第13話 暴走幼女

「うっわああぁぁーーーーい!」


 幼い少女の絶叫が〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉に響き渡る。

 その声は魔物に恐怖しただとか、薄暗い森が怖いだとかと言った少女のそれではなく、さながらアトラクションを楽しんでいるような楽しげな声だ。


「……ティアよ」

「……なんでしょう?」

「リア様はもうちょっとこう、お淑やかなで礼儀正しい、まさに深窓の令嬢を思わせるような少女であったと私は記憶しているのだが」

「……奇遇ですね。私も決してあのような――をするような方ではないと思っていましたが……――」


 超高速で木々の間を縫うように進む、そんな声の主を見つめて、二人の元同僚組は顔を強張らせていた。


「わっ、と! ほっ! あっは! たーのしーー! うっきゃああぁぁーーっ!」


 なんとも間の抜けるような声をあげながら、横に伸びる木々の枝葉の下を潜っては上を飛び越えて、少女――リアは文字通りに弾丸のように飛んでいた。

 その度に後方でヒヤリと冷たいものが背筋を走っている、二人の従者の想いなどお構いなしである。


「――楽しそうで何よりですね」

「……信じられんのは分かる。分かるが、だからと言って思考放棄するでない」


 飛び越え、空中に投げ出され、、リアが高速で〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉を突き抜けていく姿を見ながら、二人は自らが仕える主の異常さを初めて目の当たりにしていた。


 ――――『電脳世界の最適者サイバージーニスト』、という言葉を憶えているだろうか。


 仮想世界――VRMMOの世界で、一般的な人間以上の脳の処理速度を持ち、超高速での戦闘や判断を可能にするとされる、実在しているかも定かではない人間を表すような言葉である。

 そんな存在にとって、並列思考――いわゆるマルチタスクと呼ばれるような能力が可能であるという事は、すでに幾つもの銀珠を操ってみせている点からもその片鱗を見せつつあったリアだ。


 そんな彼女は今、空を自由に飛んでいた。

 リア自身によって操られて先行している銀珠に捕まり、さながら往年の映画のジャングルの住人や蜘蛛の人を彷彿とさせるかのように軌道を変えたりと、やりたい放題で。

 未だ八歳の身体ではあるものの、最低限捕まる程度は可能だ。それ以上の筋力が足りない分は、足の裏から押し出すように操られている銀珠で自らの体重分の負荷を軽減させてカバーしているのである。


 小さい手のひら大の銀珠が

 まるでそれぞれが生き物のようにリアに操られ、縦横無尽に動き回り、リアの行く先々を待っているかのように先行しては入れ替わり、再び前方へと進んでいる。そのスピードは熾天使であるジルやティアでさえも感嘆せしめるものであった。

 ちなみに天界ではそんな光景に大爆笑している神と、そんな神につられて下界のリアの様子を見て顔を引き攣らせている神もいたりするのだが、それはさて置き。


 だが――――ここは〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉。


 柔らかい肌、膨大な魔力の持ち主であり、少女という抗う力も持たないはずのリアを魔物が逃すはずもない。


 それは前触れもなく唐突に現れた。

 ザザッと木の枝から勢い良く音を立てながら一匹の魔物が突然姿を現し、リアへと肉薄した。


「――ッ、リア様!」

「あははっ、邪魔しちゃやー!」


 肉薄する魔物を迎え撃ったのは、虚空を斬り裂くように襲いかかる幾つもの銀珠であった。

 魔物はつい先程のジル同様に襲いかかる銀珠を避ける間もなく、ズドドッと鈍い音を奏でて身体中を陥没させながら地面へと落下していった。


「あれ、痛いんですよ」

「でしょうね。確か四級の魔物のはずですが、見てください」


 経験者は語る。

 リアが咄嗟に銀珠を放ったせいで身体に連撃を叩きこまれるという得難い経験をしたジルは、ティアに言われて苦笑を浮かべたまま一瞬で撃墜された魔物に思わず同情の視線を送り、顔を引き攣らせた。


「……あれ、痛いんですよ。ホントに」

「……でしょう、ね」


 リアとしては今の攻撃で怯ませて先に進むつもりであったのだが、すでに魔物は息絶えている。陥没した身体は明らかにただの強打という枠を通り越えた一撃を物語り、それが三箇所。

 その光景に、まったく同じセリフを改めてかなりの実感を込めて告げるジルに、ティアは初めて「同情する」という感情を知った瞬間であった。


 リアの操る銀珠は、もはや武器として十分過ぎる程の役割を果たせる。

 五つもの銀珠を操りながら木々を避け、次はどこを通れば自分が木々にぶつからずにスピードを出せるのかを計算して銀珠を操りつつ、さらには魔物が出てきても即座に対応してみせるだけの余裕を持っている。


 どれだけ同時に物事を考えて処理し、かつそれを実行してみせているというのか。

 ジルはリアの成長を目の当たりにした今、感涙に咽び泣きたいところである。

 ティアに至っては楽しそうなリアのハイテンションぶりを焼き付けようと、一挙手一投足を楽しげに見守っている。


 しばらく進み続けていると、ふと前方を進んでいたリアが突然速度を緩め、ゆっくりと着地した。

 追従するジルとティアがリアを囲むように着地する。


「どうなさいました?」

「ん、なんか魔力がおかしいよね?」

「魔力、でございますか?」

「少々お待ちを」


 ジルとのやり取りを聞いていたティアが空へと飛び上がり、深い森の向こう――ナゼスの方角を見やると、ちょうど空に一条の光が生まれ、大地を穿った。


 ジネットの魔法の発動だ。

 ティアはそれを看破するなり即座にリアの元へと戻ると、リアを抱き寄せ、腕を一振りして結界を張る。


 直後、ジネットの魔法による余波が生み出した衝撃が周囲一帯を貫いた。

 辺り一帯を揺るがす衝撃波によってざわざわと木々がざわめく中、ティアが結界を解除して、腰のあたりにあったリアの頭を撫でた。


「どうやら始まったようですよ、リア様。今のはジネットの魔法です」

「わー、ジーネって凄いんだ」

「ふふ、そうですね」

「……おい、ティアよ。いつまでリア様を抱き締めておる」

「ウィンウィンです」

「もうその流れは良かろうに……」


 ティアの言う通り、リアはリアで抱き締められてまんざらでもない表情を浮かべている。そんな相変わらずのべったり具合にジルが苦笑を浮かべた。


「さて、リア様。どうやら戦いは近いようでございます」

「うん、いこっか」

「お待ちを。失礼ながら、攻撃系の魔法はまだまだリア様の力では加減が難しそうです」

「うぐ……、うん」

「そうお顔を曇らせないでください、責めているのではありませんよ。」


 魔法陣とは円の中に魔法要素を書き記し、魔力を注いで発動させるという魔法発動の図形を完成させた代物だ。

 様々な文字と記号が、「何が」、「どこで」、「どの程度の魔力を対価に」、「どのようにして」等といった命令を書き込んだ式が描かれた代物こそが魔法陣である。もちろん、複雑な魔法になればなるほど魔法陣は当然ながらに描かれる情報量が大きく増えたりもするのだが、それはさて置き。

 それぞれの意味を間違えたり、その式に対して見合う魔力を注ぎ込み、制御して完成させなければ「解を導けない」――つまり「魔法は発動しない」という答えを得る事になる。

 もちろん、それだけならば成功するまで練習を重ねれば良い。

 しかしリアの場合、膨大な魔力を注いでしまうリアの魔法は、諸刃の剣とでも言うべきか、魔法陣に込められた命令が崩れ、暴走してしまう可能性を多分に含んでいる。


 詰まるところ、これからジネットの元へと向かうにせよ、アールアの頼みである地竜を生け捕りにするにせよ、今のリアでは加減ができず、銀珠を操る以外のまともな戦闘手段は確立されていないのだ。

 いくら銀珠を砲弾さながらに放てるとは言え、巨躯の魔物や頑丈な身体を持つものが相手ともなれば、それもあっさりと封じられてしまいかねない。その時はジルやティアがカバーできる範囲ではあるので、今は構わないだろう。

 残る課題となるのは、まだまだ八歳という未成熟の身体が、魔物の攻撃に曝される点だ。

 銀珠を操れるとは言っても、巨躯による一撃を手のひら大程度の銀珠だけで迎え撃つのは難しい。


「そこで、【結界術】をお教えしておきましょう」

「【結界術】?」


 訊ね返すリアに、ジルはゆっくりと説明を続けた。


「【結界術】とは、魔法の初歩中の初歩の技術です。単純に指定した範囲に魔力を注ぎ込み、敵の攻撃を防ぐために使われる術。加えて、【結界術】は純粋な魔力量によってその強度は大きく異なるため、これならば暴発する事もありません。リア様の魔力量ならば、強固な結界を張れることでしょう」

「んー……?」

「ほほっ、百聞は一見にしかず。まずはご覧に入れましょう」


 早速、ジルは手を前方へと翳して【結界術】を発動させてみせた。

 ジルの手の前方に、まるでシャボン玉の膜を見ているかのような淡い虹色の虹彩が浮かび上がる。

 そっと手を伸ばしたリアが結界に触れると、水面に触れたかのような光の波紋が広がった。「わぁっ!」と目を爛々と輝かせたリアがツンツンと結界を連打する姿に、ティアが背後で悶絶しかけているのだが、リアはそれに気付いていない。


「そろそろ説明の続きに戻ってもよろしいですかな?」

「はっ!? ご、ごめんね、ジル。きれーだったから、つい……」

「可愛らしいお姿を拝見させていただきまして、眼福にございました」


 涼やかな声と無表情。それでいて頬を紅潮させたティアへとジルが呆れたような視線を向け、咳払いを一つ。気を取り直して、ジルは目の前の【結界術】を生み出す手を動かした。

 手の動きに合わせるように、面となる結界もまたそれにつられて動いていく。


「【結界術】の初歩は、このような平面的な円形のものになります。慣れれば半円状に展開して広範囲の攻撃を逸らしたり、あるいは球状に展開して自身や何かを覆ったりといった応用が可能になりますが、リア様ならばその応用すら楽に可能でしょう」

「う? わたしそんなに器用じゃないよ……?」


 銀珠を操ろうとしては自宅を破壊し、修復しようとしては大木を生み出すといったアクシデントが続いているのだ。

 リアが自信を失うのも無理はなかった。

 表情を曇らせるリアの頭をティアがそっと撫で、ジルが微笑んでみせた。


「こうして手を翳し、術の基点となる箇所が一箇所では確かに難しいと言えます。ですが、リア様はジネット様と同じく銀珠の使い手。銀珠の全てを基点とし、それぞれの結界を繋いでしまえば、あとは銀珠を動かすだけで全方位をカバーできますとも」

「おぉーっ、なるほどっ!」


 納得するリアが早速とばかりに【結界術】を真似て練習を始めた。

 そんな姿を見ながら、ティアがジルへと歩み寄っていく。


「初歩中の初歩、が聞いて呆れますね。銀珠を使うともなれば、一般的な魔法使いのそれよりも遥かに難しいではないですか」

「お前もリア様の先程までの高速移動ぶりを見ていたであろう。リア様の発想力、それに操作能力は常人のそれとは大きく異なる」

「当たり前です。常人と一緒にするなど、失礼を通り越して極刑に値する無礼です。至高の御方の寵児であらせられるリア様ですよ?」

「……なぜお前が誇らしげなのだ……と言いたいところだが、我々は従者。その気持ちは分からなくもないが」


 リアが関係した途端に親馬鹿ならぬ従者馬鹿を発揮するジルでは、ティアの態度を否定できるはずがなかった。


 それから数分と経たず、これまでの他の魔法に比べてもリアは【結界術】を簡単に習得できた。

 リアの魔法の失敗は、膨大な魔力量が生み出す予想外の副産物が起因しているのだ。【結界術】に関して言えば、それが暴走とも言えるような結果を生み出すような事態を引き起こしたりはしない。


「ジルー、ティアー、みてみてー! 乗れた!」


 銀珠を操り、生み出した結界の上に乗って空中に立ったリアが声をかけてくる。

 そんな姿に微笑みながら手を振るジルであったが、その頬には一筋の汗が流れていた。心なしか隣にいるティアも表情を僅かに引き攣らせているのだが、リアにはそれが見えていないようだ。


「あれでさっきよりも速く森を進めるようになったら、私達も空を飛んで追いかけるしかないと思うのですが」

「私ならシルバーガルムの姿になればまだなんとかなるやもしれぬが……、最悪それを考えていたところだ。まさか結界に乗るとは……」


 いくら【結界術】の強度は物理面、魔法面でも強い代物であるとは言え、結界に乗ったまま維持するような真似をする者はいない。そんな真似をすれば手が塞がる上に、魔力を消耗し続けるからだ。

 だが、「銀珠を扱える」という点。加えて「膨大な魔力の持ち主」という二つの特性を持つリアならば、銀珠で三角形を作るように結界を張ってそれに乗っていても、さらにあと二つの銀珠がふよふよとリアの近くを浮いて漂っているのだ。

 空中に浮かび、さらに攻撃すら加える余裕もある。


「んんー……、でもこれで移動するんだったら、さっきの方が楽しいかも」


 すいーっと滑空して色々試してみたものの、どうにもリアのお眼鏡には適わなかったようだ。楽しさ重視で答えるというのもどうなのかと言いたくもなるが、着地したリアに二人がほっと安堵の息を漏らした。


「さて、まいりましょう。ジネット様とて、長期戦ともなれば消耗なさっているはずです」

「うん、いこ!」


 ぽんと小さくジャンプして、リアが銀珠を操り、足の下から自分の身体を押し上げる。半ば吹き飛ばされるように上空に待機していた銀珠に捕まり、さらに加速。それらを駆使して、あっという間にトップスピードに乗ったリアが「うっきゃー!」と楽しげな声をあげながら先に進んで行った。


「……前言撤回だ。結界に乗って移動してくれた方が、リア様の優雅さを損ねなくて済むやもしれぬ」

「楽しそうで何よりではないですか。行きますよ、ジル」


 なんとも複雑な気分で、ジルはティアを伴って再び主を追った。




 徐々に目的地であるナゼスが近づくにつれ、強烈な爆発音や魔物の怒号が強くなってくる。

 そんな光景を目の当たりにしてもなおリアが平然とした表情を浮かべていたのは、ひとえにMSOというVRMMOの中でも何度か似たようなイベントを経験していたからだろう。ゲームと現実の差異こそあれど、環境に呑まれないで済むというのは心を強く保たせる要因となる。

 とは言え、ここはゲームではない。

 痛みを抑制させるシステムもなければ、死んでしまってから「いやー、まいったまいった」などと言いながら帰って来られるわけでもない事を、リアは重々承知している。


 先程まで聴こえてきた地響きがより一層強くなり、様子を見るために森の上空へと躍り出る。


 もしもこのまま間に合わなかったら。

 ジネットが魔物達に負けてしまうような事があったら。


 そんな不安を噛み殺しつつ、音の正体を上空に放り出した身体をくるりと反転させながら振り返る。


 その瞬間、先程までの重くのしかかる不安や恐怖が魔物の姿という形でリアの目の雨に突き付けられ――――


「……あーーっ! ドラゴンだー!」


 ――――忘れられた。


 リアが見たのは、大地を走る山とでも言うべきか。なんとも不思議な光景だった。

 しかしその正体に気付いた途端、丸い目を爛々と輝かせた。


 MSOの中にも地竜のような山のような魔物は多くデザインされており、ドラゴン系の強い魔物として登場してきた。まさにそれが今、リアの向かう先、かなり離れた場所をナゼス方面に向かって走っている。

 浅くなってきた〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉の森も、ナゼスが近くなるにつれて木々も背が低く、脆いものが増えてきている。そうした木々を踏み倒し、なぎ払いながら進む地竜を前に、リアは恐怖や混乱よりもまず先に「美味しい獲物」という認識が出てきてしまったあたり、MSOの影響は根強い。


 上空に飛び上がった身体を、受け止めるように結界を張り、空中に着地したリアが地竜を見下ろすように四つん這いになって下を見る。常人ならば身の竦むような光景だが、リアはそんなガラではないようだ。


 ようやくジルとティアも上空へと飛び上がってきたのか、黒と白の三対の翼を背にリアのすぐ傍で滞空した。


「地竜ですな。それもずいぶんと永い時を生きてきた大物のようです」

「そうなの?」

「アレはこの森の主であった魔物です。あれを止めなければ、付近の村どころか、どこまでも地の続く限り暴虐を繰り広げかねませんね」


 ティアの言葉に視線を動かし、地竜の向かう先を見つめたリア。

 心配そうに下がってしまった眉がみるみる持ち上がり、丸い目が輝いた。


「――ジーネいたああぁぁ!」

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