第12話 妹、進化する3
研究施設の爆発という一大事件はその規模の大きさに反してほとんど情報は公開されなかった。未だに施設付近は閉鎖されているというのに、どうなっているのだろう。
テレビでは何とかという化学物質について専門家がいかがわしいコメンテーターと憶測の域を出ない討論を続けている。
また、専門家からは化学物質の存在すら疑問視するような言葉もあった。あの研究施設では政府の発表したような危険性を持った化学物質は保管されていないというのだ。加えて、封鎖された範囲の近くの空気からその有害物質が検出されなかったことも彼の意見を補強している。
俺にとって、もっとも興味深かったのはその施設がクローン研究所だというネットの書き込みだった。厳重な警戒態勢や情報規制から違法なことをしていると考えたのだろう。
更に付近の住人が同じ顔をした少女が群れをなすようにして行進しているのを見たらしい。それで人間のクローンを造っていると疑われているというわけだ。
もし、藍がそこにいたなら当たらずとも遠からず、というところか。
今のところ、事実として確定しているのは研究施設が爆発したことと研究施設付近が封鎖されているということのふたつのみ。ここから更に進むなら推測にしかならない。
かなり怪しいとは思う。しかし、本当に藍が爆発した研究施設にいたかどうかを確かめるには自分の目で見てみるしかない。うまくいけば藍と会って話すこともできるかもしれない。
俺はホームセンターで必要になりそうなあれやこれやを買って、旅行用の大きなバッグに詰め込んだ。特に食料と水はできるだけあった方がいい。向こうでは交通機関が機能しているかわからないから最悪、徒歩で進まなければいけなくなるかもしれない。
最後に母さんと弥子姉に向けて書き置きを作った。帰ったらなんと言われるだろう。こっぴどく怒られるのは間違いない。弥子姉には泣かれるかもしれない。けど、俺はどうしても真実が知りたいんだ。
しかし、俺の準備と決意は家を出て数歩のところで無駄になった。
「お兄ちゃん!」
路地裏から飛び出してきた藍はぼろぼろになったワンピースを身にまとい、黒く煤けた頬を隠そうともせずにしがみついてきた。
俺は思わずバッグを落としてしまった。
「お前は何番目だ?」
風呂上がりの藍の髪をドライヤーで乾かしながら俺は尋ねた。
藍は気持ちよさそうに喉を鳴らした。猫か、こいつ。
「五六〇〇……くらい番目だよ」
「その五六〇〇くらいの番号が付けられてから何日経ってる?」
「えーと、四日? だったと思う」
四日前、ということは一応はそれまでは順調に倍々に近い数で増えてきているようだ。変異したのを計算に入れなければ分裂が始まってちょうど二週間目のことだから、そのときに付けられた番号なら四千から八千の間になる。
この四日の間にも父さん言っていた増殖を食い止める方法がどれだけ使われたのかわからないから現在存在する藍の正確な数は不明だ。けれど、楽観できる数字ではなくなってきている。
「教えてくれ。一体、何があったんだ」
「どこから話せばいいのかな」
「最初からでいいぞ」
「うん、私たちは研究所に連れて行かれて、ヒジンドウテキ実験のドクガにかかったんだよ」
「非人道的、実験? 毒牙?」
「そう、それ」
「一体どんなことをされたんだ」
「一日中ご飯を抜きとかアイキューテストとかいうプリントをさせられたの。それはもうイキジゴクと言う他なかったよ」
この世の終わりを見たとでも言いたげな顔だった。
ご飯抜きはどこから増加するためのエネルギーを持ってくるのかを調べるためだろう。で、IQテストは十六番目の藍との差を見極めるために必要だったと考えられる。どちらも普通の藍には苦手なことだ。
「別に難しい言葉は使わなくてもいいから、わかるように話してくれ」
「うん」
「で、そんな実験が何日も続いたわけか」
「そうだよ。藍の番号も変わったり変わらなかったりしたよ」
藍の番号が変わったり?
そうか。藍に毎日番号をつけていても記憶は分裂元と同じになる。しかし、観測する方は同じ番号が混在しないように分裂して増えたように見える方に新しい番号をつけるわけだ。
俺たちは何気なく番号を振っていたけれど、よくよく考えれば記憶も分裂する藍にとっては混乱する元となるかもしれない。
その後も実験は続いたが、特に成果のないまま藍は分裂を続けたらしい。最初はひとつの施設で行われていた実験だったが、藍の数が増えすぎたために別の場所にも藍は輸送されたそうだ。
「そのうち十六番目の子がヘンイコタイをジンコウテキに造る方法を見つけたって言いに来たの。そして、何人かが部屋から連れてかれたよ」
変異したものなら分裂しないというわけか。十六番目もそんなことを言っていた気がする。それを人為的に行うことで分裂を食い止めた、か。
「その後、藍たちの中から変な子たちが出てきたの」
「変な子?」
「藍なんだけど、藍じゃないっていうか」
「うん」
「藍のような偽物の藍、みたいな?」
「そいつは恐ろしいな……」
主に藍の説明のわかりにくさが。
「その子たちとは感覚が消えちゃったりするし」
「感覚ってのは何のことだ」
「藍たちはつながっているんだよ。藍は近くなら他の藍がどこにいるかわかるの。けど、藍じゃないとわからないの」
「あれか、GPSか。それとも携帯の基地局か。えーっと、難しい。つまり、なんらかの通信機能の藍専用バージョンみたいなのが今の藍には搭載されてるんだな」
「かも」
「よし、続けろ」
「藍はひとりでも何人でも藍だったけど、藍じゃない藍が出てきたの。最初は十六番目の子だったでしょ。でも、十六番目の子が部屋から何人かの子を連れて行った後はもっとたくさんの子が私じゃなくなった」
「わからん」
「だーかーらー、藍は藍でしょ。増えた方も藍だけど、そのときにまた違うくなった子がいたの。十六番目も違うでしょ」
なんだろう。いくら説明を聞いても絶望的に訳がわからない。
藍の説明が下手なせいもあるが、人間の持つ五感とは違うもので物事が語られている気がする。こう、なんというか、テレパシーに近いような共通の感覚というのだろうか。謎の仲間意識が藍を藍以外の何かとを区別しているのか。それで変異した藍は元の藍からしてみれば藍じゃない何かと認識されるのだろうか。
人間なら遠くにいても言葉が通じれば同じ種類の生物だとわかる。他の動物、たとえば、イルカなんかだと超音波で居場所を伝えたりする。それが藍の場合はよくわからない感覚で成し遂げられているという訳だ。いよいよもって人間をやめたという感じがする。
「で、研究所がボーンってなっちゃった」
藍が両手をいっぱいに広げる。
おそらく爆発のことを言いたいのだろう。ということは、テレビでやっていた研究施設というのは藍がいた施設のひとつということか。
父さんはそこにいなかったと言っていたから、別の研究施設の藍を見ていた、と。これなら嘘は言っていない。俺と母さんを安心させるための方便かもしれないけれど、どのみち俺はもう知らないままじゃ我慢できそうにない。
「原因はわかるか?」
「多分、藍じゃない方の藍が関係しているんだと思う。藍じゃない藍が出来てからそうなったし。で、十六番目の子が逃げろって」
「あいつが、か。そのときに他の藍はどれくらいいたんだ」
「えーと……たくさん? 藍はとりあえず、ずっと走ってた。そしたら、いつの間にかひとりだったの。他の子は知らないうちにいなくなっちゃった」
爆発事故があってから藍たちは十六番目に言われて逃げてきたということか。研究施設で何があったのだろう。十六番目が危機を訴えるくらいだから、あまり良くないようなことが起きていた気がする。
「それから知らないお婆ちゃんに泊めて貰って、電車でここまで来たんだよ」
知らない人に付いていくなと前から言ってるだろ、という感想は胸にしまっておく。異常事態なら知らない人でも助けを求めて仕方ない。どうやら電車代もその老人から貰ったらしい。親切な人だ。今度お礼に行かなければ。
「泊めてもらったってことは増えたんじゃないのか」
「うん、増えたよ」
「そいつは?」
「駅前で警察みたいな人に連れて行かれちゃった」
「警察とは違うのか」
藍が人差し指を唇の下に当てて考えるようなポーズをする。
「うーん、わかんない」
分裂した藍を連れて行ったのは黒っぽい服装の人、らしい。どうやら藍を連れ戻そうとする勢力が存在しているらしい。
目の前にいる藍もその黒い服の人間に一時は連れて行かれそうになって揉みあいになったという。そんなことがあったから人目につかないように隠れて行動していたから、路地裏にいた。俺と会ったときの藍がぼろぼろだったのもそういうわけだ。
これ以上は聞き出せそうにないと判断した俺は父さんに電話をかけた。しかし、父さんは出ない。書斎の名刺にあった父さんの同僚や会社の番号を当たってみても所在を知る人は誰もいなかった。
父さんが駄目なら俺に当てはなくなる。十六番目を含め、他の藍とも連絡を取りたいところだが、どこにいるのかさっぱりわからない。
研究施設に行くのも悪手な気がする。どうやら、この件には得体の知れない陰謀が渦巻いている。そのまっただ中に飛び込むなんてことをするにはリターンがなさ過ぎる。藍が語った情報以上のものを得るなら十六番目か父さんと直接話すしかないと思う。
やっぱり俺にできることといえば目の前の妹を守ること、それくらいなんだ。
「藍」
「ん? 何?」
「お前だけは絶対に守るからな」
「……お兄ちゃん?」
俺は決意を新たに、呆けている藍の髪をポニーテールに結んでやった。
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