第5話 妹、変異する2
俺と弥子姉と十六人の妹たちでの朝食を終えた後はまた三人での会議となった。十六番目の藍が妹代表として出席するという形だ。というか、他の妹はまじめに話し合いさせても役に立たない。そういう意味では今日突然変異によって十六番目の藍が現れたのは良かったのかもしれない。
場所は俺の部屋だ。散らかった本は横に寄せて、小さな四角いテーブルに一辺の空きを作って三人で囲む。もう五月だというのにこたつ布団が掛けてあるところに俺の性格が表れている。
「弥子姉のおじさんとおばさんは?」
「それが、今朝私の部屋からぞろぞろと出てきた藍ちゃんを見て目を回しちゃって……」
「あちゃー、倒れてるわけか」
「それなら仕方ないですね」
起きたらきちんと事情を説明しておこう。
「でも、服はちゃんと用意しておいたよ。私のお下がりだけど、明日の分にはなると思う」
「あのコスプレ衣装か」
俺は弥子姉の家にさっき寄ったとき、動物の抜け殻みたいな服が吊るされていたのを見た。弥子姉が小学生のときに来ていたもので、着てフードを被れば可愛らしい動物になりきれるというようなものだ。
「こ、コスプレじゃないよ。パジャマよ」
「服があるなら何でもいいじゃないですか。それよりも大事なことがあるでしょう」
「そうだな、ここまで藍が増えたからにはどうにかしないといけない。とりあえず、大人に助けを求めるのがいいだろう。それも専門家がいい」
「これまでに連絡したりはしなかったんですか?」
「夢だと思いたかったんだよ」
どこかで明日は起きたら元に戻るんじゃないかと思っているところがあった。けれど、夢は夢のまま終わりつつある。もう今日から積極的に解決へと歩き出すべきだ。
俺は高校に入るときに買って貰ったノートパソコンを開き、適当に生物関係の研究をしている大学を探す。左右からふたりも覗きこんでくる。
「ふーん、難しいことやってそう」
「ここなんていいんじゃないですか」
「それって脳科学じゃないか。こっちのが良さそうだ。最近だとこの人は細胞関係でよくテレビに出ているからな」
「どこでもいいから早く電話しようよ」
ずいっと弥子姉にワイヤレスの受話器を寄越される。電話は苦手だが可愛い妹と世界のためだ。致し方ない。
よく番号を見比べながらボタンを押す。一応、周りに聞こえるようにスピーカー機能をオンにしておいた。コールが三度ほど続いて向こうから声がした。
『もしもし』
目当ての大学の人か尋ねればどうやら正解らしい。教授ではなく、研究室? とやらの学生らしいが伝わるなら問題ないだろう。
「うちの妹が分裂したのですが」
『は?』
「だから、うちの妹が毎日分裂して増えてるんですが」
『あの、どういった意味で……』
「分裂して今では十六人に増えてるんですが」
『あの、電話番号間違えてません?』
「うちの十六人に増えた妹をどうにかして欲しいんですが! あ、でも十六人全部じゃなくて、もともといたひとりは残して欲しいかなって――」
『……プツッ』
「あっ、切れた! 切りやがったぞ、こいつ!」
俺は受話器を床に叩きつけた衝動を抑え、なんとか震える腕を静めた。この大学の研究室の学生だな。絶対忘れない。会ったらどうするというつもりもないけど忘れねえ。
頬杖を突いて見ていた弥子姉と十六番目の藍がやっぱりか、という風にため息をつく。
「葵ちゃんってちょっと電話でお話するの下手だよね。たまに人見知りなところがあるっていうか……」
「な、なんだよ。しょうがないじゃないか。俺は事実をそのまま伝えただけなんだから」
「はいはい」
「じゃあ、今度は弥子姉が電話かけてみてくれよ」
「いい? いきなり変なことが起きたからって大学に伝えても駄目よ。あそこは研究するところで困った人を助ける場所じゃないんだから」
年上の威厳を見せつけるかのごとく、余裕たっぷりな態度で弥子姉が俺の手から受話器を受け取った。そして、パソコンの向きを変えると軽快な手つきでキーボードをタッチする。
「んで、どこに電話をかけるの?」
「決まってるじゃない。病院よ。体の調子がおかしくなったら、まず病院。ここなら産婦人科もあるから人が増えた時のことにもきっと対処できるわ」
弥子姉は得意気に地元の大病院の番号をプッシュする。電話を取ったであろう妙齢の女性の声が病院の名前を告げた。
「もしもし」
『はい、どういったご用件でしょうか』
「幼なじみの女の子が分裂したんです。少し前まではひとりだったんですけど、今は十六人にもなって……」
『はい、幻覚が見える、ということでしょうか』
「いえ、幻覚ではなくてですね」
『最近、めまいや頭痛がしたりということはありませんか?』
「ありません。ちゃんと触れますし、動いてます」
『また、変なものを口にしたりとかは? 友人に進められて怪しい薬に手を出しりはしませんでした?』
「ありません。さっきまで一緒にUNOしてました。昨日はマリカーとかも、私はいつもヨッシーを使うんですけど藍ちゃんは」
『それでは総合受付に一度お越しください。ご希望の日時はありますか?』
「え、え、そうじゃなくって――」
『では、平日の午前中に外来の方にお願いします。お待ちしています』
そして、またぷつん、という音で通話は締めくくられる。
「もういいわよ、バカー! 誰がドラッグなんかやるかー!」
立ち上がって受話器を投げ捨てようと身構えたので俺はとっさに弥子姉を止めざるを得なかった。腰辺りにすがりついてみるものの弥子姉は意外と力が強くて押し倒せなかった。
「やめろ、弥子姉! 電話は悪くない!」
「うー、わかってるわよ! バカー!」
案の定、電話だけでは駄目だった。実際に分裂するところを見てもらう以外にこの異常性を理解して貰う方法はないのだろうか。理解して貰うにもそれなりの影響力を持った人物でなくては駄目で、そんな人に午前四時前後にいつ分裂するかわからない妹を見張らせておかなければならない。
「いいですねえ。兄さんたちは楽しそうで」
低い声で十六番目の藍が言った。
「な、なんだと。俺も弥子姉に真剣に考えてるぞ」
「じゃあ、別にそれでいいんじゃないですか。全く進展してませんけど」
「十六番目だって何もアイディア出せてないだろ」
「そうですねえ」
十六番目の藍が俺をあざ笑うかのように唇が弧を描く。
一目見た時から十六番目が気に入らなかった。こいつは恐ろしく頭が切れる。その底知れなさが不気味なのだ。
俺が小学生のとき、藍は幼稚園児だった。中学生のときは小学生、高校生の今は中学生。
俺と藍は三才の歳の差があったせいで通った学校は同じでも、同時に同じ場所に通うということはなかった。いつも藍は俺の通った跡を歩いてきたんだと思う。
同じ学校、同じ先生に授業を習い、時には比べられることもあったはずだ。外見で優れる藍に対して父親似の俺は学問の方向に才能があった。成績では常に学年順位一桁で、中学生時代に所属していた天文部では部長を務めていたこともある。自分のことはできるだけ自分でなんとかしようと、模範生のように生きてきた。
逆に底辺すれすれの藍を見て、教師たちは本当に兄妹なのかと思ったに違いない。妹は勉強はからっきしで、スポーツの得意だった。全く俺とは正反対だ。
けれど、今、その関係性が逆転しようとしている。
それが怖い。妹が妹ではなくなってしまいそうで、俺が俺でなくなってしまうような。俺は一体どのように振る舞えばいいんだろう。
「ないなら、とやかく言うな。もう一度何かないか考えてみよう」
そう言って俺たちは無駄に時間を潰す。
今までの俺の学んできた程度の知識では本物の問題の前じゃ何も役に立たなかった。
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