第12話 踏み出す一歩

 ジネットがマリーナとケイン、エルファを連れてやって来たのは、〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉とナゼスを区切るように広がる、小さな草原地帯だった。


 眼前に広がった森の奥からは鳥達の鳴き声が、獣達の雑踏が、魔物達の怒号が徐々に押し寄せてくる。


「……さすがに、我ながらに正気を疑いますね。これから波のように押し寄せてくる魔物達を、外壁もない場所で、それも片手で数えられる程の人数で待ち構えているんですから」


 ケインの軽口もここにきては緊張に震え、切れ味を失っているようだ。

 一般的に、『大暴走スタンピード』に対抗するのであれば城壁などを利用して魔物を堰き止め、死骸を生み出して更に壁を築くようなやり方が通例だ。


 しかし、〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉に棲まう魔物達に外壁など時間稼ぎにもならないのだ。

 大型種の魔物が多く存在し、かつ空からも押し寄せてくるような魔物が多く棲まう魔の森に対する対抗策は、村を捨てて退避を優先させるために作られた結界しかないのだ。


 だからこそ、ジネットはこの場まで自ら赴くという選択をしたのだ。


「外壁がなけりゃ、作ればいいのさ」


 それだけ言って、ジネットは楽団を操る指揮者のように両手を動かし、銀珠を操ってみせた。


 空を飛んでいった銀珠が一つの巨大な魔法陣を描くと、光が一閃。

 烈光を放ち、大地を横薙ぎに穿った。


 激しい爆風に曝されてもなお平然と前方を見つめるジネットとは違い、ケインとエルファ、マリーナは顔を守るように両手を眼前に掲げて爆風に耐える。


 ようやく風が収まり、三人は恐る恐るジネットが生み出した光景を見つめた。


「こ、れは……」

「……凄い」


 ジネットの強烈な魔法によって、大地は奈落へと全てを呑み込まんとでも言いたげに大きく口を開けていた。数メートルにも渡って大地と大地が断絶されているのである。


「いちいち壁を作るなんて面倒な真似をしたってしょうがないさ。それに、こうしておけば勝手に落ちて死ぬバカな魔物の処分ができるからねぇ」


 涼しげな顔をして告げてみせるジネットの声を聞きながら、三人は一様に言葉を失っていた。


 これこそが、魔王を討伐した英雄の一人。


 そんな実力をまざまざと見せつけられたのだ。

 そうなってしまうのも無理はない。


 ケインとエルファは一級に近い冒険者。

 つまりそれは、最高峰の冒険者であると言っても過言ではない。

 事実、二人は自分の実力に自信があった。

 賞賛も羨望も否応なく浴びせられ、しかしそれらに驕ることもなく、高みを目指して今日までを歩き続けてきた。


 ――「その程度のひよっ子」。

 ふと、ジネットが先程、自分達に向けた言葉が二人の脳裏に蘇る。


 きっと英雄は、一級冒険者を凌駕する程の実力があるのだろうと二人は考えていた。

 だからケインもエルファも、ジネットにそう言われても何も言い返そうとはしなかった。


 ――――だが、根本的にそれは間違っているのだ。


 冒険者のランクは、「あくまでも一般人が対抗できる階級」でしかないという事を、今を生きる者達は知らないのだ。ジネットから見ればそもそも、現在の一級冒険者など――「素人に毛が生えた程度」と何ら変わりないのである。


 何せ魔族がいた時代は、一級の魔物でさえ魔族に比べればただの時間稼ぎ程度といった扱いをしてもなんらおかしくはなかったからだ。


 もちろん、長命種である〈森人族エルフ〉などであればその事実を知る者も多いが、彼らは――決して語ろうとはしない。

 凄惨過ぎる戦いを。

 その絶望を。

 恐怖を。

 思い出したくもない程に、恐ろしい光景だ。腕自慢の者も、英雄と呼ばれる者も、多くの者があっさりと一瞬で葬り去られる戦いの日々というものは。腕に覚えのある者ほど、命を削って日々を過ごしていたのだから。


 そういう者ほど、早死にする――そんな世界だったのだ。


「……ふぅ。やれやれ、歳はとりたくないもんだね」


 ジネットとてこれ程の大きな魔法を放つのはかなりの魔力を消費する。

 かつての、全盛期の自分に比べればあまりにも脆弱になってしまったものだと、呆れ混じりに苦笑を浮かべると、三人へと振り返った。


「この程度で怖気づくんなら、やっぱりお前さん達は足手まといでしかないね。さっさと尻尾を巻いて逃げるのも手だよ」


 挑発か、あるいは激励か。

 ケインとエルファははっと我に返り、首を振った。


「……どうやら、僕なんて本当にまだまだのようです。ですが、ここで逃げられる程、聞き分けがいい方ではありません。さっきから――うずうずしてしょうがないですよ」

「えぇ、私もです。むしろ、尚更にジネット様の弟子になるという決意を固めさせていただきました」


 まるで気分は、駆け出しの冒険者時代のようだと二人は思う。


 これから自分はどこまで上へと上っていけるのか。

 実力を認められ、心のどこかではまだまだ自分などと思いつつも、ここまでの実力差を見せてくれる相手がいないという燻ぶるような日々は今、ジネットの魔法によってあっさりと打ち砕かれた。


 昂揚している――そんな気分である。


 爛々と目を輝かせてみせる二人は、今すぐにでも暴れてみたいと言いたげに獰猛な視線を森へと向けている。

 一方でマリーナもまた、そんな二人の境地ほどではなくとも、強い憧憬を抱いて瞳を輝かせていた。


 そんな三人にジネットは苦笑しつつ、再び三人に背を向けるように〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉を見つめた。 


「お膳立てはしてやったよ。見れば判るだろうけど、私らの方に近づく程、亀裂は小さい。さっきみたいな魔法は威力はともかく、魔物の群れを一掃できる程に範囲は広くないんだ。魔物達と正面からぶつかり合う事になるよ」


 三人がこくりと頷いて返事をしつつ、腰を落とした。


「――さぁ、お出ましだよ」


 魔物の第一陣が、平原を抜けて黒い波となって四人へと殺到した。








 ◆ ◆ ◆








 ――〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉の奥地。

 ジネットとリアの家となっている巨木の下で、リアはジルと共に立っていた。


「感じますか?」

「うん。これが、魔物達の走る地響きなんだよね?」

「左様でございます。森の奥で異変が生じ、そのせいで今、魔物達は混乱しつつ逃走を図っております。もう間もなく、ジネット様のいらっしゃる村――ナゼスへと雪崩れ込むことになるでしょう」

「ジーネ、大丈夫かな?」

「ジネット様は、確かに常人とは隔絶した力を持っているのは間違いございません。不覚を取られぬ限りはまずこの程度では命を落としたりはせず、逃げ切る事も可能でしょうな」

「逃げ切ることはできるかもしれないけど、そうしたら村は……?」

「間違いなく滅ぶかと」


 敢えて厳しい現実を突き付けてみせる。それは誰より、そんな選択をしなくてはならないジル自身が納得していないようで、リアからは見えないように拳を握りしめていた。

 いっそ魔物共を蹴散らし、これから先も自分がリアを守ってやれば良いのではないか。それだけの力があるからこそ、ジルはその選択を取る事ができる。


 しかし、今回はそうはいかないのだ。

 町娘を思わせるような、まだまだ世界の厳しさを知らない少女に、その厳しさを教えなくてはならない。

 魔物の大暴走は自然の摂理でもある。例え誰かが手を加えようが加えまいが、起こる時は起こってしまう一種の天災にも似たような代物なのだ。命を落とさぬように抗うのも、呑み込まれて果てるのもまた種としての宿命。

 元とは言えど、熾天使という立場にいた存在であるジル。彼はその生来の性質上、リア以外の他者がどうなろうと自然の摂理であるとして受け入れる事は当然であるとすら思っている。


「……そんなの、可哀想だよ」

「畏まりました、リア様! 今からさくっと私めが全てを屠ってまいりましょう! 魔物風情がリア様のご尊顔を曇らせるなど言語道断ですな!」


 元熾天使、決意をあっさりと翻した瞬間であった。


「何をバカな事を言っているのですか、ジル」


 冷ややかな凛とした声が頭上から降り注ぎ、リアは目を丸くしながら顔をあげた。

 三対の翼を携えた、かつてリアをジネットへと預けた張本人である熾天使が今、初めて自我が芽生えたリアの前に姿を現し、ゆっくりと降下してくる。


 音もなく静かに着地した熾天使は、そのままリアとジルのもとへと歩み寄り――有無を言わさぬ速さでリアを抱きしめた。


「わぷっ、えっ!? な、何!?」

「あぁ、生リア様がこんなに可愛いとは。なんと愛らしいのでしょう、このすべすべの柔肌。子供特有の体温、くりっとした目、さらっさらの髪。――コホン。ジル、私は天界に帰ろうと思います、この子を連れて」


 突然抱き締めて満面の笑みを浮かべて頬ずりしているかと思いきや、キリッとした顔で拉致を敢行しようとしてみせる熾天使。そんな彼女の奇行に困惑するリアを他所に、我に返ったジルが小さく咳払いした。


「取り乱しましたな、私もあなたも。落ち着きなさい。リア様はあなたの事を知らないのですよ」

「おっと、そうでした。申し訳ありません、リア様」

「ふへへ、いい匂い……はっ!? え、えーっと、ジルのお友達?」

「匂いを堪能していた所をお邪魔して申し訳ありません……――おい、やめろと言っているのだ。何故お前は再び抱きついている」

「私の匂いを気に入っていただけたようなので、こうすれば私も生リア様を楽しめますし、ウィンウィンというやつです」

「えっと、どういうこと、なの?」


 抱きつかれたままジルに向かって小首を傾げたリアに、ジルが苦笑を、熾天使が悶絶を繰り広げる。混沌とした様相を醸し出しつつあるこの状況も、ようやくリアを解放した熾天使が一礼してみせた事で落ち着いた。


「堪能させていただきました。ご挨拶が遅れました、リア様。赤子の頃、あなた様をジネットへと預けたのが私なのです。ですので、こうしてお会いするのは二度目になります」

「堪能された!? あ、えっと、おあいこだね? って、ジルと同じ熾天使さん?」

「はい。正確に言えば、そちらの堕天した不届き者とは違い、私は現役バリバリの超エリート熾天使です」

「エリート……! わぁー、すごーい!」

「いえいえ、それ程でもあります。もっと褒めてください」

「……熾天使に優劣などつくはずはなかろう。等しくアスレイア様によって創造されたのだぞ、それは不敬だ。――リア様、戯れ言にございますゆえ、あまり本気になさらぬようお願い申し上げます」


 無表情ながらにどことなく誇らしげにしてみせる熾天使へ、ジルの冷静なツッコミが放たれた。


「えっと、熾天使さんはお名前ないんだよね?」

「えぇ、その通りです。我々はあくまでも熾天使――神の代行者に過ぎず、個を持たぬのです」

「じゃあ、なんて呼べばいいのかな……?」

「名付けてください」


 ズイッと顔を寄せた熾天使には、無表情なままであるにも関わらず鬼気迫るものがあった。それで良いのかと困りつつ助けを求めるリアに、ジルは微笑んで頷いてみせた。それで良いらしい。


 そうは言われても、いくらリアでも犬猫に名をつけるように考えるわけにはいかない。ジルに名を与えたのはシルバーガルムの見た目しか知らなかった頃だ。幸いにしておかしな名前にはならずに済んだものの、人の見た目をした熾天使になんと名前をつければ良いのか。


 うんうんと唸り声をあげながら首を傾げていく。


 白金色の長い流れるような髪に、白い肌。

 顔は整い、メリハリのある肢体を絹を思わせるその美貌には誰もが見惚れるであろう。

 だからこそ、とでも言うべきだろう。第一印象は「綺麗な人」というイメージで凝り固まってしまい、これという名が思いつかないリアである。


 そんな彼女を改めて見つめて、ふとリアの脳裏に閃きが浮かんだ。


「……じゃあ、ティア――はどうかな?」

「ティア、ですか?」

「うん。ティアってね、思い入れのある名前なんだ」


 かつてリアが、姉達のいないMSOでロールプレイしていた、ティアというサブキャラクター。それこそまさしく、目の前の熾天使を彷彿とさせるような美しくも可憐な女性だったのだ。

 リアとしても一度そう思ってしまっては、他に案など出るはずもない。同時に熾天使もまた、リアが思い入れのある名前と称したティアという名に、満足気に頷いた。


「分かりました。私は今日この時よりその名を名乗り――あなたに忠誠を誓いましょう」


 リアの手を取り、熾天使――ティアは膝をついてその手を自らの額にそっと当ててみせる。

 刹那、淡い光が二人を包み、小さな光の粒となって降り注いだ。


 リアにはそれがまるで儀式めいたものに見えて、ティアの容姿と相俟って現実味のない遠い世界の出来事のように思えてならなかった。


 その一方で、隣でその姿を見ていたジルは満足気に頷いた。


 ――――またしても、リアは気付いていない。


 リアが物語の一ページを捲っているような感覚に陥っているその行いは、アスレイアによって熾天使が生み出された際、忠誠を誓う為に用いられる正統な儀式である事に。

 そして同時に、「名付ける」という行いは良くも悪くも「互いを縛る」という魔術的な要素を多分に含んでいるという事にも。

 一方的に愛情を注いでペットなどに名付けるだけならばともかく、自らに絶対的な忠誠を誓った者へと名を与える行為は、同時に互いの魂魄に一つの「誓約」を刻みつける。

 そうして名を付けた存在は「親」と呼ばれ、名をつけられた存在を「子」と呼ばれるのだ。

「子」は「親」を、「親」は「子」を裏切れないという「誓約」を互いの魂に刻みつける。

 特に「子」の側にいる者が「親」を裏切れば、大きな代償が降りかかる。


 詰まるところ、ティアは自らの生殺与奪の全てをリアに預けたと言っても過言ではない。


「……ん、あれ? 今、忠誠を誓うって言った?」

「いいえ、気のせいですよ」


 にっこりと笑って、ティアはその重みを告げる事を回避してみせた。


 ――今はまだ、知られる必要はないでしょう。

 ティアはそう思っていた。


 母とも呼べるアスレイアの寵児。

 熾天使が代行者として、神の道具としてだけではなく、見守り、愛する存在を守るという「歓び」を与えてくれたのは、他ならぬリアがいたからこそだ。

 リアの誕生により、それまで過ごしていた日々の全てが色褪せてすら見えたのは、ティアだけではない。全ての熾天使が共通の想いを抱き、だからこそティアにリアと共に在るという自分達の願いを託した。


 ティアは彼女の名であり、熾天使全ての名でもある。

 その事実をリアに伝える必要は、ない。


「リア様、魔物の大群が近くの村へと向かっているのは、すでにご存知かと思います」

「あ……、うん。止めてくれるの?」

「無論です――と言いたいところですが、私達が介入してしまう事はできません」


 ジルと同じような答えに、少しばかり落胆する様子を見せたリアへと、ティアは「ですが」と続けた。


「私達はリア様を必ずお守りします。例えそれが人の雑踏が入り乱れる町の中であろうが――」

「――例え魔物の大群が進むその場所であろうが、ですとも」


 ティアの答えを継ぐ形で、ジルもまたそう答えてみせる。


「……わたしがこんな事を言ったら、二人は困っちゃうかもしれないけど……――」


 何処に行こうが、自分達が守る。

 自分で道を選ぶのだと、言下に二人はそう告げていた。


 ――なら、迷う必要はない。


「――わたしは、アスレイア様に戦えるだけの力を持った身体を与えてもらったから。だから、自分の手の届く範囲にいる人ぐらいは、守りたい。だから、お願い。力を貸して」


 銀色の髪を揺らして、紫紺の丸い瞳には年齢には不相応な鋭い決意を宿して。

 今、リアは自らの意志で――この世界への一歩を繰り出した。

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