妹、分裂する

竜田スペア

妹、分裂する

第1話 妹、分裂する1

 昔からうちの妹は単細胞な生き物だと思っていた。

 たとえば、うちの家にはダイニングと居間の間に小さな段差がある。妹は毎度毎度、これに引っかかってこける。物覚えが悪いというわけではなく、ご飯に呼ばれたその瞬間にご飯以外の全てを忘れてしまうから何度言っても変わらないのだ。

 いつだってあいつは無謀な挑戦を繰り返したり、人の話もろくに聞かずに行動する。だから、俺がその後始末に追われることもしばしばだった。

 もう中学生になったから大丈夫だろうと思ったら、今日のこの有り様である。

「起きてよ」

「朝だよ」

 左右から聞こえるステレオチックな呼び声が俺の意識を呼び覚ます。目を細めれば薄っすらと認識したくない現実が見えてくる。

「お兄ちゃんー」

「いつまで寝てるの」

 ふらふらと揺さぶってくる振動はいつもの二倍増し。

 まず、始めに確認しておくと俺のうちは四人家族である。両親がふたり揃って仕事場に泊まりこんでいるから、この家にいるのはふたりだけだ。そのふたりとは兄である俺、花村葵(はなむらあおい)と、その妹の花村藍(あい)に他ならない。

 では、この布団の上に感じる藍ではないはずのもう一組の手は一体誰のものなのか。

「なあ、藍さんや」

 身を起こすと俺を見ていた四つの目が色を変える。

 幻覚かと頬をつねってみても目の前にふたりの少女がいるのに変わりはない。とうとう俺も夢から醒めて現実に帰る時が来てしまったらしい。どうして、一体、何故、まさか幻覚? 心のうちでは疑問の言葉が山のように湧き出てくる。

「いくらなんでも増えるのは聞いてませんぜ」

 目の前にはそっくりそのまま同じ背格好の妹がふたり、ベッドを挟んで立っていた。

 分裂するところまでそっくりそのまま単細胞生物を真似せんでもいいのだ。



 俺は祈るように指先を絡めて朝食の完成を待っていた。キッチンからはベーコンと目玉焼きの香ばしい匂いが漂っている。

「で、どうしてこうなった?」

「さあ?」

 一瞬、動きを止めたふたりの藍が顔を傾けるとくくった髪が頭の後ろでぽよんと跳ねた。

 俺はあまり髪型やらに詳しくないが、こういうのをポニーテールというらしい。たまに起きがけに結んでくれと寝ぼけ眼でせがまれることがある。そのせいで髪をすいたり結んだりするのは慣れている。

 藍は俺と違って見た目から性格まで母親似だ。特に親類の中でも最もよく似ていると言われるのが、母方の祖母である。祖母の特徴であった大きな瞳を受け継いでいるのは家族の中でも藍だけだった。

 この大きな目と父方の線の細い輪郭、肌の白さもあって見てくれはかなりいい。ひいき目かもしれないが、平凡な俺と違って藍は将来綺麗になるだろう。いつか、結婚してどこかに行ってしまうかと思うと今ですら、心の奥底がぎゅう、と締め付けられる。

 それでも、ふたりは多い。いくら可愛らしくたってまるっきり同じ姿の妹がふたりはちょっと駄目だ。俺はひとりしかいないのに。違う。

 今までひとりしかいなかったのに急に増えられても、その、困る。どちらかが本物で片方が偽物とか義妹とかならまだわかる。嬉しくないわけじゃないし、双子というのもありなんだろうけど……ああ、駄目だ。それはどうでもいいんだ。そういう場合じゃない。問題の論点が決定的にズレている。

 今の俺は現実的な問題に立ち向かえていない。現実逃避はもうベッドの中で済ませただろう。うん、そうだ。とりあえず、落ち着く意味も込めて質問を投げかけてみよう。

「それでだ、藍」

「うん?」

「なに?」

 ふたりともが返事をする。

 片方はエプロン姿で朝食を作り、もう片方は食卓に食器を並べている。俺はふたりが支度を終えるのをテーブルの片隅で待っている。いつもなら食器を並べるのが俺の仕事であるが、今日に限っては妹がふたりもいるために出る幕がない。

「どうしてふたりいるんだ?」

「なんでだろ」

「わかんない」

「起きたら、ね?」

「ふたりになってたんだよね?」

「ベッドから落とされて痛かった」

「あんたが勝手に落ちたんでしょ」

「なっ、足で思いっきり蹴ったじゃない!」

「気のせいよ」

「それはどうでもいい。起きてから何か気づいたことは何かないか?」

「びっくりしたけど学校に行かなきゃって」

「藍はいつもの制服に」

「藍は予備の制服に着替えて」

「お兄ちゃんを起こして」

「朝ごはんにしようかなって」

 なるほど、理由はよくわからないけど朝起きたらふたりになっていた、と。つまりは何もかもが不明とわかったということになる。

「……さっぱりわからん」

 この要領を得ない説明、まさしく、どちらも甲乙つけがたいまでにどちらも我が妹である。

 強いて違うところを見つけるならエプロンをかけている方の藍はリボンが青で制服が片方より少しだけ綺麗だった気がする。多分、押入れに入れていた予備の制服で、もうひとりの藍がいつもの制服ということだろう。そちらは飾りのついたゴムで髪を結んでいる。

 これ、明日になれば戻ったりするんだろうか。

 試しに皿を並べてる方の頬を突っついてみるがいつもの藍だ。合体とか変形とかしそうにないし、更に分裂する気配もない。

「ちょ、やめて~」

「すまん」

 病気か何かなら医者に連れて行った方がいいか。けれど、そんな症状の病気なんて存在するのか。ふたりを連れて行っても双子か何かを疑われて終わりだろう。人間が分裂しました、なんて言われたら俺だって不審に思う。

 ダメ元ではあるが、ひとまずネットで情報を集めてみるか。

 面倒な混乱を避けるためにもこういう場合はどうするかなども調べたほうがいい。もしかすると時間が立てば本当に合体して片方消えてくれるかもしれない。

「とりあえず、今日は学校は休みだな……」

「やった!」

 ふたりの妹が手を取り合って喜んでいた。

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