第16話 新たな日々へ Ⅱ

 アルヴァレイム王国。

 この国の王侯貴族はどういった思考の持ち主かと問われれば、周辺国はこう答えるだろう。


 ――「あの国は純粋なまでの実力主義だ」と。


 それは腕っ節のみに限らず、ありとあらゆる分野に於いて言える言葉である。

 腐敗した貴族は容赦なく切り捨て、国王派や貴族派、あるいは穏健派や強硬派などといった明確な派閥は存在していない。

 水面下での睨み合いや足の引っ張り合いをしようものなら、王家がそれを潰しにかかるという徹底ぶりであり、逆に王家が失政でもしようものなら貴族らが王家を潰す事になる。


 そういった背景があるからこそ、この国の者達は自分に厳しく、他者にも厳しいとも言えるだろう。


 そんな王侯貴族の中でも、最も自分に厳しくあろうとする男がいる。

 それこそ、かの〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉を自身の治める領土に保有する男――アルフレッド・フォーロア辺境伯である。


 対魔族戦争とでも言うべき過去の大戦の当時は、アルフレッドの祖父と父が戦場へと身を投じ、英雄と肩を並べて戦った。アルフレッドもまたそんな父と祖父を敬愛し、尊敬し、同時に追い越そうとさえしている。

 筋骨隆々の逞しい身体に、アッシュ色の短髪を刈り上げるように切った無骨な外見と、その外見に相応しい竹を割ったような性格の壮年の男性。懐に入れた者達は決して見捨てたりもせず、領民達の暮らしを豊かにする為にと不作に備えてしっかりと備蓄を準備し、再び起こるやもしれぬ侵略者との戦いすら視野に入れている大男である。


「ガッハハハハッ! いやはや、まさか〈銀珠の魔女〉にこうしてお目にかかれる日が来るとはなぁ! 爺様やら親父殿からは聞いていたが、確かに美しい御方だ!」

「……フォーロアの血なのかい、そのいちいち喧しい笑い声は」

「おうとも! フォーロアの血を引く者として、先々代と先代に負けるつもりはないからな!」

「声のデカさで張り合うんじゃないよ、まったく」


 あの〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉で引き起こされた大暴走スタンピードから、すでに一月近くが経過しようとしていた頃。

 領都エインブルの領主館へとやってきた四人の英雄――ジネットとケインにエルファ、そしてマリーナ――は、大音量の笑い声を放つ大男に表情を引き攣らせていた。


「おう、ケインにエルファよ! よくやってくれたな!」

「正直、僕らはジネット様の足元にも及びませんでしたよ」

「あったりめぇだ! この御方に並んだつもりになってたらぶん殴るぞ!」

「……褒めたいのか釘を刺したいのか、どっちなのよ、それ」

「両方だな! ガッハハハハッ!」


 ケインとエルファは顔を引き攣らせたまま苦笑し、ジネットは大声を迷惑そうに顔を顰め、マリーナはガチガチに緊張した様子で直立不動を保っているという、正に混沌とした会談である。

 一頻り笑って満足したのか、フォーロアはすっと纏っていた空気を一変させた。


「ま、ケジメはしっかりとつけねぇとなぁ。――ナゼスを救ってくれた事に礼を言わせてくれ。ありがとうよ」


 一領主、それも辺境伯が堂々と感謝を告げてみせ、頭を下げる。これだから、アルフレッド――いや、フォーロア家の者達は嫌いになれないのだと、ジネットはふっと小さく笑みを浮かべた。


「ジネット様も、本当にありがとうございます。もしもあなたがいなければ、ナゼスはもちろん、周辺の村や町にも間違いなく被害は広まってたはずだ」

「私には私の目的があったんだよ、気にされる謂れはないねぇ」

「それでも、だ。俺ぁ領主として、貴族として、民を守る。爺様や親父殿みてぇに戦場に立てる時代じゃあねぇが、それならそれですぐにでも駆けつけるべきだった。力になれずに申し訳ない」

「しょうがないだろうさ。あの大暴走スタンピードを予測するのは不可能だよ」


 人為的に引き起こされる大暴走。

 似たような類で存在している有名な話と言えば、せいぜいが竜の卵を奪った愚かな貴族の物語りだ。もっとも、それも竜の逆鱗に触れはしたものの、大暴走を引き起こす程ではなかったが。

 含みのある物言いに気付いたアルフレッドは、細い瞳に鋭い眼光を宿らせて向かいに座るジネットを見つめた。


「何か掴んでらっしゃるんで?」

「そりゃあそうさ。あの森は私の庭みたいなもんだからね」


 熾天使から情報を齎された件について、ジネットは口外するつもりはなかった。ケインとエルファには今回の件の真相こそ語られているものの、余計な事を口にしないようにと厳命されているため、苦笑を浮かべるしかない。


「あれは自然に発生した大暴走じゃないよ」

「……自然にではない、ですかい? まさかまた魔族の連中が攻め込んできている、と?」

「魔族の連中が攻め込んでくるなら、少なくとも一体ぐらいは姿を見せただろうさ。けれど、そういう輩はいなかったねぇ」


 言下に魔族の仕業などではないと告げるジネットの答えに、アルフレッドは太い腕を組んでソファーの背もたれへと身体を預け、瞑目した。


 かつての英雄であるジネットの証言だ。

 その信憑性を疑う余地はない。


 ならば、一体誰が。

 何のために人為的に大暴走を引き起こすなどという馬鹿げた行為を仕出かしてみせたというのか、目的が判然としない。

 ここがアルヴァレイム王国でなければ、同じ国内の貴族が仕掛けてきた可能性も生まれそうなものだが、この国の貴族は良くも悪くも正直だ。いちいち魔物をけしかけるような真似をする輩はいないと断言できた。


「……ウチの国に喧嘩を売った馬鹿がいるのか」

「十中八九はそうだろうね。魔物をけしかけるような真似をするなんて、この国が私の知る頃から変わらず、落ちぶれてないんなら有り得ないからねぇ」

「……となると、だ。魔物が暴れて得をする連中って事かい」


 ケインとエルファ、それにアルフレッドの脳裏に浮かぶ幾つかの国。

 しかしどれも憶測の域を出ず、それらしい証拠もないのでは対処のしようがない。

 しばしの沈黙の後、アルフレッドは「やめだ、やめ」と袋小路に詰まった空気を払拭するかのように手を叩いた。


「それにしたって、まさかジネット様が〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉にいるたぁ思いませんでしたぜ。魔女が棲んでるなんて噂はガキの頃に耳にした事はあったんだが、冒険者達もそれらしい場所を見つけたなんて話も聞いた事はなかったしなぁ」

「ウチの周りは隠蔽結界で隠してあるからねぇ。そうそう見つかったりはしないよ」

「ハッ、英雄が隠してるってんじゃそんじょそこらの冒険者じゃ無理なのも頷ける。――で、再び世間に姿を見せた理由とやらを聞かせてもらっても?」


 一度雲隠れした英雄が再び世間に姿を現した。

 さらには先程の、「自分には自分なりの目的があった」と匂わせたジネットの言葉を聞き逃すつもりはなかったようだ。

 ジネットへと改めて訊ねる様は、荒くれ者を率いるような無骨な見た目ながらも、やはり貴族というものなのだと窺わせる。


 放っておくという選択肢はなく、いっそ目的の為に協力し、いざという時には再び力を貸してもらいたいという打算を孕んだ質問だと見抜きつつも、ジネットはその思惑に乗ることにした。


「なぁに、私にゃ血は繋がっていないけど娘がいてね。生きるだけなら表に出る必要もないんだけどね、あの子の為には少しぐらい名前を売っておいた方が色々と好都合だったのさ」

「娘、ですかい?」

「あぁ、そうさ。――私から見ても天才と言える程の娘が、ね」

「そ、そいつは驚きだ」


 それが嘘ではない事は、ジネットの隣に座るエルファとその後ろに立っているケインの姿を見れば一目瞭然だ。エルファはうんうんと頷いている上に、ケインに至っては乾いた笑みを浮かべているのだから。

 藪を突いて竜が出てきた、とアルフレッドはあっさりと答えてみせるジネットの態度と返答の内容に顔を蒼くした。

 一体何がいるというのか。かつての英雄が天才であると評し、現在の英雄が太鼓判を押すような仕草を見せるなど、一領主としても放っておけるような存在ではない。


「……ケインにエルファよ。どうやらお前さんらもその娘っ子に会った事があるわけだな?」


 どの程度の情報までなら公開してくれるのか。

 線引きするべきラインを見極めるべく、それぞれの表情を窺いながら問いかけられたアルフレッドからの質問に、ジネットは一切の反応も見せようとはしなかった。


「……ジネット様も止めないようなので、正直に答えますよ。えぇ、確かに僕らはあの子とは顔を合わせていますよ。というより、僕らはこの一月近くをジネット様の家のすぐ傍に住んでいますしね。毎日会ってます」

「〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉に住む、か。冗談だろうと笑い飛ばしてやりてぇとこだが、真実なんだろうな。で、お前さんらから見てもジネット様の娘ってのは天才か?」

「そこら辺に転がってる天才が凡人に見える程度に天才ですよ、あの子は」

「ほう……天才と持て囃されたお前さんがそれを言うのか?」

「そう言われているのは光栄ですが、ね。そもそも僕自身がそう言って欲しかったわけではないですし、あの子を見た後では……僕個人の意思で返上できるならその表現を今すぐ返上したいところですよ」


 若くして、氏族クラン――『蒼空の剣』のトップに食い込む実力者を天才と呼ぶのは、決して分不相応な褒め言葉にはならない。そんな賞賛を受けるケインすら、ジネットの娘の天才ぶりを前には自分など凡百の存在に過ぎないと言い切ってみせる。

 自らの治めるエインブルにホームを構える『蒼空の剣』の実力を知り、決して過大評価も過小評価もするつもりのないアルフレッドにとって、ケインの答えは十分過ぎる代物だった。


「エルファ、お前さんはどう見る?」

「厳しく評価するのなら、まだ身体も出来上がっていない上に魔法の扱いもまだまだ序の口。それでも、それは時間が経てば解決するでしょう。原石という意味で言えば、間違いなくジネット様に比肩するか、或いは……」

「あの子は私ぐらい、あっという間に超えちまうだろうさね」


 ただの親馬鹿めいた発言かと、心の何処かで考えていたアルフレッドも、いい加減にその事実を受け止めざるを得ないだけの証言が揃ってしまったと、改めて実感させられる事になったのであった。







 ナゼス防衛の報奨金の支払いを終え、三人を見送った後。アルフレッドは執務机にかじり付いて、一人あらゆる書類を書き上げていた。

 今後しばらくは〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉の生態系が崩れてしまっている。そうなれば、再びナゼスに魔物がやって来る可能性があるため、防衛の為の領主軍を派遣する必要がある。さらにはジネットが指摘した、人為的な行為の可能性を国の上層部へと報告するための書簡の準備。

 どれもこれも後回しにできるような案件ではなく、それらの書類が仕上がったのは陽の沈みかけた夕刻であった。


 ちょうどそれらの事務的な作業が一段落した頃だった。

 呼び寄せていた一人の男が、屋敷の使用人に案内されて室内に姿を見せた。


「よう、アル」

「あぁ、よく来てくれた。今回はお前のとこのケインとエルファに助けられたよ」


 部屋の中へと入ってきたのは、アルフレッド程ではないがガッシリと鍛えた身体に頭を丸めた、歳の頃は三十前後の色黒の男であった。


「聞いたぜ。なんでもあの〈銀珠の魔女〉と共闘したらしいじゃねぇか、アイツら。っつっても、どうやら足手まといになりかけたらしいがな」


 慣れた様子でさっさとソファーに座り、ひらひらと手を振ってみせつつ笑うこの男こそ、ケインとエルファの所属する氏族、『蒼空の剣』のマスター。一級冒険者でありこのエインブルを守るこの男――グウェンと言えば、アルフレッドと同様に民から慕われている英雄だ。


「大戦の時代と今では、それこそ比べるのも痴がましいというものだ。それに、活躍したかどうかよりも、何より大暴走に立ち向かってくれた事に意味があると言っても過言ではない」

「あん? そりゃどういう意味だ?」

「政治的な意味で、だ。〈銀珠の魔女〉がたった一人で大暴走を止めたんじゃ、こっちとしても立つ瀬がないからな。〈銀珠の魔女〉のおかげでナゼスが無事だったと素直に喜ぶわけにはいかんのだ」

「……らしくねぇじゃねぇか。いちいちそんな外聞を気にするタマだったか?」

「平時なら気にはせんよ。だが、お前も聞いただろう? 今回の件が人為的に引き起こされた可能性があると。敵が明確ではない以上、統治に影響が出るようなおかしな噂が流れれば、敵に付け入られる隙が生まれてしまう」


 ジネット一人で大暴走を食い止めたともなれば、噂に尾ひれがついて「領主が見捨てた町をたった一人でかつての英雄が救った」などと脚色して語り出し、間接的に領主の評判を落とすような輩も出てくる。普通に考えれば突然の大暴走に即座に対応できるはずはないのだが、そんな当たり前の考えでさえ理解してもらえないという可能性も、十分にあり得てしまう。民衆がそれを信じ、領主へと不信を抱けばそのまま敵に付け入る隙を与えかねない。

 伝聞による噂の誇張などよくある話だが、そこにエインブルの有名氏族のエースである二人が共にいてくれたおかげで、ジネット共々『蒼空の剣』の名も売れ、間接的にそれをエインブルで雇っているアルフレッドも妙な傷がつかずに済む。


 要するに、ナゼス――延いては〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉に対して十分に警戒しているという「言い訳が利く」状況を作れた、というわけだ。


「なるほど、わからんな」

「有名氏族のマスターなんだ、少しは頭を使う事に慣れろ」

「ハッハッハッ、そういうのはアイシャに任せてるんでな」

「……今度アイシャに頭痛に効く薬でも贈ってやろう」

「おう、そいつはいいな。しょっちゅう「頭が痛い」って言ってるからな、アイツは」


 見当違いな勘違いをするグウェンを見て、苦労しているであろう『蒼空の剣』のサブマスターの姿を想像しつつアルフレッドは嘆息した。


「しかし、知らなかったとは言え、まさか姿を消していた英雄があの森にいるとはな。考えた事もなかった」

「それなんだが、本当に本物なのか? 六十年近くも前の英雄だ、普通に考えりゃもう老婆だろうに」

「見た目だけなら、俺と大して歳は変わらないように見えたがな。恐らく何らかの魔法によって老化を防いでいるのだろう。よくよく考えればあの大戦で生き残った英雄だ、不老不死だと言われても驚きはせんよ。実際に銀珠を操り、大暴走を止めてくれる程だ。本物には違いない」


 ジネットは紛れも無く〈普人族ヒューマン〉。その寿命は長くとも七十年前後といったところだ。

 いくら当時はまだ二十代と若かったジネットとて、六十年近くも前の話ともなれば、十分に老婆と呼ばれても差し支えない年齢になっているはずであり、まだ四十歳前後程度の容貌を保っていられるのも何かしらの仕掛けがあると考えるのも当然だった。


「ま、ケインとエルファの二人がしばらく世話になるって話だからな。俺も挨拶にでも行くつもりだ」

「ほう。あの二人、〈銀珠の魔女〉に弟子入りでもするのか?」

「そのつもりらしいぜ。しばらくは氏族の仕事はできないが、〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉で自生している薬草やらの素材をちょくちょくナゼスで引き取る手筈になってる」

「そいつは有り難いな。あの場所は魔素が濃いおかげで、季節や気候も無視して自生している薬草が数多く存在する。ついでに冒険者ギルドの方にも深部の素材採集の依頼はお前のトコに回すように言っておいてやろう」

「おう、そうしてくれ」


 貴重な素材の入手はもちろんだが、〈銀珠の魔女〉とその娘という存在とのコネクションを持てる存在は、アルフレッドにとっても得難い人物だ。

 政治的に利用されるのは当時姿を消した事から容易に想像できるが、せめてその繋がりからいざという時に頼れるというのは有り難い。


「――それと、お前のトコに一つ、俺から依頼したい」


 国が重い腰をあげるのを待つばかりではいられない。

 そう考えて、アルフレッドは『蒼空の剣』に周辺国の情勢調査の依頼も出す事にした。





 これより数カ月後、アルヴァレイム王国はこの大暴走の引き金を引いた犯人を突き止められなかったが、「何者かによる我が国への攻撃」と発表し、周辺国に睨みを利かせた。

 大罪の名を冠する〈大罪シンズ〉を擁するミーロッド聖皇国の陰謀は、かつて表舞台から姿を消した〈銀珠の魔女〉らによって止められるという予想だにしていなかった結末を迎えた上に、アルヴァレイム王国の発表に対して警戒を引き上げる事となり、ほとぼりが冷めるのを待つ形となる。


 それぞれの思惑が動き始め、しかし互いに牽制し合うかのように均衡状態を保った、表向きは平穏な日々が再び始まろうとしていた。

 リアが八歳の春に迎えた一連の事件が、後にリア自身を巻き込む一つの大きな事件になるなど、この時のリアが知る由もなかった――――。








                                幼少編 FIN

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