第24話 妹、繁栄する8

「さてと、着きましたよ、兄さん」

 ヘリコプターが高度を落とす。そのまま緩やかにコンクリートの上に着陸した。

 外に出て、辺りを見回す。

 反射ガラス張りの建物がところ狭しとひしめいている。奥にはでかい鉄の機械やらクレーンやらが見えた。その中でも天を突き刺そうかというような巨大な尖塔が目を引く。今までに見たことのない異様な光景だった。

「ここは? どこかの工場か?」

「日本宇宙開発センターです」

「……宇宙?」

 そう言われると、あの尖塔もロケットに見えなくもない。

「行きましょう」

 進めば進むほど奇妙な場所だった。

 ここには藍しかいない。巨大な重機に乗って操作する藍。タイヤを無くした車のような機械をいじっている藍。ずらっと並んだコンピュータの前にも藍。歩いているのも藍。すべて十六番目の眷属のようで前髪をピンで留めている。

 人間の姿はどこにもなかった。

「一体、お前は今まで何をやってたんだ」

 十六番目は答えない。

 ただひたすら、鉄とコンクリートの間を進んでいく。

 しばらく進むと俺たちは尖塔の前に出た。やっぱりロケットだ。真っ白なボディの先端は尖っていて、下には噴射口が、機体に沿うようにして柱が建ててある。

 ロケットの入り口と思われる扉の前には鉄の階段があって、十六番目はその二段目まで歩いて止まった。俺を振り返る。これまでにないほど真剣な表情だった。

「では、兄さん、最後にもう一度聞きましょう。ここから先は後戻りはできません。あなたは花村藍のために全てを捨てる覚悟はありますか」

 何度聞かれようと答えを変えるつもりはなかった。

 俺は即答する。

「いいよ」

 藍は絞りだすように言った。

「では、この星を私たちに下さい」

 今度は言葉が出てこなかった。

 いつかの夜のことが脳裏をよぎる。

 ベランダ、天体観測、月、藍、そして、地球。

 藍が何をしようとしているのかを理解した。あの時、俺は地球が見たいと言った。絶対に叶わないと思っていた俺の夢。藍はそれを最後の最後で叶えようとしてくれている。

「兄さんには月に行って貰います」

「月……月、え?」

「私たちは分裂を止められないとわかってから、宇宙関係の機関を乗っ取って月面開発を行っています。もう数年で人の住めるように酸素と食糧を生成できるようにして水もまかなえます。完成するまでは近くの人工衛星に居て貰いましょう」

「無茶苦茶だ。冗談だろう?」

「本当です。月には資源が少ないですけど、数人が住む程度なら問題ないはずです。他の知り合いや父さんたちも後で送ります。全員は無理ですが、数人であれば問題ありません」

 本当にとんでもない奴だ。十六番目は人間を軽く飛び越えている。人間が何十年も先に達成するはずの偉業を勝手に成し遂げようとしている。うちの妹は天才だ。

 十六番目が小さな手を差し出した。

「きっと向こうから見る地球は綺麗です」

 藍の優しい言葉が心の深いところにすっと入り込んでくる。

 なのに、階段の一段目で足が止まる。これで最後なのだと思うと、足が竦んだ。

 多分、この提案を受け入れれば、この星にたくさんのものを置き去りにしなければならない。人も物も思い出も、その中には当然藍だって含まれている。だから、これが藍からの最後のプレゼント。そう言われているような気がして仕方がなかった。

「なあ、俺はここに残っちゃいけないか?」

 わかっていても尋ねずにはいられない。

 藍は弱々しく首を振った。

「無理です。私は兄さんがいると花村藍ではなく、ただの妹になってしまいますから」

「それじゃいけないか? 俺の妹の花村藍じゃダメなのか? 十六番目や他の藍と一緒にいることもできないなんてつらすぎる」

 こらえるように藍が顔を伏せる。

「私たちはただ死ぬためだけに分かれたのではありません。私の眷属も他の姉妹も、そう。だから、人類と戦って、勝ち残らないといけません。それなら、もう家族の情にとらわれている場合じゃないありません。私たちにとって兄さんは重すぎるんです」

 これから始まるのは人類と藍の戦いの歴史だ。今までの戦闘など小競り合いに過ぎない。日本という小さな島国ではなく、世界との戦いが待ち受けている。爆発的に増加した藍と人類の最後の戦いはきっと今までにないほど苛烈なものになる。そんな場所に俺はいてはいて欲しくない。そして、

 藍は鼻をすすり上げながら、語った。

「兄さんには最後まで生きていて欲しい。それもできるだけ、幸せに。そんな妹の最後の我がままくらい聞いてくれてもいいじゃないですか」

「お前も俺を心配してくれてたんだな」

「そんなの……そんなの、当たり前じゃないですか! 私が何年兄さんの妹をやってたと思ってるんですか! なのに、兄さんは危ないところばかりに行って! どれだけ、私が、私たちが心配したことか!」

 堰を切ったように十六番目の瞳から涙がこぼれる。ずっとクールぶってたのに、もう今じゃ見る影もないくらいに顔がぐちゃぐちゃだった。鼻の頭を真っ赤にして必死に目をこすっている。

 俺がずっと十六番目を探していたように、十六番目もまた必死だった。元に戻る方法を探し、月を開発し、俺の身をずっと案じていた。十六番目だけじゃない。全ての藍は俺と同じように共に生きられる未来を信じていたんじゃないか。

「藍……」

「ごめんなさい。ちょっと取り乱しました。すぐに落ち着きますから」

 涙を拭いた十六番目の藍が俺に右手の手のひらを向けた。

 それでも、ぽろぽろと玉のような雫が頬を伝って落ちていく。そんな顔の藍、見ていられない。俺の方もつられて泣いてしまう。

「さあ、行きましょう。もう準備はできてます」

 これが正真正銘、最後。藍との別れ。

 なのに藍は泣いていて、俺も悲しさばかりがこみ上げてくる。どうして、俺たち兄妹がこんなにもつらい思いをしないといけないのか。

 そんなの無理だよ、藍。

 俺には無理だ。

「もう行けるわけないだろ」

 差し出されていた手を振り払った。

 藍が目を丸くする。

「……え?」

「泣いてる妹を放って行けるかよ」

 もやもやしていたことがやっとはっきりした。

 俺は、ただ妹を、世界中の藍を幸せにしたいんだ。

 藍を救う方法はないかもしれない。もう分裂は止まらないし、藍は増え過ぎた。でも、十六番目のやり方じゃきっと誰も幸せになんかなれない。月に俺、地上にひとりぼっちの藍。そんなの悲しすぎる。ついでに俺はまだ藍と離れ離れになりたくない。

 俺は踵を返して階段を下りた。

「ちょっと待って下さい!」

「嫌だ! 待たない!」

 後ろから泣きながら藍が追ってくる。俺の横に並ぶ。

 考えがぐちゃぐちゃしてまとまらない。けれど、体が勝手に動く。何をしたいのかわからないが、どうにかしないといけない。

 来た道を戻って、ヘリコプターの方へと向かっていた。

「あの、私の話聞いてましたか」

「行こう、藍」

「どこにですか」

「わからない。考えてる」

「わからないってなんですか」

「俺、前に弥子姉とケンカしたんだ」

「それが何なんですか。もうこっちの準備はできてるんですよ」

「そのとき、藍は言った」

「話聞いてませんよね」

「弥子姉と仲直りした方がいいって言ったんだ」

「……兄さん?」

 俺は言った。

「人間に会いに行こう」

 こんなにも間抜けな顔をした十六番目を見るのは後にも先にもこの時が最後だろう。

 それくらい戸惑った表情で固まっていた。

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