第20話 現実的な問題

 うろの中に築かれたジネットの家。

 ジネットとリアの二人――と言うよりも、いっそリアが住んでいると言うべき女の子の家らしい雰囲気の中に晒されたジークベルトとオルトは少しばかり落ち着かない様子で、アークに至っては何やら顔を少し赤くしてそわそわとしている。

 王侯貴族の貴族子女の屋敷と言えば、当然ながら個室は個室として備えられているものの、こうしてワンルームそのままとでも言うべきジネットとリアの家は違う。生活空間に侵入してしまうような、どうにも浮足立った様子を見せる三人に対し、ジネットは溜息を漏らした。


 お互いに紹介させたものの、結果は――「混沌としている」の一言に尽きた。


 見れば、マリーナはマリーナで先王であるジークベルトや元近衛騎士団長という肩書きのオルト、第一王子というアークを前に緊張しているようではあるし、リアは「よく分からないけど偉い人」という一括りにしてはいるものの自然体である。


 このままでは埒が明かないと考えたのか、ジネットが用意したハーブティーを口にしてから咳払いしてみせた。


「それで、今日は何が目的でやって来たんだい?」


 まさか本当に挨拶するだけと言うのなら、こうしてわざわざ会談の場を設ける必要などなかっただろう。何か目的があってやって来たのは間違いないとジネットは踏んでいるし、それが自分に対してではなく、「二代目となった〈銀珠の魔女〉の少女」として名前だけが知られているリアに対するものだろうとも推測している。

 そうしたジネットの推測通り、リアを紹介した時のジークベルトやオルトの反応はまさに値踏みするような目つきであったし、アークに至っては先程から純情な初恋に浮かれた乙女のようにちらちらとリアを見ている。


「挨拶に、と繕ったところで、意味はないだろうな」

「当たり前さ。まぁおおかた想像はついてるけどね……――リアが目的だね?」

「ふぇ? わたし?」


 リアにとってみれば予想外だったのだろう。ハーブティーを飲んでほっこりと溜息を吐いていたリアが間の抜けた声をあげると、ジークベルトとオルトは苦笑した。


 ジークベルトにとってみれば、リアは確かに〈銀珠の魔女〉の名が相応しい少女だろう、とも思う。

 ナゼスを領内に構えるフォーロア辺境伯からの報告通りの、妖精と見紛う容姿。銀色の美しい髪に紫紺の丸い瞳、どこか神秘的な空気を纏う少女は、そんじょそこらの貴族子女が放つ高貴な空気とはまた異なるものの、高貴さを感じさせる少女だ。

 一方、オルトにとってみれば――異様だった。

 先程のマリーナとの戦いでの冷静過ぎる戦いぶり。銀珠を操りつつも、見た事もない抜刀術を併用してみせるという戦い方。マリーナの速さにも驚かされたものだが、対応してみせるだけの胆力。それらどれもが、まだ齢十一という少女には似つかわしくない。


 いずれにせよ、ただの少女という扱いはできない存在であるという点は、ジークベルトとオルト、それにアークもまた同じ感想を抱いていた。

 もっとも、アークの場合はどうにも少しばかり異なる感情があるが故に、といった印象ではあるのだが。


「ジネット様。彼女を、我がアルヴァレイム魔法学園に生徒として招きたい」

「……魔法学園、ねぇ」


 思わずリアとマリーナは先程話した話題だと言わんばかりに視線を交わし合い、ジネットはジネットで胡乱げにジークベルトを睨めつけた。


「言っておくけど、この子は学生なんかの括りの実力者じゃあないよ。わざわざ学園に通わせたところで、この子が学ぶ事なんてないと思うけどね」

「そこについては余も知っておる。フォーロア辺境伯からあがってくる情報を聞く限り、今すぐに冒険者となったところで何不自由なく暮らしていけるでしょう。が、それを理解した上でなお、お願いしたい」

「……理由を聞こうじゃないか」


 一蹴されるかと思われた提案であったが、ジネットはそうしなかった。

 と言うのも、リアが学校と聞いて、何やら興味を示したかのように目を爛々と輝かせているのである。

 ここで無下に断ろうものなら、察しの良いリアの事だ。自分からは行きたい等とは言えずに言葉を呑み込んでしまうだろう事はジネットにも予想できた。


「現在、アルヴァレイム王国のみならず、付近の国々でも何やら不穏な動きがあるようでな。そのため、国としての国力の増強を図っている最中だ。しかしながら、この五十余念の平和のせいか、戦場を知らぬ者達が大人となり、教師となり、戦力はかつてに比べても酷く劣っておる。この辺りはオルトもまた感じているであろう」

「……遺憾ではありますが、否定できますまい。かつての魔王との戦いの頃に比べれば、今のアルヴァレイム王国の戦力は低下しております。もしも今、魔王という厄介な存在が再び動き出そうものならば、あっさりと国が飲み込まれる可能性すらあります」


 その言葉を耳にして、アークが驚愕に目を見開いた。

 アークにとってみれば、騎士団は精強であり、国の誇りであると教わってきたのだ。そんな騎士団が負けるなどという言葉は、いっそ不敬にすら当たるはずの発言であるとさえ言える。

 しかし、それを先王である祖父と、近衛騎士団最恐の名を恣にしていたオルトが否定してみせるというのだから、驚きを禁じ得なかった。


 一方で、ジネットはそう驚く事もなかった。

 世界に何かが起ころうとしているという話は、リアを預かる際に熾天使であるティアからも聞かされた言葉ではある。加えて言うのであれば、確かに今の冒険者達の質は、ジネットが最前線で戦っていた頃に劣っているのが実情なのだから。


「……言っておくけど、リアを国の戦争に巻き込むって言うんなら黙ってないよ」


 ――主に熾天使が、とはジネットも言わなかった。

 もしもリアを政治的に利用しようとすれば、リアの保護者を自負しているジネット以上に溺愛しているとも崇拝しているとも言える熾天使連中が何をしでかすか、分かったものではないのだ。下手をすれば、リアを利用しようとした一族郎党を断罪するか、或いは国ごと葬り去ろうとさえしかねない。


 そういった本音はともかくとして、ジークベルトは否定すべく首を振った。


「そのつもりは毛頭ありません。むしろ彼女には、活性化の要因を担っていただきたい」

「活性化?」

「先の戦いの実力を見る限り、彼女は確かに凄まじい実力の持ち主でしょう。だからこそ、そんな彼女に触発されて他の生徒も躍起になってもらいたい。そういう意味で、そちらのお嬢さんの存在は十分に影響力を持っている」


 言わんとする言葉の意味は確かに理解できた。

 しかし、ジネットの表情はむしろ厳しいものに変わっていた。


「……単純な思考だね。リアは確かに天才だよ。けど、そんなリアに比べられて潰える才能があるかもしれないだろうに」


 それは世の理とも言える。

 マリーナやケイン、エルファといった世間から天才と呼ばれてきた者達ですら、その呼び名を返上してしまいたいと言いたくなる程の才能の塊――それがリアだ。最上級にして創世神でもあるアスレイアの寵愛を受け、その肉体を与えられたリアという存在は、もはや天才の一言で片付けられるような代物ではない。

 そんなリアと比べられたが故に、本来なら大器晩成の才能、もしくは絶えず努力を続けて開花する才能の持ち主の心が折れてしまえば、総合的に見れば損失の方が大きくなる可能性の方が高いのだ。


 何も意地悪く、否定する為にジネットも口にしているのではない。

 リアが学園に通って、その時に知らぬ内に誰かを傷つけてしまう事だってあるかもしれないからこそ、敢えてジネットは厳しい言葉を口にしていた。


「仰りたい事は理解しますが、そういった意味ではそちらのリア嬢だけが特別、という事にはならないかと」

「なんだって?」

「幸い、次の春に入学する予定となっている貴族子女の中にも、有り体に言えば天才と呼べるような才能の持ち主が数名おります。そして、ここにいるアーク殿下もまた、その一人に含まれておりますゆえ。そういった子らは、一般生徒とは異なる特別編成クラスに配属される事となり、多くの生徒の模範となってもらう予定です」


 オルトの言葉は誇張でもない純然たる事実であった。

 確かにアルヴァレイム王国内の戦力という意味でも、この数十年では低下傾向にあったのは事実だ。しかし、リアと同世代の少年少女の中には、紛れもなく才能のある子供が数名は確認できていた。

 元近衛騎士団長のオルトに太鼓判を押される形となったアークであったが、そこには照れや過信はないようで、表情を崩す事もない。よほど、アークもまた己の実力に自信があるのだろう。


 しかし、ジネットは獰猛な笑みを浮かべてみせた。


「――ハッ、笑わせるんじゃないよ、小童が」


 一瞬にして、空気が凍りつく。

 ジネットが己の魔力を解放し、威圧するかのように放たれた魔力の奔流が静かに周囲に充満していくのを、その場にいた誰もが感じ取っていた。


「この程度の威圧に怖気付く小童やお前さん達程度の実力にも及ばないんだろう? だと言うのに、この二人と同等の子供がいる? 本気でそう言っているのかい?」


 これにはジークベルトとオルトも言葉を失った。

 ジークベルトとオルトは思わず顔を強張らせ、アークに至っては目を大きく見開き、恐怖のあまり身動きが取れないといったところだろうか。

 対照的に、ティアとジルといった熾天使が鍛錬と称して魔力によって威圧を行う行為は多く、そうしたものに耐性を持つマリーナは苦笑を浮かべる程度で大して動じる様子も見せない。

 まして、リアに至ってはハーブティーのおかわりを【念動】を使って注ぎつつも、おやつを取りに行こうかと思案しつつ、虚空をぽけーっと見上げているといった有様であった。


「……っ、お言葉、ですが……!」


 そんな中、唯一口を開いたのは最も未熟とも言える少年――アークであった。

 震えそうになる声を大きく息を吐き出しながら、絞り出すように告げるアークにジネットも思わず興味深そうに目を向けた。


「確かにまだまだ至らないかもしれません……ッ! ですが……――いえ、だからこそッ! 強くなる必要があるんですッ!」

「ふん、強さが必要ねぇ。だったら勝手に強くなればいいさ。そこにうちの娘を巻き込む必要があるのかい?」

「それは……ッ!」


 言葉に詰まるアークを見て、ジネットはやがて表情を緩めて威圧を解いた。


「……はぁ。まったく、心臓に悪いな」

「くっくっくっ、悪かったよ。……なるほど。まだまだ青い……けど、悪くはないね。この数十年で腐ってるようなら叩き出してやろうかと思ったんだけどねぇ」


 弛緩する空気の中で口を開くジークベルトに、ジネットがくつくつと笑う。


「どういう事、ですか?」

「なぁに、少し試させてもらっただけさ。さっきからリアを見てばっかりのお前さんが色ボケ王子か、それとも少しは骨があるのか、ね」

「な……っ!?」

「うん? わたし?」


 顔を真っ赤にして言葉を失うアークを他所に、先程まで魔法学園に通うかどうかという話題に出ていた張本人であるリアの反応は、まるで自分とは無関係とでも言いたげなものであった。


「リア、話は聞いていたね? お前はどう思っているんだい?」

「魔法学園のこと?」

「あぁ、そうだよ」

「んー……、あまり興味ないかな?」


 あっさりと言い放ったリアにジークベルトとオルト、アークの三人は明らかに表情を歪ませた。リアの言葉は、まるで「学ぶ事などない」とでも言いたげな言葉にも聞こえてしまうような答えだったからだ。

 確かにリアの実力は生徒どころか、一流の冒険者に比べても遜色ないものであるという事はジークベルトらも理解できた。先程のマリーナとの手合わせを見ていれば、それは納得できるというものだ。しかし、学園を卒業するというのが一種のステータスとも言えるアルヴァレイム王国の在り方もあってか、リアの言葉はあまりに学園を軽視しているようにも聞こえてしまうものであった。


 そうした表情の変化に気付かずにリアは続けた。


「わたしはここで、ジーネとかみんなとかと暮らしている方が楽しいもん。学園生活も楽しそうだけど」


 前世でのリアの学校生活というのは、まだ小学生の間で記憶が止まってしまっている。そういう意味では、学園生活に多少なりとも憧れがない訳でもない。しかし、ジルやティアが常識的な存在ではないという事もリアは理解している。あの二人と気兼ねなく会えるのは、あくまでも人の目のないこの場所でなければ難しいだろうとリアは思う。


「育ての親としては嬉しいけどね。でも、それだけが理由かい?」

「ううん、そういう訳じゃないよ。有名な学園って事は、偉い人達も注目してるってことだよね? ジーネの肩書きを受け継いだわたしがそんな場所に行ったら、変に注目されたりしちゃいそうで嫌かなーって」


 乗り気になれない理由として単純に挙げるとすれば、それこそ学園生活がイコールして貴族社会に関係しかねない可能性もある、という点だ。

 生前、暇潰しも兼ねて読み漁っていたライトノベルや小説、マンガの中で描かれる貴族は、どうにも権力を笠に着る厄介な存在といったイメージが強い。アルヴァレイム王国の魔法学園で一目置かれるという事は、それこそ貴族からも目をつけられる可能性を示唆している。

 天然の純真爛漫な性格のリアであっても、何も頭が悪く何も考えていない訳ではない。

 そういった影響も考えると、〈銀珠の魔女〉という肩書きを持つ自分の存在がいかに一般的ではないかという事ぐらいはさすがに理解していた。


「だ、だったら、僕が守ってみせます!」

「うん? それはダメじゃないかな?」

「え……?」


 男気を出し、勇気を振り絞って宣言してみせたアークの一言はあっさりと一蹴されてしまった。


「で、でも、僕は王族の、それも第一王子です!」

「うん、知ってるよ。だから余計に無理なんじゃないかな?」

「何故……!?」

「落ち着きな。リア、どういう事だい?」

「えっと、わたし一人の為に、わたしと折り合いがつかない貴族と敵対するような話になったら、いずれ王様になった時にお互い嫌な気分になるかもしれないでしょ? 王様はみんなの王様なんだから、そんな風に敵を作るのはダメだと思うの」


 これにはジークベルトやオルト、ジネットやマリーナも思わず目を丸くした。

 政治的な駆け引きや付き合い云々をリアは理解していない。しかし、王族という立場を利用して自分を守ろうとした結果、他の貴族家を敵に回すような事になれば、それは数年後のアークにとっても痛手となる可能性は確かにあった。

 もちろん、大人としては水に流すべきなのかもしれないが、人の感情とはそう簡単に整理できるものとは限らない。ましてや自尊心の強い貴族子女ともなれば、子供の頃の恨みというものを容易く飲み込めない者もおり、事実幼い頃の因縁のせいか互いに疎遠な貴族家というのも珍しくはなかった。

 本来、王族が学園に通う目的というのは、次代を治める者達との交流を深め、次代の統治をより円滑に進める為というのも純然たる事実なのだ。


 一国の王子に「キミは僕が守る」ぐらいの事を言われれば、それこそ一般的な少女ならば夢を見てしまいそうなものだが、相手は残念な事に恋愛やそういったものに興味はもちろん、憧れもへったくれもないリアである。

 リアの言葉はあまりにも的確かつ現実的な意見ですらあった。


 結果、アークの一世一代の宣言とも言えるような言葉は、そんなリアの現実的過ぎる理由によって玉砕した。


 ジークベルトやオルト、ジネットという感心してみせる面々を他所に、マリーナはあまりにも悲惨とでも言うべきアークの玉砕ぶりに、心の中で密かにエールを送る事となるのであった。


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