幸せを願った者



「君は当主だというのに随分な待遇を受けてるものだ」


部屋の中に入るとぐるりと部屋の中を見渡し、口元に皮肉な笑みを浮かて赤銅色の男はそう言った。

確かにこの離れには最低限の調度品しか置いてなくて、まるで庶民の家のような質素さではある。

けれど私の存在を隠すためにはより門より遠く、監視のしやすいこの場所は最適な場所だ。

でも今はそんな事は関係無い。


「一体何の御用でしょうか」


この男は、ケイカを利用してまで私に会いに来るような人ではない。

娘が閉じ込められていると聞いて駆け付けた訳でも、娘を嘲笑いに来た訳でもないだろう。

そこまで私に関心があるとは思えないし、そもそも娘に対して愛着があるというような素振りは今まで少しも見せた事はない。

妻であり王妹であるお母様に対しては敬意を払っているようには見えていたけれど、実の子供である私やギル様に対しては冷淡そのものだったのだから。

訝しんでいるのを隠そうともせずに見つめると、お父様は呆れたような声音で呟いた。


「……君と会ったのは彼女の葬儀が最後だったかな」

「ええ」

「少しは変わったかと思ったが、どうやらそうでもないらしい」


それは一体どういう意味だろうと思ったけれど、お父様は質問に答える事なく椅子に深く腰掛けた。

客人が座ったのに私も立ったままという訳にもいかず、仕方なく対面の椅子に座るとお父様は作り笑いを浮かべて声を和らげた。


「久しぶりに親子水入らずの時間を作ったのだから何か話したい事はないのかい?戦況の事でも、処遇の事でも、君の従者の事でも――何でも答えてあげよう」

「何でも……ですか」


暗殺、誘拐、嘲笑。

言葉の一つ一つからこの人の目的と状況を推測しようとしても、あまりピンとくる仮説は建てられない。

時間を作ったという事は、暫くはこの男がこの離れの屋敷の中に居る事は誰も気づかないように手配したという事か。

真意は何なのか探ろうと端整な顔を見詰めても、朗らかに笑った顔は作り物のように少しも動かない。

知りたい事は何でもと言うからには聞けば全て教えてくれるだろう。

けれど、この男がそうやって私に情報を提供する為だけに危険を犯したとは考えられない。


「勿論。可愛い可愛いたった一人の我が子のお願いなら何でも、だ」

「……お兄様の事は我が子に含まないのですね」


随分会ってはいないとはいえ、ギル様も間違いなくこの男の子供だというのに。

そう言うとお父様は肩を竦め、何でもない事のように感情を滲ませない声で返事をした。


「君がこの家から追放したんじゃないか。私の子供である資格はルージルの人間にしか存在しないよ」


この家に所属していなければ自らの子供ではない――それは親としてはあまりにも無責任過ぎる言葉だ。

ギル様はこの男によって無理矢理ルージルに引き取られてしまったからこそ不遇の少年時代を過ごさねばならなくなったというのに、その月日すら否定した。

私は彼が何度物陰に隠れて泣いていたかを知っている。

何度身体の傷に苛まれて眠れぬ夜を過ごしたのかを知っている。

それでもこの家から逃げ出さなかった理由の一つが、実の父親が自らを必要としてこの家に引き取ったのだと信じていた事も、私は知っている。


「お父様、それは」

「何だい?」

「………いえ、何でもありません」


お父様の言葉はあまりにも酷い――でも、人として欠落していると怒ったところで、所詮この男はそういう【設定】のキャラクターなのだ。

どんなに人としての道を説いたところで、この男はそういうキャラクターとして生み出された。

子供はあくまでも一門に有意な存在としてしか認識しないのだ。

だからこそ、彼のこの台詞も設定から逸脱したものではない。


あれ?……でも、それならどうして。


ふと頭を過った疑問に一気に思考は塗り替えられる。

一門の役に立たない魔術師には何の興味も抱かない男が、一体何のために私に会いに来たのかという問題よりずっと前からある矛盾だ。

ちらり、とお父様を窺うと、私と同じ赤銅色の瞳を穏やかに細めている。

その真意が何であろうとも、お父様は何でも答えると言った。

どうせ私が外の展開を知ろうとも、近い内にギル様に殺される事は変わらない。

だったらそんな些細な事よりも――。


「……前々から、気になってはいたんです」


慎重に言葉を選びながら顔色を窺うとと、お父様はにこりと笑いながら続きを促した。


「何故、お兄様をこの家に引き取ったのですか?」


驚いたように一瞬だけ目を瞠った父親の表情に、ほんの少しだけ心がざわめいた。

そうだ。

この人はギル様の中に火の魔力が存在しない事は早い段階から気づいていたはずなんだ。

魔術師の教育は幼少期から始めなければならない。

だからこそ産まれた時に火の魔力が存在している可能性が少しでもあれば、すぐにルージルに引き取っていたはずだ。

全く存在しないと判断しない限りは必ず引き取っていたはずなのに、ギル様は私の物心が着いてからこの家に引き取られた。

水の魔術師として成長する事を見込んでだとしても、魔術師の教育を始めるには遅すぎたはずだ。


「……聞きたい事はそれだけかい?」

「はい」


それ以外の事なんて知ったところで今更私にどうこう出来る事でもない。

私はオリガとして生まれた事で黒幕を知ることが出来た。

あと分からない事と言えば、主人公を取り巻く環境だけだった。

どうせ近い内にギル様に殺される未来なのだから、前世で知り得なかった事情を知ってから死ぬことが出来たら悔いも無い。

そう考え頷いて返事をすると、お父様は不快そうに一瞬だけ眉を顰めた後、かつてよく見た無感情な顔でぽつりと呟いた。



「君が生まれなければ、アレもこの家に引き取る必要は無かった」



気の毒な事だ。

そう心の底から思っているというように目を伏せたお父様は、言葉を紡ぎ続ける。


「彼女の身体が弱かったのは知っているだろう。君と同じ年頃には一度酷い状態に陥った事もあった」


お父様はお母様の護衛魔術師として王城に勤めていたらしい、という事はいつか聞いた事があった。

その頃からお母様は身体が弱かったのだとも。

けれど、生死を彷徨う程酷い状態だったというのは初耳だった。


「とても子供なんて望めるような状態ではなかったし、誰も彼女にそんな事を期待なんてしていなかった。けれどあの子は……あまり陛下と関係が良くなくてね。あの子の体調の事なんて考慮しない婚姻を強いられていた」


いつの間にか呼び方があの子、となっている事にすら気づかずに紡がれていく言葉は、初めて聞くような内容ばかりだった。

懐かしそうに語る言葉にはこの男のキャラクターらしくない慈愛すら滲んでいるよう。


「あの子に子供を産ませる訳にはいかない――だから僕が功績を立てて彼女の降嫁を願った」


一家臣が王女の降嫁を願う為には、多大な功績が必要だ。

お父様はお母様を助ける為だけにルージルの当主を打ち倒し、自らが当主となって戦場で魔術師を率いて戦ったのだと。

お父様の功績は魔術師なら誰でも知っている。

最優の魔術師とまで呼ばれる程に戦い、一度は決定的に壊滅しかけた戦線を復活させ、停戦まで持ち込んだのだ。

それが全てお母様を救う為だけだったなんて。

原作にはそこまでの事は一言だって書かれていなかった。


「私、お父様とお母様は政略結婚だとばかり」

「ああ……愛なんてものを期待しているのなら馬鹿馬鹿しい話だ。あの子も僕も、互いに恋愛感情を抱いた事は無い。僕は彼女が幸せになれるなら誰に嫁いだって良かったんだよ」


思わず口に出した言葉をそう言って切り捨てると、当時のあの子には殆ど味方なんて存在しなかったから適任者は僕しかいなくてね、と言って仕方が無かったのだと苦笑を浮かべた。


「斯くいう僕も子供は望まれていたし、それは義務でもある。だから外の女に子供を産んでもらったんだが……中々上手くいかないものだ」


請われて作った子供は火の魔術師としての素養は全くもたない、ギルフォードだった。

最優と称される程の魔術師に優秀な子どもを期待するのは無理な流れではない。

事実、血統主義はある限界点に達するまでは確かにその実績を出していたのだから、より強い人間の元に素質のある子供は生まれると考えられている。

子供を作る能力が無いという訳ではないのだから、次こそは優秀な子どもを、と一門の者達に願われるのも仕方がなかったのだろう。

そして彼等の願いに王が便乗し、煽った。


「結局王家に圧力を掛けられてあの子は君を産まざるを得ない状況に追いやられてしまった。……それでも幸せだと、彼女は言っていったが」


お母様の身体は酷く弱かった。

私を産んだ事で命は間違いなく削られていたはずだ。

それでも娘が無能な子どもでさえあれば、もう新しい子供は望まれなかっただろうとお父様は言った。

けれども産まれた子供が有した魔力は桁違いなまでの量で、尚且つ子供らしくないまでに頭の回る存在だった為に――一門の者達は歓喜し、更なる子をお母様に迫ったのだと言う。


「君がもう少し無能であれば第二子を望まれる事もなく、ギルフォードも必要無かったんだけれどね。君は僕達にとって随分と厄介な子供だったよ」

「……お兄様を引き取った理由が分かりません」


まだ分からないのか、とお父様は笑って。


「簡単な事だ。妹にこれだけの才能があるのなら、これを超える事は無くとも兄は未だ目覚めないだけで十分な才能を持っているんじゃないかと老人共に思わせる事が出来るだろう?」


ギル様に能力が目覚めない事を知りながら、ただ餌にする為に利用したのだと言い切った。

私が生まれてしまった為に、ギル様は貧しくとも幸せに生きられるはずだった人生を狂わせられた。

私の、せいで。

……いや、これは原作の通りのはず。

【オリガ】の生い立ちの設定はここまでは予定調和通りのはずだった。

だから【私】のせいで物語が狂ったのはもっと後のはず―――けれど、腹の底から湧き出てくるような不快感は無視できないまでに存在を主張し始める。


「お母様も……それをご承知に?」


全てはお母様の為だったとこの人は言った。

けれどあの優しく私の幸せを願ってくれた人が、そんな事を。

ギル様を利用しただなんて。

別の子供を利用してまでオリガの事を――私の事を、そこまで厄介に感じていただなんて。


「教えた事はないが気づいてはいただろうね」


寿命を延ばす為だけに幼い子供を利用し、苦しめただなんて。

優しげに微笑んでいたお母様の顔が記憶の中で歪み始める。

かつて【私】を見舞っては笑って励ましてくれて、そして最期の頃には全く顔を見せなくなっていた母親とその顔が被る。

ああ、結局はお母様もあの人みたいに私の事を。


「貴方達は、自分勝手よ」


吐き捨てるように口に乗せた言葉にお父様は声も無く笑って、好き勝手に生きてきた君にだけは言われたくないね、と言った。

握り締めた拳が白くなり。

目蓋が熱を帯び始め。

喉の奥が熱くなる。

けれどその言葉に返したい罵倒の言葉は、喉の奥につかえたまま終に出る事はなかった。






その様子を暫く無言で眺めているだけだったお父様は、突如立ち上がって燭台の火を一つ消した。

元々灯りも少なく密閉されたこの部屋の中では光源が限られている為に、一つ消しただけでも随分と暗くなる。

今の私ではその燭台の火一つですら自分では点ける事も出来はしないというのに、一体何のつもりなんだろうか。

けれどそんな疑問を力なく口にする前に、低い声はゆっくりと部屋に満ちた。


「さて、そろそろ日も沈んだろうから本題に入ろうか」


本題。

それは、今日この場にどうしてお父様が来たのかという事。

でも、さっきの話でもう十分に理解した。

どうせこの人が私の元を訪れた事に良い意味なんて何一つ存在しない。

だって自分達の為に利用する事だけを考えて生きている人なのだから。

魔術を使えなくなった娘が監禁状態に置かれていると聞いて、この人ならどう動く?


「……何のためにケイカに手引きさせたのですか。私を殺す為に?」

「君の従者が単独でそんな大それた事が出来るはずがないだろう」


自棄になって声をとがらせて問いかけると、嘲笑うようにお前は案外馬鹿だねと言った。

この離れは監視が厳し過ぎると言うと、指を振って燭台の火をまた一つ消し去る。

少しずつ部屋の中の灯りが減って行くのに合わせて、お父様はまるで秘密を打ち明けるように声を低く潜めていく。


「今、一門は君を殺すべきだとする者達とそうすべきではないと主張する者達で二分されてる。僕はその一派に願われてね」


どうせ殺すべきの一派だろうと考えると、馬鹿みたい、と自然と嘲笑が俯いた自分の頬に浮かんだ。

どんなに策を巡らせようとも、只のキャラクター達には分からないだろう。

私は悪役で、主人公の対の存在だ。

名もなき彼等と違って、私の死は必ず主人公によってもたらされると【設定】付けられている。

例えどんな手を使っても、あの戦場でのように私は必ず生き残る――ギル様に殺されるその日まで。

けれどお父様はそんな私の顔を見て微笑むと、話を思いもよらない方向へと転がした。


「医者による診断は出ているが、まあ試してみない事には分からない。そう考えた奴らだよ」


医者による診断――それは確か、私の器が修復不可能である事だった。

それは魔術師としての価値と役割がすべて失われたという事を意味する。

その診断に疑問を持ってもう一度検査を受けさせるつもりだと言うのならまだ分かる。

――でも、試してみる?

その疑問を抱えたままお父様をぼんやりと見上げると、嫣然とした笑みを浮かべて低い声で言った。



「明日の朝までこの離れから出ないようにと嘆願された。――意味は、分かるだろう?」



医師の診断。

試してみなくては分からない。

世話係の男女の言葉。

誰も近寄らない離れの屋敷。

明日の朝までは、誰も迎えが来ない。

暗くなっていく部屋。

距離を詰めてくる、男。


「君は拒否してもいい。ただ、今の君では僕を跳ね除ける事すら出来ないだろうけれど」


自分の貌に似通った端整な貌が微笑を浮かべ、艶めいた唇が抵抗を無駄だと切り捨てる。

その言葉の意味に、ぞわり、と鳥肌が立った。



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