幼少編 魔法修行、始めました!

第4話 リア、魔法修行を始める

 身も凍るような厳しい寒さを越えて、新たな息吹を感じさせる穏やかな春の訪れに草木も芽吹き、動物達もまた長い冬眠からゆっくりと目を覚ます。


 しかしながら、ここ――〈魔境の深林ネプラ・コルクス〉に於いては、その限りではない。


 魔力を多量に含むこの地は自然界の法則から少々かけ離れているようで、例え身も凍る程の寒さである真冬であっても木々は葉を落とそうともせず、一年を通して森の中は相変わらずの様相を呈しているばかりであった。


 ――――そんな森の奥深く。


 木のうろをそのまま家にしている〈銀珠の魔女〉ことジネットの家の扉からぴょこんと飛び出るように顔を出したのは、一人の少女であった。

 銀色の髪を肩口で切り揃え、紫色のくりくりとした目は警戒心の欠片も感じさせないような少女。


 彼女こそが梛野なぎの凛空りあこと、リアである。


 丸い目で周囲を見回すと、リアは扉の内側へと再び顔を戻した。


 うろの中――ジネットとリアの二人の住む家の内部には、木の外側を回る階段と同じように外周に沿った螺旋階段が設けられており、外の地面からは少々高い位置に床が位置している。

 採光用の窓がないことも子供の影響に良くない――と考えたのは、『魔と叡智の神』アールアであり、わざわざお告げを通じてまでジネットに伝えられたという逸話がある――ため、一部を繰り抜いて外の明かりが入り込むようにと配慮されたものの、深い森である上に空をしっかりと見えない。基本的には薄暗いままである。


 結局以前と変わらずに魔導具である暖色系の色を灯すランプに頼る形であるが、これはこれでリアも気に入っている。


 トイレやシャワーは外から運んできた木材などを使って、しっかりと個室を作っているあたり、ジネットも魔女と言われようとも人の暮らしからそこまで離れられない、といったところだろうか。

 階段を降りれば、部屋の中央には大きな円形のテーブルが置かれ、部屋の隅には大きなベッドと小さなベッドが少しだけ間を空けて並んでいる。壁際にはずらりと様々な本が並べられているため、リアの最初の印象は図書館の中で暮らしているかのような、そんな感想を抱いたものであった。


 春の訪れに心なしか浮足立つような足取りで、軽快に階段を降りてきたリアが最後の一段をぴょんと飛び降りた。


「やれやれ、何やら楽しそうだねぇ」

「あ、ジーネ! おはよ!」


 見た目ならばまだ四十に差し掛かるか否かといった、しかしながらその実は百を越える年齢。母とも祖母とも言い難い、というリアなりの考えから、ジネットはリアにジーネと呼んでいる。

 ジネットもそう呼ばれるのは嫌いではないようで、物言いは以前とは変わらないものの、どこか穏やかな笑みを浮かべて朝の挨拶を返した。


「おはよう、リア。どうしたんだい、そんなに嬉しそうに」

「春がきたよ!」

「あぁ、もうそんな時期かい。そろそろ近くの町に薬を売りに行く時期だねぇ……って、リア。八つになったらって約束、憶えていたのかい?」

「うん! だからそろそろだよねっ!」


 この家で引き取られて以来、リアはまだジネットと共にしか外を出歩くことを禁止されている。強力かつ凶悪な魔物が多く、自衛の手段を持ちあわせていないリアでは、すぐにでも喰い殺されてしまいかねないからだ。

 そのため、森の中を散策したりといった近場の探検ならばジネットと共に行動することを許されているものの、片道では半日以上はかかってしまう町までの行き来の同行はできなかったのだ。


 あの熾天使の登場から八年。

 ジネットとの暮らしは子供にとっては非常に不便かつ退屈なものではあるはずだが、リアはこの生活を苦には感じていなかった。かつての病院生活に比べれば、自由に元気に歩き回れるというだけでも自分は恵まれているのだと思わずにはいられない。

 かと言って、リアもいつまでもここでの生活を続けていれば満足できるわけでもない。いずれはかつてのMSOの中での冒険のような、そんな暮らしをしてみるのも悪くはないのかもしれないと夢想していたりもする。


 それ故に、リアはジネットとの約束の日をずっと待っていたのである。


「リアは最上級神様の寵児って話だからね。鍛えれば、いずれは私を超える実力者にだってなれるだけの素質は持っているんだろうねぇ」


 いざ魔法、と嬉しそうに爛々と瞳を輝かせるリアを見ながら、ジネットはふと呟いた。


 リアの過去――つまりは前世の記憶というものを、ジネットはリア本人から聞かされていた。

 そもそも、リア自身が熾天使から預けられた子供である以上、普通の子供とは違う。まして、意図して理路整然とした――リアの精神年齢は元々幼いが、それでも歳相応ではないという意味で――言葉を喋ったり、目線の動きや態度や配慮といったものは、やはり普通の子供とでは大きく異なる。

 その違和感は一般的な赤子や子供を育てた経験などなくともすぐに気付けるものであり、故にジネットは、リアの前世の記憶があるという事実を多少の驚きこそあったが受け止めている。


 余談だが、ジネットはリア自身がアスレイアが産んだ子供だと思っていた節もあり、むしろ前世があっただけの普通の人間――つまりはこの世界で言うところの〈普人族ヒューマン〉であったという事実に安堵していたりもする。


 そもそも、前世が十七年。

 その短い生涯の半分以上を病に冒されて生き、最期を迎えたという過去。

 少々偏屈な節のあるジネットですら同情してしまうような内容である。


 当初は多少の距離感を置いて接していたジネットも今ではすっかり母親が板についている。


 ――――ともあれ、だ。


 リアは八つを迎えて身体もようやく成長した。それまでは頭の重さや身体の未熟さで、走り回れてもうまくバランスが取れないといった具合であったのだが、八歳の春を機に、ようやく魔法の訓練が始まるのである。


「それで、魔力については感じ取れるようになったのかい?」

「うん! こう、もわっと? ぽかぽかしてるってジーネが言ってたけど、モヤモヤみたいなヤツ!」

「も、もわっと……モヤモヤ?」


 両手でふわふわとした何かを表そうとしているのか、両手を動かしながら奇妙な動きをしながら答えるリアの言葉は、どうもジネットにはうまく伝わらなかったようである。リアの言語能力はある意味では歳相応であった。


「なんかね、こう……うねうね?」

「また新しい言葉が出てきたねぇ……って、うん? ちょいと待ちな、リア。まさかそれ、自分で見たままの感想って言うんじゃないだろうね?」

「んゅ? 見えてるよ? ほら、ジーネの周りもうねうね~」

「……見えて、るのかい……」


 小首を傾げるリアとは対照的に、ジネットは今更ながらにリアが最上級神の寵児であるという事実を改めて突き付けられたような気分を味わいながら、言葉を失った。


 確かに魔力の可視化というのは珍しくはない。

 ジネットもまた魔力を自らの目で見ることも可能であるし、魔法を操る者であればいずれはそういった場所に足を踏み込むことになる。

 しかしそれは、一流と呼ばれる魔法使いだけが辿り着ける境地だ。

 ジネットも今この場で魔力を見ろと言われれば、集中に集中を重ねてようやく見える、といったぐらいが精々なのだ。


 目の前で小首を傾げて自分を見上げていたリアが徐々に不安そうな表情を浮かべていく姿に気付いて、頭を撫でながらジネットはふっと小さく笑みを浮かべた。


「そう心配しなくていいんだよ。それはとても良いことだからねぇ」

「そうなの?」

「あぁ、そうさ。リアなら立派な魔法使いになれるだろうしね」

「ん、良かった」


 ふんすと鼻息荒く両手の拳を握り締めて告げるリアを見つつ、ジネットが中空を撫でるように動かす。その動きに呼応するかのように部屋の隅にあった、バスケットボールを思わせるような大きさの銀色の球体が浮かび上がり、虚空を切り裂くような鋭い動きを見せてジネットの目の前へとやってくると、ピタリとその動きを止めた。


「私が〈銀珠の魔女〉と呼ばれている、というのは前に話したね? その所以となっているのが、前にも話した通りにこのミスリルオーブさ」

「うん、おぼえてるよ! それを操りながら魔法を撃つんだよね?」

「そうさ。ミスリルは別名、魔法銀とも呼ばれていてね。魔法との親和性も高く、魔法を発動させる媒体として杖なんかに使われているのさ。他の金属と混ぜて使ってもうまく魔法の発動は助けられる、非常に軽い金属なのさ。ただし、ミスリルだけで誂えた武具は脆いから、一般的にミスリル装備ってのは他の金属と混ぜて使用されるんだ」


 ジネットは一度言葉を区切ると、銀珠を躍らせるかのように空中で動かした。


「この銀珠は、私にとっての杖みたいなものであり、盾でもあるんだよ。魔法銀は確かに脆いけれど、魔力を込めれば非常に硬くなる性質を持っているからね。攻撃を防いだりもできるし、当然魔法の発動媒体としても使える」


 空中に浮かんだ銀珠が淡く光を放つと、そのまま眩い光を放った。

 ごく簡単な光を放つ魔法だ。


「離れた場所から魔法を放てるってのは、魔法使いにとってはこれ以上ない武器になるんだ。もちろん、多少離れた位置に座標を指定して放てる魔法もあるけどね。そういう魔法は魔力に敏感な魔物なんかにはあっさり指定地点を察知されて避けられるっていう弱点もあるんだ」


 そう告げると、ジネットはもう一つの銀珠を浮かばせて自らのもとへと呼び寄せた。


「私が操れるのは三つ。自分で戦いながら、二つの銀珠を使って敵の死角から魔法を撃つこともできる。まぁ簡単に云えば、常に四人でいるようなもんさ」

「ほえぇ……、ジーネ以外にはそういう方法で戦う人っていないの?」

「戦いながら銀珠を操るってのは、ちょいと難しいんだよ。それに魔力の消費量だって大きいからね。だったら杖を構えて戦う方がよっぽど簡単なのさ」


 そもそもジネットがそれを可能だというのも、物事を同時に思考できる並列思考といった特殊な能力を持ち、かつ魔法使いとして重要な豊富な魔力があるからこそだ。


 敵の動きを見ながら銀珠を操り、隙があれば銀珠からも自分自身からも魔法で攻撃する。

 稀有な才能と、その才能を十全に活かし、本来ならば後衛として周囲に守られながら戦う魔法使いという枠から外れた天才――それが『魔と叡智の神』アールアからも認められた存在、ジネットなのである。


「リア、私は少し近くの町まで行ってるから、あっちにある小さな銀珠を操る練習をしておくんだよ。魔力が見えるなら、なんとなくそれを操る方法だって掴めるはずさ。まずはそれが最初の課題だよ」

「うん、わかった!」

「いい子だね。……リア」

「んぅ?」


 ふと、ジネットは言葉を区切り、過去を振り返る。


 かつてジネットに憧れ、弟子入りを望んだ者はいた。

 しかし彼ら彼女らは、銀珠を一つ操ってこそみせるものの、いざ戦闘となれば銀珠に、もしくは魔物の動きに集中し過ぎてしまい、いずれにせよ昇華できないままジネットのもとを去って行ったのだ。


 ――もし最上級神の寵児であるリアでさえ、自らの力を継げなかったら。

 自分は今まで以上に落胆してしまうのではないだろうか。

 そんな考えが浮かんでしまって、今になって他の訓練をさせようと口を突いてでかけた言葉を呑み込んだ。


 もちろん、最上級神の寵児であり、熾天使の愛し子である事は理解しているし、そんな存在が自分より劣っているなどとは思ってもいないが、リアに対して愛情も抱いているからこそ、ジネットは少しだけ臆病になってしまったのだ。

 それでもジネットは、リアを信じることにしたのである。

 リアならば大丈夫だろう、と。


「……いいや、なんでもないさ。それじゃ、留守番頼んだよ」

「はーい」


 満面の笑みを浮かべるリアを見たジネットは、少しだけ情けない自分に嫌気が差したような気分を胸にしたまま外へと出て行ってしまった。


 そんなジネットの変化に気付かないまま、リアはその背を見送り終えると銀珠の前でぺたんと座り込んだ。


「魔法……、やっと練習していいんだ……っ!」


 爛々と輝いた瞳でリアが呟いたのも無理はなかった。


 この世界にやって来て、すでに八年。〈銀珠の魔女〉の名を持つジネットの家には、魔女と呼ばれる所以ともなる魔法に関して記載された、数多くの書物があった。

 ジネットと暮らし、自我が芽生えたのがこの家にやってきて半年程経ってから。それから二年程をかけて言葉と文字を憶えたリアは、魔法という存在に興味を示し、この封鎖された世界とも云える家の中で、ずっと本を読み、ジネットに質問を投げかけてはと繰り返していた。


 そうして魔法に興味を持ったものの、あまりにも幼い身体はリアの意識とは裏腹に未成熟そのものであった。


 魔力を調節しようにも満足に操れず、意識だけが先走って身体の成長が追いついていない運動能力と同様に、魔力を操作するといった行為もまた、まだまだ時間が必要だったのである。

 そういった環境であり、歯痒さはもちろんあったが、リア自身はそれほどまで慌てていなかった。


 満足に動く身体があり、肌で風を感じ、季節の移ろいを感じて過ごす。

 食べ物を食べて満たされ、空腹に不機嫌になってみたり。

 そういった人間らしい生活から離れていたリアにとって、この八年は確かに不自由さもあったが、前世の暮らしのそれとは比べ物にならないほどに色づいているように思えた。


 MSOの中では、仮想空間に長く居ることで常人以上の運動能力を発揮させ、魔法と両手の短剣を使う近距離戦を好んできた。

 いくらステータスがあるとは云え、常人が常人以上の運動能力を発揮しきるには、仮想空間の身体と意識を統一しなくてはならず、一般的にはそれは不可能であるとされていた。


 しかしそれも、一部の人間――『電脳世界の最適者サイバージーニスト』と呼ばれるような者達だけは例外であり、リアもまたその例外の一人であった。


 呪文を読み、対象を指定すれば放てるというMSOの魔法はどうにも合わず、リアは身体強化系の魔法のみを取得し、自らの運動能力を底上げし、一般人からは大きく逸脱した脳の処理能力をフルに使い、高速戦闘を可能にしていたのである。


 ――ともあれ、それはそれ、これはこれである。

 リアとて魔法に対して憧れを抱いていなかったわけではない。


 体内に保有する魔力を使って空気中に漂う魔素へと干渉を行い、現象を引き起こすと云われる魔法。ゲームのような決まったものばかりではなく、それこそ十人十色の魔法を作ることができる。

 とは言え、魔法を想像し創造するといった行為は非常に難しく、どうしても一般的な魔法として浸透したものばかりではある。


 しかし、リア――つまりは日本というアニメや映画なども含めた娯楽の発達した時代に生きた者にとって、その想像力だけでも周囲に対してアドバンテージを得ていると言うべきだろう。

 その想像は、書物を読みながら膨らみ続け、ありとあらゆる魔法を試したいとリアは考えている。


「みすりるおーぶ……銀珠を操る。ジーネみたく、わたしの魔力を放出して繋ぐ感じ、かな?」


 早速、先程までジネットが操っていた方法を視覚的に捉えていたリアは、その方法を真似るように自らの魔力を操作すると、銀珠へと繋いだ。


「わっ、吸い込んでる?」


 銀珠が淡い光を放つと、リアの魔力が銀珠の中に吸い込まれているような、そんな感覚を覚えて思わずリアが声をあげた。


 その直後、銀珠がふわりと浮かび……――ドゴンッ、と音を鳴らして床に落ち、そのまま半分程までめり込むように埋まってしまった。


「……えっと、なんで……?」


 予想だにしない事態に、目を丸くして呟くリアであった。

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