣営に立ち返った。趙成ら供回りのものたちも、それぞれ分かれて脱出した。趙始はいきせききって、ただちに趙佗に復命した。趙佗は満面の笑みで出迎え、「でかした」という賛辞を口にしかかったが、とちゅうで飲み込んだ。かたわらで、思いつめた目を虚空に漂わす媚珠を一瞥したからである。賛辞にかえて、いたわりの声をかけた。
「疲れたであろう。ゆるりと休むがよい。お父上のことは、わしに任せてくれ。悪いようにはせぬ」
安陽王を気遣う媚珠の心情を、思いやったのである。
趙佗はふたたび兵を起こし、進撃した。安陽王は悠然と構え、敵軍の到来を待った。いまだ神弩の威力を、過信していたのである。
しかし神弩は引き金をはずしていた。文字通り、張子の虎である。神妙の技を封じられた安陽軍は、趙佗軍の猛攻撃にさらされ、たちまち壊滅した。
壊滅のまえ、神弩の引き金が持ち出されたことを知って、安陽王は烈火のごとく怒った。侍女が引き出された。侍女はすこしも悪びれず処断にしたがった。安陽王は侍女を、媚珠の身代わりに斬殺した。そのため史書には、媚珠が処刑されたこととして記されている。
処刑は紅河の川べりで執行された。斬首の剣が一閃し、侍女は地に伏した。おびただしい血潮が紅河の水面を真紅に染めた。カラス貝がこの水をふくみ、やがて胎内に真珠を宿した。真珠貝に生まれかわったのである。
戦時のさなか、放置された侍女の遺体はひそかに安陽城に運ばれ、城内の井戸に葬られた。井戸の主はいつしか媚珠と誤り伝えられた。のちに紅河で真珠を得た人が、この井戸水でその真珠を洗うと、耀き透きとおるばかりに鮮やかな色つやをみせたという。その後、この井戸は「
安陽王は処刑まえ、ことのしだいを侍女から聞き質していた。「掌中の玉」がみずから選んだ道である。安陽王は次代の若者たちの選択を諒とした。あえて侍女を身代わりとした。
趙佗から投降をよびかける密書が、届いていた。趙佗に服属しさえすれば、王位も所領も安堵するとの好意的条件である。しかし安陽王はこれを受けなかった。
「
といいおき、彩色して美麗に飾った
戦国武将の最期の心意気であろうか。
「ために海水は分かれて道を開き、三尺の通路となった」
と伝えられている。
伝説の世界に旅立ったのである。
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