妹、繁栄する

第17話 妹、繁栄する1

 半月ぶりの故郷は暗雲に覆われていた。

 気の重くなるような雨だ。

 すぐに雨宿りしようと思えるほどの量ではない。しかし、昨日の夜からずっとしとしとと降り続き、しばらくは青空は見えそうになかった。あの黒々とした雲の切れ間から日の光が覗くのはどれだけ先になるだろう。

 俺は雨合羽のフードを少し持ち上げた。

 食い散らかされたパンの空き袋が雨に打たれて吹き飛ぶこともなく地に横たわってる。降り注ぐ雨でも戦闘で汚れた町の穢れの全てを洗い流すことは出来ない。瓦礫と至るところに空いた無数の穴がことの深刻さを物語っている。壊れた家も消えた住人も、もう元には戻らない。

 崩れた屋根の下で何かが動いたような気がした。俺は防水防刃の手袋を深くはめ直して、瓦礫の一枚をめくった。

「そこにいるのか」

 くぐもった声のようなものが返ってくる。

 良かった。まだ生きている。

 おそらくは落ちてきた瓦の重みで出られなくなったのだろう。俺はそれを一枚ずつどけていく。三十枚ほどでむき出しの屋根まで辿り着いた。傾いた屋根のお陰で上手く体を隠す空間を確保出来ていたようだ。

 他のものもどかせばなんとか人ひとりが這い出るだけの隙間が確保できた。中から男を引っ張り出す。やつれてはいるが、まだ若い。俺より少し上くらいか。

「大丈夫か」

「ああ、すまない」

「歩けるか」

 よろよろと青年は立ち上がるが、その足取りはおぼつかない。そして、一歩を踏み出す前に尻もちをついてしまう。

 俺は青年に肩を貸して、まだ原型を保っていた家屋まで連れて行った。

「水と食料がある。レトルトの流動食だ。食えるか」

「ありがとう。助かった」

 青年は貪るようにして俺の渡したものを口の中に押し込んだ。

 服を脱がせて確認してみると怪我はないようだった。衰弱しているのは間違いないが、瓦礫に押しつぶされてはいない。おそらくは近くの大学に通う下宿生だろう。家族がいれば、周りの異変に気づいて逃げ出せたはずだ。

「ここで戦闘があったのはいつだ」

「二日前だ。小さな女の子がたくさんやってきた。彼女たちがスーパーや飲食店を襲っているのが窓からでも見えた。そうしたら次は自衛隊だ。俺は戦車なんて初めて見たよ。次第に銃とか爆発の音が聞こえてきた。外がそんな風になってしまったから逃げることもできなくて、家に隠れていたらあの有り様さ」

「避難勧告は出ていただろう。何故、従わなかった」

「だって、信じられるかよ。女の子がこの街を侵略しようとしているだなんて」

「そうか、それは残念だな」

 俺はいつも言っていた。どの街に行っても花村藍には気をつけろと口を酸っぱくして言っていた。俺だけではなく、政府や自治体も同じようにしていたはずだ。けれど、この青年には届いていなかったか。

「なあ、教えてくれよ。今、この街では何が起きてるんだ?」

「戦争だよ、花村藍という少女と人類の戦争だ」

 俺はペットボトルを強く握りしめた。

「花村藍は分裂する。半月前のことだ。一夜のうちにある街が花村藍に占拠された。ただの少女と油断していたのがいけなかった。どこからか得た武器によって人々は住処を追われ、食料は奪われた。政府が本腰を上げた頃には花村藍は世界の各地に国を作っていた。今ではもう日本の国土の半分は花村藍の領域とされている。この街はその中でも最も大きい国、通称『帝国』の領土の中にある。それが政府の出した見解だ」

「嘘だろ……」

「信じられないならそれでもいい。だが、逃げろと言われたなら逃げるべきだった。お前にも家族がいるんだろう。今更連絡もできないぞ。ここじゃあもう携帯も使えない。電波が入らないからな」

「一体、この国はどうなってるんだ」

「今は残された勢力を集めて何とか戦線を維持している。民間人は四国や九州、北海道に疎開した。時間の問題かと思ったが、よく生き残っているよ」

「花村藍ってのは一体何なんだ。どうしてそんな奴が国とか戦争とか……訳わかんねえよ」

 青年が苦悶の表情を浮かべる。まるで、ひと月前の自分を見ているようだった。

 俺はその様子を見て自嘲気味に笑った。

「そうだな。訳がわからん」

 いくつかのパックされた食料と缶飲料をリュックサックから取り出して青年の前に置いた。手袋の水を切り、合羽の前を締めて立ち上がる。

「動けるようになった南に行くといい。人の住む場所がある。北は絶対にいけない。そちらにも落ち延びた人と自衛隊の集落、いや、前線基地があるらしいが、近くに帝国の本拠地がある。日常的に戦闘が行われていると聞く」

「あんたはどうするんだ」

 男はすがるように俺を見た。残念だが、一緒にいてやるつもりはない。

「北へ行く」

「そっちは帝国があるんじゃなかったのか」

「向こうに妹がいるんだ」

 俺は雨合羽のフードを被り直すと外へ出た。

「なあ、名前を教えてくれよ」

 後ろから声がかかる。俺は足を止めた。

「……俺か?」

「あんた以外誰がいるんだよ。恩人の名前も教えてくれないつもりか」

「俺は……花村葵」

「家族なのか」

「妹だ」

 誰の、とは言わなかった。言う必要もあるまい。青年も何も言わなかった。言いたいことがあったのに、上手く言葉に出来ないような、そんなもどかしさを感じた。

 俺は視線を外して、足早に歩き始める。

 まだ雨は降り続いている。

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