第2話 妹、分裂する2

 夜もすっかり更けて、日付ももうすぐ変わろうとしている。

 この辺りはベッドタウンの新興住宅地で、夜になるとほとんど人通りがない。近くのスーパーも十時で閉まるからこの時間に出くわすとしたら帰ってきたサラリーマンくらいだろう。

 俺はこっそり家を出ると、周囲を確かめながらそそくさと行動を開始した。後ろには無数の妹たちが列を成して続く。

 別にやましい事をしているわけではないのだが、なんとなく見つかりたくない。小さな女の子たちの中に男ひとりって傍目から見たら怪しいだろうし。

 俺は隣の家のインターホンを連打した。

 二、二、間を開けて、四。このリズムが俺とここの住人のとあるひとりにだけ通じる合図である。もっとも、他の住人も気づいている可能性がないわけではないが。あ、こんな時間に鳴らしてごめんなさい、おばさんおじさん。

「どうしたの、もうこんな時か……」

 眠たげだった顔が言葉を失って固まっていらっしゃる。

 出てきたのは今まさに風呂あがりといった具合にパジャマに着替えたひとつ上の我らが幼なじみ、芙蓉弥子(ふようみこ)である。

 しっとりと濡れた黒髪は非常に艶かしい。スタイルもいいし、落ち着いていてまさに大人の女性という印象だ。しかし、着ているパジャマが大人な魅力の大部分をまた違ったものに変質させていた。パジャマに描かれているのはとあるロールプレイングゲームのモンスターがデフォルメされたものだったのである。

 彼女はよく、俺たちの両親が仕事でいない時に気遣って夕飯に誘ってくれたり、余った料理をくれたりする。年の近いこともあって昔は遊んでもらったり、もっと小さい時には藍共々、芙蓉家に預けられたりもした。そんな優しい彼女に敬意を込め、俺たち兄妹は姉を付けて弥子姉(みこねえ)と呼んでいる。

 その弥子姉が言葉を失って突っ立ってるのをいいことに俺は門をくぐった。後ろの藍たちも俺に続いて弥子姉を囲む。

「……合鴨?」

 やっと言葉を発したかと思えば、その一言がこれである。

 弥子姉の気持ちもよくわかる。数日に渡って幼なじみが学校を休んだかと思えば、今日になって増殖した妹を四人も引き連れてやってきたのだ。現実逃避は俺もこの三日で散々繰り返した。

「弥子姉、とりあえず、中に入れてくれ。おじさんとおばさんはいるか?」

「いるけど。ちょ、ちょっと説明してよ」

「する、するから」

 弥子姉が俺の胸ぐらをつかむとぶんぶんと振り回す。ふんわりとシャンプーの匂いが漂ってくる。これを堪能している場合じゃないんだけどなあ。

「あ、ぞうさんっぽいの可愛い」

「あのパジャマいいなあ」

「眠い……」

「わあ、パジャマパーティだ」

 この妹共はいつまで経ってもこの調子である。



 俺はひとまず、寝ているらしい弥子姉の両親を起こさないように彼女の自室へと上がらせて貰った。昔もよくこういうことはあったが、この歳になって、しかもこの夜中に総勢六名の大所帯となると初めてだ。

 つい部屋に入った瞬間懐かしさと驚きを感じてしまった。

 あまり配置や家具などは変わっていない。代わりに部屋の小物ががらりと様変わりしていた。昔は日曜の朝にやってた少女アニメのキャラクターやグッズが部屋を占拠していたのだが、今ではそれらが消えた代わりに漫画や小説、ゲームが棚の端から端まで並んでいる。俺のよく知っているタイトルもあるが、聞いたことすらないようなマイナーなものがほとんどだった。

「弥子姉って結構マニアックなタイプ?」

「べ、別にそれは今は関係ないじゃない。ねえ、それより、どうして藍ちゃんが四人もいるのよ? 隠し子?」

「違う!」

 話を催促してくる弥子姉に事情をかいつまんで話す。

「最初に増えたのに気づいたのが一昨日、火曜日の朝だ。昨日には倍の四人になった。そして、今朝にまた増えて、現在は合計八人だ」

「……もしかして、葵ちゃんの家にまだ四人も藍ちゃんがいるの?」

「そうだ。ここに連れてきたのは半分だけ。流石に四人も見れば事情をわかって貰えると思ってな。ついでに何人かこっちに泊めてもらえると助かる」

 やはり弥子姉も信じられないという風に目を丸くしている。あらかた説明してもまだ湯上がりの脳はついて来れていないようだ。

 横目で四人の藍を見れば呑気にトランプなんかに興じていたりするわけで。

「あ、それダウト!」

「ぶー、残念でしたー」

「マジか。サクシだな」

「ふっふっふ」

「眠い……」

 当の藍は危機感の一欠片も抱いていないらしい。自分のことなのだからもう少し真剣になれよ、と思うのだが……。でも、他に何かやられるのもかえって面倒なのでこうやって遊ばせているのが一番いいのかもしれない。

 弥子姉が一番近くにいた藍の頬を引っ張った。悲鳴も無視して、それを四人全員に繰り返す。

「特殊メイクじゃない……てことは、ドッキリじゃない? 本当に? 藍ちゃんが八人もいるだなんて」

「明日には十六人だ」

「明日にはって……もしかしてまた明日も増えるの?」

「そう考えてるよ」

 俺はうんざりした調子で言う。

 最初に分裂してから妹は毎朝二倍の数に増えていた。

 もう制服は足りないし、明日には私服や下着も足りなくなるかもしれない。制服は学校に行かせないからいいとしても普段着が足りないのは困る。寝間着などはすでに足りないから楽な格好で寝るようにさせている。

 問題は衣類だけではない。寝床の数も限界が近づいている。今は五月だが、布団なしでは風邪を引きかねない。まだ父と母のベッドに数人ずつ詰め込めばなんとかなるであろうが、それも今日までだろう。

 そこで、俺は気心の知れた隣人である弥子姉にこの事件の片棒、ではなく、解決を求めることにしたのだ。

「親には言ったの?」

「言ったさ。でも相手にされなかった。やっぱりこうやって増えてるところを見なけりゃ信じられないだろ」

 案の定、電話口に立った父は熱でもあるんじゃないかと言って自分の仕事に戻っていったし、母は冗談だと思ったらしく、この忙しいのに、というような話を長々と愚痴られた。

 土曜日になれば帰ってくるだろう。しかし、その頃には今の四倍、三十二人の藍が待ち構えている計算になる。

「青いタヌキの道具にあったよねえ、そんな話」

 弥子姉はしみじみと言った。

「どんどん倍に増えて大変なことになるやつ」

「どんな話?」

「使われたものが時間が経つごとにニ倍に増えてくって道具なの。のび太君とドラえもんはそれをどら焼きか何かに使うでしょ。そしたらたくさんどら焼きが食べられる。最初はそれでも良かったんだけど、放っておくうちに食べるよりずっと早くどら焼きが増えちゃうの」

「なるほど。倍に増えるってところは確かに似ているな。うちの藍は食べられないからずっと増え続けるのが難点だけど。で、その話の落ちはどうなるんだ」

 弥子姉は立ち上がって漫画の壁に指を付けてタイトルを確認していく。

「それが覚えてないのよね。あれって一話完結だから投げっぱなしで終わることも多いじゃない? 解決しないで、考えなしに道具を使った人が困って、それ自体が落ちになることもあるわけだし……あった」

「持ってたんだ」

「多分、この巻だったはず」

 弥子姉が一冊の漫画を手にとってぱらぱらとめくる。

「うーん、どら焼きじゃなくて栗まんじゅうだったのね。アニメで見た時はどら焼きだった気がしたんだけど」

「それより落ちだ。どうやって解決したんだ?」

 弥子姉は何も言わずに俺に漫画を手渡した。

「ああ、なるほど。栗まんじゅうをロケットに乗せて宇宙に送り出せばいいのか。じゃあ、藍も……って出来るか!」

 なんとも救いのない話である。

 栗まんじゅうと同じようにこのまま増え続けるなら花村家の衣食住は壊滅してしまう。

「弥子姉、俺はどうしたらいいんだろう」

「そんなこと言われても、私だってどうすればいいんだかわからないよ。こんなこと初めてだし」

「頼れるのは弥子姉だけなんだ! 頼む、助けてくれ!」

「ほんっと、葵ちゃんって藍ちゃんのことになると人が変わるよねえ」

 俺はすがる思いで頭を下げた。

 弥子姉が額を押さえる。弥子姉にも荷が重いことだというのはわかる。けれど、誰かにこの事実を共有して貰わなければ俺自身が潰れてしまいそうだった。

「しょうがないなあ。困ってる幼なじみを見捨てられないわ」

「弥子姉ぇ!」

 弥子姉の後ろに後光が差して見えた。

 昔からそうなのだ。弥子姉はなんだかんだで俺たち兄妹を助けてくれる心強い味方なのだ。

「じゃ、早速動かなくちゃ」

 その一言の後、俺は部屋を追い出された。

 中では何やら妹たちが歓声を上げているのが聞こえる。

 再び部屋から出てきた弥子姉はさっきのモンスターパジャマではなく、茶色いコートに変な帽子を被った姿に着替えていた。いわく、名探偵なのだそうだ。なんだそれは。

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