第9話 『冒険者』とは?
「ふにゃああぁぁ!」
さながら猫の威嚇にも似た叫び声をあげたのは、銀色の髪を肩口で切り揃えた紫紺の瞳を持つ少女――リアであった。
「お見事でございます、リア様。まさかこれ程の効果を発揮させるとは、さすがは至高の御方。魔法も常人には扱えない程の代物にまで昇華されております。これは一種の芸術かと――」
「それ嫌味だよね!?」
ジルの全てを褒めちぎるかのような発言に、リアはぶすっと頬を膨らませてそう反論した。
さて、一体何が酷いのかと言えば、室内の惨状である。
銀珠の操作を練習しつつ家の中に穴を量産したリアが、部屋の修復をすべく続いて練習したはずの魔法――木の魔法と分類されている魔法なのだが、これがジルの見立て以上に斜め上の効果を発揮してしまったのである。
現在、うろの中にはリアとジルが手を繋いでみても外周を覆えないような大きな木が生み出され、天井に向かって高く伸びている。
「嫌味などではございませんが……まさかこの巨木の中に新たな木を生み出すとは思ってもおりませんでした。そういう意味では私めの予想など大きく超えている事態でございますゆえ……素晴らしい、の一言に尽きるかと」
「キリッとした顔で言わないでっ! どう見ても失敗だもん、これ!」
「いえいえ、大自然を思わせる壮大なインテリアとして考えられない事も……ございません」
「その間は絶対に嘘だよね!? そんなに無理にフォローしなくていいよ……」
魔法を発動する際に中空に浮かび上がる魔法陣は、確かに一切の間違いも見当たらなかった。木の成長を早め、修復させるといった活性化の魔法として用いられるはずのそれであったが、しかし結果はこの有様である。
うぐぅ、と改めて自らが招いた惨状に声を漏らすリアを見つめつつ、ジルが「ふむ」と一つ喉を鳴らした。
「リア様の魔力量では、どうにも一般的な魔力の扱いが難しくなりがちなご様子。僭越ながらリア様、先程から浮かばせているあちらの銀珠を用いて魔法を使ってみてはいかがですかな?」
「ん? 銀珠を使って、ってどーゆーこと?」
「はい。リア様の魔力量は恐らく、無意識ながらに強く込められ過ぎてしまうのです。言うなれば、巨大な樽を斜めに倒しながら、リア様が愛用されているカップに水を注ぐような状態、とでも例えればお分かり頂けるかと」
「あぁっ、そっか! 銀珠を操ろうとした時も、魔力が強すぎてよく分からない速さで飛んでっちゃったんだ! じゃあ、もっと細かく魔力を注げばいいのかな?」
「左様でございます。しかしながら、リア様の魔力の量を基準に近い量を魔法に注ぎ込むというのは、今のリア様には難しいかと。なので、銀珠を使えば一般的な魔力量程度にまで抑え込めるのではないかと私めは愚考致しますが」
「んー……なんとなくわかる。でも、なんで銀珠を使えばいいの?」
「銀珠をああして操れる程度の魔力は、ジネット様が銀珠を操る様を見る限り、一般的な魔力量に近いと思われます。リア様の魔力によって繋がっている銀珠は、謂わば手の延長のようなもの。手から直接ではなく、銀珠を介して魔法を構築すれば、必要な魔力量が見えてくるのではないでしょうか?」
ジルの提案とは、要するにリアの膨大な魔力を操るにはまだまだ経験が必要であり、それを学ぶには長い歳月を必要とする。ならば、リアの魔力を調整させるフィルターのような存在として使えば良いのではないか、というものであった。
「うーん、そっか。ジーネも銀珠――ミスリルは魔法を使う発動体としても優秀な素材だって言ってたし、銀珠で魔法を使うって言ってたもんね。できなくはないのかな……」
「でしたら、そちらの練習とまいりましょう。ともあれ、この木は邪魔ですね、処分してしまいましょうか」
それだけ告げて、手刀を一閃。虚空を切ったジルの手はリアの目からもなんとか捉えられる程度の速さであったため、驚いて思わず目を丸くした。
手刀によって一瞬で切り取られた巨大な木は、中空に僅かに浮き上がると同時に黒い影に覆われる。闇の魔法によって呑み込まれていく生まれたばかりの木は、あっという間に虚空へと消え去ってしまった。
「わー、手で切ったりなんてできちゃうんだ」
「おや、リア様には今のが見えていらしたのですか?」
「うん、すごい速かった」
「それはそれは、恐縮にございます」
恭しく一礼しつつも、ジルは感動を噛みしめていた。
リアは知らない。今のジルの一撃は、常人ならばまず軌跡を辿る事さえもできない速度で繰り出された一撃であるという真実を。そんな一撃を見事に捉えてみせたという、すでに尋常ではない力の片鱗を見せているという事実さえも。
そんな事実を噛み締めたからこそ、ふとジルは口を開く。
「時に、リア様。将来はやはり冒険者として大成なさるおつもりなので?」
「んにゅ?」
それだけの魔力を有し、才能の塊とも言える身体を持っているのだ。
この世界の平民ならば、リア程の才能や魔力さえあれば誰しもが迷わず冒険者の道を選ぶ。栄誉と名声を出自とは関係なく得られ、襲い来る魔物や暴力に勝てるだけの強さは、それを持たない者達からは憧憬すら向けられる。そういった常識を知るジルから投げかけた質問は、質問と言うよりもいっそ確認の意味に近い。
しかし、ジルから投げかけられた質問に即答が返ってくる事はなく、リアは小首を傾げながらぽけーっと虚空を見上げて思考を馳せていた。
「んー……、冒険者って色んな依頼をこなすんだよね? わたしもあんまり詳しいことは知らないけど……」
「そうですね。ですが、一概に纏めて冒険者とは呼ばれておりますが、その詳細は多岐に渡ります」
「んん? どーゆーこと?」
「ふむ、どうやら興味がおありの様子。でしたら、私めが耳目に触れてきた内容を説明致しましょう」
こほん、と一つ咳払いをしてジルはゆっくりと続けた。
「そもそも『冒険者』とは何か。それを知るにはまず、人族の生息圏は海はもちろん、大陸の全土を見てもおよそ半分以下程度であり、深い森や険しい山などは魔物や獣の領域であったりと、未だに足を踏み入れられない地も多く存在しているという事を知るべきでしょう」
「うん、それはジーネに聞いたことあるよ。
「そのようですな。リア様の前世の世界については、私めも少々は聞き及んでおりますが、むしろ人族――いえ、〈
「ほへぇ……魔物とかと戦ったり、何でもする人達が『冒険者』って呼ばれるのかと思ってた」
「えぇ、現在ではリア様のその印象も間違いありません。実際、多くの者が『冒険者』をそういった存在として捉えているでしょう。ですが、勘違いなさっておられるようですが、『冒険者』だからと何もかもを行えるわけではありません。現在の『冒険者』と呼ばれる者達とて、あらゆる分野に細分化されているのです」
ジルはそう告げると、中心に『冒険者』と光の文字が刻まれた、光の魔法を利用した樹形図のようなものを描いてみせた。
魔物との戦いに主軸を置く者が、商人や貴族の護衛までこなすといった仕事を行えるわけではない。貴重な素材を、その素材を活かす採集の仕方を知っているとも限らない。魔物を相手にする事はできても、盗賊を相手に十全に力を振るえない者もいれば、その逆に盗賊を捕まえる専門の者さえいるのだ。
「――こうして細分化されるのも六級以上の者になりますが、やはり外から見た印象という意味では、依頼を出せばその専門の者が派遣されるのですから『冒険者』は「何でも屋」といった印象が強いのです」
それぞれの分野を中空に光の文字を描いきながら語るジルの説明は、リアが想像していたゲームに使われるような、何もかもをこなしてしまう『冒険者』のイメージとは異なるものではあるが、同時に合点がいくのもまた事実であった。
「そうだよね、全部できちゃう人なんていないもんね」
「多くの者はそうですな。しかしながら、少数ではありますがそういった垣根もなく全てをこなしてしまうような、天性の才能を持つ者も決していないわけではございません」
「ほえー……すごいなぁ」
「ほほっ、確かに凄いのかもしれません。ですが、得手不得手、向き不向きは誰にもございます。万能でなくとも、一芸に秀でた者ならば高みへと辿り着ける。そういった意味でも、『冒険者』に憧れる少年少女は多いようです。家を継げない者の多くは冒険者ギルドの門戸を潜る事が多いのです」
現実的とでも言うべきか、冒険者という存在はリアが思い描いていたゲームのキャラクター設定――魔物の討伐から依頼品の採集に、手紙の配達や町の雑事から盗賊退治や護衛などなどをこなす存在――とは異なり、ある意味では人材派遣会社のようだ、とリアは認識を改める。
「そういった意味では、『冒険者』というのは無難な就職先とも言えるのです。まして、リア様のような膨大な魔力を持ち、あの御方がお与えになったその身体の才能の全てを十全に発揮できるようになれば、大成するのも難しくはないでしょう」
「ふーん……、でもわたし、冒険者にはなるつもりないよ?」
「えっ」
「えっ?」
まさかの回答に、ジルは思わず目を丸くした。
「コホン、失礼しました。ではリア様は、将来どうなさるおつもりで?」
「んーとね、お店屋さんで働いてみたい!」
「……お、お店屋さん、でございますか……?」
「うんっ! お花屋さんとか、服屋さんとか? あっ、ケーキ……は作れないや。でもでも、そういうのちょっと憧れてるんだー」
きょとんとした様子でリアを見つめて言葉を失うジルを他所に、リアはかつて思い描いた夢を思い出し、爛々と丸い目を輝かせながらそう告げると、ふと八歳の少女の見た目にはそぐわない、寂しげな笑みを浮かべて続けた。
「わたしだって、色々な風景を見てみたい。知らないことだらけの世界だもん、少しは冒険してみたいとは思うよ? だけど、そーゆー普通な暮らしも憧れてたから。……色んな道を選べるって、しあわせだよね」
今でも――そしてこれからも、決してリアは忘れたりはしない。
動かない身体、ベッドの上でしか生きられない日々。
叶う事のなかった大人になるという願い。
かつて思い描いていた「大人になったら」という夢を、諦念という蓋で固く閉ざしてしまった前世。
「……ジル?」
「ふおおおぉぉぉッ! お労しや、リア様!」
「ッ!?」
突然叫ぶように声をあげたジルに、思わずリアが身体をビクッと震わせた。
「こ、これは失礼を……。申し訳ありません。なるほど、お気持ちはしかと受け取りましたとも。このジル、リア様の執事としてどんな道を歩もうともお支えする事を改めて誓いましょうぞ!」
「あはは、大げさだよ、ジル。ジルだってやりたい事とか見つかると思うし、わたしに無理に付き合わなくてもいいんだよ?」
「やりたい事、でしょうか? リア様をしかと見守る事こそ我が生涯の最大の願いでございますが?」
「そ、そうなの?」
「無論でございます」
「う、うん、そっか」
「そうでございます」
「……ホントに?」
「神に誓って。いえ、神を裏切る事になろうとも」
「裏切っちゃダメだよ!?」
堂々とそんな発言をしてみせる辺り、熾天使から堕天したジルの忠誠心を表すかのようなものに聞こえてならないリアであった。
「さて、リア様。私めは夕食の準備と先程の木の処理に少々外に出てまいります」
「あ、うん。気をつけてね」
リアに笑みを返して、ジルはうろの外へと向かって出て行った。
階段を昇り、外へと出たジルはリアとの会話を噛み締めつつ、本日の夕食の献立を考え始めた。次々に思い浮かぶ料理の種類と、リアの喜ぶ顔を想像して好々爺然とした表情を浮かべていたが、ふと表情を引き締め、森の奥へと続く木々の向こうを見つめた。
「……さて、何やら不穏な気配が漂わせておる不届き者めが。リア様に危害を加えるつもりならば……消してしまいましょうか」
ギャーギャーと騒ぎ立てながら空を飛び立つ、鳥獣型の魔物の声。防音されているうろの中には確かに聞こえてこそこなかったが、熾天使であったジルは不穏な気配を感じ取っていたのだ。
「――お待ちを、ジル」
膝を曲げ、いざ動き出そうかというジルへと向けられた、無機質とも取れる無感情な女性の声。振り返ったジルの目に映ったのは、かつてリアをジネットへと預けた三対の純白の翼を携えた、白金色の長髪を靡かせる熾天使の姿であった。
「……この短い期間――たかが数年以内で同胞と会うというのは、あまり良い出来事とは言えぬな」
「同胞、ですか。堕天したあなたにそう言われるのは心外極まりないですが、まぁそうですね」
リアと話している際の好々爺然としたジルの雰囲気は一転し、かつてのジルの姿の片鱗が窺える冷たい眼差しと突き放すような物言いを以って、ジルは熾天使を睨めつけるように見つめた。
「それで、何故止めた?」
「あなたが止めに行こうとしているのは、リア様に危害を加える事を目的としたものではありません。干渉は不要です」
「……ふむ、そういう事か」
今では熾天使――神の代行者ではないジルとて、その存在を救われたのはあくまでもリアのお目付け役といった役割を与えられたからに過ぎない。それでも本質はあくまでも神の代行者であり、世に干渉する権限は神の命令がなければ禁止されているのだ。
腕を組み、顎に手を当てたジルがしばし逡巡する。
「村にはジネット様がおられる。リア様の大切な家族に危害が及ぶようならば、我らが介入しても構わぬだろう」
「なりません。そもそも『魔と叡智の神』であらせられるアールア様の加護を受けている彼女が、この程度でどうこうなると? アールア様はもちろん、今回の件についてはアスレイア様もまた不干渉であるようにと仰せです」
「……アスレイア様までもがそう仰られるか。ならば従おう。――しかし、それを伝える為だけにわざわざお前がやってきた訳ではあるまい」
「無論です。今回の件、アスレイア様には考えがあるようです」
「神罰の対象になるような真似をしでかしている愚か者がいる、と?」
ジルの質問に、熾天使は頭を振った。
「いいえ、そこまででは。今回の件、リア様に村の危険をしっかりと伝えるように、との事です」
「まさか、リア様に干渉させるつもりか……? あの方は争いなど望んでおらぬぞ」
僅かに怒気を孕んだジルから溢れ出た力の余波に、木々がざわめきだす。
しかし熾天使は一切臆する事なく告げてみせた。
「だからこそ、ですよ。あの方は大事に育てられるべき存在です。当然ながら、私達とて危険に身を投じさせるなど本来ならば承服しかねます。ですが、このままではリア様は何も知らないまま大人になってしまいます。世界の残酷さを、残忍さを学び、認識を改めさせる良い機会になる、とお考えのようです」
力の素質こそ与えられているものの、精神面ではまだまだ幼いリアでは、魔物が蔓延るこの世界が孕んだ危険性を理解はできても実感はしていない。皮肉にも、先程のジルとの会話を見ていたからこそアスレイアはその点に気付かされ、同じくジルもまた思う所はあった。
確かに、大人になって十分に戦う力を持ってからでも遅くはないかもしれないが、実感の伴わない危険に対して備えるのと、危険を知っているからこそ備えようとするのでは大きな差がある。
いざという時に力を振るえないまま成長させるよりも、せめて危険が、魔物という存在が目の前にいるのだという事実を認識させるのは、リアの成長に必要ではないか、とアスレイアは考えたのだ。
「……なるほど。その為のお前か」
「はい。ジルと協力し、リア様をお守りするように、と」
「いいだろう。リア様の為となるのなら、協力しよう」
あくまでも実習に近い感覚、とでも言うべきだろう。もしも身に危険が及ぶようならば、熾天使もジルもその力を隠さずに振るう。たかが魔物程度の脅威を振り払うなど、赤子の手を捻るようなものだ。
そもそもジルだけでも十分にその役割を果たせるのだが、アスレイアもまたリアを危険に曝させるなど本心ではないのだ。その為に熾天使を遣わせ、その身を守る最上の一手として扱ったのである。
リアに与えられる試練が、一体どのような影響を及ぼすのか。
一抹の不安を胸にしつつ、ジルは熾天使と行動の打ち合わせを済ませると、夕食の獲物を狩りに森の中へと消えた。
この事件は後に、最上級神たるアスレイアも、アールアも。
ジルや熾天使でさえ、同じような想いを抱かせる一つの事件として、忘れられないものになる事など、この時の彼らは知らない。
――「あれ、これ必要なかったんじゃね?」と。
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