第23話 〈雪華〉

 リアがナゼスに顔を出すのは、およそ十日に一度といったペースになる。

 森の中で薬を調合しつつ、魔物の素材を空間魔法の中に溜め込んでは売り払う。その度にナゼスまで、一流の冒険者であっても半日程はかかる道程をたった一時間程度で移動するという、常識外れな銀珠を使った移動方法は相変わらずだ。


 アークがやって来て一ヶ月の月日が流れた頃、フォーロア辺境伯を含む〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉は雨季を迎えていた。

 春を越えた途端に雨季に入るというのは、前世で生きていた頃の梅雨を思い出す。じめじめとして雨模様が続くというのは憂鬱な気分にさせられたものだが、今のリアには銀珠を用いた【結界術】を傘代わりに使えるため、視界の悪さを除けば特に問題もない。加えて、〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉の中は背の高い木々が空を覆うように枝葉を伸ばしている事もあって、雨が直接降り注いでくる場所も限られる。


 いつもよりはゆっくりとした足取りで、リアはナゼスへと到着した。


「こんにちはー!」


 ぶんぶんと手を振るリアに、門を守る衛兵達も軽く手を振って応える。

 見知った顔ではあってもわざわざ立ち止まって挨拶する程でもなく、リアはさっさと冒険者ギルドに向かって足を進める事にした。


 雨季という事もあってか、町中を行き交う人の姿も少ない。

 その代わり、冒険者ギルドの扉を開けば、雨季でもできる仕事はないかとやって来ていた冒険者達が、仕事にあぶれて暇を持て余しているようであった。


「おーい、リアちゃーん」

「う? こんにちは、フェルミアさん」


 入って早々に手招きしてきたフェルミアに、リアは小首を傾げつつもカウンターに向かって歩み寄っていく。


「ちょうど良かった。昨日の夜、リアちゃん宛に荷物が届いたのよ」

「私宛に?」

「えぇ。『蒼空の剣』からだけど、何か心当たりは――」

「見せてくださいっ!」


 フェルミアの言葉を遮るように、爛々と目を輝かせたリアが声をあげる。

 何事かと注目を浴びる形になりつつも、今のリアはそれどころではなかった。何せ待ち望んでいた品物がようやく届いてくれたのだと確信しているのだから。


 冒険者ギルドを通して荷物を送るという事は珍しくない。

 行商人や商人に託すのが一般的だと思われがちだが、冒険者の荷物ともなれば高級な代物が多く、信頼ある商人に頼まなければ荷物が紛失、最悪盗難される事さえあるのだ。

 その点、同じ冒険者ならば、その冒険者が小遣い稼ぎついでに荷運びを受け持つ事も多く、また冒険者としてギルドには必然的に顔を出す事になるので、荷物が紛失や盗難されるリスクが低いからだ。


 苦笑したフェルミアがカウンターの奥へと移動し、そわそわしながら待つこと数分。

 フェルミアは細長い木箱を抱えてくると、カウンターの上にそれを置いた。


「よいしょっと、ふう。厳重に封印が施されているみたいだから中は確認できてないの。一応、中身を確認させてもらいたいから、ここで開けてもらっていい?」

「はーい」


 わくわくとした様子で木箱の封印が施された箇所に描かれた魔法陣に、リアが手を翳して魔力を注ぎ込んでいく。

 魔法陣が中心から徐々に光を広げ、全体が光ったところで木箱がぱかりと開いた。

 思わずといった様子で覗き込むようにして、フェルミアとリアが木箱に顔を近づけると――そこには一本の刀と、一枚の手紙が入っていた。


『――リアちゃんへ。頼まれていた、東方の国で鍛えた刀という武器だよ。素材は魔法銀と鋼の合金で鍛えられていて、銘は〈雪華〉。刀身に刻まれた魔法文字は斬撃特化の付与魔法で、エルファが監修した代物だ。渡されていた予算ギリギリまで使い込む事になった上に、少しばかり扱いが難しい刀になっちゃったけど、リアちゃんなら使えると思う。近々僕らもそっちに戻るから、その時にはこの〈雪華〉を使った剣技を見せてもらえるのを楽しみにしているよ。――ケイン』


 手紙を読み終えたリアが、改めて木箱に収められていた〈雪華〉を見やる。


 柄も白く、鞘も白い。刃長はおよそ七十センチ弱といったところだろう。

 かつてVRMMOで扱っていたのは短剣であったが、趣味と興味、それに僅かに中二心とでも呼ぶような影響からどっぷりと日本刀にハマってしまった時期、ちょうど開発された仮想道場というゲームのテスターを頼まれ、その中で習い続けたのが抜刀術。その際に扱っていた長さと同等だ。


「これって、刀って武器よね?」

「はいっ! ケインさんとエルファさんにお金を渡して、買ってほしいって頼んでたんですっ」

「……刀って相当手間がかかるから一本あたりが物凄く高いって聞いた事あるけど……リアちゃんだものね……」


 フェルミアが遠い目をしながら、改めてリアのお財布事情を思い出した。

 自分達の年収の軽く数倍を十日程で稼ぐのがリアである。そんなリアならば、刀を買うぐらいならば大して痛手にはならないだろう、と。


 リアは自ら稼いだお金の大半はジネットに渡している。これは単純に、お金を扱うという事にいまいち不慣れだからだ。もっとも、それは三年前までの話であり、買い物をしながら金銭感覚を養わせるというジネットの目論見のおかげで今では守銭奴とまではいかないものの、かなりしっかりとした金銭感覚を養っている。

 そんなリアが、生まれて初めて自ら稼いだお金を使って、自分の為に欲しがったもの。それはオシャレな洋服でもなければ、自らを飾る小物でもなく――刀であった。

 森の中に住むせいか、一般的な少女らしさからはかけ離れた要望に、思わず不憫に思ってしまったジネットが、もう少しぐらいリアにもオシャレをさせようと固く決意した瞬間であった。

 ともあれ、ちょうど東方で刀を作っている国へと依頼をこなしに行くというケインとエルファに、ここぞとばかりに溜め込んできたお金を渡し、刀を買ってきてもらえるように頼んでいたのだ。


 余談ではあるが、この刀――〈雪華〉は、リアが過剰過ぎるお金を渡したにも拘わらず、それでも足が出るか否かという程度にはお高い代物であったのだ。そんな刀はお世辞にも一般的とは言い難い代物なのだが、リアがそこに気がつく事はなかった。


「抜いてもらってもいい?」

「いいんですか?」

「えぇ。あくまでも確認作業の為だから」


 本来、ギルド内で武器を抜く行為は規約違反行為とされているのだが、確認の為にという理由があるのなら構わないようだ。気が付けば、リアが武器らしい武器を手に入れたという情報も行き渡ってしまっているのか、暇を持て余した冒険者達や、フェルミア以外の冒険者達も興味深そうにリアに送られてきた刀を見ようと視線を向けたり、近くを陣取っていた。


 もちろん、リアとて待ち望んでいた刀だ。

 早速とばかりに鞘を手に取り、刀身を抜き取った。


「……キレイ」


 刀身は魔法銀特有の白みがかった銀色だった。

 刻み込まれた魔法文字は細かく、僅かにリアが魔力を流し込めば、魔法文字が呼応するかのように青白い光を宿していく。

 僅かに魔力を浸透させる際に妙な引っかかりを覚えた程度であったが、特にリアには問題なく扱えそうであった。


 そんなリアの姿をその場で見ていた者達の反応に、フェルミアは苦笑する。

 付与魔法が施された武器を扱う冒険者達は、目の前の光景に顎が外れそうな程に口を大きく開いてぽかんとした表情でそれを見ているのだ。

 ケインが手紙にも書いた通り、この〈雪華〉という刀に刻み込まれた魔法文字と、魔法銀と鋼の合金という特性上、魔力を注ぐには綿密かつ繊細な魔力操作技術が要求されるのだ。エルファでさえ、数十秒かけて集中しないと付与魔法を発動させられないという代物だ。

 そういった面倒かつ繊細な魔力操作技術を要する付与魔法が刻まれた武器という存在を知る者達にとってみれば、こうもあっさりとリアが扱ってみせる姿には驚きを禁じ得なかったのである。


 そんな事を知らないリアは、すでに自然な動作で魔力を出し入れしている。

 魔法文字が光ったり消えたりとしているのは、不安定ではなく、ただただ感触を確かめて馴染ませているリアが原因であった。


「せっかくだから試し斬りでもしていく?」

「うんっ!」


 フェルミアの提案に嬉しそうに頷くリアと、リアが武器を扱うと知って野次馬化した冒険者達は、冒険者ギルドの地下に設けられた訓練場へとぞろぞろと移動していく事になった。


 冒険者ギルドの地下に設けられた地下訓練場は、本来ならギルドに常駐している教官達が新米を鍛える場所だ。一般開放されている事もあって、先輩冒険者が後輩冒険者に手ほどきする際にも使われる。

 突如としてぞろぞろと地下訓練場へとやって来たリア達に、訓練していた冒険者達も何事かと目を向ける。その中には、一月前に偶然リアが助ける事になった新米冒険者達もいたらしく、先陣を切って歩くリアとフェルミアに気が付き、遠巻きに様子を見ていた。


「きょ、教官。あの子です! 俺達を助けてくれた子!」

「あ? あぁ、リアだな。珍しいな、あの娘っ子が武器なんて……ん? ありゃ刀か」

「かたな?」


 リアが手に持つ刀を見て、少年達を鍛えていた教官が続けた。


「元は勇者様が伝えたって武器なんだがな、とにかく斬撃と刺突に特化した得物だ。扱い方はただ振り回して叩き斬る剣とは全然違うって話でな、俺も使い手はあまり見た事がねぇんだが……リアならやらかしてくれんだろうな」

「や、やらかす……?」

「お前らもよく見とけよ。リアっていう、常識をぶっ飛ばす存在をよ。冒険者やってりゃ、たまにそういう連中が出てくるんだ。そういう存在を知っておくのも勉強だ」


 楽しげに告げる教官に連れられ、同様に周囲で訓練していた者達も似たような結論に至ったのか、リアの試し斬りを見守る形となってしまった。

 もはや今のリアはショーのメインを飾るような状態であり、誰もが注目するという不思議な光景が出来上がりつつあった。


 一方、そうした視線を感じながら、何故か先導しているだけなのに緊張するフェルミアとは打って変わって、リアは〈雪華〉を握り締めながら楽しげに歩いている。

 ここまで注目されているというのに変わらないリアの態度に、やはり大物だなと妙な感心をしつつも、やがて丸太に藁が巻かれた案山子の元へと辿り着いた。


「じゃあリアちゃん、試し斬りはこれ使ってね。丸太ごとぶった切っちゃってもいいわよ?」


 冗談交じりに告げるフェルミアのおかげか、周囲の者達からも笑いが漏れる。

 太く巻かれた藁の奥にある丸太まで斬れるなど、一般的には有り得ない。かなりの使い手であっても、藁を斬り裂き、丸太に刃が食い込む程度が限界といったところだ。

 しかしリアは、特に気負う様子も笑う様子もなく、楽しそうに「はーい」と返事して、藁束のある案山子から数メートルのところに佇んだ。


「なんであんな離れた所に……?」

「さてな。まぁ見てりゃ分かるだろうよ」


 少女の呟きに教官が応えるとほぼ同時に――周囲の空気が一変した。


 まるで呑み込まれそうになる程の静寂が場を支配する。

 佇んでいたリアが一度深呼吸したかと思えば、突如として空気が切り替わったせいだ。

 マリーナですら異様だと思うような、リアが放つ戦いの際の空気。しかもそれが今、鋭く先鋭化されたかのような気配すら漂わせて、場を支配している。


「――いくね」


 短く告げて、リアが鯉口を切る。

 刹那、大地を蹴ったリアが案山子へと肉薄し、腰の回転と抜刀による加速を利用して放たれた斬撃が、蒼い軌跡を残して案山子を素通りした。

 カチン、と音を立てて〈雪華〉を鞘に収めて振り返ったリアが、何やら唖然としたような表情を浮かべているフェルミアや、冒険者達の姿が目に映り、小首を傾げた。


「どうしたの?」

「……へ? あ、えっと……、今のって、空振りした、のかな?」


 フェルミアにはリアの斬撃が視認できておらず、また多くの冒険者達も同様だったようだ。ただ魔法文字の光が残滓となって軌跡を照らしていたのが見えただけに過ぎず、リアの速さはそれ程までに予想外だったのである。

 実際、リアは〈銀珠の魔女〉という名と周囲を漂う銀珠で、動かずに相手を圧倒するような少女だ。そんな少女が武器を扱うと聞いて、下手の横好きにでもなるのかとからかい混じりに見に来た者達も少なくない。


 だが、一部の者達は違った。

 リアの持つスペックにおぼろげながらに気が付き、リアならば何かをやらかすだろうと期待していた者達だ。


 リアが助けた少年少女達の教官の男が、唖然とする観衆を通り越して口を開いた。


「馬鹿が。空振りな訳ねぇだろうに。フェル、あの案山子を揺らせ」

「え、ザックさん? はあ、分かりましたけど……」


 言われるままにフェルミアが近づき、案山子を揺らすように動かす。

 フェルミアがそれに気が付いたのは、初動の段階だった。下の方に手を当てて押したはずが、突如として案山子が自分に向かって倒れてくるように傾いたのだ。

 慌てて後ろに下がれば、中央から斜めに斬り上げられた案山子が鈍い音を立ててその場に滑り落ちた。


「……へ……?」

「斬撃が速すぎる上に鋭すぎたんだ。藁と丸太が抵抗なく切られちまったから、衝撃が伝わらなかったんだろうよ。だから落ちなかった、ただそれだけだ」


 切り飛ばすといった行為は、あくまでも衝撃が分散されたからこそ起こる現象だ。

 しかし速すぎる上に鋭い一撃は、そんな間も与えずに案山子を斬り裂いた。それ故に、自重で乗っかったまま動きもしないという不思議な状況が生まれたのである。

 それをフェルミアが僅かに押せば――必然的にずれ落ちる。

 結果として、今になって案山子は真っ二つに斬り裂かれたという光景をようやく示したのだ。


「……おい、マジかよ……」

「丸太ごとぶった切るとか、有り得ねぇだろうよ……」


 爆発するような歓声を通り越して、驚愕はさざ波のように広がっていく。

 徐々に実感が湧いたのは、そんな奇妙な静けさの後だった。

 わっと歓声があがり、リアの〈雪華〉と剣術のお披露目は、ナゼスの冒険者ギルドを揺らしかねない程の歓声と共に幕を閉じたのであった。



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