第19話 妹、繁栄する3

 気まぐれにかつて通っていた学校を訪れ、その変わりように驚く。

 門の前にはそれなりに口径のある銃を肩に掛けた屈強な男たちが目を光らせていた。半月前に山で藍を襲撃した者たちと立ち振舞いが似ている。やはり、あの時の彼らも自衛隊だったのだろうか。

 俺が小さく会釈すると、男のひとりが頷き返した。

「ここに人が来るなんて珍しいな。どうしたんだ?」

「人を探してるんです。俺はここが故郷でこの学校も母校で、はぐれた知り合いがまだこの辺りにいるんじゃないかと思って。疎開先にいなかったんです」

 男はすべてを理解したと言わんばかりに俺の肩を叩いた。

「あまりひとりで出歩くのは褒められたことではないが……大変だったんだな。ゆっくり屋根の下で体を休めるといい。簡単なメシと毛布くらいはある」

「ありがとうございます」

「何、困ったときはお互い様だ。国民を助けるのは俺たちの仕事でもあるしな」

 厳つい顔を不器用に緩ませて笑う。

 この人は根っからの善人だなと思った。

「それとだな」

 男が声をひそめ、俺に顔を近づけた。

「近いうちに大規模な攻勢をかける。あの小さい悪魔どもにだ。そうなるとここも手薄になる。だから、逃げろ。明日、田舎に向けて車を出す。人探しは戦闘が終わってからの方がいい。お前の故郷は俺たちが取り戻してやるからな」

 顔の筋肉が動かなくなった。

 この世界はなんて残酷なんだろう。人間が悪いわけじゃない。藍も悪くない。なのに、戦わなくてはならない。そんないやらしい現実に吐き気がする。

「どうした? 大丈夫か?」

「いえ、ちょっと立ちくらみがしただけです」

「大丈夫ならいいんだが」

 俺はここを離れられないからな、と男は外の瓦礫の山を見た。

「そうだ。体育館に似たようなことを言っている女の子がいたはずだ。もしかしたら、お前が探している人かもしれない」

 その人の名前を聞いて、俺は居ても立ってもいられなくなった。

 男に礼を言い、校門をくぐる。運動場にはすすと泥にまみれた戦車や自走砲が停止していた。運動会で見るような安っぽい白テントもいくつか見える。

 学校自体はとても綺麗なもので、周辺で戦いがあったとは思えないほどだ。ただし、仮設の住居として開かれているのは体育館だけで他は全て自衛隊の管理下にあるらしく、通しては貰えそうにない。

 その体育館にもそれほど人は多くない。四十人いるか、いないかというところか。もう大部分がまだ藍の影響の及ばない場所まで避難したらしい。ここにいるのは逃げ遅れて合流したか、故郷を捨てきれずにいる人たちなのだろう。

 俺が雨合羽を脱いで体育館に足を踏み入れた。目的の人物はすぐに見つかった。

「弥子姉」

「……葵ちゃん?」

 弥子姉が瞳に涙を溜めながら、俺の手を握った。冷たい手だ。

「やっぱり来たんだね。きっとこの街に戻ってくると思った」

 半月ぶりに見た幼なじみは触れば崩れ去ってしまいそうなほど儚く見えた。艷やかだった髪は見る影もなく、手はかさかさに荒れている。ろくに物を食べることが出来ない環境のせいか一回りは痩せたようだ。

 何を言っていいかわからなかった。ふたりで黙って、手を握り合っていた。

 すると、遠慮気味に弥子姉が口を開く。

「ねえ、やっぱり私が通報したこと、怒ってる?」

 弥子姉とは山で巻き髪の藍に連れ去られてからは会っていなかった。今日までずっとこの問いを自分にぶつけていたのだと思うと、心が握りつぶされてしまいそうなほど痛ましい。

「怒ってない。むしろ感謝すらしているよ。きっと、あのままじゃ何も進展しなかった。時間が経てばきっと俺は増えすぎた藍に押しつぶされていたと思う」

「でも、いなくなっちゃったじゃない」

「じっとしているだけじゃどうにもならないから」

「葵ちゃん、変わっちゃったね。目付きが違う」

 寂しそうに弥子姉が笑った。

「弥子姉こそ。ちゃんとご飯食べてるか」

「大丈夫。それより葵ちゃんは何をしてたの?」

「藍を元に戻す方法を探していた。いや、これは間違いだな。十六番目の藍を探していた。あいつなら何か知っている気がしたんだ」

 俺は十六番目を探して半月の間に色んな場所を巡ったことを語った。

 危険な旅だった。各地で藍と人類による血みどろの戦争が始まっていた。物量に勝り、人に隠れる藍と銃火器の威力によって制圧する人類との戦いは熾烈を極め、今なお続いている。

 その間に様々な藍と出会い、助けられ、時に狙われた。藍が命まで取らないお陰で俺はかろうじて生き延びている。まだ何とか俺の貞操も無事である。

 そして、俺は何の成果も得られないままに生まれ故郷へと帰ってきた。

「まだ、探すつもり?」

「ああ」

 俺は力を込めて頷いた。

「帝国に行かなくちゃいけない。帝国なら、いや、変異した藍の中で最も大きな国を創りあげた八十番目の藍なら何かわかるかもしれない」

 八十番目の藍は他とは違う。

 どの藍も皆、口を揃えてそう言っていた。

 それは八十番目だけが持つ特性によるところが大きい。ただの女王個体の藍ならば指揮出来るのは労働個体の藍だけであるが、八十番目は他の女王個体までも配下に置いている。配下に女王個体がいるのなら、同時に労働個体の数も多い。それこそ一国に女王ひとりの他国に比べれば何倍にも膨れ上がる。

 加えて、八十番目という番号の若さだ。その数の小ささは俺の知る変異個体の中では二番目だ。八十番目の姉妹が全て労働個体ならそれだけで十六番目に次ぐ勢力となる。当の十六番目は行方知れずだから実質的には最大であろう。

「もうすぐ、帝国に攻撃をかけるって自衛隊の人が言ってた」

「それは良かった。早く出れば間に合う」

「やだ、行かないで」

 弥子姉が握った手は震えていた。

「私ね。ずっとずっと葵ちゃんのこと、好きだった」

「知ってる」

「嘘」

「嘘じゃない」

「私は小学生の頃からは葵ちゃんが好きだった。初恋」

 今度はこちらが嘘とつぶやく番だった。

「本当だよ。気づいたら好きになってたんだよ。真面目で頭が良くて行動力があって、私にできないこと、たくさんできる。それってすごく格好いい。真剣に考えてる時の葵ちゃんが好き。私の料理を美味しそうに食べてる葵ちゃんはもっと好き。でもね……一番好きな顔は私に向けてくれないの。藍ちゃんを見ている時の優しい顔は三人でいるときにしか見られない。それだけ藍ちゃんが大事なんよね。顔を見ただけで伝わってくるもの。でも、私はそれでもいいの。全部合わせて二番でも、恋人で一番なら私はいいんだよ」

 いつかは全部の一番になってみせるけどね、と弱々しく笑う。

「俺なんかよりマシな男はいくらでもいる」

「葵ちゃんじゃなきゃダメ。好きで好きでしかたないの。どうしようもないの。他の人なんて見えない。だって、気持ちが溢れてくるんだよ。止まらないよ。私は絶対絶対葵ちゃんが好き」

 爪が手に食い込んでいた。

 『好き』が重い。決意が痛い。目が逸らせない。

「だから、もうこんなことやめよう。一緒に逃げよう? 今ならまだ間に合うよ。おばさんとおじさんもきっと疎開してるよ」

 これから先に進めばもう本格的に人類の領域を離れる。その先には八十番目の創り出した藍だけの巨大な帝国が待ち構えている。生きて帰れる保証はどこにもない。帰りに人間側の攻撃に巻き込まれる可能性もあるだろう。

「なあ、俺が藍を見捨てたら藍はどうなるんだ?」

「それは……」

「藍はさ。数は多いけど、ひとりなんだよ。たったひとりで生きるために戦ってる。あの寂しがりやの藍がだ。昔の知り合いも友達もみんなどこかに行ってしまった。それで俺まで藍を見捨てたら、本当にすべてが藍の敵になる」

 行き着く先は藍か、あるいは人間の全滅だ。

 弥子姉は何も言わずに黙って俺を見つめていた。

「ごめん、弥子姉。諦めたくない」

 だから、俺は藍の兄として行かないといけない。

「きっとどこかに藍も俺たちも元の日常に戻れる方法がある。また昔みたいに俺と藍と弥子姉の三人で仲良くやれるって、そう信じてる。一度落ち着いたって俺は十六番目の話を聞けばすぐに飛んで行くだろう」

 たとえ、この命尽き果てようとも可能性がある限り、俺は諦めない。絶対に十六番目を見つけ出し、真実を解き明かす。分裂を解消して、共に生きるんだ。

「帰ってきてくれるなら」

 潤んだ瞳の奥に汚れきった俺の姿が映っていた。

「何があっても絶対帰ってきてくるって約束してくれるなら、私はいつまでも待てる。だから、一緒にいてよ。お願いだよ」

 弥子姉が俺の胸に顔を埋めて、肩を震わせる。雨とは違う種類の水滴が俺の服に染みていく。

 どうして、俺たちはこんな風になってしまったんだろう。弥子姉と藍を乗せた天秤は藍に傾き、結局どちらも幸せにはできていない。もし、過去に戻れたら、弥子姉を一番に選んでいたら、今という時はどんな風に変わっていたんだろうか。

 でも、俺はその未来でも絶対に藍を忘れることは出来ない。

 多分、弥子姉のそれも俺の藍に対する感情とは種類が違えど、大きさは変わらないのではないか。だから、同じように苦しみ続ける。振り向く可能性が一パーセントでもあるのなら、永遠にも近い時を、身が引き裂かれそうな思いで待ち続けてしまう。

 俺は弥子姉の両肩に手をかけた。

「戻ってきたら一緒に暮らそう」

 気づいたら、そんなどうしようもないことを言っていた。弥子姉は少し嬉しそうに笑った後、色んな感情をまぜこぜにしたような複雑な表情になる。

「約束だよ」

 心の底が見透かされている気がした。

 その日、俺は弥子姉と一緒に過ごした。

 疲れきった体を休め、温かい食事を取り、弥子姉とどうでもいい話をした。こんな時間が永遠に続けばいいと思うくらいに幸せなひとときだった。

 ただ、弥子姉が笑うのを見るたびに心臓のあたりがきりきりと痛む。

 何故かわからない。わからないけれど、胸がすごく苦しくなる。

 夜が明け、太陽が昇ると俺は逃げるように学校を抜け出した。

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