第25話 妹、繁栄する9

 政府は本州から撤退していた。

 梅雨に入るよりも前の話だ。

 人類が早期に藍の分裂を止められなかったのにはいくつかわけがある。藍の見た目が少女だったこと。想定よりも優れた能力を持っていたこと。無線なしに情報の伝達が可能なこと。

 ようは藍の戦闘力を人類と同等か格下程度にしか認識していなかったのである。

 時間が経ち、大量の物量が加われば、もう詰みだ。

 本格的な攻撃をためらっているうちに藍は人間の懐深くへと入り込み、人類は住処を追われた。やがて、疎開が始まり、国外への亡命も活発になる。

 藍はじわじわとその領土を広げた。

 彼女たちの勢力圏は国土の三分の一まで到達したとき、九州に臨時政府を置かれるもそこに実質的な力はほとんどなかった。政治家などの権力者の大多数がそこにいなかったからだ。彼らはいち早く国外へと逃げ延び、藍の殲滅という無謀な命令を本国へと伝えていた。実際に国内で力を持っていたのは防衛省であり、自衛隊だった。

 外国と国内。

 権力者と民衆。

 藍を知るものと知らない者。

 意見の食い違いと想像力の及ばなさが両者の亀裂を深めていく。

 藍を小娘と侮る人々は政府を罵り、不平と不満を撒き散らす。いつになっても故郷に帰れない人間が不満を募らせる。これも全部、軍事力のなさが原因だと連日テレビで報道される。戦況が詳しく報道されることはなかったし、ほとんどの人間は敗北を信じていなかった。

 だが、戦った者は口をそろえて言う。

 花村藍に人類は勝てない。

 あれは悪魔だ、と。

 制空権は奪われ、兵器も鹵獲され、倒したはずの戦力は一夜にして蘇る。上からの命令は止まず、敵は倒しても倒してもきりがない。

 前線に立つ彼らは戦争を終わらせたいと誰もが願っているようだった。

 実際、そうだったのだろう。俺と十六番目が一時停戦を申し入れ、和解のための交渉に持ち込むのはそう難しいことではなかった。



 藍と人類が停戦してから十二時間。

 俺と十六番目たちは九州臨時政府へとやってきた。

 町は本物の首都のように人が多かった。思ったよりも陰鬱さはない。彼らにとっては遠くの戦地よりも身近な仕事や人間関係の方が大変なのだろう。理屈としても感情としても理解できるが、何か納得いかない。藍と人間の戦いをずっと見てきたせいだろうか。

 県庁の前で迷彩色の装甲車から降りる。

 武装した兵士と彼らに連れられた藍たちを見ると、人々は小声でささやきあって距離を置いた。

「本当にやるんですね」

 隣で十六番目が冷めた口調で言った。彼女も俺も今日ばかりは正装だ。その辺の服屋からサイズの合うスーツを拝借させて貰った。

 俺は精一杯の虚勢を張って、十六番目に笑いかける。

「当たり前だ。そのために来た」

「私は何があっても知りませんから」

 そう言いながらも、十六番目は付いてきた。やっぱり、なんだかんだで俺のことが心配なのだ。八十番目のことを言えないな、と思うとつい頬が緩んでしまう。

「そのときは付いてきたお前も一緒か。何としても成功させないとな」

 奥にそびえる巨大なビルを見た。

 ここが決戦の舞台。

 負けられない戦いが待っている。

 今回は来たのは十六番目とその眷属ふたり、俺も合わせて四人。それ以上は向こうが許してくれなかった。が、三人もいれば十分。俺は藍が見ているだけで頑張れる。

 県庁に近づくと中からスーツ姿の女性が現れる。彼女は案内役らしい。一度は三人の藍たちを見てぎょっとしたような表情を浮かべたものの、すぐに平静を装った。俺からしたらもう見慣れた光景だが、何も知らない人たちの反応はだいたいこんなものだ。

 それから長い廊下を通って、俺はその男に出会った。

「ようこそ、花村藍君。そして、花村葵君」

 案内された部屋で待っていたのは壮年の男性だ。ぴっちりとスーツを来て、髪の毛をポマードか何かで固め、オールバック。おまけのように銃を持った自衛隊員が彼の両脇に控えている。他にもスーツの大人たちが何人か部屋の中にいた。

 彼が総理大臣の代理。この国の現在の最高指導者だ。

 彼の顔は見たことがあった。父に防衛省の重鎮を持つ大物政治家だ。過激な言動で注目を集めていた人物でもある。

 俺たちは皮張りのソファーに座って向かい合った。

 よく見れば、スーツの上からでも体つきががっちりしているのがわかる。タカのように鋭い目つきは戦場にいる兵士たちと比べても遜色ない。

「今回は提案を受けてくれてありがとうございます。まさか、直接総理とお話できる機会を得られるとは思ってもみませんでした」

「はは、私は総理ではなくその代理だよ。もっと偉い人がそろってどこかに消えてしまったからね。その中には総理も含まれている。結局、残された官僚では国の体制を維持することが出来ないし、こんな状況だから自衛隊の方が力を持ってしまった」

「それは、災難でした」

 十六番目が目を伏せて言った。

「お陰様で私のような人間がこんな面倒な場所を預かる身だ。名目上は政務も預かっている。特にやれることもないがね」

「しかし、今の日本では一番の権力者でしょう」

 俺がそう言うと男はせせら笑う。

「さて、どうだろうね。彼らが戻ってくれば私もどうなることやら」

「しばらくは戻ってこないでしょう」

「かもしれん」

「だからこそ、頼みたいことがあるんです」

「ふむ、聞かせて貰おうか」

 俺と男は顔を突き合わせるように前のめりなった。彼の目が威圧的に光る。気を抜けば、一気に話の主導権を持っていかれてしまいそうだった。

 ギュッと拳を握りしめる。

 すると、その手の上に温かいものを感じた。藍の手だった。

「兄さん」

 俺は頷いて、話を切り出した。

「自衛隊を引いて下さい。花村藍と戦わないで下さい」

「そいつは頷けないな。今も国民の平和が脅かされている。花村藍の生態系とそれらに関する問題はお兄さんもよく知っているだろう」

「……はい」

 もう本州の中央辺りは人間の住める場所ではない。富裕層などは続々と国外に避難している。しかし、近い将来には防衛ラインも破られ、国外も藍が進出するだろう。

「ですが、自衛隊は藍の物量に対して何ら有効な対応ができていません。局所的な勝利はあってもどんどんと押されています。情報は入ってきてませんが外国にも藍はいるんじゃないですか、。もはや、藍が地球を覆い尽くすのは時間の問題です」

「ならば、一層戦うことはやめられないな。私たちは侵略者に対して下げる頭は持たない」

「そこです。そこに誤解があります」

「誤解?」

「元々は藍は侵略者なんかじゃないただの人間でした。けれど、藍を最初に攻撃したのは人間です。もともとは藍ひとりひとりの人権を無視した人間こそが咎められるべきではないでしょうか。窃盗や略奪があったかもしれません。けど、花村藍全てがその罪を背負う必要はありません。藍と人類は共存すべきなんです」

「無限に増え続ける。これがどれだけ危険なことか」

 男が目を細めて笑う。

「それだけで人類にとって脅威だよ」

「戦い続けることが正しいと?」

「やれやれ、話にならないな」

 総理代理が片手を上げて合図する。

 後ろで誰かが動いた。振り向くより先に背中に銃口が押し付けられた冷たい感触が伝わる。藍からすればここは敵地。こうなるかもしれないこともわかっていた。

 藍は絶対に殺させない。

「俺たちを殺せば、人類は永遠に花村藍と和解する機会を失います。言っておきますけど、俺は藍の兄ですよ。どこの藍でもまともに話し合える数少ない人類です」

 対話の不成立、それが十六番目が『共存』という選択肢を選べなかった理由だ。

 人類は最初から藍を敵として認識し、攻撃するから藍も戦わざるを得ない。この悪循環が事態を悪化させている。どこかで戦うのをやめなければ、どちらかが滅ぶのは当然のことだ。

 だが、どちらかが停戦を言い出すにしてもお互いがお互いをよく知らない。

 だから、誰かが間に立って、仲を取り持たなければいけないんだ。

 それを俺がやる。やらなくちゃならない。

「こっちの藍、俺たちは十六番目の藍と便宜上読んでますが、こいつは俺に賛同してくれています。共存を望む十六番目を殺せば、他の藍とはもっと歩み寄りにくくなるでしょうね」

「共存するつもりならばの話だろう」

「人類は藍には勝てません」

「言うじゃないか」

「もしも勝てたとしても、犠牲が大きすぎます。人も土地も全部めちゃくちゃになってしまいますよ。戦わずに済むのなら、その方がいいとは思いませんか」

 俺だってヘリの上から藍と人類の決戦を見ている。

 人間にあの物量をどうにかできるとは思えなかった。大量殺戮兵器を使ってもひとり取り逃がせば一ヶ月で対処できないほどに増えるし、人間に紛れ込むことも容易だ。

 敵としてみるなら、藍ほど恐ろしい存在はない。

「ならば、聞こうじゃないか」

 男はきつい口調で問い詰めるように言う。

「どうすればいい? どうやって無限に増殖する人間大の生物と共存できる? 不可能だ。彼女らは滅ぼさなければならない脅威なのだよ」

「無限に分裂するなら、確かに無理でしょうね」

「当たり前だ。バカバカしい」

「しかし、藍の分裂を止める方法があるとすれば?」

 その発言をきっかけに部屋がざわついた。

 総理代理が人間たちをにらみつけ、黙らせる。

「そんな方法があるとでも」

「あります」

 俺は自信満々に言いきってやった。

 人間は藍のことを何も知らない。わかっているのは分裂することと研究所に残されていたであろう変異化装置のことくらいだろう。

 だが、今の俺には旅をして、いろんな藍に会って、十六番目と確かめたたくさんの知識がある。

 その記憶と思い出は他の誰も持っていない俺だけの武器だ。

「人類が俺の要求を呑んでくれれば、その方法は必ず実現できる」

 少し迷ったように眉を寄せながら、男は俺をにらんだ。

「ならば、聞かせて貰おうじゃないか。何が欲しい?」

「土地と資金を下さい」

「土地と資金? 何のために?」

「お話しましょう」

 つまりはこういうことだ。

 藍を分裂させたくないなら、父さんがやろうとしたように全ての藍を変異化してしまえばいい。

 いきなり全部は無理だし、変異化装置を作るのにも時間がかかる。量産を待つ間にも藍は際限なく分裂するだろう。

 だが、藍には分裂を抑える方法がある。

 ショッピングモールの屋上で八十番目と十六番目が言っていた。藍には分裂の限界点ともいうべきものがある。一定の面積に対して藍が一定の数までしか増えないのだ。

 だから、藍たちは分散して別々の場所に国を作ったのだろう。

 分裂の特性を本能的に理解していたんだ。

 このような理由から、藍たちの移動範囲を制限すれば、分裂をある程度抑えられる。

 あとは分裂が鈍っている間に装置をそろえ変異化の準備を整えればいい。変異化に使う装置は特殊な電磁波を発生させるものらしく、病院で使うレントゲンの装置に近い。きちんと設計し、大きな工場で集中して生産すれば各個体への適応にはそれほど時間はかからない。

 十六番目の技術と土地、機材を生産するお金さえあれば、藍をそれほど増やさずに分裂を食い止めることは不可能ではない。

 話を聞いた男は地鳴りのように唸った。

「すべての藍を変異個体にすればもう分裂は起こりません」

 俺は更に畳みかける。

「あとは、そうですね。拡散を防ぐために各地に散らばった藍を集めないとダメですけど、これは俺も協力します。多分、好戦的になった藍を相手にするのは俺と他に数人くらいにしかできないでしょうし」

「……必要な土地とはどれくらいかね」

 俺は藍を見た。

 仕方なさそうに十六番目が言う。

「設備や食糧の都合もありますから、少なくとも本州の四分の一は」

「無茶な」

 反射的に男がつぶやく。

「国民になんと説明すればいいんだ」

「けれど、その無茶ができなければたくさんの人が死にます」

 この提案が難しいのはよくわかっている。けど、現実はもう後がないんだ。一日の遅れが、藍二倍分の悪影響になるのだから。そうなると和解はより難しくなる。

 なんとしても今日ここで協力を得なければならない。

「うちの妹が信用できませんか」

「できるわけがない」

 化け物め、と男は言った。

「その言い方はあんまりでしょう」

 と俺は言い返す。

「藍は人類の延長上の生き物であって、丸っきり今までの人類と違うなんてことはありません。藍は卵かけご飯が好きな、ちょっととぼけた女の子です。分裂するところが普通の人間と違うところですが、それも個性として認めて貰えませんか」

 藍と人間に足りないのは信頼関係だ。

 お互いがお互いを憎しみ合うあまりに相手が見えなくなっている。だから、きっかけさえ与えてやれば、ふたつの勢力が手を取り合うことだってできるはずなんだ。

「総理代理、この通りです」

 俺が頭を下げると、横で三人の藍たちが同じように頭を下げた。

 じっくり一分は経っただろうか。その間、部屋の空気は凍ったように動かなかった。十六番目が手を握る強さが増した気がした。手が次第に汗ばんでいく。

 沈黙を打ち破ったのは男のつぶやきだ。

「……まったく無茶苦茶な個性もあったものだな」

 男は疲れきった顔で天を見上げた。

「いいだろう。あとは担当の者と詳細をつめるといい」

「代理!」

 大人たちが騒ぎ出す。

「上になんと言われるかわかりませんよ」

「この国にいない人間のことなど知るか。銃も下ろせ。不要だ」

 そう言われて護衛が銃を俺たちの背中から外し、顔を見合わせる。

 男は片頬で笑いながら、十六番目に片手を差し出した。十六番目は快く握手に応じる。

「仲良くやろうじゃないか」

「ええ、こちらこそよろしくお願いします」

 こうして、藍と人類の戦いは終わった。

 まだまだ問題は山積みだが、もう戦う理由はない。俺と藍と人間がお互いに信頼して協力できるなら、すぐにでも平和な日々が帰ってくるだろう。

 そのときには大輪の花のように笑う藍の姿だって見られるはずだ。

 俺はそれが待ち遠しくてたまらなかった。

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