第23話 妹、繁栄する7

 押さえつけていた鉄のダンベルを外すと、ブルーシートが風に飛ばされて、鈍色の機体が露わになる。初めて間近に見たヘリコプターはどんな嵐でも飛んでいけそうなほど頑強そうだった。空に飛んでいるのは小さく見えて頼りないがこれなら落ちる気がしない。

 十六番目はさっさと乗り込むと、操縦桿を握ってエンジンを蒸す。

 俺もその後ろの座席に着いて十六番目の手さばきを見ていた。何をやっているのかはいまいちわからないが、こなれた感じがする。

「お前、ヘリコプターなんて運転したことあったのか」

 頭上で羽の回る音がする。

「私がひとりだった頃にゲームで何度か」

「おい! それ大丈夫かよ!」

「兄さんも上手い上手いって褒めてくれたでしょう」

「今と昔じゃ状況がちがあああああ!」

 今まで感じたことのない奇妙な浮遊感が襲ってきた。俺はしっかりと手すりをつかむ。

 ふわりと浮いたと思うと、空が光に瞬いた。遅れて巨大な爆発の音。今度の砲撃はショッピングモールの屋上に直撃だ。外壁がはじけ飛んでいた。あのまま屋上にとどまってればどうなったことか。身震いする。

「しっかりつかまってて下さい」

 強烈な縦揺れと衝撃が体を揺らす。窓の外を見るともうヘリコプターはショッピングモールから離れていた。

 地面は藍で覆い尽くされ、鉄の兵器で武装した人間たちを迎え撃とうとしていた。

 戦車が火を噴く。火柱が上がり、敷き詰められていた藍の絨毯に大穴が空く。

「藍!」

 俺は思わず叫んでいた。

 しかし、藍は見向きもしない。声はもう地上には届かなかった。

「大丈夫。負けはしませんよ」

 十六番目は涼しい顔をして、ズレたことを言う。

「主要な基地はもう乗っ取りが完了してます。空を見て下さい。航空戦力がひとつもないでしょう。開戦から最初の二週間でほとんど潰しましたからね。こんな攻撃、時間稼ぎでしかありません。もう勝負にすらならないんですよ」

「わかった。わかったけどさ……」

 すべての藍を守ることはできない。けれど、藍がすべて死ぬことはない。

 頭ではわかっていても、乱れた感情は上手く制御できなかった。

 砲撃によって出来た穴はすぐ様他の藍によって埋められた。更に藍が幾層にも重なり、だんだんと高くなる。下の藍は潰されているのではないかと思うほどだ。

 先頭の藍が歩兵と接触したかと思うと、歩兵は藍の波に飲まれて消えた。続いて、戦車が、装甲車が、自走砲が飲み込まれる。流星群のように砲弾が降り注いでも、藍たちは怯むこともなく行軍を続ける。藍たちは死を恐れていないようだった。

 ポニーテールの藍が、帽子を被った藍が、横で髪をくくった藍が、バレッタの藍が、ショートヘアの藍が、見たこともない髪型の藍たちが人類を蹂躙している。

 耳に届かなくとも、人類の悲鳴が聞こえる。吐き気がこみ上げる。

 藍が勝つのなら、それが新しい時代の始まりというだけで、ことの良し悪しなど何の意味も持たない。弱肉強食という最も基本的な自然界の掟に従っただけなのだ。だいたい藍を選んだ俺が今更どんな顔をして人間に同情すればいいのか。

 ただひとりから始まった花村藍という新しい生命体。

 彼女は本当の意味では分裂してなどしていなかったのかもしれない。きっと藍は複数で構成されるひとつの生き物なんだ。眼下に広がる光景こそが本来あるべき姿。見た目はたくさんに見えたとしても、藍はただひと塊の存在として人類を圧倒している。

「十六番目、何か気が紛れるような話をしてくれないか。気分が悪い」

「どんな話がいいですか」

 俺は少しだけ考えてから言った。

「結局、藍はどうして分裂したんだと思う?」

「さあ、どうしてでしょうね」

「十六番目でもわからないか」

「もしかすると、本当にアダムとイヴはいたかもしれません」

 操縦桿を握った藍がひとりごとのように言った。

「人類や今までの生物と花村藍の最大の違いは何だと思いますか?」

「……分裂すること?」

「人間ほどのサイズの動物が分裂することは聞いたことがありませんから、それある意味ではも正しいかもしれません。けど、私の意見とは違いますね」

「じゃあ、何が違うんだ」

「感覚器官が多いことです。私たちは現在、他のどの生物には持ち得ない第六感によって繋がり、国を作っています」

 十六番目が腹の当たりをさすった。

「人が熱いものを触ると熱いと感じるでしょう。音が耳に届けば何かが聞こえるでしょう。私たちはそれと似たような、けれど、もっと詳細で広大な感覚で、電磁波らしきエネルギーをとらえています。おそらくは分裂にもそのエネルギーを使われています。それが実空間に存在するエネルギーと一致するかというと、また話は違うのですけどね」

「ううん? 結局、藍はどうやって分裂のための質量を得ているんだ」

「また話が逸れるじゃないですか。まあ、いいですよ。付き合います。花村藍はその第六感によって感知しているのは人間の観測できない領域かもしれないということです。そこはエネルギーに満ち溢れています。普通の生物には過剰なほどです。宇宙はここから零れたエネルギーのせいで広がり続けていると言われても驚きません」

「そんなものがあるのか」

「私の認識が正確なら、ですけど。そこからエネルギーを無理やり取り出して分裂のための力にしています。無理やりですから、周りのエネルギーは歪み、電化製品などには多少影響がでます。姉さんが動画を撮ろうとしたときに携帯が使えなくなっていた、というのもおそらくこのときの歪みのせいですね」

 家で電気料金がやけに高かったのも分裂によるエネルギーの歪みに影響を受けていたからか。流石にちょっとやそっとの電気では藍の複製はできない。もっと大きなものが関係しているというのは、現実として受け入れられるかはともかく概念としては理解できる。

 藍は話を戻しましょう、と言った。

「人間は従来の方向での進化の限界に到達していました。たとえば、日本では生殖行為と社会的な発達がだんだんと乖離して、出生率は著しく減少しています。これは種の危機です。私は遺伝子がそれを察知して進化を促したと考えています」

「進化っていうのはもっとゆっくり時間をかけて行われるものじゃないのか。十六番目みたいな変異を繰り返してさ」

「ダーウィンの進化論ですね。最初は私も兄さんと同じ考えでした。けれど、そうとしか思えないんですよ。一応、人間は自らが発明した技術によって電気など大量のエネルギーを日常的に扱うような段階には到達していました。外面的には変わらなくとも中身が進化に耐えられる状態にあったのかもしれません。急激な進化に見えてちゃんと下地は整っていた。だから、後は方向を示してやるだけで良かったと考えるのはどうでしょう」

「藍は分裂したときにはもう人間を辞めていたようなものだったろ。たった一世代で劇的に変わっている。おかしくないか」

「それは違います。エネルギーの扱いに関しては一世代で変化していますが完成ではありません。私が生まれたのは分裂から四日目、そのときに女王個体がいたと考えれば四世代目に超個体というか、真社会性というか、階級社会を形成して生物としての原型がようやく完成していました。それからはもっと時間をかけて更なる進化が行われたかもしれませんが、仮定の話です。私が変異化装置を作ったので、女王個体が増殖し、花村藍のスーパーコロニー化が始まって八十番目が――」

「ちょっと待ってくれ。ちょくちょくわからない単語が出るんだが」

「ああ、そうですか。兄さんは専門的なことに耐性ないんでしたね。しょうがないですねえ。ちゃんと説明している時間はありませんから、ちょっと戻って切り口を変えます」

 こほん、と勿体ぶるようにせきを吐く。

「他の生物の進化も考えてみて下さい。鳥は最初から飛べたわけでありません。なのに何故空を飛ぶような進化ができたんでしょう。キリンが地面の草より木の葉を食べやすい体になった理由はなんでしょう。蟻や蜂はどうして直接繁殖に影響しない個体を生み出すのでしょう。私には不思議でなりません。これは突然変異というだけで解決するのでしょうか。指向性を持って短期間に進化しなければ、未完成な進化の過程で滅んでしまうのではないでしょうか。進化というのは目的が最初にきているように思うのです」

「人間と他の生き物は一緒にはできないだろう」

「人類と猿、その中間に当たる化石はあまり多くは発見されてません。そのせいでどのように進化していったかを一本の線として見ることが出来ません。いわゆるミッシングリンクというやつです。最近の研究では埋まりつつありますから、全てがそうだとは一概にいうわけではありませんけれど、多少なりとも跳躍的に進化した可能性があります。遺伝子に導かれて短期間に進化した結果、中間の化石が発見されにくい、と、こういうわけです」

 少し難しすぎてよくわからない。

 十六番目は外見だけでなく内面の変化も重視しているようだった。その生物の思想や行動、目的が成長や進化に影響しているように聞こえる。

 ある原始的な哺乳類が道具を使ったり作ったりというのはそれだけで劇的な変化だ。そのための下地と過程が脳容量の増加や直立二足歩行だとしたら、これは必然の進化にも思える。より複雑な道具を使うという目的に導かれての進化だ。

 そう思えば、分裂も蟻のような階級社会も前例が既にある。ただ、突然人間にその変化が起こったように見えたから困惑したに過ぎない。

「花村藍も同じです。新しい能力を得て、次の時代を担う生き物として綺羅星のごとく誕生しました。代わりに人間は大幅に勢力圏を大幅に縮小。いくら栄えていても、次の時代が来たら、散る時はあっという間。案外、生き物とはそういうものなのかもしれません」

 十六番目は視線を大地に向ける。

 下ではひとつの巨大な生命体のようにうごめく藍が人類へと侵略の手を伸ばしている。その手は広い大地を撫で、地上を包み込もうとしていた。

 戦いは思ったよりもずっと呆気なく終わりそうだ。

 遠くの雲の隙間から陽の光が見えた。もうすぐ、雨は止む。

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