第15話 新たな日々へ

「――それじゃ、やってごらん」

「んっ」


 ジネットに促され、リアが銀珠を中空へと浮かべてみせる。

 その数は――

 どうやらこれが銀珠と自らの身体を同時に動かす上でリアの限界であるようで、これ以上となるとついつい足が動かなくなってしまうのである。


 くるくるくると縦横無尽に動く銀珠は、さながらそれぞれが個の意思を持っているかのように見える。時折じゃれ合うように二つの銀珠だけが一緒に螺旋を描くように踊ってみせたりと、段々と意思を持っているものだと錯覚してしまいそうになるのも無理はなかった。

 やがてリアまでもが銀珠の踊りの中へと身を投じてみせ、迫る銀珠と一緒になって飛び跳ね、空へと舞い上がり、時には捕まってくるりと回ってみせてと軽業師も顔を蒼くしそうな芸当をしてみせ始めた。


「……一体どんな頭をしてるんです、あの子は……」

「ぬぬぬ……っ、ふ、二つが、限界なんだけど……! っていうか二つ動かせても歩くの無理……っ!」


 リアの動きに感嘆と呆れが混じりかねないケインの声に、その横で歯を食い縛りながら、美人を台無しにしかねない勢いで目を見開いて銀珠を操る練習をしていたエルファが銀珠を落として嘆息した。


「はぁ……。七つの銀珠を全て操ってみせるなんて、普通に不可能だわ。そもそも並列思考なんてレベルじゃないわよ、アレ」

「どういう事だい?」

「並列思考っていうのは、『同時に物事を考えながら処理する』代物。だけど、いくら頭がそれを可能にしていたとしても、さらに個々に魔力を操るとなるとその難しさは雲泥の差なのよ」


 例えば並列思考と呼ばれるそれは、「Aの出来事とBの出来事に対して同時に思考を割いてみせる」といった代物だ。所謂「ながら作業」のそれとは異なり、一般人で言うならば「自分が同時に二人いるような状態」、とでも言うべきだとエルファは語る。

 しかし、あくまでも身体は一つしかないため、同時に物事を処理するのは酷く難しい。


「――それでもあの子が七つも操ってみせているのは、簡単に言えば並列思考と同時にそれぞれの銀珠の動きを全て計算して単調な動きを思考の隅に追いやりながら、さらに複雑な思考に対して意識を注いでるってこと」

「……そんな真似ができるのかい?」

「普通なら無理ね。しかもあの子、瞬時にそれらを計算できるだけの思考能力と、その動きを計算の下に実行できるだけの魔力操作能力というものを、意識の半分も使わずにやってのけてみせてるわ」


 ジネットの三つの銀珠とそれらを使った大魔法でさえ、エルファには驚きの一言に値する出来事だったのだ。それが七つともなれば、もはや驚きと感動を通り越して、呆れと理解不能な気味の悪さすら感じてしまうような光景である。

 エルファの指摘を聞いて、漠然とした感嘆から冷や汗すらかくような現実を知ったケインは、綺麗に整った顔を引き攣らせた。


「ケイン。あなたはまだ判っていないようだから教えてあげるけれど、あの子があの銀珠を通してあなたを包囲した上で魔法を打ったら、どうなると思う?」

「……あはは、笑えないね、それ……」


 逃げ場もなく、全包囲からの魔法攻撃など冗談ではない。

 一度や二度なら耐えられるかもしれないが、そこから抜け出そうとすれば、先日の地竜を押し潰した結界術によって動きを遮られるだろうと容易に想像がつくというものであり、ケインは冷や汗をかきながら綺麗な顔を更に引き攣らせる事になるのであった。




 ――――あの大暴走から、すでに五日が過ぎた。


 ――「ナゼスを襲った悪夢は、たった四人の英雄によって食い止められた」。


 かの〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉に棲まう魔女と呼ばれていたのはかつての英雄――〈銀珠の魔女〉であり、彼女の助力によって現代の英雄とも呼ばれている『蒼空の剣』に所属するケインとエルファ、加えてバジリスクから村人を守って重傷を負ってもなお再び立ち上がったマリーナ。

 この四人の英雄譚は瞬く間にナゼスの住民から住民へと伝わり、ナゼスの者達も、運悪く――と言えば運は悪いのだが、むしろ本人達は自分達もまた伝説の目撃者となった幸運を喜んでいる――ナゼスに居合わせた行商人らによって、すぐにでもフォーロア辺境伯領内どころか、このアルヴァレイム王国内に響き渡ることだろう。

 もちろん、彼ら彼女らは知らない。

 たった八歳の少女が絶望の淵に陥った英雄達を救ってみせた事も、この悪夢が何者かの手によって画策された代物であるという真実も。


 人為的な大暴走を引き起こした何者かの存在は、ジネットもティアから聞かされただけに過ぎない。ティアに詳細を尋ねようにも、ティアはあくまでも熾天使の立場を貫いているため、必要以上の真実を告げるつもりはなく、黙秘を貫いてしまっている。

 人為的に起こされたという決定的な証拠がない今、不用意に騒ぎを大きくするつもりはジネットにもないため、この真実はジネットの胸の内に秘められる事となった。


 さらにもう一つ。


 リアの非凡な才能については、ジネットの厳命によってたった四人の心の奥底に封じ込められる事となった。それはひとえに、リアの実力に貴族が目をつければ、自由を奪われるかもしれないという危惧があったからだ。

 熾天使の主、最上級神アスレイアの寵児であるリアが貴族に自由を奪われれば、ティアを筆頭に熾天使達が何をしでかすかも分からない。


 そんな判断の下、ジネットはケインとエルファ、そしてマリーナを巻き込む事にした。




「……さすがは、最上級神の寵児ね」

「最初は驚いたけどね……。あの二人を見れば、問答無用に信じさせられるよ……」


 乾いた笑みを浮かべながら語り合うケインとエルファの脳裏には、二人の熾天使の姿が思い浮かぶ。白い三対の翼を携えた美女、ティア。そして、黒い三対の翼を携えたナイスミドルことジルである。

 そう、三人はジルとティアに正体を明かされ、絶対にリアの正体を口外してはならないと釘まで刺されてしまったのである。


「そういえば、その二人とマリーはどこに行ったのかしら?」

「あぁ、森の奥に食べ物を取りに行くって言ってたけれど……って、帰ってきた……ね……」


 森の奥から姿を見せた、残りの三名に安堵の息を漏らしたケインは、そのまま戦闘をゆらりゆらりと幽鬼のように歩いてきたマリーナの姿に、そのまま絶句した。

 ようやくうろの見える位置へとやって来たマリーナは、まるで楽園を見つけたかのように満面の笑みを浮かべ、そのままドサリと音を立てて倒れ込んだ。


「やれやれ。たかが四級の魔物程度にこんなに疲れきるとは、情けないですね」

「ふむ。リア様とこれから先も共に行動してもらうのだ。せめて二級程度ならば片手間に倒せるようになってもらわなくては」

「……いっそ殺して……」

「死んでも構いませんよ、死んだ直後であれば蘇生魔法も可能ですので」

「ほう。「いっそ殺して」とはつまり、「死を体感するぐらいの訓練に切り替えてくれ」という事ですな。その意気や良し」

「違うからっ!?」


 この中でもっとも常人の立ち位置にいるマリーナは現在、経験不足と才能を見出された事も相俟って、ティアとジルの付き添いによる〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉の生態系を戻すべく、強力な魔物を間引く残党討伐ツアーに参加している。

 ちなみに、今は森の浅い部分にいる五級と四級の魔物を間引いているものの、それが一段落する頃にはケインもそちらに合流させられる予定なのだが、ケインはまだ自分がそちら側に回ることなど気付いてはいないため、苦笑するに留まっている。


「やれやれ。こりゃあ〈銀珠の魔女〉の名はいつまでも名乗れないねぇ」

「ジーネ、ジーネ! 魔法教えてー!」

「はいはい、そう焦るんじゃないよ。まったく、手のかかる子だねぇ」


 危惧していた銀珠の扱いもあっさりと自分を超えてみせた愛娘だが、どうにもまだまだ魔法の扱いは不器用らしく、ジネットが教えるべき事は多い。

 手のかかる子――つまりはそれだけ愛しい娘なのだと言下に愛情を含ませながら、ジネットはリアに向かって歩み寄っていくのであった。








 ◆ ◆ ◆








 セナルア大陸。

 最東端に〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉を擁するアルヴァレイム王国から北西にある、霊峰クァルの麓にある聖都ラ・エルを中心に栄えるローミッド聖皇国。

 彼らの原点は宗教のそれであり、神々の敬虔なる下僕として世界全域へと神々の声を届けるという使命を果たし、宗教国家として独立した国だ。

 最高位聖職者の教皇を筆頭に、教皇を支える『枢機卿団』。五名の枢機卿が存在しており、この国の内外を問わずに教会はこの六名の傘下にあると言っても過言ではない。


 そんな、五名の枢機卿の内の一人――アベリア・アイソート。


 年の頃は三十代前半とまだまだ若い〈普人族ヒューマン〉の女性である彼女は、切り揃えられた金色の髪と切れ長な赤茶色の瞳が印象的な、他者を寄せ付けない雰囲気を放った女性である。


 アベリアは大聖堂の中を、まるで苛立ちを露わにしているかのようにブーツを踏み鳴らしながら、一室の扉の前で足を止めた。


 深呼吸して、ノックを四度。

 中から返ってきた嗄れた老人の声を聞くなり、室内へと押し入るように勢い良く中へと入っていく。


「これはアイソート猊下。いかがなさいました?」

「御託は結構です、ルード大司教。一体何を考えているのです?」

「はて、何のお話ですかな?」

「惚けないでいただきたいッ!」


 執務机にバンと手を振り下ろしたアベリアが大声をあげてみせるも、白髪の老人――ルード大司教は微塵の動揺も見せようとはせず、小首を傾げてみせた。


「さて、どうやらお怒りのご様子ですが、残念ながら思い当たる節がございませぬなぁ」

「本気で言っているのですか?」

「えぇ、無論ですとも」


 互いに一歩たりとて譲る気がない、視線の交錯。

 しばしの沈黙の後、先に譲歩してみせたのはアベリアの方であった。


「……先日、〈大罪シンズ〉の者達が秘密裏にこの国を出ましたね?」

「ほう、彼らがこの国から出た、と?」

「彼らはあなたの配下ではありませんか。彼らの動きを掴めていないなどとは言いませんね?」

「ふむ……。確かに彼らはこの老いぼれの配下ではありますが、許可を出した覚えはありませんなぁ」

「しらばっくれるおつもりですか?」

「しらばっくれるとは人聞きの悪い。そもそも、彼らはゆえ。――[傲慢の罪源プライド]よ」


 ルード大司教の声に呼応するかのように、部屋の影が伸びていき、人の形を象り輪郭をはっきりとさせたものへと姿を変えていく。

 やがて、薄ら寒い笑みを浮かべた若い男が姿を現した。


「私ならここに。――おや、これは珍しいお客様で。ご挨拶が遅れました、アイソート猊下」

「……相変わらず神出鬼没ね。その魔法があれば、さぞ情報収集も捗りそうだわ」

「残念ながら、能力的には向いていますが性格的にそういった仕事は向いておりませんゆえ。ところでルード様、何用でしょう?」

「ふむ。どうやらアイソート猊下がお主ら〈大罪〉の者達が国の外に出ていると思っておるようでな」

「私達が、ですか? 何故そのような事を思ったのかはさて置き、私と同様に皆もまたこの大盛堂の中におりますが。お疑いが晴れると仰るのであれば、皆を呼びましょうか?」


 ――堂々とそう宣ってみせている以上、何かしらの対策は練られているだろう。

 そう考えてアベリアは気付かれぬように歯噛みすると、「……結構よ」と断りを入れ、心ない謝罪を口にしたまま部屋を後にした。


 外に出たアベリアを見送った[傲慢の罪源プライド]が指を鳴らし、再び影が部屋中を覆うように伸び、部屋の全てを影で覆う遮音の結界を張り巡らせた。


「やれやれ、厄介な女ですね。いっそ殺しますか?」

「あれでも枢機卿の一角だ。下手な真似はよさぬか」


 先程までの好々爺然とした雰囲気は一転、ルード大司教は細めた灰色の瞳に剣呑な光を宿らせ、[傲慢の罪源プライド]を睨めつけた。


「馬鹿者が。事を周囲に悟られぬように運べと厳命したはずだぞ」

「申し訳ありません。どうやら[暴食の罪源グラトニー]が目立ってしまったようですね。見た目も能力も、あの子は色々と目立ちますゆえ」

「それを悟られぬようにするのが貴様の仕事であろう」


 軽蔑を込めた視線を受けつつも、相も変わらぬ様子で薄ら寒い笑みを浮かべたまま頭を下げる[傲慢の罪源プライド]に、ルード大司教は小さく鼻を鳴らした。


「いくら小娘とは言え、枢機卿の一角と事を構えるには早い。気に食わぬな。計画が遅れるのは避けれまい」

「ならば尚更、あの女を消してしまった方が早いのでは?」

「ええい、愚か者が! それをすればどうなるかなど、少し考えれば分かるであろう!」

「さて、私達は日陰者ですゆえ」


 枢機卿の一角が暗殺されたともなれば、神に仕える国として名を馳せているローミッド聖皇国の信用に関わる問題となる。

 神が実在しているのは誰もが知っているが、誰もが宗教といったものを信頼するわけではないのだ。

 ただでさえ宗教というものを歓迎しない国もあるという中、事故死として片付けたとしても、学のない者達ならば受け入れてくれるだろうが、為政者達はここぞとばかりにそれを理由にローミッド聖皇国そのものを突いてくると容易に想像ができる。


 まして、枢機卿と教皇とはそれぞれがそれぞれの神によって推薦された者達であり、下手な真似をすれば文字通りに神の怒りに触れる事になるのだ。間違いなくこの国はその瞬間、滅びる事になる。


「良いか、貴様らに命じた命令は決して白日の下に晒されるわけにはいかんのだ。かと言って、勇者召喚が失敗するようになって、すでに何年も経っている。再び世界が勇者を望み、我らが栄華を掴み取るためにも、混乱と混沌を――それこそ神すら騙してでも引き起こさねばならん」


 勇者召喚。

 かつてはローミッド聖教が主導となって行っていた秘術が八年前を境に唐突に失敗を繰り返してしまっている。

 魔族との大戦の為にも、いざという時の切り札として勇者を召喚し温存するという名目で幾人もの勇者を召喚してきたが、この八年で召喚できた数はゼロだ。

 奇蹟を起こせたが故にあらゆる国々にその権威を示してきたというにも関わらず、勇者召喚という手札がない今、ローミッド聖皇国の立場は確実に弱まっている。


「神に願うために、ですか。犠牲になる方達はさながら生け贄といったところですねぇ」

「民が願えば、神は応えてくれる。その為の尊い犠牲を払うしかないのだ」

「……もしかしたら、私よりも誰より[傲慢の罪源プライド]の名が似合うのは、あなたかもしれませんね」

「何をブツブツと言っておる?」

「いえ、なんでもありません」

「フン……しばらくは身を潜めておけ。良いな?」

「えぇ、畏まりました」


 恭しく頭を下げて、[傲慢の罪源プライド]はその言葉を改めて告げようとはせずに沈黙を貫く事にした。

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