第6話 ないすみどる

「――こんなところ、かな?」


 机の上に広げられた紙に書いた自らの考察を見て、リアは一仕事終えたような満足気な様子で頷いた。


 銀珠――ミスリルオーブの材料となる魔法銀ミスリルは、ある一定の量の魔力を含むと極端に重くなる。しかし、更にその許容量を超える程の魔力を注いでしまうと、魔法銀ミスリルはまるで磁石の同極を向けたかのように弾かれて飛んでしまう。

 その説に行き当たるまでに、何度となく銀珠を飛ばしては操り、これ以上家を破壊してしまわぬようにと実験を繰り返す形となったが、先述した仮説も信憑性を帯びてきた。


「やっぱり世界が違うんだ。地球あっちで暮らしていた時は魔物なんていなかったし、魔法もない。野菜も飛ばないし、走ったり笑ったりもしないもん。不思議金属だって珍しくないよねっ!」


 むむうと唸り、小首を傾げながら思考しつつ、中空に浮かせたままの銀珠を見つめる。

 もはやリアにとって銀珠を浮かせて操る程度なら造作もなく、それを維持したまま本人は本人で思考を巡らせ、自由に動く事すら可能なところまでに慣れつつあった。


 ジネットと暮らして八年。

 その暮らしの中で目の当たりにしてきた数々の摩訶不思議な出来事は、リアの言葉に要約されていると言っても過言ではない。そうした発見に出会う度に瞳を爛々と輝かせるリアだが、そんな日は夜になると泣いてしまう事も多かった。

 ――大好きだった家族にはもう会えず、自分は違う世界にいる。

 そうした感情が溢れてしまい、子供の器である身体に引っ張られるように心細く、寂しくなってしまう。そんな時はいつもジネットが目を覚まし、リアと同じ布団に入ってくれたりもしてくれたおかげで、リアもゆっくりと眠れたものである。

 ともあれ、この八年でリアは多くの物を見て、学んで、また成長してきた。その中でも衝撃的な物が、今しがたリアが口にしたような野菜達である。もっとも、それもこの〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉で濃い魔力を吸って育ったために、元気過ぎる物ではあるのだが、まだリアはこの真実を知らない。


 この世界をイコールで繋いで「不思議いっぱい」と表現するリアだからこそ、銀珠もまたそういう物であると納得する方向で落ち着いたようであった。


 ちょうどその時であった。

 ――コンコン、ココン、コンコンコンコン。

 不規則なリズムを挟んだノックの音が聴こえて、リアは階段を駆け上がる。


 このノックのやり方はジネットを知る者特有のノックの音であり、同時に扉にかけられた施錠の魔法を解く為の初期動作の一つとして登録されたものだ。ジネットのこの家の扉にかけられた施錠の魔法の仕組みを知っている者でなければ、ノックの音でさえ内部には届かず、例え内側からであっても扉を開く事すらできない。

 詰まるところ、このノックをしてきた人物はジネットが信頼している者であり、リアもまた面識のある数名程度しか存在していないのである。


 ようやく螺旋状の階段を昇りきったところで、リアが内側から同じリズムでノックを返し、相手に誰何する意味を持たせて返答した。


「私です、リア様」

「あっ、ジル!」


 聴こえてきた少々渋めの男性の声に、リアは嬉しそうに扉を開けた。

 そこに立っていたのは、五十歳前後を思わせる壮年の男性であった。リアと同じような銀色の髪に金色の双眸を携え、燕尾服を思わせるようなカッチリとした正装に身を包み、手には白い手袋をつけている。

 町中で彼を見かければ、どこぞの良家の筆頭執事だとでも思われそうな、初老の男性――ジルは、リアと視線を合わせるように片膝をつくと、微笑みながらリアの前髪を整えた。


「リア様、御髪が乱れておりますよ」

「えっへへ、ありがと、ジル。今日はどうしたの?」

「ジネット様から銀珠をお持ちするようにと言われ、こうして馳せ参じた次第です。それと、こちらの手紙を預かっております」

「わざわざ持ってきてくれたんだね。疲れたでしょ、少し休んでいって」


 ジルの差し出す手紙を受け取るついでに、リアはジルの腕を掴んで家の中へと引き込んだ。唐突な、それでいてあまりにも無警戒な仕草に目を白黒させつつも、ジルはそんなリアの歩調に合わせるように後に続いた。


「リア様、ジネット様がいらっしゃらない時は例え私であっても家に招き入れてはなりませんよ」

「ん? どうして?」

「私の姿を真似る者が、リア様を誘拐しに来るかもしれませんから。子供の肉が好物な魔物は特に、そういった者に扮して近寄るようなスキルを持っております」

「ううん、それはわたしには通じないから大丈夫だよ」

「と、仰ると?」

「どんな魔物も動物も、魔力までは隠せないから。わたしにはそれが見えるから、見た目をどれだけ似せたってすぐ判るもん」


 螺旋状の階段を降りながら、当然の質問に当然の回答をしたような調子で告げるリアに、ジルは目を丸くした後で――突然立ち止まってそっと身体を震わせる。

 どうしたのかと立ち止まったリアの前で、ジルは涙を拭うかのように指を目元に這わせた。


「このジル、感動でございます。さすがは最上級神様からの寵愛を受け、望まれて誕生した至高の御方。有象無象では騙されてしまいかねないという魔物のスキルですら、貴方様の前では児戯に等しいということでございましょう。思えば、その素晴らしい慧眼をお持ちであるからこそ、あの雨露に濡れた森の中、一人ひっそりと息を引き取ろうとしていた私めをお救いくださるに至ったのでしょう。あれ以来、徐々に成長していく様を見守り続けられる私は――」

「ジル、よく息続くねー」

「この程度、造作もありませんとも! シルバーガルム等という劣等種のフリをするのは屈辱では御座いますが、それでもそのおかげでこうしてリア様の成長を間近で、生で見られるのです! この感動、千や万の言葉を用いてリア様にお聞かせしても良いのであれば、三日三晩――いえ、十日十晩であろうが語り続ける事ができると自負しております!」


 バサリと背に黒い三対の翼・・・・・・を広げて、ジルは両手を広げて高らかにそう言い切ってみせた。さながら劇の俳優を思わせるような仕草を前に、しかしリアはドン引きする様子も苦笑する様子もなく、「おー」と口を開けて小さな手で拍手している。

 いちいちこうした反応をしてくれるからこそ、ジルも期待に応えるつもりでこうしているのだが、ジネットがジルの正体を知らないため、ツッコミ役不在のやり取りは今日も続いていた。


「それに、こうして元の姿・・・に戻れるようになりましたのも、ひとえにリア様とジネット様の御蔭で御座います」

「そんなの、気にしなくっていいよー。ジルも「不思議」だったけど」

「ほほほ、リア様にとってみれば不思議な存在でしょう」


 目の前にいるキリッとしたナイスミドルといった表現が似合いそうなジルは、堕天使と呼ばれる存在だ。


 堕天使と云えば聴こえは悪いが、堕天した理由は裏切りでもなければ、世界の滅亡を望んだ訳でもない。元々、リアをこの場所へと連れてきた熾天使と同格の存在でありながら、彼は一人の女性にかつて恋をしてしまったのだ。

 淡い恋心故に人の世に干渉してしまい、それ故に天界へと帰れなくなった存在――それが堕天使、ジルである。熾天使であった頃の力は消え失せてしまったが、それでもかなり強い力を持った存在だ。


 しかし、天界に帰れなければ、熾天使は徐々に弱っていく。天界の清らかな魔力を得られず、魔力によって生み出された存在であったジルは、その存在を小さくし、もはや消滅を免れないといった事態に陥りつつあった。そんなジルを、リアが見つけ、ジネットに傷の治療をしてもらった。

 しかし本来、ジルの消滅は免れ得ぬことであった。例え傷が回復しようとも、天界の魔力を得られないジルの存在は消滅へと近づきつつあったのだ。


 だが、リアが悲しみ、助けたいと願った。そんなリアを見ていたアスレイアがジルの存在を知り、リアの守護を命じることで人の世に留まる資格を得たのであった。


 魔力という存在の力が欠落していたジルは、そのまま本来であれば死んでいたはずのシルバーガルムの仔の身体へと憑依した。そのまま存在を定着させてしまったため、シルバーガルムでありながら堕天使である、といった少々特殊な存在になっているのだが、そのおかげでこうしてリアと共にいられるようになったのだ。


 ――もっとも、その正体を知らないジネットは、ジルをただのシルバーガルムの変異種程度だと思い込んではいるのだが、それはさて置き。


「ジーネ、少しの間だけど村に残るんだって」

「ふむ、左様でございますか。でしたら私めがリア様のお側におりましょう」

「うん、ありがと。でもその前に、わたしもお手紙書かなくちゃ。あ、銀珠はそっちの大きいのを三つだよ」

「かしこまりました。リア様のお手紙が書き終わり次第、すぐに」


 階段を降りてお茶を淹れたジルが隣で執事然として佇む中、リアは手紙の返事を書き始めた。


「ちゃんと銀珠を扱えるようになったって教えてあげなきゃ!」

「ふむ……、僭越ながらリア様。それでしたらまず、扱えるようになったという報告よりも、この家の惨状をお伝えした方がよろしいかと」

「う……っ、そ、そうだよね……」

「はい。その後で銀珠を操れるようになったと報告すれば、怒りも薄れ、この程度の事は大目に見てもらえるのではないでしょうか」

「さ、策士だね、ジル……!」

「恐縮です。普段ならば、ジネット様とてリア様をそこまで怒るような真似はしないとは思いますが……、まぁこの状況では手を打った方が宜しいでしょう」


 何せ部屋のあちこちに丸い穴が空いたり、本棚からも読み漁った本が大量に散らかっているのである。そんな家の中の惨状は、リア至上主義とも言えるジルでさえ、怒られる可能性を拭いきれなかった。


「と、とりあえずジーネに謝って、片付けできるところは片付けなくちゃ……」

「それでしたら、こちらの魔法を使ってはいかがですか?」


 そう言いながらジルが差し出した本は、植物の成長を意図的に操る、木の属性に分類される魔法が書かれた魔法書だった。


「リア様がお住まいのこの樹は、樹齢はすでに千年以上と経っていてなお朽ちる事も枯れる事もなく、こうして生き続けております。生きた樹ならば、こういった魔法の方が修繕作業には向いているかと」

「でも、そういう魔法の使い方は教わってないよ?」


 魔法という存在は、多くの派生が存在している。

 比較的有名なものでは、火・風・地・水を指す四大属性。これらは特に適正らしい適正がなくともそれなりには扱えるようになれるが、光・闇といった二極属性となると適正がなければ初歩中の初歩である魔法しか扱えない。

 その他にもあらゆる分野に特化している特殊な魔法などもあり、樹形図にも似た表が数多くの魔法書には描かれており、ジルが指した植物を操る木の属性の魔法は、樹形図の中でも比較的中央に近い位置――つまりは扱いが簡単な魔法であるとされている。


 その理由として挙げられるのが、魔法の性質である。


 火や水のような「現象を生み出す魔法」とは異なり、木の魔法というものは生きた樹木にのみ使用できる、言うなれば「樹の持つ魔力に干渉し、変質させる魔法」だ。そういった意味では、風や地も比較的扱いが簡単であると判別されている分類に当たる。

 もちろん、誰でもできる程に簡単な魔法ではない。しっかりと自らの魔力を操り、それを意のままに対象に伝えなければ扱うことなどできるはずもなく、相応の魔法を操る技術が要求される。

 リアは気付いてこそいないが、先程からリアの周りをくるくると踊るように舞っている銀珠は、正にそんな技術を得ている証左でもあったりする。


 しかし、そんな真実を知らないリアが魔法書を見つめながら「難しそうだなぁ」と遠い出来事のように呟いている姿を見て、ジルは敢えてその真実を告げようともせず、微笑んで頷いた。


「でしたら、ジネット様に銀珠とお手紙を手渡した後で宜しければ、僭越ながら私めが手ほどきして差し上げましょう」

「え? ジル、魔法詳しいの?」

「ほほっ、これでも元は熾天使の端くれ。魔法に関してならば誰かに劣るとは思っておりませぬ。ただし、私めの正体も含めてジネット様にはくれぐれも……」

「うん、ナイショだよね」

「左様でございます。おっと、もうお手紙も書き終わったご様子。では、私めは所用を済ませてまいりましょう」

「うん、お願いねー」

「むむ、リア様のお願いとあらば、身命を賭してでも果たしてみせましょう」

「そ、そこまでのものじゃないと思うんだけど……行っちゃった」


 キリリと表情を引き締め、消えるようにいなくなったジルを見送って、リアは早速ジルが提示してくれた魔法書に目を通す事にした。





 ◆ ◆ ◆





 フォーロア辺境伯領、最果ての村と呼ばれるナゼス。

 五十年程前の魔物の襲来によって多くの命が失われたこの村に住む者は少なく、外からやって来る者もまた決して多くはない。王都では「この地に飛ばされた官職は二度と復帰できない」とまで揶揄されるような、忌まわしい地として扱われている。


 そんなナゼスの村人が集う村長の家。

 広間に集まった壮年から初老といった数名の男性が険しい表情を浮かべ、沈黙を貫いていた。


「……やはり、この村の戦力では撃退できぬか」


 初老の男性――ナゼスの村長をしているジーグスの一言に、誰もが視線を落とした。

 話題は村外れ――〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉との境界とも云える浅い森で出た魔物の存在だった。

 いくら腕利きの冒険者が撃退してくれたとは言え、手負いの魔物と人の味を覚えた魔物は執拗に村を狙ってくる。それはこの五十年で幾度となく起こってきた出来事であり、負傷してでも魔物を追い払ってくれた冒険者に感謝している半面、殺しきれなかった事そのものは彼らの頭痛の種となっていた。


「領主様に援軍をお願いできないんですかい?」

「難しいのう。魔物とは言え、たかが一匹。まだ冒険者に依頼を出す方が現実的じゃろうて」

「とは言え……四級の大型種、バジリスクが相手では生半可な実力者では餌になるだけであろうな」


 冒険者の実力は最初は十級から始まり、九、八、七……三、二、一と階級を分けられている。これは危険度の高い依頼を行う冒険者の実力を表し、四級以上ともなれば貴族クラスの扱いを受けられる程に重宝されている。それと同様に、魔物もまたそんな冒険者の腕前と競うように階級を分けられているのである。

 四級とはつまり、冒険者の階級で言うならばベテランの冒険者の中でもかなり腕の立つ冒険者であり、魔物の階級で言うならばかなり危険な存在である。

 バジリスクとは、山なりの巨躯はまるで竜のような頑強な鱗に覆われ、鳥のような鋭い嘴を携えた八本の脚を持つ巨大な魔物だ。目を合わせれば魔眼によって猛毒に身体が蝕まれ、流れる血は錬金術によって処理を行えば薬として重宝されるが、そのまま浴びれば人の皮膚を溶かす。

 そんな厄介な魔物が存在しているなど、普通の村の住人達ならばすぐにでも荷を纏めて逃げてしまいたくもなるものだが、ナゼスに生きる者達はそうするつもりはなかった。


「撃退してくれた剣士殿にもう一度お願いしたいものだが……」

「それは無理な話じゃな。撃退してくれた際に負った傷も酷い。それに、聞けば階級も五級。荷が勝ち過ぎておる。彼女がいてくれた御蔭で村が襲われずに済んだのじゃ。そんな恩人に無理を言うでない」

「一応、冒険者ギルドとも少し話してみたんだが……五級以上の冒険者ともなれば依頼にかかる金額も、やって来るまでも時間がかかるそうだ」


 再び重い沈黙に場が包まれようとしたところで、会議に使っていた広間の扉が開かれた。


「村長、戻りやした」

「おぉ、ドイル。それに……ジネット殿ではございませんか。お久しぶりでございます」

「すまないね、色々と立て込んでいるところに邪魔をして」


 ジーグスがジネットの存在に気付いて挨拶すると、その場にいる村の重鎮達もまた軽く会釈をしてみせた。

 彼らとてジネットの顔を知っている。バジリスクという目の前の問題に手を出してくれるような存在ではないが、普段から時折貴重な薬などを届けてくれることから、邪険にするようなつもりはないようだ。


「ジネット殿、ドイルから話は聞いているので?」

「大体は聞いているよ。あの魔力はバジリスクみたいだねぇ」

「その通りですのじゃ。若い女性冒険者のおかげでなんとか撃退はできたのですが……」


 若い女と聞いて、ジネットはピクリと眉を動かした。


「その娘っ子は怪我してるのかい? バジリスクの毒は面倒だからね、怪我してるってんなら診てやろうじゃないか」

「おぉ、それは助かります。彼女は村の恩人ですからの。それに、まだ若い女性にあのような怪我を残すのは、我々としても心苦しいところ。いやはや、ジネット殿の叡智と薬師としての実力があるのなら、是非ともお願いしたいところですじゃ」

「……あのような怪我ってことは、血を被ったのかい?」

「恐らくは。顔から肩にかけて、酷い有様ですじゃ。本人は痛みに苦しみながらも、冒険者だからこういう事もあると笑ってくださりましたが……」

「いい子じゃないか。なら、さっさと行こうかね。ドイル坊、案内しとくれ」

「坊って言うなって言いてぇところだが……ありがてぇ。っと、村長。朗報だぜ。ジネットさんが今回の魔物の討伐に手を貸してくれるらしい」

「なんと! ジネット殿、それは真ですかな?」

「こっちにも色々とあるからね。バジリスクの一匹や二匹、心配しなくていいよ。それより、まずは怪我の治療さね」


 踵を返して広間を後にしつつ、ジネットは片手だけをひらひらと振るだけで振り返ろうともせずにそう答えると、ドイルを引き連れて広間を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る