第20話 妹、繁栄する4
藍は甘いものが好きだった。服を見るのが好きだった。ジャンクフードが好きだった。ゲームセンターもフードコートも好きだ。そこには藍の好物の全てが詰まっていた。
俺は髪が濡れるのもお構いなしに、雨合羽のフードを脱いだ。
巨人が横たわっているのではと思わせるほど、大きな建物があった。
最大収容台数四千の駐車場、三階建て屋上付き、その敷地面積はなんと東京ドーム三個分にも匹敵する。人々を誘惑し、駅前商店街を恐怖のどん底に陥れた超弩級ショッピングモール。
ここが帝国の本拠地。ここに八十番目がいる。
傍らにいた藍が俺の合羽の裾をつまんだ。
自衛隊のいた学校基地を出た後に出会った藍だった。帝国の支配を受けず、仕えるべき女王を無くした野良藍だ。力はなく、仲間もいない。そうした藍は食料をまともに得ることが出来ずに飢えていた。
幾多の戦いで被害を受けていたのは当然人間だけじゃない。戦災を被ったのは藍も同じだ。
俺は藍の頭に手を置いた。
「案内、助かった」
着ていた合羽を被せてから乾いたタオルで藍の顔を拭ってやった。
できればずっとそばに居てやりたい。けれど、それではきっと誰も幸せにはなれない。藍と人間が争い続ける限り、不毛な負の連鎖は繰り返される。誰かが、断ち切らねばならない。
俺は帝国の最深部へと足を踏み入れた。
「……兄さん、気をつけてね」
早く、十六番目を探さなければ。
ショッピングモールの中は薄暗い。最低限の電灯しか灯っていないようだった。
ここには複数の出入口がある。俺が入ったのは中央出入口。週末になるとイベントが行われる舞台が正面に見える。
薄闇の中から威圧的な眼光が俺を射抜いた。
「久しぶりだな、兄貴」
その藍は髪を短く切り、ホットパンツにTシャツという腕白坊主めいた姿だった。口からはキャンディの棒がのぞき、手にした最新型の携帯ゲーム機から軽快な電子音が流れていた。それがこの場違いで、薄気味悪さが掻き立てられる。
「お前が八十番目か」
「わかっていることは聞くもんじゃねえな」
何がおかしいのか八十番目が舞台の上で、けけ、と笑う。
見えてはいないが、各テナントには無数の藍がいることが小さなささやき声でわかる。帝国の規模からいっても少ない数ではないだろう。吹き抜けになっている二階を見れば、せっせと何かを運んでいる藍たちがいる。その中で激を飛ばしているのは女王個体だ。
とにかく藍の数が多い。それも帝国の藍のほんの一部でしかない。
俺はゆっくりと目線を正面に戻した。
「単刀直入に聞こう。十六番目がどこにいるか知っているか」
「知らねえな」
八十番目がキャンディを噛み砕いた。耳障りな破砕音が届く。
「あんなクソヤロウのことなんぞどうでもいい。俺はここから動いてねえ。最初っからニンゲン様のお相手さ」
俺が八十番目のところに十六番目がいると考えたのにはわけがある。
十六番目ほどの頭脳があれば、否が応でも目立つ。どこかで十六番目の噂を聞いてもおかしくはないはずだった。けれど、全ては空振り。どの藍も八十番目の名前は出すが、十六番目の名前は一言も出ない。だから、俺は十六番目は八十番目を隠れ蓑にして動いているのだと当たりをつけていた。
しかし、当てが外れたようだ。この藍は柄は悪いが嘘を言うようには見えない。
「二十日前、研究施設で何があった。爆発事故はお前の仕業だと聞いた」
「懐かしい話だ」
「何があった」
八十番目は遠い昔のことを思い出すように目を細めた。
「俺が八十番目として生まれて十日だったか。生まれ変わったのなら三日経ったくらいだな。あの頃は俺たちより、ニンゲンの方が多かった。俺は檻の中の実験動物で、ニンゲンは遥か高みから見下ろしていた。俺はそいつは別にいい。奴らがずっと面倒を見てくれてるってならそれでも良かった」
瞳に剣呑な光が宿る。
「けどな、殺されるのは御免だぜ」
息を呑んだ。周りの温度が下がったように感じ、体中に鳥肌が立つ。それほど八十番目から発せられる雰囲気は殺気じみていた。
「増え過ぎた、つって俺たちをトチ狂った奴らが俺らを処分しようとした。十六番目やら親父が止めに入ったからその場は収まった。花村藍の一部を別の場所に移動させることで施設にいた藍の総数も減らした。だがよ、それじゃ解決しねえ。俺たちはニンゲンよりもずっと早え速度で増えてくんだ。そんときゃ変異化させる装置も数はなかったし、ひとりを変異させるのに随分とまあ時間がかかる。だから、増えすぎる前にどうにかしようと思ったんだろうな」
ゲーム機が藍の手を離れ、地面に落ちて大きな音を立てた。
八十番目はそれを憎悪のこもった目で睨むと足を振り上げて、ただの一撃で踏み潰した。破片がそこら中へと飛散した。
「だから、壊してやった」
きっと藍と人間の因縁はそこから始まったのだ。増え続ける藍に恐怖を感じた人間と、人間の敵意に気づいた藍。ふたつの勢力がぶつかるのは必然だ。いや、藍が分裂を始めたその瞬間から、逃れられない運命だったのかもしれない。
「いつまで戦い続けるつもりだ」
「当然俺に楯突く奴がいなくなるまで。手を引くのはそっちだぜ、ニンゲン」
よ、と八十番目が舞台から降りた。
俺の方へと歩いてくる。
「むかーし、恐竜って生き物がいた」
「何の話だ?」
「まあ、聞けよ。恐竜はある時代に突然絶滅したって言われてる。その原因は火山やら隕石やらいろいろ言われてる。だがな、他に生き延びてる生物がいるんだから、全部隕石のせいにするのは違うんじゃねえかな。あいつらが滅んだのはもっと単純な理由だと思うんだわ」
「単純な理由?」
「進化の速度だよ」
唇の端が釣り上がり、大きな三日月を描く。
「どんなに腕力が強く、巨大で、恐ろしい動物でも環境に対応できなけりゃ死んじまう。恐竜の中でも生き残ったのは小さくて進化の新陳代謝がいい奴らだけだ。あとは全部、哺乳類が爆発的に進化したことで居場所を失った。恐竜は進化のレースに負け、一瞬で淘汰された」
「……それが今の人間と藍の関係だってのか」
八十番目は何も言わず、俺の顔の前で邪悪に笑った。
「てめえらは進化が遅すぎるぜ」
徹底的に死の可能性を摘み取り、生きることに一切の妥協を許さない。これこそが彼女の本質のように思えた。だから、彼女は戦い続ける。きっと、人間という敵がいなくなるまで戦いは終わることはないだろう。
「まあ、でも兄貴は特別だわな。ちょっと夏には早えが、飛んで火にいる夏の虫たあ、あんたのことだ。礼を言うぜ。こっちから探しに行く手間が省けた」
「お前も俺を狙っているのか」
「暇潰しには悪くねえ。あのクソッタレの十六番目にも一泡吹かせられる。あいつはあんたのことが気に入ってるみたいだからな」
人外じみた速度で藍の手が伸ばされる。
俺はそれを腰から引き抜いたナイフで払った。
一瞬の攻防だった。わずかでも気を抜いていればやられたのはこちらだったろう。
鮮血がわずかに滴り、真っ白な床を染めた。八十番目が驚いた様子で俺を見た。俺は内心の動揺を抑え、あくまで平静を装う。
「ひとつ、忠告しておく。もうすぐ自衛隊が動く。気を付けることだな。人類は決して甘くない」
「ふふ、兄貴も妹を傷つけるようになっちまったか」
「ごめんな。だが、俺はお前だけの兄にはなれない。たとえ、藍を傷つけてでも進む。今はそういう時だ。もうここには用はない」
八十番目から距離を取った。
すぐ様、来た方へと引き返す。
「逃すな!」
テナントに隠れていた藍たちが、瞬く間に俺と八十番目を取り囲み、隙間なく壁をつくる。
「だぜ!」
「だぜだぜ!」
「捕まえるぜー!」
「え、捕まえるの?」
「ねむ……い……」
その数は今まで見たこともないほどだった。顔はどの藍も同じだが、頭の部分には若干の違いがある。帽子だったり、髪をくくっていたり、はたまたオカッパにしていたりと多種多様。中でも数が多いのは八十番目直属の眷属であるショートカットの藍だ。ココアシガレットを咥えて微妙にグレた感じがする藍たちはぽきぽきと口で言いながら指をこねている。
背に冷や汗が流れた。
この数、どう切り抜ける?
「ナイフを捨てろ」
冷たい声で八十番目が言った。
ここまで追いつめられては藍を傷つけても意味はない。俺はナイフを鞘に収めて、地面に置いた。満足そうに八十番目が指先に流れた鮮血を舐め取る。
「それじゃあ、俺を――」
藍が宙を舞った。藍の壁の一部が吹き飛んでいた。
八十番目が怒号を発す。壁が欠けていく。右から、左から、後ろも。小さくとも明確な壁の穴から藍たちが円の中央へ走る。俺の方へと集まってくる。
赤いバレッタで髪をアップに束ねた藍が八十番目から俺を守るように立った。彼女は一番最初に壁に穴を開けたところから出てきていた。防弾服に身を固め、分厚い手袋をはめて、構えるその姿は現代に蘇った騎士かというほど様になっている。
「我は一二二番目の花村藍。盟約に従い、御守り致す!」
藍らしからぬ凛とした表情でバレッタの藍は八十番目を睨みつけた。
かつて、俺は放浪していたときにバレッタの藍に会ったことがある。彼女は比較的大きな国を創っていて、人里離れた場所に根を張る穏健派だった。いや、四国への避難を主導していた彼女だ。人類の側に立っていたと言っても過言ではない。その能力は別格で運動能力においては人類のトップアスリートも及ばない。
「邪魔をするか、下位存在!」
「笑止千万! 我は我の意志を貫くためにここにいる。貴様の思惑など知った事か」
「はん、いい度胸だ。格の違いってやつを思い知らせてやる」
「貴様が優位であるのはその統率力ゆえだ。ならば、我らとて考える。ひとつの国で足りないなら、より多くの国の力を集めればいい。同盟を結んだ我ら、二十八国と帝国、果たしてどちらが強いかな」
各地に国をつくった藍の同盟。
それが八十番目の帝国に侵入していたらしい。
「兄上に為すことがあるというならそれを支えるのが妹の役目!」
「チッ、どうせ全部あのクソヤロウの入れ知恵だろうが! いけ、押さえ込め!」
八十番目が吠えた。
壁を作っていた藍たちが一斉に動き出す。
バレッタの藍が俺の手をつかんだ。そのまま、俺を引っ張るように走る。
「兄上、こちらです!」
バレッタの眷属が藍の壁に体当たりを繰り返す。
同じ藍であれば数がものをいう。一点突破でこじ開けようというのか。広がった穴にバレッタの藍は飛び込んで、一気に駆け抜けた。俺はほとんど引きずられていたようなものだった。
後ろから大量の藍が雪崩のように迫ってくる。
またひとり、またひとりとバレッタの眷属が呑み込まれる。
バレッタの藍とその仲間は総合スーパーの区画へと向かい、その入口に並んでいたショッピングカートを向かってくる藍に向かって蹴飛ばした。
ぶつかった藍が団子になってもつれ合う。
だが、その程度では藍の勢いは止まらない。転んだ藍やカートの上から次々と新たなる藍がやってくる。
「乗って下さい、兄上!」
言うが早いが、バレッタの藍がカートにカゴを乗せ、俺を抱き上げるとその上に尻から放り込んだ。仲間の藍がそのままにカートを押して生鮮食品コーナーを突き進む。
空気が頬を叩く。そんじょそこらのバイクよりも速い。腕で顔をかばわずにはいられなかった。
「どうしてここに?」
「兄上の危機とあらば参上するのが妹です」
バレッタの藍は速度を緩めないまま、得意げに微笑んだ。
「我らの眷属は周辺の国々と連携し、帝国へと赴いた兄上を守るためにこの地に潜伏していました。帝国は他国とは違い、多数の女王がいます。故に八十番目では全ての花村藍を把握できないのですよ。それはまた、帝国側の他の女王にも言えることです」
木を隠すなら森のなか、藍を隠すなら帝国の中、ということか。
「もしかしてここまで案内してくれたのも?」
「ええ、我らが同盟軍の一員です。八十番目も帝国中の藍を呼び集めているでしょうが、他の仲間たちが足止めしているでしょう」
カートが止まった。急な速度減少に体が転げ落ちる。
身を起こすと、ちょうどエレベーターのドアが開くのが見えた。
「乗って下さい。我らは必ずやここを制圧します。それまでは屋上に身を隠して下さい。そこなら大丈夫ですから」
「けど!」
「急いでください!」
止める間もなく、バレッタの藍が追いかけてきた藍の群れに向かって走る。
その決意を無駄にすることは俺にはできない。俺はエレベーターに乗り込むと屋上へのボタンを拳で叩いた。
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