第11話 妹、進化する2

 その日は珍しく母さんが帰ってきていた。

「ほら、見てよ。これ」

 勉強して疲れた頭を休ませるためにテレビで再放送のドラマを見ていた時のことだ。

 溜まっていた郵便物を整理していた母が俺に長方形の薄い紙切れを寄越した。内容は電気会社からの通知で先月の使用電力と料金が書かれたものだ。ただ、その金額というのが俺の予想を遥かに超えていた。

「……いつもの十倍どころじゃないでしょ、これ」

「藍が増えた分だけいつもより多くなるとは思っていたけど、まさかこんなになんて。本当、藍ったら燃費が悪いわ」

 もはや燃費で済む話ではない。

 いつぞや、十六番目の藍が言っていた話を思い出す。藍の分裂にはどこから発生したのかわからない質量が使われているという話だ。

 もしかすると、藍は電気のエネルギーを使って分裂をしていたのかもしれない。

 確か、どこかの科学者がエネルギーと質量を関係式で表していたはずだ。

 人間を構成する成分というのは意外と単純でそこら辺にあるものから作ることができる。六、七割が水だというのもよく聞く話だ。そもそも生き物というのは全て有機物なのだから空気中の二酸化炭素などを分解して再構成できればかなりパーツは揃いそうな気がする。

 分裂には空気中の元素を使い、足りない分を電気エネルギーを変換して構成する。これならばかなり無理やりではあるけれど一応、それっぽい屁理屈はこねられる。

 ただし、分裂するときの藍はコンセントやコードに触っていたわけではない。だから、電気エネルギーを使うにしても分裂の際に唐突に多量のエネルギーが移動したとは考えにくい。体内に電気エネルギーを貯めるなどもあるかもしれないが、そんなに人間の体というのは大容量には思えない。

 多分、まだ藍には俺の知らない秘密が隠されているだろう。それがわからない限り、きっと藍は増え続ける。果たして父さんたちは一体どこまで研究を進めたんだろうか。

 甲高い電子音がして俺は顔を上げた。

 テレビからだ。どこかで地震でもあったのかと思うとふたりの侍が向かい合っていたのが壮年のニュースキャスターが真ん中に陣取った画面に変わる。

『臨時ニュースです。今日、午前十時ごろ、S県北部の研究施設で大規模な爆発事故が発生しました。警察は爆発によって流出した有害な化学物質のために近隣の人々には待避を呼びかけています。以下の地方にお住まいの方は近隣の消防、警察の指示に従い速やかに避難して下さい』

 ここからいくつもの地名が読み上げられる。隅には地図も表示され、避難対象となる地域が赤く点滅していた。

 さ、と血の気が引いた。

 このタイミングで、研究施設で爆発。あまりにも出来過ぎてやしないか。

「あらまあ、事故ですって」

「父さんと藍ってどこの研究施設にいるんだっけ?」

「そういえば聞いてなかったわね。どうしましょう。不安になってきたわ。電話してみようかしら」

 母さんがピンクの携帯電話を取り出した。

 俺はテレビのチャンネルをいじくり回し、被害者や事故原因について一言も聞き漏らすまいと聴覚を集中する。けれども、まだどこにも情報は出回っていないのか、避難するようにと繰り返すばかりだった。爆発の映像すらない。

 しかも、次第にニュースキャスターの顔が消え、テレビの内側はいつも通りの番組へと戻っていく。端の方に事故のことは出しっぱなしにはなっているが、それだけだ。

 どう考えても不自然だ。現場付近の映像もないし、有害物質の詳細にも触れていない。事故が起きたのが午前中にも関わらず、報道があったのは今初めてのようだった。普通の事故でこんな報道の仕方があり得るだろうか。

 俺はとりあえず、夜のニュースに期待しようと思い、母さんの方へ振り返った。

「電話は?」

「それが繋がらないのよ」

 父さんの電話が繋がらないのはよくあることだ。実験の衛生的な都合や機密に関わる場所にいれば持ち込むわけにもいかない。だから、別に不思議でもなんでもない。しかし、妙に引っかかる。

 と、玄関の扉が乱暴に開かれる音がした。

「誰かいるか」

 父さんだった。

 いつもなら丁寧にポマードで固めている髪が伸び放題になっている。髭もしばらく剃っていないようだ。頬もこけ、目の下には酷いくまを作っている。身なりに関しては人一倍几帳面な父さんがまるで別人のようだった。

「父さん! じゃあ、やっぱりテレビでやってるのは?」

「いや、うちの研究所じゃない。心配する必要はない」

「じゃあ」

「それよりも藍は帰って来なかったか?」

 俺が尋ねるより先に父さんが質問を投げかけてきた。

 かなり切迫しているように見える。

「藍? なら帰ってきてないわよ。何かあったの?」

「少しな。けれど、帰ってきていないなら問題はない。見かけたらすぐに連絡をくれ」

「一体、藍に何があったの? 研究はどこまで進んでるの?」

「順調だ。藍の増殖を食い止める方法は発見した。だが、元の数に減らせないのが難点でな。それに今は藍の数が多すぎて全て同時に対処するのは難しい」

 藍が増え始めてから今日で二週間。変異したことを考慮しなければ、単純計算で一万六三八四人の藍が地球上に存在していることになる。父さんと十六番目が上手く対処できているなら千人くらいに抑えられているというところだろうか。

 父さんは冷蔵庫を開けると栄養ドリンクを取り出し、一息に飲み干した。瓶を流しに転がして足早に台所を出て行く。

「父さんは戻る。表にタクシーを待たせているんだ」

「ちょっと待ってよ、父さん」

「なんだ」

「俺も連れて行ってくれ」

 父さんが振り返った。目が血走っていた。

「遊びじゃないんだぞ」

「十六番目が使っていたパソコンの履歴を見た。難しかったけど、いっぱい本を読んで何とか頭に入るだけのことを詰め込んだんだ。俺だって藍のために何かさせてくれ」

 満月の夜からずっと俺は藍をどうすれば救えるのか考えてきた。そのためには圧倒的に情報が足りない。

 だから、俺はずっと調べ続けてきた。まだまだ知識も能力も足りないのは深く自覚している。けれど、何もしないでいるのは我慢ならなかった。俺は藍の世話を焼いていなきゃ落ち着かないみたいだ。

「駄目だ」

「じゃあ、藍に会うだけでも!」

「駄目だと言ってるだろう!」

 父さんは来た時と同じく、荒々しく出て行った。

 もう少し、父さんが落ち着いてから切り出すべきだったか。しかし、電気のことだけでも伝えておいた方が――。

「あ」

 母さんが小さく叫んだ。

「今、藍がテレビに映ったような」

 画面はすでに七時のニュースで、研究施設付近をリポーターが取材しているところだった。黄色と黒のテープの内側には鬱蒼とした森が広がっている。その前には警察か自衛隊と思われる重装備の男性が幾人も立っていた。

 なあ、藍、一体何がどうなってるんだ?

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