第22話 妹、繁栄する6

「よう、兄貴。探したぜ」

 エレベーターの方から藍の声がした。

 十六番目から体を離し、視線を向けると八十番目が俺たちへと歩いてくるところだった。八十番目は体中に擦り切れた跡があり、下での熾烈な戦いがあったことをうかがわせる。彼女の後ろに誰もいない。

「他の藍はどうした?」

「ああ? あの雑魚共なら下で寝てるぜ」

「まさか、一ニニ番目も?」

「いちいち覚えてねえよ」

 十六番目は俺を守るように立つと、素早く傘をくるくると巻いてボタンを止めた。

 それを見た八十番目は獰猛に笑っう。

「ふふ、てめえがいるのは予想外だが、これで借りは返せる。わかりきったことだが、一応聞いてやる。同盟軍だったか。奴らはてめえの差金か?」

「へえ、わかりますか」

 気のない返答を皮切りに八十番目が動いた。

 速い。目で追うのもやっとだ。

 拳が唸る。それを傘が横から叩く。追撃。短パンから覗く細い足が、十六番目の横っ面を狙う。これも傘で防ごうと構えるも、傘は嫌な音を立てて根本から折れた。荒事に慣れていない俺の目から見ても十六番目の方が押し負けているのがわかる。

 十六番目はため息と共に壊れた傘を投擲する。

 しかし、八十番目は傘を獣のような動きでさけた。その勢いのままに十六番目へと駆ける。

 このままでは十六番目が負ける。なんとかしなければいけないと思った。

 俺は地面を蹴って、八十番目に体当たりをかます。いくら驚異的な身体能力を持っていても体に見合った軽い体重は変わらない。空中でぶつかった俺と八十番目はもつれ合って、濡れたコンクリの上を転がった。

「やってくれるじゃねえか」

 体を起こそうとすると、喉元に雨とは違う冷たく硬質的なものを感じた。モール内で俺の捨てたナイフだった。恐怖に心臓が縮み上がる。

「俺の勝ちだな」

 八十番目はうつ伏せに横たわる俺に馬乗りになって勝ち誇る。

「なんです。発情期ですか。まだ初潮も来てない癖にませてますね」

 十六番目は表情をゆがめながら頬をさすった。蹴られたときに切れたのだろう。唇の端からわずかに血が流れている。

「それを言うならてめえもだろうが、十六番目」

「あなたと一緒にしないで下さい。残念ですけど、おそらく花村藍には生理は来ません。生殖器は飾りです。人間に尻尾はないけど尾てい骨はあるようなものです。あっちはもうすでにだいぶ退化してますけどね」

「なっ……!」

 八十番目は驚愕に目を見開き、言葉を失った。

「知ってます? 一般的に女性が初潮を迎えるのって十二歳が一番多くて、次が十三歳。私たちが今、十三ですからすぐに来てもおかしくない。けど、代わりに違うものが来たでしょう」

「……分裂、か」

「察しが良くて助かります。多分、私たちが分裂するトリガーなんでしょうね。普通なら卵子が作られますけど、私たちの場合はもうひとり花村藍が作られてしまう。もう少し時間をかけなければ確定はできませんが、私はそう推測してます」

「てめえ、俺たちに嘘を教えたな。研究所じゃ変異個体は生殖行為がないと子孫を残せないとかなんとか言ってただろうが」

「いえいえ、そういうことが出来たらすごいなー、と思っただけです。施設にいた頃はまだ確信も持てませんでしたし。まあ、でも、趣味なら有りかもしれませんねえ。八十番目さんもブラコンなとこありますし、いいんじゃないですか。でも、兄さんの気持ちを確かめないと。一方的な愛は虚しいだけですよ」

 くく、と十六番目が笑った。

 俺や巻き髪の藍も含め、全部十六番目の藍の手のひらの上で踊らされていたわけだ。おそらくは俺を他の藍に守らせるための口実なのだろうが、やり方がえげつない。一歩間違っていれば俺だってどうなっていたことか。

「ま、本心はわかってます。私もあなたも花村藍ですから」

「何が言いてえ」

「あなたは兄さんが大切だから守りたい」

 十六番目はまっすぐと八十番目の藍を見つめた。

「あなたはあまのじゃくに育ったみたいですから、簡単に本音を明かせない。そのナイフだって、本当に傷つけるつもりはないんでしょう。だって、本心では兄さんを愛おしく思っているのですから。まったくツンデレという生き物はつくづく面倒です」

「そうなのか、八十番目……?」

「うるせえ! そんな目で見るな!」

 俺が尋ねると、拳が地面に落ちてきた。

 図星だ。そう確信できるほどに八十番目は動揺している。

「俺は……俺はな」

 あえぐように八十番目がつぶやく。

 そのときだった。

 視界を光が埋め尽くした。

 数瞬遅れて轟音が大気を揺らす。

 下層から藍の叫び声が聞こえ、雨の中、もくもくと煙が上がる。

 十六番目がちらりと遠くを見た。

「いいんですか? 来てますよ、人間」

 舌打ちと共に八十番目が俺から離れ、屋上の縁へと走る。

 俺もすぐに十六番目のそばに駆け寄る。

 地上では大量の藍がこのショッピングモール目掛けて進行し、交通渋滞を引き起こしていた。同盟軍と帝国軍が入り交じっているのだろう。俺が来た時はその影さえなかったというのに、横にいるふたりの妹が数万はいるかと思われるような大量の藍を呼び寄せたらしい。

 更に遠くでは車の影らしきものが数多く確認できる。危なっかしい筒のついたものまである。こうやって、体を落ち着けてみるとかすかに地面が揺れているのがわかる。とんでもない数の車両がこちらへと向かってきているのだ。

 再び砲火が炸裂し、ショッピングモールの一部がはじけ飛んだ。

 夜襲や晴天時ではなく、このタイミングで動いたのはかつてないほどに藍が集結したためだろうか。近日中に襲撃するのは知っていたが、まさか今来るなんて。

「チッ、面倒臭え。おい、十六番目。てめえはどうするつもりだ」

「それを決めるのは私ではありませんね」

 そう言って十六番目は上着の内側から一丁の拳銃を抜いた。モデルガンにしては重く鈍い色。明らかに本物とわかる重量感。その銃口を八十番目に突きつける。

 これには八十番目も顔を強張らせた。

「……てめえ、本気か?」

「すみませんね。もうちょっと付き合っても良かったんですけど、時間がないようです」

 十六番目は拳銃を両手で構えたまま続ける。

「私が撃ったところでおそらくあなたは殺せないでしょう。でも、当たれば足止めはできます。ここで足止めできれば、眷属を統率できなくなり、戦力は半減。人間は少しだけ勝利に近づく。逆に仕留め損ねれば、人間はもう敗北が見えてきますね。時間は花村藍の味方ですから」

「そのつもりでここに同盟軍も集めたのか。藍をすべて葬るために仕組んだってのかよ」

「まさか。いくつか想定していたパターンのひとつですよ」

 俺はめまぐるしく変わる状況を呆気に取られて眺めていることしかできなかった。さっきまでは俺が凶器を向けられていたのに、もう八十番目と立場が入れ替わっている。

 言っていることも大きすぎて俺の処理能力を超えている。

「そう簡単に滅ぼせると思うなよ」

「それはどうでしょうね」

 十六番目は雨に打たれながら淡々と言葉を続ける。

「ショッピングモールの中を見た感じでは八十番目の眷属は計算よりも少ないんじゃないですか。もしかして、私のところと同じことが起こったのかなと思いますけど、どうでしょう」

「おい、てめえには理由がわかってるのか」

「ある程度群れが大きくなると労働個体って増えなくなるんですよね。一部を遠くに動かしたりしたら、また増えたりするんですけど。一定サイズの面積に対する密度が関係してるんでしょうか。一部屋にすし詰めにしても分裂するのに不思議です。さて、一ヵ所にずっと同じ場所にとどまっていたあなたと動き回っていた私、どちらの眷属の方が多いでしょうか」

 わかりきったことを、と八十番目が吐き捨てるように言った。

「俺とてめえ個人の戦闘なんて前哨戦ってことかよ」

 力でも技でもない。数での優位。それを十六番目はまざまざと見せつけるように説明した。

 たとえそれが嘘だとしても、今の八十番目に確かめる術はない。藍の中でも頭のいい十六番目。その底知れなさが彼女の武器だった。

「さあ、兄さん。あとは兄さんが選ぶだけです」

「俺が……?」

「はい。もう時間がありません」

 藍が横目で地平線の先を見た。

 人間たちが迫ってきている。

「私たちか、それとも人間か」

 決断しなければいけない。

 俺は十六番目の拳銃に手を重ねた。

 標的は動こうとはしなかった。

「兄貴……」

 泣きそうな顔をしていた。あのずっと強気だった八十番目がだ。

 その瞬間、もう俺は手遅れなんだな、と理解した。してしまった。

 どうしても目の前の八十番目が、藍が撃てない。

 俺は最初の藍だけじゃなく、十六番目や一二二番目、八十番目も他の藍たちにも消えて欲しくなかった。たったひとりの藍はいつの間にか一番の理想じゃなくなっていた。分裂したって妹は妹だ。生きているすべての藍たちを否定しなくていいのなら、悪魔に魂を売り渡してもいい。

 あの半月の夜、十六番目を妹と認め、逃げ出した藍を見つけた日、藍を守ると決めた。たくさんの藍と出会い、別れ、助け、助けられ、やっとここまでたどりついた。

 そんな生活が価値観を変えてしまった。

 俺は藍のためにすべてを捨てる。

「決めたよ」

 そっと銃を下ろさせた。

 馬鹿騒ぎした友達や今まで良くしてくれた両親を俺の一存で消し去ってしまうことは確かに辛い。

でも、それじゃ足りない。俺の知っている人類ではどうやったって足りなさ過ぎる。どれだけ胸が痛んでも、その痛みは藍を失うときの悲しみを超えることはない。

 会ったことのない他人より、仲の良かった友人より、好きだと言ってくれた幼なじみよりも、自分の妹が大切だった。そんな自分勝手な人間だった。

「いいんですね?」

「ああ」

 俺は力強く頷いた。

 十六番目は拳銃をしまう。

「じゃあ、行きましょうか」

「行くって? どこに?」

「説明している暇はありません。もうすぐ自衛隊が来ますから」

 そう言って八十番目に視線を戻す。

「というわけで、ここから逃げますので」

「あっさりしすぎだろ……。俺、撃たれかけてたんだけど」

 八十番目が毒気を抜かれた顔で言うと、また十六番目は拳銃をちらつかせた。やる気ならいつでも相手になりますよ、とその目が告げている。

「私としては兄さんを狙わないならもう敵対する理由はありませんけど、どうします? もう一戦やりますか? 今なら人間と合わせて三つ巴ですね」

「はあ、もういい。ニンゲンが来た時点でてめえなんてどうでもいいんだよ。俺たち同士でやりあってる場合じゃねえ」

「物分りがよくて助かります」

「逃げた後はどうする?」

 十六番目が空を見た。つられて八十番目も上を向く。

「向こうへ行きます」

 ただ雲が分厚く広がっている他には何も見えない。体の隅々まで湿気ってしまいそうな嫌な雨が降り注いでいるが、それだけだ。

「あれか」

「ええ」

 ふたりともにはそれで通じるようだった。

 さっきまで敵対していたのにこれだけわかりあってるなんて不思議だ。

「しゃあねえな。協力してやる。だから、てめえも手伝いやがれ。内輪もめなんてやってる場合じゃねえ。同盟軍なんて解散させろ。ニンゲン様のお相手だ」

「もとよりそのつもりです。今からうちの眷属を同盟軍の女王たちのところへ向かわせましょう。すぐに攻撃も止むはずです」

 八十番目は一台の車の中を漁り、十六番目の胸元にじゃらじゃらと鍵のついたキーホルダーが投げつけた。落っことしそうになりながらも十六番目が受け止める。

「これは?」

「どれかはヘリの鍵だ。横須賀からかっぱらってきた。向こうにブルーシートのかかったでけえのがある。それを使ってさっさとどっかに行っちまえ」

 話は終わったと言わんばかりにエレベーターへと去っていこうとする八十番目。

 俺はその背に八十番目、と呼びかける。

「なんだよ」

 ぶっきらぼうな返事。

 しかし、今の八十番目には出会ったときのような刺々しさや尊大さはない。感情がわかりやすくて、ちょっと抜けてて、意外と可愛いところがある。もし仮に何かを間違って元の藍がグレていたらこんな感じになるのだろうか。

「さっきは悪かった。その手、痛かっただろう」

「こんなの痛くもなんともねえよ」

「本当に素直じゃないですね」

 と十六番目。

「うっせえ。俺は回復力すげえから。こんなの怪我のうちに入るか」

「じゃあ、素直じゃないついでに弥子姉さんのこともお願いします。あの学校、ただ単純に見落としていたなんて誰も思いませんよ」

 八十番目は大きな鼻息でそれに応えた。

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