第5話 銀珠の扱い方
ジネットは〈
この道もジネットにとってみれば通い慣れた道である。
森の奥深くに住みながら、一般的には手に入りにくいとされる霊薬や薬、素材を村に売り、村からは塩やミルクに新鮮な果実、あるいは布や服といったものを買うといった形で、大体季節が変わる毎には足を運んでいるからだ。
そんな道を進み、ようやく森の切れ目へと着いた時――――ジネットはそれに気がついた。
「……こりゃ、ちょいと面倒な事になってそうだねぇ」
ジネットが見つけたのは、魔物――それも大型種の足跡が村に向かって続いているといったものであった。
恐らくは獣型の魔物。
鋭く地面を蹴って走ったような形跡は、正確な大きさこそ分からないが、ジネットの顔ほどもあろうかという大きな足跡だ。
魔力の残滓さえ見つければジネットも魔物の見当がつく。
森の中の魔物は基本的にはジネットの知る魔物ばかりであり、魔力の残滓を感じ取りさえすれば、それがどの魔物かを調べるのも可能である。
足跡を調べようとしゃがみ込んでいたジネットへ、男の誰何する声が向けられた。
目深に被ったフード越しに見てみれば、茂みからちょうど一人の男が姿を現した。ジネットが向かう予定であった辺境の村――フォーロア辺境伯領ナゼスの狩人であり、ジネットとも面識のある屈強な肉体を持つ壮年の男性、ドイルだ。
「ジネットさんじゃないか」
「ドイル坊じゃないか」
「おいおい、坊って歳じゃないぜ、俺ぁよ」
「私にとってみれば、あの村に今住んでる連中はみんなまだまだひよっ子だよ」
数十年も前から〈
そんなジネットと並んでしまえば、自分の方が年上にさえ見えてしまうのではないかというのがドイルの見解であり、そんなジネットに坊とつけられても、どうにも違和感が拭えないというものである。
困ったように頭を掻くドイルを他所に、ジネットは再び視線を落とし、足下にあった魔物の足跡に手を触れた。
「そんなに古い足跡ってわけじゃあなさそうだねぇ。村にやってきたのかい?」
「いいや、運良く腕利きの冒険者が村にいてくれたのさ。なんとか村に来る前に追い返せたんだが、村じゃ大騒ぎさ。だから浅い場所の見回りに俺みてぇのが駆り出されてるっつーわけだ」
「そうかい。手がいるかい?」
ジネットの提案に、ドイルは思わず目を瞠った。
「……こいつぁ驚いた。そういうのはしないって話じゃなかったかい?」
「なぁに、気分の問題さ」
「気分って、厄介な魔物相手にする言葉じゃねぇ気がするんだがな」
「ハッ、この〈
ニヤリと意地悪な魔女を体現するかのような笑みを浮かべながら、ジネットは堂々とそう告げてみせた。
ドイルの驚きは村人にとっては至極当然の反応である。
この〈
事実、以前ナゼスに厄介な魔物が流れ着いた時、ジネットは村の者達を助けようとはせず、さっさと用事を済ませて森に帰ってしまったのだ。
しかし、それはただ、彼らが真実を知らないだけである。
実際にジネットは陰ながらに戦っていたのだ。
魔物の群れを前にたった一人で戦い、その討ち漏らした魔物が村に辿り着いたに過ぎなかったのである。
ジネット自身、その真実を語り、英雄として祭り上げられるのは御免だと言わんばかりに真実を語ろうとはしなかったため、その真実を知らないのも当然であると言えば当然であった。
「……それに、ウチのちびっ子の為にも少しは名前を売っておいた方が良さそうだからねぇ」
「……ん? ちびっ子?」
「なんでもないよ。それより手伝って欲しいならそう言いな。さっきも言ったけどね、気分の問題なんだよ。気が変わってもいいのかい?」
「お、おいおい、そりゃないぜ。そういう事ならありがてぇ、甘えさせてもらうさ。でもよ、ジネットさんの実力は噂ぐらいしか知らねぇけど、本当に魔物なんかと戦えるのか?」
「バカ言ってんじゃないよ。この森の魔物の百や二百程度なら朝飯前だよ」
「はははっ! そいつが本当なら、ガキの頃から耳にタコができるぐらい聞かされた噂通りだな! よっし、そうと決まれば、さっさと村に行こう」
噂では何度も耳にしたジネットの実力だが、それを実際に目の当たりにした者はナゼスにもいない。それでも森の奥に住んでいるという点を考えれば、戦えずとも何か知恵があるのだろうと考えて、ドイルはジネットの提案を気が変わらぬ前に受け入れる事にして、急かすように村へと案内しようと踵を返す。
そんなドイルの調子をあっさりと崩すかのように、ジネットは「ちょいと待ちな」と改めて口を開いた。
「この大きさじゃそれなりに徹底して殺すか傷めつけるかしないと、すぐにまた戻って来るだろうからね。短剣ぐらいしか持ってないんじゃ心許ないよ」
「あー、そうだな。っつっても、村に行きゃあ槍やら剣やらならあるだろうけどよ、ジネットさんの得意の得物なんてあるか分からんぜ? 取りに行くかい?」
「いや、持って来させるさ。だからちょいと、驚いて腰を抜かすんじゃないよ」
「あぁ、使い魔とかってヤツか? あぁ、魔法使いはそんなのと契約してるんだっけか。召喚魔法、だったか?」
「そういうのもいるけどね、私のはちょいと違うのさ。少し離れてな」
言われるまま後退るドイルを背に、ジネットが森の奥へと向かって人差し指を曲げて咥え、指笛を鳴らした。
軽快な音が森の奥へと吸い込まれるように消えていくと、しばらくの沈黙の後、森の奥から地響きを伴うような足音が聞こえてきた。
徐々に近づいてくる音の大きさとその勢いに顔を引き攣らせるドイルを背に、ジネットはもう一度だけ短く指笛を鳴らし、自分の位置を改めて報せると、更に足音が強く聞こえ、どんどんと近づいてくる。
そうしてようやく姿を見せたジネットの使い魔に、ドイルは屈強な見た目にはそぐわない「ひッ!」と引き攣った声を漏らした。
「ふぇ、ふぇん、りる……?」
「バカ言うんじゃないよ。神狼なんて使い魔にでき……なくはない子もいるけどね、この子は狼型の魔物――シルバーガルムって種の子さ」
「シルバーガルムは見たことぐらい、俺だってあるぜ!? でもこんな……ッ!」
姿を現したのは、靭やかな肉体に流れるような銀色の毛を携えたシルバーガルム。
本来ならば四足立ちでも成人男性の胸程の高さ程度の位置に顔が来るような大きさだが、目の前に現れたのは成人男性の中でも背の高いドイルすら見下ろす程の高さに顔がある、大きな個体であった。
特に威嚇するかのように唸る様子もないが、それでも圧倒的な威圧感を持つ魔物を前に、ドイルの身体が思わず強張る。
そんなドイルを見かねたジネットがシルバーガルムの鼻先を撫で、その視線から解放させてやると、ドイルはようやく気持ちを切り替えたのか、恐る恐るながらに口を開いた。
「つ、使い魔ってことは、なんでも言うことを聞いてくれるのか?」
「いいや、さっきも言ったろう。この子はそういうのじゃないのさ。何の因果か、えらく懐いちまってね。そのついでに私の言う事も聞いてくれるのさ」
大した事じゃないとでも言わんばかりのジネットの言葉ではあるが、それは少々語弊があるというものだ。
シルバーガルムと言えば、ベテラン冒険者でさえ「自分達と同数以上の群れとは絶対に敵対するな」と言われる程の身体能力と知恵を持った魔物として有名である。また「森の殺し屋」とも呼ばれ、気高く、例え最後の一匹になっても獲物と定めた相手からは逃げず、何者にも頭を垂れない魔物ているような存在だ。
そんなシルバーガルムの変異種と呼ばれるこの魔物は、今よりもリアがまだ幼かった頃、魔物同士の争いによって母を失い、一匹で死にかけていた所をリアに見つけてもらい、ジネットに治療をせがんで助けられたため、リアとジネットに対して――正確にはリアに対しての方が圧倒的にではあるが――すっかり懐いてしまっているのである。
そういった経緯を知らないドイルも、生粋の冒険者ではなく村の狩人に過ぎないおかげで、「そういった事もあるのかもしれない」程度の認識でこの異常な事態をすんなりと受け入れることができた。
「悪いね、こんな所まで呼び出しちまって。実はウチから私の銀珠を持って来てほしいんだ。リアにも手紙を認めるから、それも一緒に渡してくれるかい?」
ジネットの問いかけにすっと鋭い目を閉じて、シルバーガルムは頷くような素振りを見せると、ジネットの前で寝そべってみせる。そのまま目だけをジネットに向け、「早く書け」とでも言わんばかりに動こうとしない姿に、ジネットは苦笑を、ドイルは顔を引き攣らせた。
「こ、言葉が解るってのか?」
「元々シルバーガルムってのは頭が良いんだけどね、この子は別格だよ。下手なこと口にして噛み千切られても知らないよ」
ジネットにとっての軽い冗談は、ドイルには決して冗談には聞こえなかったようだ。
顔を蒼くしてシルバーガルムを見つめたまま直立不動になったドイルは、「やはりこれだけの魔物を従えるなんて、この人は魔女だ」と改めて認識する事になったのであった。
一方、その頃――――。
「……これ、怒られるよね……?」
自問自答するも、答えはイエスの一択だろうとリアも思う。
魔法の練習として銀珠に魔力を込め、その操作を学ぼうとしていたリアは現在、自分の住まわせてもらっている家の床のあちこちにクレーターを作り上げてしまい、表情を引き攣らせていた。
何故こんな事態になるまで続けたのかと誰もが問いたいところだが、リア自身、最初の一回はちょっとした事故のようなものだと思い込んでいたのである。それが二度目となり、ちょっとムキになって三度目を繰り返し、四度、五度と繰り返して我に返って呟いた、という次第であった。
はっと我に返ってみたものの、クレーター化した床には銀珠が埋まっており、それを持ち上げようとする度に落ちて穴を開けるという異常事態は変わらない。
これ以上魔法を使おうとしても同じ失敗をしてしまうのかもしれないと考えたリアは、仕方なしに銀珠をそのまま手で拾い上げようと考え、半分ほど顔を出している銀珠へと近づき、小さな手で掴んだ。
「えいっ……て、わっ!?」
すぽん、と音が鳴りそうな程にあっさりと銀珠は抜け、思わず勢い良く後ろにすっぽ抜け、リアが尻もちをついた。
小さなお尻を擦りながら、リアは改めて立ち上がり、銀珠を手に取った。
「軽い……?」
小ぶりな銀珠は野球ボールを一回り大きくした程度だが、それでも試しに魔力を少しだけ込めてみると、鉄球を思わせるほどの重さへと変質した。
「ん……んん?」
小首を傾げ、銀色の髪が揺れる。
ジネットからはこんな特性を持っているなど言われた覚えはない。
多少落ち着きがないと言うべきか、幼いリアではあるものの魔法に関する教えに関してはこれまでにない程の理解力と記憶力を発揮しているため、忘れているなどと言う事はなかった。
しばし考え込みつつ、唸るように声を漏らしていたリアは、意を決した様子で再び銀珠をそっと床に置いて、少し離れた位置から魔力を繋げてみる。
「――浮かんで」
祈るような一言と共に、銀珠が浮き上がる。
魔力を吸い込んだ銀珠が落ちないように、次々と魔力の繋がりである薄っすらと白みがかる光の線を次々と増やし、無理矢理支えようと試みていく。「重いのなら、それを支えるぐらいしっかりと繋げば良い」という単純な発想であった。
果たして結果は――銀珠が目にも止まらぬ速度で上へと向かって飛び上がり、遠くでゴンッと鈍い音を発するという、またまたリアの想像とは異なる結果を生み出したのであった。
「……うぅ、なんで……」
八歳児が膝から崩折れ、地面に手をつくという図が完成した瞬間であった。
「全部の色のついてる魔力を注ぐからだめ、なのかな……? それとも魔力が多すぎた? そういえばアスレイア様、わたしは魔力が多いって言ってたような気がするけど、そのせい?」
魔法に関する思考を巡らせる際、情報を整理しようと口に出すリアの癖。
ジネットも何度かそうしたリアの言葉が自分に向けられたものだと思って返事をしてみるものの、リア自身が一切の反応を見せないため、最近ではこの状態になると放置されるといった扱いを受けていたりもする。
ともあれ、リアは改めて天井に突き刺さった銀珠に魔力を込め、ゆっくりゆっくりと力を注いで加減を見極めようと試みる。
普段のリアならば、あんな高いところから落ちてきた銀珠が当たりでもしたら自分は死んじゃうのではと考えるであろうものの、集中を高めたリアにはそういった考えは浮かばないらしく、銀珠に対して魔力を繋げつつ、天井から抜けてゆっくりと降下してくる銀珠をじっと見つめていた。
「魔力の繋がり、強くすると飛んでっちゃうし中途半端に魔力を込めると重くなっちゃう……。ゆっくり、ちょっとずつ調整……」
ブツブツと呟きながら、中空を漂うように奇妙な上下運動を繰り返す銀珠を見つめ、魔力を注ぐ加減を見極める。唐突に天井へと向かったり、かと思えば物凄い速度で落ちてこようとしたりと、もしもこの場にジネットがいたら間違いなく中止するように言い出しかねないような危うい光景であった。
しかし、滞空時間の長さのおかげか、徐々にリアも魔力を注ぐ加減が分かってきたようである。
「……もしかして、強く繋ぎ過ぎてる……?」
魔力を可視化しながら調整しているからこそ、リアは今の不安定さの原因に気付いたような気がした。
ジネットは銀珠に対し、魔力を繋ぐ際は糸を思わせる程の細い魔力を繋いで操っているのだ。対してリアは、言うなればロープのような太い魔力を繋いでしまっているのである。
そのせいで、極端過ぎる反応を引き起こしているのではないかと考えて、リアは自らの魔力を水道の蛇口を締めるかのように弱め、細くしていく。
すると、先程まで奇妙な上下運動を繰り返していた銀珠はぴたりと中空で留まった。
引き締めていたリアの口元がみるみる震えるように緩み、目が爛々と輝きだす。
「でき、た……? できたできたできたっ!」
くるくるくると銀珠を空中で踊らせながら、リアもまたぴょんぴょんと踊るように跳びはねると、そのままジネットが置いていた小ぶりな他の銀珠にも魔力を繋げ、銀珠を空中へと飛び立たせると、それぞれを自在に操ってみせる。
三つの銀珠をそれぞれ不規則に空中で躍らせるという、誰もが躓くはずの同時操作が、リアにとっては難しくない。
その理由には、ひとえに前世の仮想空間――VR空間での動きが起因している。
仮想空間で常人離れした動きを可能にするのは、あくまでも強靭かつ靭やかな肉体でもなければ運動能力ではなく、脳の処理速度とステータスである。
転生したとは言え、リアは『電脳世界の最適者』であったのだ。
アスレイアがMSOの中のキャラクターであるリーリアをモデルにして作ったリアの身体は、前世のリアと同様に脳の処理を行える。
つまりそれは、並列思考はジネットとは比較にならない程の精度で行えるという事であり、同時にそれ以上の数を一斉に操る事も苦ではないという意味であった。
いつまでも操り続けていられそうなリアであったが、ふと本人だけが動きを止め、何やら昔アニメで見た探偵を彷彿とさせるように腕を組みつつ顎に手を当てた。
「うーん、でもさっきみたいにぴょーんって飛んだり、重くなっちゃったりってどうしてなんだろ……?」
細い繋がりを使う分には自在に操れると判ったが、では何故極端に重くなったり、また天井に向かって飛んで行ってしまったのか、リアの興味は「操る」という目標を達成した今、新たな方向に向かっていた。
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