第18話 妹、繁栄する2

 ふと、雨に紛れて、遠くから爆発の音が聞こえた。

 俺は廃屋や潰れた車の影に隠れて、音の方へと近づいた。戦闘だ。銃声の数が多い。結構な人数が戦いを繰り広げている。

 俺は半壊した住宅の二階に登ると、窓から顔を出して双眼鏡を目に当てた。元は天体観測に使っていたものだ。

 銃撃戦は崩れかけた病院を舞台にしていた。俺も何度かお世話になったことがある。

 一方には迷彩服の兵隊が、もう一方には藍たちが身を隠しながら銃や榴弾を手に争っていた。度々、煙と爆発が視界を遮る。藍が血を流し、人間を攻撃するのは見るに耐えないものがあった。

 ここからは見えない者もいるだろうが、数の上では藍が勝っているように見える。しかも、兵隊たちは負傷者がいるようで、腕を吊っている者や寝たまま起き上がってこない者もいる。むごたらしい光景だった。

 一度藍を攻撃した部隊が失敗し、病院で休んでいた。手当を行っていたところを藍に襲撃された、というところか。

 ただ、見かけは派手だが、あまりどちらも積極的には攻めていないように見える。

「動くな」

 藍の声と同時に背中に固いものが押し当てられた。

 なるほど、ただ膠着状態を演じていたわけではなかったか。

 数の上で優っていても被害を抑えるために一部の戦力を裏に回す。いや、数で優位にあるからこそ、有効な戦術だ。両面から挟み撃ちすることによって兵隊たちは窮地に陥るだろう。狙撃の腕に覚えがあるならここから狙い撃ちしたっていい。

 俺は双眼鏡を手放し、ゆっくりと両手を上げた。

「藍、俺だ。お前の兄だ」

「お兄」

 藍が銃を下ろしたのがわかったので俺は振り向いた。

 その藍は髪を横でくくっていた。ジーンズに厚手のジャケットという格好もあって、ボーイッシュな印象を受ける。少し離れた場所には同じような髪型の藍たちが辺りを警戒するように立っている。

「どうしてここに。危ないよ」

「通りがかっただけだ」

「戦場の音が聞こえたなら離れるべきだった」

「なあ、引いてくれないか」

 藍が非難するように俺を見た。

 こんなにも複雑な表情ができるからにはこの藍は女王個体なのだろう。地理的に考えて帝国に属する個体だ。帝国は複数の女王個体を有する。

「俺は藍に戦って欲しくない。人間にも藍を傷つけて欲しくない」

 藍が誰かの言うことを聞くとすれば分裂前からの知り合いだけだった。その中でも俺は最も藍に近い場所にいた。一部の女王個体は俺をかばうこともある。俺が助言し、藍が数の力で解決する。そんな風にこの半月生きてきた。

 人間側も藍ではなく、俺が休戦を訴えればきっと戦いをやめてくれる。何しろあっちは怪我人が多数いるのだから応じない理由がない。

「お兄は優しいね。……けど、中途半端だ」

 藍が拳を握りしめた。

「昨日、七八一五番目が死んだ。袋小路に誘い込まれて蜂の巣にされた。一昨日は九二五六六番目が、その前の日は三六〇九二番目が率いていた小隊ごと全滅だ」

 全部知らない番号だった。なのに、それらが全て死んでいった藍なのだと思うと、やりきれなさが胸にあふれてくる。

「彼女だけじゃない。僕の仲間はたくさん奴らにやられた。僕らもたくさん奴らを倒した。まだ奴らは僕らを狙っている。次は僕の番かもしれない。だから、僕らも戦わないといけない。もう後戻りなんて出来ないよ」

「それは負傷者まで巻き込むことか」

「無理だ。奴らは増えるからっていうだけで武器も何も持たない仲間を殺めた。怪我をした奴らも回復すればいつか僕らを殺める。何故、僕らだけが死の可能性に無防備でいなくちゃいけないんだ。たとえ、お兄の言うことだろうと聞けないよ。今の僕の役目は仲間のために手負い獣を倒すことだ。それをやめろっていうのは我がまま過ぎるんじゃないかな」

 人類と藍との間には深く、埋めようもない大きな溝があった。

 生きるのに必死なのは誰も彼も同じだ。藍も人間も、生きるために命を賭けて毎日を戦っている。

「最近は分裂しない藍も増えてきた。理由はわからないけど、増加の速度が鈍ってる。帝国の外に行こうにも他の花村藍だらけで居場所がない。このままじゃ追い詰められるのは僕らなんだ。僕はまだ、死にたくない」

 藍の表情が歪む。

 見ているのが、辛い。何も出来ないことに泣きたくなる。叫びたいほどの衝動がこみ上げる。俺はどうしようもないくらいに無力だった。

「そうか。無理か」

「ごめんね」

「いや、無理を言って悪かった」

「多分、僕らは新しい人類として生まれた。今の人類に勝利したとき、僕たちは本当の意味で花村藍になれるんだ。それまで立ち止まることはないし、きっと人類も同じだと思うよ。僕らはどちらかが倒れるまで戦わなきゃいけない」

 はるか遠くを見るように藍が目を細めた。

「……最後にひとつ、聞かせてくれ。十六番目がどこにいるか知らないか」

 やはり、藍は首を横に振った。

「ありがとう。俺は行くよ。次を当たってみる。邪魔をしたな」

「ごめんね。今は付いて行くわけにもいかなくてさ」

「……あとさ」

「うん」

「死なないでくれ」

「うん」

 藍が双眼鏡を拾って俺に手渡した。その手には火傷と切り傷の跡が色濃く残っている。痛々しい肌を見ただけで俺はまた泣きそうになってしまう。

 俺は顔を見られたくなくて、藍に背を向けた。

「お兄も、元気でね」

 俺は再び藍に礼を言うと、建物を出て病院とは反対の方に向かう。

 ほどなくして、さっきの場所から銃声が聞こえた。

 焦りが募る。戦いの中、俺だけが浮いた存在として誰からも敵視されずにいる。藍の兄という立場のただの人間である俺だけがひとり、何も出来ずにのうのうと生き延びているのだ。こうしている間にも人類と藍の溝はどんどんと深くなっていく。

 早く、早く見つけなければ。

 間に合わなくなる、その前に。

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