〈銀珠の魔女〉を継ぐ少女

白神 怜司

第一部 銀髪少女と〈銀珠の魔女〉

Prologue

第1話 「幸せだったよ」と、少女は笑った


 ――全感覚を没入させ、仮想世界の中で過ごす。


 そんな、一昔前までならば多くのSFのジャンルで取り沙汰されていた、いわゆる完全仮想世界の研究は、この数年で大きく飛躍した。

 軍事用から転用された仮想世界技術――通称VR技術は、やがて事故や出生時に負った障害すらをも克服させる医療用機器として世間に認知され、なかなか手を出せない高級品としてではあるものの、それでも存在が公になる程度には流通を開始した。


 更に時は流れ、VR技術に於いて大きな成長を遂げたのはゲーム業界であった。

 徐々に廃れつつあった家庭用ゲーム機の販売から、インターネット上で多人数が参加できる、〈Massively Multiplayer Online Role-Playing Game〉――通称MMORPGに手を出していた、日本のゲーム業界の金字塔とも呼ばれた『スキュラ』という会社が、その先駆けとなったのである。


 それこそが、各国から多くの技術者を引き抜き、総製作費は何千億とも何兆とも噂された、VRMMO――〈Midgard Saga Online〉だ。


 スカンディナヴィア神話――所謂、北欧神話の世界をモチーフにしつつ、中世から近世ヨーロッパの文明をモチーフにしたファンタジーの王道とも言える世界観。

 魔法という誰もが一度は耳にした超越的な能力を持った冒険者達となって依頼をこなしたり、または協力して強大な魔物を討伐したりといった内容。


 もはや仮想世界どころか異世界であるとまで言わしめるまでに、美麗なグラフィックと細部にまで拘ったMSOの完成度には、日本だけではなく世界各国からも多くのプレイヤーが惹きつけられ、次々に参加した。


 その流れに乗ろうと、多くのゲーム会社が〈Midgard Saga Online〉こと通称MSOに続けとばかりに開発ラッシュとでも云うべき期間こそあったが、それでもMSOの根強い人気は多くのプレイヤーを魅了して離さず、多くのユーザーを獲得していた。






 そして、MSOの正式サービスから五年。

 その日、一組八人編成のパーティが三つ集まったレイドパーティによって、ゲームの最終ボスとして実装された、蒼黒の巨躯を誇る邪竜――ニーズヘッグの討伐を果たした。








「――全サーバー最速討伐を祝して、乾杯ッ!!」


 挨拶の締め括りと共に、多くのプレイヤー達が一斉にガコンとコップを打ち鳴らすかのようにぶつけ合い、宴会が始まる。

 その合図を皮切りに、暖色系の光に包まれた巨大な建物の食堂は今、パーティを支えてきた生産職のプレイヤーなども含めて、総勢六十人近いプレイヤーが興奮冷めやらぬ様子で互いの奮闘を讃え合う。

 男同士で馬鹿騒ぎする様を半ば呆れた様子で見つめたり、揶揄の声をあげる女性プレイヤー達が集まるテーブルの一角に、その少女はいた。


 ――……間に合って、良かった。

 肩口まで伸びた白髪に紫紺の瞳を湛えた、一人の少女――リーリアは、賑やかな仲間達を見つめながらゆっくりと瞼を下ろして胸元で手を握り、そっと心の中でそう呟いた。


「――リア、どうしたの?」


 リーリアの横合いから顔を覗き込むように声をかけたのは、金色の髪を長く伸ばし、碧眼を細めたエルフのキャラクター、アリア。綺麗に整った柳眉を下げて、心配そうにリーリアを見つめながら問いかける。

 ヒューマンを使うリーリアとエルフを使うアリアは当然ながらに肌の色や耳の長さなどといった細かい部分では違いはあるが、傍目から見れば、二人は非常によく似ていた。


 仮想世界で扱うキャラクターは旧来のゲームとは異なり、なるべくプレイヤーの等身大の身長や体重、身体の形を似せて創られる。多少なりともいじるような真似はできるのだが、あまり変えすぎると現実世界と仮想世界の身体に差が大きすぎて、どちらでの生活にも支障が生じるというリスクがあるため、どうしても現実に近い身体と顔の造りになってしまう。

 それでも二人が似ている理由は単純で、リーリアとアリアは実の姉妹であるからだ。


 姉であるアリアの問いかけに、リーリアはゆっくりと首を振った。


「ううん、なんでもないよ、お姉ちゃん」

「そう……? ならいいんだけれど、無理しないでね?」

「うん、わかってるって」


 心配かけまいと笑うリーリアの笑顔を見て、アリアは決して納得していないものの、なんとか苦い笑みを浮かべて追求を避けるように身を引いた。


 そんな二人のやり取りを見ていたのか、ちょうどタイミング良く姿を現したのは、このレイドパーティを取り仕切り、アリアの所属するギルドのマスターをしているノルドという男であった。


「おう、楽しんでるか? ちびっ子!」

「うん、楽しいよ。参加させてくれてありがと、ノルドさん」

「なぁに、ギルドに入ってねぇって言っても、アリアの妹なら俺らにとっても妹みてぇなもんだ! それに、正直お前がいなけりゃ討伐は無理だったぜ!」


 がっはっはっと大口を開けて笑いながら告げるノルドに追従するように、同じテーブルを囲んでいた女性プレイヤー達もまたうんうんと大きく頷いた。


「正直、私達じゃ真似できないもんね、リアちゃんの動き」

「ほんとほんと。『電脳世界の最適者』――《サイバージーニスト》って都市伝説じゃなかったんだって、リアちゃん見てると実感するよねー」

「まったくだな!」


 他のプレイヤー達から次々に褒め称えられ、リーリアが困ったように笑みを浮かべた。


 仮想世界は現実の世界に比べれば、確かに自由に身体を動かし、様々な行動が可能になる。だが、目に見えない程の速さで動いたりといった真似は不可能だ。

 というのも、常軌を逸する程の運動能力を有したキャラクターであっても、どうしたってプレイヤー本人の脳の処理速度や、あまりにも現実と乖離してしまう動きに対しての理解が及ばず、活動の限界を迎えてしまうという欠点があるためだ。


 しかし極稀に、そうした垣根を超えるとされる存在が現れると、まことしやかに噂されている。


 それが、『電脳世界の最適者サイバージーニスト』。

 キャラクター性能に対し、その性能を十二分に引き出すことは不可能だろうと言われている中、明らかに人間離れした、一種の天才だ。


「……わたしは、みんなと違ってこの世界にいる時間が長いから」


 その言葉の真意を知る者は、リーリアの隣で俯いたままきゅっと手を握りしめた、姉のアリアしかいなかった。







 ――――リーリアはこの三年ほど、現実世界への帰還を見送られている。




 生まれつき身体の弱かったリーリアは、小学二年生の頃にとある病気を患っていることが判明した。


 散発性クロイツフェルト・ヤコブ病。

 全身が動かなくなり、また同時に認知症にも似た症状を発症することから、アルツハイマー病に勘違いされやすい病である。

 進行が早く、ほとんどが発症から一年から二年で死んでしまうような危険な病だが、幸か不幸か、この病がリーリアとVR技術を強く結びつける結果となった。


 かつては死亡後の解剖で初めて判るような病気であったが、ちょうどリーリアが小学二年生の頃、日本でも医療用VR機器が運び込まれ、脳科学分野と協力しつつ様々な試みが始まったばかりの頃であった。

 ちょうどリーリアがまだ病状を表面化させる前に、リーリアは両親の共通の友人が有名な医大に勤めている事からVR機器に初めて触れる機会があり、試験運用に立ち会ったのである。


 それが、病気を判明させた。


 治療法の確立していない病、病理学的特徴が見当たらなければ確定できなかった病気を未然に発見したと同時に、リーリアはとある提案を持ちかけられた。VR機器によって脳の状態を逐一管理しつつ、病気の治療法を模索する被験者となるという提案だ。


 リーリアの両親もリーリアも、それに賛同した。

 一縷の望みをかけてVR世界に潜ることで、脳の状態を調べ、様々なテストを繰り返し続けていたが――ついに完治しないまま、三年前から病気の進行が急速化し、いつ息を引き取ってもおかしくない程に病状を悪化させた。


 それでもリーリアは、生き長らえてきた。

 家庭用VRゲームの発売によって、両親や姉ともVRの世界で頻繁に会えるようになり、一時は回復の兆しさえ見せつつあったのだ。


 しかし――――。







 ジジジ、とリーリアの視界にノイズが走った。


 ――……時間が、ない……。

 ホワイトアウトしかけた視界を懸命にたぐり寄せるように意識をしっかりと持ち直しながら、リーリアは小さく心の中で呟いた。


「――運営から最速討伐報酬届いたぞ! メール見てみろ!」


 リーリアが心の中で呟くと同時に歓声があがり、誰もがシステムを呼び出してメールを開く。

 そこには、全サーバー内最速討伐のお祝いの文章と、レイド報酬――『蒼黒の軍団服』と名付けられた、ロングコートの衣装アバターが添付されていた。


 皆が早速着替える中、リーリアは添付ファイルから『蒼黒の軍団服』の受け取りを選択。光の粒子が集まって現れたアバターを抱き締めるように受け止めると、そのまま装備画面を開こうともせずに動かず、涙を零した。


「ふふっ、これ見たら周りの人たちも羨ましがるかもしれないわね。ねぇ、リア。似合ってるかしら? ……リア……?」


 返事もなく、アバターを抱きしめたままのリーリアの姿。

 アリアは、嫌な予感がして慌ててリアの肩を掴んで顔を覗き込んだ。


「リア、リア……? ねぇ、冗談でしょ……?」

「……えへへ、ごめんね。ちょっと今回は、冗談じゃ、済まないみたい」

「……え……?」


 力なく笑うリーリアに、アリアは言葉を失った。


「……お姉ちゃん、ありがとう。わたしね、すごく、楽しかったよ」

「……リア、まだダメよ……! まだまだ行ってないところだって、やってないクエストだっていっぱいあるよ……?」

「うん。だけど、もう、時間がない、みたい」


 リーリアだけに見える画面。

 アラートを示す表示が鳴り響き、視界が先ほどからノイズが走るばかりの世界の中で、リーリアは涙を流す姉の手を握った。


「ごめんね……お姉ちゃん。ほんと、なら、この終わりまで、一緒にいたかった、けど……」

「いや……嫌よ、リア。お願いだから、まだ……」

「この世界に来れて、良かった。こうして色んな人と会えて、良かった。お姉ちゃんがいてくれて、良かった。わたしは……――」


 囁くように紡がれていく最期の言葉。

 リーリアは、その別れの言葉を口にした。


「――生まれてきて、良かった。みんな、だいすき、だよ」

「……ッ、私もよ、リア……。私も、お父さんも、お母さんも、あなたのことが大好き……!」

「うん。だからね、お姉ちゃん」


 ――――わたし、幸せだったよ。


 えへへ、とはにかむように笑ったリーリアは、ログアウト特有の光と共に消え去った。


「う……うぅ、リア、リア……ッ!」


 喧騒に包まれたその場所で、突然現れたログアウトの光に気付いた誰もが、アリアの涙に気付いて騒然としたのは、そのすぐ後の事だった。










 ――『CAUTION! エラーを検知しました』。


 ――『キャラクター名:リーリアのキャラクターデータに第三者の介入。データが消失しました』。


 ――『情報の追跡……失敗。エラーの確認……――エラー情報が発見できません』。


 ――『システムに問題は検出されませんでした』。









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