第19話 手合わせ

 リアとマリーナが巨木のうろに築かれたジネットの家へと着く頃、ジネットは〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉の奥にある湖の近くへとやって来ていた。

 周囲の魔物はすでにジネットに一掃され、湖畔に似つかわしくない物騒な殺気も感じられない。まるでここが平和な森の中であるかのような、穏やかな時間が流れている。


「――……来たね」


 湖を見つめながらゆったりとした時間を過ごしていたジネットが小さく呟いて空を見上げる。

 蒼穹の向こう側、雲一つない空を飛ぶ何かの存在へと目を向けると、ジネットは億劫だとでも言いたげに表情を顰めて嘆息した。


 縦に並ぶように飛んで来たのは、体長は長い尾まで含めれば六メートル程はあり、大きな翼を羽ばたかせる二頭の飛竜。二頭はジネットが佇む湖畔の周囲をぐるりと旋回しながら減速し、徐々に降下してくる。


 ジネットはそれらの背に跨る三人の姿を確認した。

 二人はおぼろげに見覚えのある男性ではあるが、一人は知らない少年だった。

 まだリアと同い年程度といったところだろうか。金色の髪を風に靡かせた中性的な顔立ちは、飛竜に乗る事にまだ慣れていないのか、少々緊張した面持ちで、背を預ける男が持つ手綱をぎゅっと握り締めている。

 その姿に、ついつい「愛娘リアだったら表情を輝かせて楽しむだろうに」と比べてしまう辺り、ジネットの親馬鹿ぶりは健在であった。


 やがて飛竜はジネットから少しばかり離れた所に無事に着陸すると、飛竜に乗ってやって来た三人の内の一人――壮齢の男がジネットに向かって歩いてきた。


「ご無沙汰しております、ジネット様。遅くなってしまい、申し訳ありません」

「仕方ないさ。慣れない子供を乗せて飛んできたんだ。あまり無茶を言うもんじゃないよ。それに、その口調はどうにかしな。生意気だったお前さんがそんな丁寧な口調なんて、気持ち悪いったらないね」

「はっはっはっ、そう言われてしまうと辛いですな。では、お言葉に甘えさせていただくとしよう」

「それでいいよ。で、あの小僧は何者だい?」

「儂の孫だ。王都の訓練場なら一人でも飛べるが、遠乗りは初めてでな。ましてここは〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉だ。どうにも緊張してしまったらしい」

「孫、ねぇ……」


 緊張のせいか、少々足腰にきてしまっているのだろう。男に支えながら飛竜から降りた少年は悔しさを噛み締めるように表情を歪ませながら溜息を吐くと、苦笑しながら男に礼を言ってジネットと男の元へと歩いてくる。


「アーク。こちらが魔王殺しの英雄の一人、〈銀珠の魔女〉ジネット様だ」

「初めまして、ジネット様。僕はアーク・セス・アルヴァレイム。第一王子です。貴方様のご活躍は伺っております」

「くっくっくっ、私が活躍した頃はまだ生まれてもいないだろうに。そんな畏まるもんじゃないよ」


 そう、やって来たのはここ〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉と隣接するナゼスが所属する国――アルヴァレイム王国の重鎮中の重鎮。金髪の中性的な少年アークは第一王子を名乗り、そんなアークを孫と呼ぶ壮齢の男性は、ジネットとも面識のある先代国王――ジークベルトである。


「ご無沙汰しとります、ジネット様。オルトです」

「おや、オルトかい。ちんちくりんだった頃の面影が残ってるねぇ。そろそろ現役を退いたのかい?」

「ははは、敵いませんな。えぇ、すでに若い世代に託しましたとも。儂のような老骨がいつまでも上にいては、若い連中の成長の妨げになるというものですとも。今はこうしてジークベルト様の私的な護衛という立場に落ち着いております」

「そうかい」


 アークを引き連れていたのは、アルヴァレイム王国近衛騎士団の元団長であり、こちらもジークベルトと同年齢程度の壮齢の男。筋骨たくましい男、オルト・フォン・ルーズレッドである。


 ジークベルトとオルトにとってみれば、ジネットと言えば自分達がまだアーク程の年齢であった頃に出会った英雄だ。

 五十余年前の魔王殺しの戦争を終わらせた英雄の一人、〈銀珠の魔女〉。

 かの戦争以来行方を晦ましてしまっていた英雄が、まさか自分達の暮らしている国と隣接した魔境にいるなどとは思っていなかったというのが正直な所であった。

 三年前のナゼスでの事件以降、再び表舞台へと立ったジネットに対し、近々挨拶にと文を送らせてもらってはいたものの、それが今日になってようやく果たされた、という訳である。


「ここじゃ何を話そうにも落ち着かないからね。うちに招待させてもらうとするかね」


 わざわざ先王と第一王子がやって来たのだ。さすがにこの場で軽く挨拶だけして終わりという訳にもいかない。

 ジネットは三人を引き連れる形で、飛竜と共に通い慣れた魔境の中へと足を進めた。




 一方その頃。

 ナゼスからマリーナを連れて家に帰っていたリアは、ジネットが出かけている事に気がつき、マリーナと共に家の前の開けた場所へと出てきていた。


「今日こそは勝たせてもらうわよ」

「負けないもんねー。あ、銀珠いくつ使っていい?」

「……み、三つまでにしてください……」

「はーい」


 最初の気概は何処へやら、マリーナはリアの問いかけに顔を引き攣らせながら懇願する。


「リア、銀珠いくつ使えるようになったの?」

「んー、実戦だと十が限界かな? 自分が動かなくていいなら十五までは操れるけど、それだと接近されたら対処できなくなっちゃうから」

「……そ、そう」


 相変わらずとも言えるリアの非常識とでも言うべきか、或いは規格外とも言える処理能力と操作能力に、マリーナの苦笑がさらに強張った。

 マリーナの先輩にあたり、魔法使いとしての実力では冒険者の中でもかなり上位にいるという『蒼空の剣』の〈森人族エルフ〉――エルファでさえ、最近になってようやく二つの銀珠を操りながら戦いに意識を割けるようになったばかりだ。

 そのあまりの難しさに、度々頭痛を訴えては横になって休憩を要していたのが常であったというのに。


「……まったく。ケインさんもエルファさんも、そりゃ必死にもなるわよね……」

「なんか言ったー?」

「なんでもないわ」


 天才と呼ばれ、三年前までは実力と才能に自信を持っていた若き二人が、今では天才と称される度に苦笑しか浮かべなくなってしまったのは、偏にジネットという大英雄と出会い、更にはリアという存在を目の当たりにしてしまったからこそだろう。今では名実共に一級の魔物ハンターとして名を知られている二人だが、それでも一切の慢心もなく鍛錬に励み続けている。


 そんな二人にすら追いつけていないマリーナではあるが、これでも三年前のケインと同様に三級魔物ハンターとしてマリーナの名もまた絶賛売出し中である。マリーナも、バジリスク戦での雪辱やジネットとリアの存在、それに『蒼空の剣』の上位実力者を前にしてしまって以来、自分が天才だなどとは一切思っていない。


 ――今日こそは銀珠を避けて、接近戦に持ち込む。

 そんな気合を入れつつ目を閉じて深呼吸したマリーナは、目を開けて――そのまま見開いた。


「……えっと、リア?」

「うん? なぁに?」

「その手に持ってる木剣って……?」

「あれ? 言ってなかったっけ? わたし、元々魔法一辺倒型じゃなくて接近戦の方が得意なんだ」

「……へ、へー……」


 聞き捨てならない言葉であった。

 リアの言葉は実に正しい事実ではあるのだ。元々、VRMMOのゲーム内では最前線に切り込む前衛。高速戦闘をこなせる自信があった。ただ、肉体的な成長や、歪な筋肉の成長などを危惧し、これまではあまり剣を握ってこなかっただけである。基礎体力を増やす事に終始していたのだ。

 この半年で、かつての勘はしっかりと取り戻しているつもりである。


「って言っても、わたしの剣は我流だから。マリーナに剣だけで勝てるとも思えないけどね」

「……私も剣だけで戦い続けてきたもの。そう簡単には負けてあげられないわよ」

「うん。――じゃあ、始めよっか」


 お互いに合図もなく、ただ纏う空気を切り替える。それだけで、戦いの合図には十分だった。


 先手必勝とばかりに駆け出したのはマリーナであった。

 両手に携えた、愛用の剣と同等の重さを持たせた木剣を持って上体を低くし、一気に距離を詰める。


 魔法使いとの戦いで、距離を保つのは不利でしかない。

 しかし裏を返せば、魔法使いには接近さえしてしまえば得物を操る戦士の方が有利だという事実もある。

 そうした常識的な判断から距離を詰めに駆け出したマリーナであったが――しかし、その考えはリアという非常識少女を相手にする上では間違いでしかなかった。


 何故なら、すでにリアもまたマリーナへと接近していたのだから。


「――速……っ!?」


 すでに腰に剣を構え、上体を捻りながら抜刀する姿勢を見せているリアの姿に驚愕しつつも、マリーナが咄嗟に木剣を軌道上に立てて防御しようと対応する。

 見た事もない構え方ではあったが、恐らくは横薙ぎの一撃が飛んでくるのであろう。そう判断したマリーナであったが、しかしリアはそのまま後方へと一飛びした。


 ――まさか、私の足を止めるためだけに……!

 今の行動、木剣での攻撃はリアのブラフだったのだと悟ったマリーナは、リアの銀珠がすでに視界から外れている事に気付かされた。


「――【風弾ウィンドバレット】」


 短いリアの詠唱――同時に、マリーナから見れば死角に位置する、後方上部、斜め後ろの低い位置にそれぞれ移動していた銀珠から、魔法が放たれた。


「く……っ!」


 咄嗟に前へと飛んだのは、マリーナの賭けでもあった。

 一斉に放たれた魔法ならば、着弾地点から離れてしまえば良い。それでも横に転がってしまえば追撃がくる。前方へ、リアとの間合いを詰める事を最優先したマリーナの判断が功を奏したのか、リアが驚きに目を見開いた。


「やああぁぁッ!」


 ようやく捕まえた、とばかりに剣を振るうマリーナ。

 リアは相変わらずの抜刀態勢から動こうとはしておらず、防御に回らせるだけの余裕は持たせていない。


 取った――と確信したマリーナの表情を見つめて、リアが小さく笑う。

 同時に、マリーナの振るった木剣が不意に何かにぶつかったかのように弾かれる。


「え――?」


 弾いたのは、一つの銀珠であった。

 最初からマリーナに対して攻撃魔法を放った銀珠は二つしかなく、一つはリアの背の後ろに隠して浮かばせていたのだ。それが飛び出し、かつての【結界術】を使ってマリーナの剣を不意に弾いた、という訳である。


 驚愕に目を見開いたマリーナを他所に、リアが表情を引き締め――抜刀するかのように剣を振るった。刹那、マリーナはまるで自分の身体が両断されたかのような錯覚に陥り、悪寒に顔を引き攣らせつつ、来るであろう衝撃に目を瞑る。


 しかし衝撃は来なかった。

 恐る恐る目を開けたマリーナがリアの木剣を見つめると、リアが振るった剣は、不意に動きを止められてがら空きになった胴に当たる直前でピタリと止められていた。


「私の勝ち、だね?」

「……えぇ、まいったわ――って、わぁっ!?」

「やったー! うまくいったー!」


 喜びのあまりに抱きつくリアに転ばされて、マリーナはつい悔しさに歪めていた表情を緩め、笑い始めた。


 ――相変わらず、無茶苦茶な子ね……。

 本来ならば一人ではできない戦い方を実践してみせるリアの、相変わらずの無茶苦茶な能力に対してマリーナが抱いた感想は、その一言に尽きた。


 悔しさはもちろんある。

 しかし、どうにも憎めないというか、天真爛漫過ぎるリアを見ていると、それが苦手意識や敵対心に繋がる事はなく、ただただ素直に感心させられてしまうのだ。

 抱き着いて喜ばれたり、こうして無条件に甘えられてしまうと、マリーナとしてもついつい母性本能と言うべきか、姉という立場としてか、甘やかしたくなってしまうのである。


 きゃっきゃと喜ぶリアの頭を撫で、空を見上げていたマリーナの耳に足音が聞こえてきて、ジネットの顔が覗き込むように映り込んだ。


「久しぶりだね、マリー」

「ジネット様、お久しぶりです」

「あ、ジーネ! おかえりー!」


 二人の手合わせを見ていたらしいジネットの姿に気が付き、ようやくマリーナを解放したリアが他の視線を感じて振り返る。

 そこに立っていた三人の表情はぽかんとした様子で目と口を丸くしており、その姿に小首を傾げる事になったのであった。

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