悪役の憔悴、そして手を差し伸べる男


見捨てられたのだ、と考えが頭を過った時、【私】は安堵していた。

見捨てられたのだ、と確信した時、【オリガ】は激怒していた。

待ち望んでいたはずの過程は、物語としてではなく現実として目の前に現れる。

妙に現実的な血と、焼け焦げた臭いを伴って。


――こんなところで死ぬ訳にはいかない。

――早く、こんな物語なんて終わってしまえばいいのに。

――今死んだら私の価値なんてない。

――もう全部終わりにして。


頭の中を色々な言葉が駆け巡る中、ただ無心で魔封石を破壊していた。

簡単な話だ。少しでも魔術の通りにくい場所があれば、そこを徹底的に焼き払えば良い。

その過程で何人を焼き払ったのかは覚えていないし、途中からは記憶も意識も曖昧なままだった。

護るべき者が周囲に居なければ私の魔術は無制限に使える。

私に近づく存在は全て焼き尽くせば良いだけだった。

小さく加工された魔封石程度、苦労せず破壊できる。

けれどもそれを持った軍人の攻撃を避けながら、となると結局は本気で戦わざるを得なくて。

加減をしていたら斬られてしまうのだと学んだ時には、既に左腕の腱を斬られた後で。

失血し過ぎて意識が朦朧とするけれど、それ以上に魔力が底をつきかけていた為に高度な魔術の行使は難しい。

それでもただ、生きなければ、という思いだけが私を突き動かしたく。

何故生きたいのか、という理由からは目を背けて。


そうして誰かが自分の前に躍り出た事に対してただ機械的に処理をし続けていって。

いつの間にか誰かに呼びかけられていた。

呼ばれて、手を引かれて、それがようやく自軍の人間だという事に気がついて。


「オリガ!」


聞こえた声が私を揺さぶる――ああ、これは夢だ。

気を失わないように食いしばっていた口をどうにか開いても、声が上手く出ない。

掠れた声で黒髪の持ち主を呼ぶと、彼の強張った顔がほんの少しだけ緩んだ。


「おい、腕を見せろ。まだ傷を焼いてないな?」


私の腕を取って心配そうに顔を歪める彼は、軍服を着ている。

そうだ、ここは戦場だ。

彼が軍服を着ているのだから結果を報告しなければ、と口を開こうとして。

交代で眠りについた瞬間を狙われた。連続の戦闘に疲れていた。魔力が尽きかけていた。

そんなものは言い訳にはならないのだ、と私を責める声が頭の中に響く。

だって、任された魔術師達を、信じてくれていた魔術師達を、私は。


「……守れなかったの」


護らなければならなかったのに。

小さく呟いた言葉を拾ったのか腕から視線を上げて、ほんの少しだけ躊躇ったようにアトラスの手が私の頭にゆっくりと触れる。

指が汚れてしまうと思ったけれど、夢の中ならもう良いのかもしれないと、それを口にする事は無かった。

夢の中なら、彼を罪に塗れた私で汚してしまう事もない。

ぼやける視界で彼の瞳をぼんやりと見つめると、低く潜めた声で静かに囁いた。


「今は撤退が先だ」


その言葉と同時に、アトラスの身体を支点に地を縦横無尽に蔦が這っていく。

いつか読んだ事があったけれど索敵の為の魔術だっただろうか。

確か、作中で一回しか使われるところはなかったような気がする。

後方支援が主なキャラクターだというのに前線に出張らなくてはならないなんて、随分と整合性の取れない夢だ、と可笑しくなって。

ふらふらと揺れる視界が、幸せな幻影を揺らめかせる。

脇役だけれど主人公の大事な友人の一人であるアトラスが、私の為に魔術を使っている。私の事を心配してくれている。

なんて幸せな夢なんだろうか。

まるでここが物語の中心であるかのような。

まるで私が――。


「どうして、ここに」

「救出に来た。他の者達は別行動で陽動をしてもらってる……ああ、あの炎がそうだ」


森の奥で一瞬だけ轟音と炎が立ち上ったのをアトラスが指をさして、その方向へとのろのろと視線を転じて。


そして、鮮やかな炎の色に一気に目が覚めた。

あの炎が誰のものかなんて、一瞬で判別は着く。

――では、これは現実か。


嫌悪感に任せるままにアトラスの身体を突き飛ばして、なけなしの力で距離を取った。

驚いたように目を瞠る彼が何かを口にする前に、言葉を制し。



「嘘だ」



救援な訳がない。

だってあれからどれだけ時間が経っている。

砦が奪還されてから。魔術師達が死んでから。最後の救援信号を発してから。

鈍重にしか働かない頭が、感情のままに口先に意味を成さない言葉を乗せる。


「救援信号を……でも、ハーベスタ様は、……見捨てて」

「おい、オリガ?」


何を言ってる、とアトラスの手が伸ばされる。

夢にまで見た救いの手――その幻想を断ち切るように叩き落とすと、声を張り上げた。

頭の中の冷静な【私】が敵に見つかる、と囁いて、怒りに燃える【オリガ】はそんなもの全て焼き払ってやると叫んで。


「砦を!」


声が、震える。

本当は現実なんて、見たくない。

本当は、このまま夢に浸っていたい。

でも。


「砦を奪還した事を知ってる!でも、あれから何日経ったと思ってる?あんなに近くに居たのに、ハーベスタ様も、誰も助けに来てくれなかった!」


一人、また一人と剣に貫かれて死んでいく。

かける治癒魔術も追いつかず、血を流し、身体の一部を落とし、痛みに耐え切れず私の炎で焼かれる事を願って死んでいく。

それでもきっとすぐに助けが来ると微笑んで苦しみながら死んでいった者達の顔が、頭に焼き付いて離れない。

生きたいと願う人達が死んで行く。死にたいと願う人達に炎を請われる。

何度も危険を冒して空に向けて救援要請の狼煙を上げた。

けれども空に打ち上げる度に、少しずつ絶望が募っていって。

それは、まるで【私】の最期を見ているようで。


「オリガ、」

「触らないで」


奪還された砦には、見慣れない騎士団の旗とハーベスタ様の旗が上がった。

それは、あの砦が騎士団と魔術師の手によって保護されたという意味。

騎士だけが砦にいるという事であれば陛下の手が回っているだろう。けれどハーベスタ様のものも一緒に上がっているのなら魔術師達もその場に居る。

だからこそ、希望を抱いて救援信号を上げ続けたというのに―――兵士達だけでなく魔術師までもが同じ戦場で戦う魔術師を、同胞を見捨てるのか。

それが物語の既定だとしても何故そんな事が許されるのか。


私は悪役だ。

私を殺したいのであれば、私を仕立てあげたいのであれば、私一人のみに焦点を絞ればいいだけ。

物語の裏側には無数の犠牲がある。けれど、主人公の目にそれらは映らない。

だからこそ、私はこんな現実を知らなかった。

主人公の前に立つ悪役が、どんなストーリーを経てそこに居たのかなんて。

どんな風に弄ばれてあの荒野に立っていたのかなんて。

何を思ってあの場所に佇んでいたのかなんて。


「何のつもりなんですか。切り捨てた存在を、何に利用しようと?」


どうせ私は、ルージルは、忌まわしい魔術師はこれからの時代には足手まといにしかならない。

あいつらこの国はそう決めて切り捨てた。

【オリガ】が今まで守護してきた功績なんて何一つ考慮しなかった。

同じ魔術師なのに、自分達は被害者だという顔をして。

全ての罪は【オリガ】にあるという顔をして。

裏切った癖に。売り払った癖に。弄んだ癖に。尊厳を踏みにじった癖に。人質を盾に脅した癖に。大罪人として殺した癖に。

お前達が【炎獄公女】を作り上げた癖に――そうやって【私】を殺す癖に、正義は私に手を伸ばすフリをするのか。


「答えて。答えないと言うのなら――」


その答え次第では、焼き殺しても構わない。

そう熱を帯びた思考が魔術を練り上げる。

魔力の足りてないそれは殺せる程の威力はないかもしれない。

けれど一発で仕留め損ねたとしても、必ず、何度でも。

だって、私はこんなところで死ぬ訳にはいかないのだから。


けれど、アトラスの低い声が私の熱く回転し続ける感情に水を差した。


「父上は、砦が陥落した時点で亡くなってる」

「……うそ」


彼が緊張したような面持ちで放つ言葉は硬く、視線は昏く強張っていて。それが戯言でない事を雄弁に語っている。

集中が途切れて、練り始めた魔力が形を成さずに崩れ落ちた。


「だって、そんな事、」


有り得ない。

主人公の後見ハーベスタ様は、炎獄公女が死ぬその時まで存命だった。

だからこそ、ハーベスタ様を砦に残す事に対して何の心配もしていなかったというのに。

【魔術師と夜の国】は悪役以外は誰も死なない物語。

主人公達に苦難は襲い掛かるけれど、最後は全員救われる、物語。

そんな王道の物語のはず。


でも、私は物語を歪めた。

その影響が、生きるべき人を死なせた?

その影響が、後の展開を狂わせた?

一体、いつからこんなにも歯車は狂ってしまっていたのか。


――その答えに対して、一体いつから私は目を背けていたの。


アトラスの手が茫然として立ち竦む私の腕を取ったけれど、今度はもう払い除ける気力は無かった。

右腕を左腕に乗せて軽く握らせると、静かな声で私に囁いた。


「……圧迫してろ。応急手当にしかならないが、とりあえず傷口を塞ぐ」


じわり、と染み込むように掛けられた治癒魔術は、血を流し続ける傷口をゆっくりと繋いで行く。

繋いだところで、再び動かせるようになるかなんて分からない。

そんな無駄な事に魔力を使う必要なんてない。

そう言おうとしても、思考に靄がかかったように言葉は紡がれる事はなく。


「父上は」


もしかしたら、アトラスがかける魔術は鎮静の効果もあるものだったのかもしれない。

低い声を耳に入れる事を拒む感情が、ゆっくりと鳴りを潜めていく。


「きっと、最期までお前を心配していたと思う」


ハーベスタ様なら、きっと。

大きな手が、私の頭を撫でてくれた感触が頭を過った。

アトラスのそれよりも大きく、高い体温の持ち主で。

その手の先にある顔はいつだって笑顔で。


「お前が帰還する事を良しとしない奴は沢山いる。……けれど、お前が帰ってくる事を祈ってる奴に、お前をきっと連れて帰ると約束をした」


それは、一体誰の事なのか。

多くの魔術師を死なせ、多くの敵を屠り、多くの人々の死骸の上に立つ事になる私を。

一体、誰が望んでいるというの。


「帰ろう、オリガ」


思考は巡らない。考えは纏まらない。最善を選べない。

けれども涙で歪んだ視界の先で、震える自分の手は差し出された大きな手を握った。

じとりと濡れた血がアトラスの濃青の軍服に染みて行くのを、ただ見詰めながら。


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