第22話 二羽の鳥
まだ春先という事もあって、陽が沈むのが早い。
茜色の空と藍色の夕闇が混じり合う空、藍色の空には星々が瞬くように輝いていた。
そんな空の下、奇しくもジークベルトら一行をジネットが出迎えた湖畔にて、リアは星々を見上げながら寝転んでいた。
魔物らが跋扈する森の中にありながら、それでも湖畔を静寂が満たしているのは、リアの銀珠が周囲をふよふよと浮かんでいるせいだ。ジネットが銀珠を使って森の中を歩く事を知る魔物達はリアがそれと同等の実力者である事を理解している。
まして、迂闊に近付こうとした途端に銀珠が魔物の近くへと飛んでくるのだから、魔物達も下手に手を出そうとはしなかった。
「やれやれ、こんな所で寝転んでちゃ風邪引くよ」
「……ジーネ」
徐々に近づいてきた足音の主であるジネットが、寝転んだまま星空を見上げていたリアの視界に覗き込むように顔を見せた。その顔には呆れというべきか、どこか気遣わしげな気配を漂わせていた。
隣に腰掛けたジネットが、リアと同じように星空を見上げながら口を開いた。
「やり過ぎた、と思っているのかい?」
「……うん」
何に対して、とは言わずとも分かっている。アークに対する事だ。
リアはアークとは初対面であり、同時に他人でもある。そんな相手に対して、自分なりのルールを押し付けるような真似をしてしまった事に対して、リアもまた思う所がなかった訳ではなかった。
「そうかい。確かに、リアのあれはあの連中にとっては驚くものだっただろうね」
リアの背景――前世を通して学んだ命に対する考え方や想いといったものを知らない者達から見れば、リアの豹変ぶりはあまりにも唐突なものでしかない。当然、アーク達にとってみれば驚く代物であっただろう。ジネットもそれは重々承知している。
「でもね、リア。あんたは間違っていないよ」
「……そうかな?」
「あぁ、そうさ。むしろあの小僧には良い薬にもなっただろうさ。それに、あのいい歳した連中にとってもね」
命の大切さ、戦いに対して向き合い続けてきたジネットにとってみれば、リアの怒りは正しい。
アークがリアと対峙した際の手合わせに対する態度は、もしもジネットだったのならば一瞬で意識を刈り取ってやる程度には頭に来るものだったのだ。ジルやティアがいようものなら、下手をすれば消し炭にされてしまっていてもおかしくはなかった。
「命を懸けた戦いを甘く見てるヤツは、どれだけ実力を持っていたってあっさりと死んじまうもんさ。実力を発揮する暇もなく、あっさりとね。そうなっちまったら、後悔なんてしたって手遅れだ」
「……うん。でも、わたしがあそこまでする必要はなかったよね」
「いいや、リアにしかできないよ。権力者の、それもトップにいるような連中だからね。ああいう奴らに素直に意見できるのは、権力の外にいるか、同じぐらい偉くて親しい連中にしかできないんだ。結果としてあの小僧の心が折れるってんなら、王の器なんかじゃないって事さ。それが知れるだけありがたいってもんだよ」
ジネットの言い分は正しいが、リア自身はどうにも納得いかない様子だ。
頑固な愛娘の姿に苦笑しつつ、ジネットはリアの頭を撫でた。
「大人げないとでも思っているのかい?」
こくりと小さく頷いたリアを見て、ジネットはくつくつと込み上げる笑いに肩を揺らした。
「……笑わなくてもいいじゃない……」
「くっくくくっ、いや、悪気はないんだよ。――ただね、お前さんはまだ子供だよ」
「……でも、わたしは前世も合わせたら二十五歳越えてるもん」
「はっ、ただの足し算じゃないか」
「ホントだもん」
「分かってるよ。けど、いいかい、リア。年齢も人生も、大事なのは生きてきた年数じゃあないんだ。その歳に合った生き方、見てきたもの、感じた事や学んだ事。そういったものが積み重なって、人は成熟していくんだ。何年生きてきたかなんて関係ないのさ。そういう意味じゃ、お前さんはまだまだ子供さ」
むっと頬を膨らませながら自分を見上げるリアに、ジネットは優しく続けた。
「ゆっくりと大人になればいいんだよ、リア。私と違って、お前さんが生きる人生はまだ始まったばかりだ。最初から完璧じゃなくていいんだよ」
「……うん」
「分かったら、ほら。帰ってご飯を食べようじゃないか。マリーも待ってるよ」
まだまだリアは子供なのだ。
思考能力や実力こそ大人顔負けと言える程に育ってはいるものの、本質的な部分では未熟でしかない。そもそもジネットから言わせてみれば、二十五年生きた程度であっても所詮はひよっこなのである。本人の年齢は言えないが。
未熟であるのなら、ゆっくりと成長していけば良い。
それを見守り、時には叱り、正してやるのが自分の役目なのだから。
そんな事を考えながら、立ち上がったリアの頭を撫でるジネットの目は、慈愛に満ちた優しいものであった。
「――やれやれ、お世辞にも好感触とは言えずに終わったな」
一方、アルヴァレイム王国王城。
すでに外は夜の帳が下り、静けさの漂う王城内の一室――ジークベルトの私室にて、オルトとジークベルトはお互いに酒を手にしながら一日を振り返っていた。
魔法学園への勧誘は保留に終わり、引き入れようと考えている相手――二代目〈銀珠の魔女〉であるリアと同年代であり、見目の良さと実力などから好印象を得られるかもしれないと期待されていたアークは、リアに失望されてしまっている。
「幸いと言えるのは、リア嬢は手合わせが終わってからは至って元通りといった態度であった点か」
元々は幼馴染であるジークベルトとオルトの二人。人前ではない事もあってか、オルトもまた畏まった態度ではなく、友として接するような物言いで答える。
そんなオルトの答えに、ジークベルトが深い溜息を漏らした。
「さてな。リア嬢のあれは、好き嫌いの感情などないという証左だ。有象無象の、それこそ町を行き交う他人に対する程度の興味しか湧いていないからこそ、ああした態度なのだろうよ。いっそ、戦いに対する姿勢が低いという評価も考えればマイナスであると考える方が妥当であろう」
「まぁな。しかし……くくくっ、全てが揃った王子とも呼ばれているアークがあのザマとはな」
「笑ってやるな。まだ若いのだ、ああした経験も王となるには必要だ」
リアに心を打ちのめされ、僅かに増長しかかっていた鼻っ柱をあっさりとへし折られる形となったアークはすでに自室に戻っている。時間が時間であった事も確かだが、それでもアークが上の空といった表情のまま歩いていたのは確かであり、いつもの王子然としたアークらしからぬ姿に、偶然その姿を見た者達も思わず言葉を失ったものだ。
「それでも良い薬であったのは確かだ。才能があるからこそ、あやつはどうにも本気になれずにおったからな。今回の件はそれだけでも収穫があったと言えよう」
才能のある王子という立場に胡座をかいていなかったと言えば嘘になる。頭も良く、良識のある態度を身に付け、更に剣術においても大人に対してほぼ同等の力を持っていたアークを褒めこそすれど、叱る者はいなかったのだ。
しかしそれも、あくまでも“あの年齢にしては”という意味合いでしかないのだ。まだまだ見識も狭く、このまま磨き続けてこそ初めて真価を発揮できる代物でしかない。
「確かに、収穫はあったのかもしれない。が、間違った方向に育つ可能性はないのか?」
「ないな。あれは賢い、本当の意味でな。それに――どうもリア嬢に対する懸想は余計に強まったみたいでな」
「……は?」
まったく予想していなかった答えに目を丸くするオルトを見て、ジークベルトがくつくつと笑った。
「帰りの飛竜の上で、少し話をしたのだがな。どうにもあやつの目を覚まさせるには十分な刺激であったようだ」
「……打ちのめされて、それが刺激に?」
「……いや、うむ。間違ってはおらんが、その言い方は誤解しか招かんぞ……」
あらぬスキャンダルでも招きかねないオルトの言葉に顔を強張らせながら、ジークベルトはグラスの酒を一口だけ呷り、氷を揺らしながら続けた。
「尊敬、であろうな」
「尊敬?」
「リア嬢が見せた、どちらかと言えばどこか抜けている普段の顔と、戦いの中で見せた凛とした空気。そういった切り替えと、生きるという事に真剣である生き様に対して、憧れにも似たものを抱いたのであろう」
「……確かに、リア嬢は自由に空を飛ぶ鳥のようであったな」
悠々と果てしなく広がる空を無邪気に飛び、獲物を狙う時には鋭く襲いかかる。
そういった姿を称して、オルトはリアをそう表現した。
「鳥、か。であるのなら、さしずめアークは鳥籠から出られぬ鳥であるのだろう」
王子として与えられた環境、決められた道を歩まされるという宿命といったものに、早熟なアークはそれらを理解し、同時に心のどこかで諦念と悲観を抱いていた。だからこそ、真剣に生きるという道を選ぼうとはしてこなかったのだとジークベルトは思う。
それは優秀であるが故に、恵まれた立場に生まれたが故に背負わされる柵だ。ジークベルトはもちろん、現王であるジークベルトの息子でありアークの父もまた、そういった自らの宿命に折り合いをつけて生きてきたのだ。
しかし、アークは祖父という立場のジークベルトから見ても優秀過ぎる。
だからこそ、大人びた対応を早くから心がける事ができるようになってしまったのだ。子供らしく癇癪を起こす事もなく、自らの感情よりも損得を優先して考えるという意味での、大人らしさを身に付けてしまった。
それはかえって叱りつけて良いものでもない。矯正してやろうにも、どうにも周りからの称賛もあってか、変われる気配すらなかった。
しかし今日、それはリアと出会う事で変わった。
「鳥籠の中の鳥が、ああも自由に空を飛ぶ鳥に出会い、惹かれた。良くも悪くも、鳥籠の中の鳥は空に、そして自由に飛ぶ存在に惹かれるものだ」
「空には危険が付き纏うものだがな」
「それでも構わぬ。まだあやつは十一の半人前だ。危険に見舞われれば周りが助け、間違っているのなら正してやれば良い。賢く無難な選択ばかりを選び続けている今よりは余程良い」
「確かに……――と、どうやら早速籠を壊すつもりらしいな」
部屋に響いたノックの音を聞いて、オルトがにやりと笑った。
入室を促してみれば、慌てて止めようとする侍女を背に、いつもとは異なる真剣な眼差しをしたアークが部屋へと足を踏み入れてきた。
「なんだ、寝ていなかったのか?」
ジークベルトの問いかけに、アークは短く肯定を示すように「はい」と答えると、オルトを真っ直ぐ見つめた。
「ルーズレッド卿、少しだけ稽古に付き合っていただけませんか?」
「……明日でいいではないか。今日は疲れたであろう?」
いいだろう、と短く答えたい気持ちを噛み殺しつつも大人な対応をしてみせたオルトであったが、アークは視線を外そうとはせずに続けた。
「今がいいんです。燻った気持ちを胸に抱えたまま眠れる程、僕は大人ではないみたいなので」
「……くくくっ、ジーク。少しばかり孫を借りるぞ」
「程々にな」
本来なら止めるべき立場であるはずのジークベルトが呆れたように答えてみせるも、その口角は楽しげにつり上がっていた。
どうにも要領の良い孫にしては珍しく、衝動的に抑えられないものを感じているらしく、それは実に子供らしく、またアークにしては珍しい光景だと思うと、楽しくてならなかったのだ。
大人である事を強要される籠の鳥と、大人で在ろうとする自由な鳥。
この日は、二羽の小鳥が自らの翼で飛べるようにと、大人達がそれぞれに愛する小鳥の為に道を指し示す事を決意した、そんな夜であった。
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