悪役の物語

悪役の不在、そして死を覚悟する男

第五騎士団の活躍により、砦の奪還には成功した。

しかし、森林部に点在していた別働隊の退路は消される結果となった。

救援を求める狼煙は多く上がっていたが、時間と共にそれも数を減らし、ついには一つたりとも上がらなくなり。

救出に向かう旨の通達を軍部に送ると、暫くの待機を命じられ―――きっと、救援部隊の編制を行っているのだと信じていた。

けれど。



翌朝に【護国の要】と謳われる彼女を切り捨てる事を決める通達を携えてきた伝令は、顔色一つ変える事は無かった。








仮眠を取っていたら扉の外が騒がしくなり、急襲を受けたのかと飛び起きた。

有り得ない話ではない。

砦を奪還した直後で疲弊しているのはむしろこちら側なのだ。

体制を整える前に、と攻め入ってきてもおかしくない。

慌てて小走りしていた兵を呼び止めると、自分を呼び止めた騎士が誰なのかを認識した兵士は急いで欲しい、と騒ぎの元へと連れ出した。

食堂部屋に出来た人だかりに混じり覗き込むと、その中心に居たのは、親友と団長と―――。


「彼女の現在位置についてはこちらも確認する為に動いている。君が心配するような事ではない」

「確認して、それで?いつ救援に向かうんですか」

「無礼だ。下がれギルフォード」


団長の低い声音に一瞬だけ怯んだように口を閉じたが、腕を掴む団長の手を払うと、再び伝令に向かって声を張り上げる。

それをうんざりとしたような顔で受け流す伝令に、これがすでに何度も繰り返された問答である事が容易に知れた。

――この面子であるなら問題はオリガの事だ。自分が無暗に立ち入ったところで、問題は複雑になるだけだと判断し、様子を伺う。


「いい加減にしたまえ。彼女については我々の方で検討していると言っているのだ。敵が退き次第確認の為の兵を差し向ける」

「それは、オリガ殿率いる魔術師部隊の救出は諦める、という事でしょうか」

「そう取ってもらっても構わない。団長殿も文句は無かろう」

「………」


噛み締めた唇からは、微かに血の味がした。

設立されたばかりの騎士団。けれど、それは名ばかりの騎士団。

魔封石に対する手立ても無いままに作戦を実行させられ、それでも成功させたのはギルの不思議な魔術に依るものに他ならない。

本来ならば、ただの時間稼ぎとしての捨て駒。

例え功績を建てたとしても、所詮は庶民上がりの団長率いる烏合の衆。

そんな自分達に発言権など無いに等しいと分かっているのだろう団長は、ただ押し黙って拳を握った。


「目の前で救援を求めている仲間がいるんです!助けられる距離にある!……っなんで見捨てるんだよ!」

「これは決定だ。今、この砦を危険に晒すわけにもいくまい。オリガ殿には申し訳ないが、亡骸の回収の為に砦を明け渡す訳にもいかん」


誰もが心のどこかで考えていた事だ。

救援要請の信号は随分前に途切れている。

望遠鏡で確認できた最後の魔術師の数は、たったの三人――それすら、半日以上前の事だ。

伝令兵の一言の衝撃が兵達がざわり、と周囲に伝播する前に、冷ややかな声が大きく部屋に響いた。


「オリガは生きてる」


しん、と静まり返った空気に、伝令は自らの失言を悟って一つ咳払いをした。


「……失礼した。だが、先刻から火の魔術が使われた形跡がないのだ。死んだと見るのが妥当だろう」


最後に砦から確認できた戦闘行為は、激しいものだった。

砦が陥落してから三日。

食料が尽き、休む事すらままならずに魔術を使い続けていれば、どんな魔術師とて戦い続ける事は困難だ。

魔術師は使う術こそ強力だが、身体の造りは只の人間と何ら変わりは無い。

誰もがそれを知っている。

だからこそ生きているという言葉に、信憑性が無い。


「オリガは、まだ生きてる」


ギルフォードは自らの言葉に説得するだけの力が無いのを自覚してか、左肩に手を伸ばし、項垂れながらそれだけを呟いた。

金髪の伝令はその様子にまだ言うのかと溜息を吐くと、手を大仰に広げながらギルフォードに向けて、そして聴衆に向けて大声で語りだした。


「では一体誰が救出に行くと言うのだ。この砦の戦力を減らせば我が国は再度の危機に陥る。―――よもや、貴殿が行くなどと妄言を吐くつもりか?」

「そう、です」

「馬鹿馬鹿しい。貴殿が魔封石の破壊に成功した事は、この国にとっての希望と成り得るのかもしれないのだ。破壊の方法を解明する事が先決だ」


そうだろう?と周囲を見回して、誰もその発言に声を挙げないのを見て勝ち誇ったように厭らしい笑みを浮かべ。


「どうせ魔術師など役に立たぬ時代になっているのだ。貴重な兵達の命を散らしながら彼女を救出したところで、今後どれだけ役に立てられよう」




その言葉で、ついに腹を決めた。



「―――なら、俺が行く。強制はしないが誰か手伝ってくれ。一人じゃ厳しい」



声を挙げると人垣が割れ、渦中の人物の前まで歩を進める。

胡乱げな顔をした伝令に名を告げると、驚いたように目を見開いた。


「アトラス殿!」

「私は魔術師だ。魔封石が戦場にある以上、私は戦力にはなるまい」

「そのような事は……!貴殿はハーベスタ侯爵家の跡取りではありませんか、このような事柄で命を粗末に扱われては」

「ハーベスタは魔術師の一門。魔術師は戦場では役に立たない、と先程仰っていたのは貴公だったと思うのだが……つまりそういう意味だろう?」


返す刀で先程の言葉を蒸し返すと、気まずげに顔を歪めて口を引き結んだ。

戦場で身分と差別意識を天秤にかけるなど、馬鹿馬鹿しいにも程があると鼻で笑う。

事の成り行きを見つめ居ていたもう一方の白髪の伝令兵が、硬い声で反論を唱える。


「しかし、彼女の生存は絶望的ではないですか。彼女一人の為に兵を出す事はあまりにも無駄な事」

「愚かな事を仰る。例え伯爵が戦死していたとしても彼女が王家に連なる高貴な女性であり、我が国の英雄である事に間違いはない。これは国全体の士気にも関わる問題。その死を弔う為にも救出しに行くべきだ」


もしオリガが死んでいればこれから戦地に向かったとしても徒労に終わり、魔術師である以上自らも死ぬ可能性が高い。

普通に考えればオリガ・エメルダ・ルージルは死んでいる。

最後に戦闘行為が確認できたのは一日前で、それから一切の魔術を行使した形跡がない。

自分ですら彼女の命は半分諦めている。

けれど、彼女によってあの傷を刻まれたギルが言うのであれば―――。



「それに、私個人としては――ギルの言葉に賭ける。あいつは死んでない」



恐らく、まだオリガは生きている。

にっと笑って見せるとギルは目を見開いて驚き、白髪の男はもう一つだけ、と指を一本立てた。


「では、仮に貴殿が彼女を救出しに行かれ、命を落とされたならば如何なさるのか。先代殿がこの砦で亡くなられた以上、侯爵位は無くとも貴殿がハーベスタのご当主。魔術一門を率いる責任があるのではないか」


白髪の男に問いかけられたそれは、心の奥底にあった重石を動かす。

一門の長としての責任。

国を担う魔術師を多く抱える一族への重責。

歴代の当主達が背負ってきた、現実味のない足枷。

言葉にしてしまえば、認めてしまえば、自分の歩んできた道を、父が足掻いた道を否定する事になる。


「ハーベスタは」


それでも、続けようとすると笑みが口に浮かぶ。

昔から逃げて、逃げて、逃げてしまいたくて。

友人がその重さに苦しむ姿に怯えて、疎んで騎士という道を目指したというのに。


「ハーベスタは、血が薄すぎる。既に我が一門は衰えている。我が一門の名を名乗れる程度の魔術師も、もう片手で数える程しかいない。私にはまだ子が居ないが―――そうであるからこそ、私の従兄弟殿でも十分治められよう。後継は彼に指名する」


言葉にしてしまえば、何て滑稽な事なのか。

―――とうの昔に、ハーベスタは【魔術一門】ではない。

父から受け継がれたはずのその重い鎖は、他家と同じように既に錆びて朽ち果てているのだ。

これからの時代を思えば、自分が居た方が侯爵家に連なる人々には苦悩の種だ。

最後の一人が自分だと言うのであれば、未だ苦しむ友人同胞に手を差し伸べても許される。


「……好きになさるが良い」

「バルジ殿!」

「貴殿は黙られよ。これ以上ハーベスタ殿への侮辱が続くようであれば、私としても上層部へ報告せねばならない」


白髪の兵の声に、金髪の兵は押し黙った。

―――話は着いた。

さてあともう一方だ、と自らの横に立つ彼に目を向けて。

俺も行く、と主張して止まない親友の腕を引き、耳元で囁く。


「ギル、聞け。父上ですら見殺しした。上層部の連中は魔術師を救出する気は無い」

「それは……」


砦が攻撃を受けた際に守護していたのは侯爵家ハーベスタの当主であったというのに、救援すら遅らせるような始末。

結果として、魔術師を中心に配備していた砦は陥落したのだ。

国を売りたい連中がそう動いたのか、それとも魔術師を嫌悪しての行動だったのか、今まで判断を付けかねていたがどうやら後者だったようだ。

だが、例え嫌悪していたとしても、圧倒的に不利な状況に陥ってしまった原因を破壊出来る存在が居るとなれば――――白髪の男の反応の通り、オリガ救出には目を瞑る。


「彼奴らの目的はお前だ。出来るだけ時間を稼いでくれ。頼む」

「……分かった」


一瞬の間の後に了承の意を呟いたのを確認して身を離す。

これを持って行ってくれ、と渡された小さな包みを荷物袋に詰め込みながら笑って頷いて見せると、ギルは彼女を頼む、と呟いた。


オリガが彼にした仕打ちは大体把握している。

それでも尚、妹として彼女を心配し続けるのは彼が底なしのお人好しだからなのか、それとも、彼女の本質を見抜いているからなのか――その結論は随分前に出てしまった。

どうせ突き放すならもっと完璧にやれば良いものを、と、ギルから【秘密】を告げられた時には思ったものだが。

少しだけ可笑しな気分になりながら、団長に対して淡々とギルフォードの身柄を預かる上での契約事を伝える伝令を振り返り、わざとらしくああそうだった、と声を上げ。


「ギルフォード・イヴリスの調べは、俺の領地でやって頂こうか」


告げた内容に、伝令の二人は驚いたように表情を動かした。


「陛下から砦奪還の褒賞として賜ったばかりの領地があるだろう?」

「し、しかしあまりにも戦地に近すぎるではありませんか。ギルフォード・イヴリス殿は今後の戦局を左右――」

「この条件が呑めないと仰るならば、私はギルフォードを説得する手立てが無い。これが王命でない以上、申し訳ないが時間をかけて自らあの石頭を説得して頂きたい。もっとも、彼がそう素直に貴殿らの聴取に対して真剣に答えるとは思えないが」


砦を奪還してすぐに、魔封石の破壊に成功したという情報が王都にまで伝わったのだろう。

が、手順の複雑さを疎んでか、王命として正式にギルフォードが招集されたのではない。

そうである以上、彼の任務は王命として下された【第五騎士団として砦の守護を行う】のままのはず。

任務外の行動をさせるのであるならば、それなりの譲歩は必要。

話の通じそうな白髪の兵に目線を向けると、渋々といった体で頷いた。


「……承知した」


黙ったまま事の行方を見守っていた団長に身体を向けると、頷いて取引を見届けた事を宣言した。

彼の証言など、いざとなったら身分を問題に信憑性を疑問視されてしまうかもしれない。

団長は、公的な後ろ盾は何も無く、吹けば飛んでしまうような存在だ。

けれど、ずっと迷っていた自分を導いてくれ、選んだ道を許してくれた、誰よりも強くて頼れる存在。

父亡き今、信じて親友を任せられるのは彼だけだ。


「団長、後の事は宜しくお願いします」


渋面のまま頭を軽く叩く団長に、懐かしさを感じながら頭を深く下げた。

魔術師として戦場に飛び込む以上、もう、この師にも再び会う事はないかもしれない。

頭を上げて出立の挨拶を告げるて、感傷は振り切った。


「聞いた通りだ!誰か協力してくれ!」


静まり返っていた聴衆に声をかけると、誰もが目線を彷徨わせる。

オリガの救出に向かえば、まず生きて帰れるかは分からない。

そもそも生きているかも分からないのだ。

国の護りを考える者達なら、騎士ならば、一人の生死よりも砦の守護を考えるべき。

例え魔術師であったとしても―――いや、そうであるからこそ、砦から先に行けば魔封石があれば確実に死ぬ事となる戦場だ。

立候補する方が物好きなのだ。一人でも誰かが名乗りを上げてくれたなら御の字。

けれど、


「私が陽動を」

「……危険だぞ」


短髪の女が、すい、と人垣を分け入って進み出てきた。

どこかで見た事のある顔だ、という考えが滲んだのか、女は自らオリガの従者だと名乗った。

ルージルであるならば、死んだかもしれない彼女よりも新しく選出されるであろう新しい当主を優先するのではないかと聞くと、女は小さく微笑んで否、と答えた。


「ルージルの当主であるという事以前に、彼女は私を見出してくださった恩人なのです。オリガ様をお助け出来るならば魔封石なんて脅威ではありません。ルージルなんて―――どうか、私の生命をお使いください」


女が跪いてそう願うのを見て、数人の魔術師と兵士がそれに続く。

その誰もが、かつてオリガに手を差し伸べられた事がある、と口にした。

他に手を挙げる者はいないか周囲を見回して、目を伏せる彼等に責める気は無い、と告げ。


そうして、親友――ギルフォードの身柄と引き換えに、救援許可を手に入れた。










魔封石が戦場に出始めたのは三、四年前の事だったにも関わらず、今や魔術師達は満足に対抗する手段を失ってしまっている。

一般の兵達に対して攻撃を仕掛けるだけでも、敵が魔封石を所持していればそれだけで抗う術が無くなってしまうのだ。

そんな状態であるからこそ小隊に一人配属し、補助としての役割を担う事となったのだが、一般兵や騎士といった非魔術師からはあまり良い感情を抱かれない。

更に最前線の戦場では、中級の魔術師程度ではお荷物と見下されるようにすらなっていた。


かつての華やかな魔術師の時代は、終わっていた。


あの友人が簡単に傷つく事はないだろうが、女で、しかも軍人としての訓練は一般兵程受けていない。

幾ら魔術に優れているとは言っても、魔封石を持った敵兵に囲まれたら苦戦する事もあり得る。

どれだけ優秀な魔術師と言えども休みなく魔術を使い続ければ魔力が底をつき、死に至る可能性すらある。

これは時間の問題。

だからこそあれだけオリガの生を疑わなかったギルが血相を変えていたのだ。


低く身体を伏せるように茂みを走り抜けると、轟音が聞こえた。

少しだけ振り返ると、後方から紅い炎柱が上がっているのが見える。


炎の量、勢い、全てが申し分無い実力。

けれど、確かにオリガの炎の勢いに似ているが――長くは敵を騙せない。

あの従者だという女と彼女との違いは、長年鍛錬し続けた技術ではない。

オリガの何よりの特性は、無尽蔵、とまで評されるそこの見えない魔力量。

オリガという器が耐えきれずに悲鳴をあげてしまう程の、魔力。

唯の魔術師がその域に追いつく為には一体何百年の鍛練を積めば追いつけるのか見当も付かない程の、それだ。


索敵の為に地に張り巡らせた細い蔦に、誰かが触れたのを感じる。

身体を隠すのに丁度良い太さの幹に隠れ、細い蔦を引くと、周囲の蔦に触れる人間の数を正確に認識出来た。


―――その岩陰に一人、木立に四人。


息を整えながら腰に括られた剣に触れ、魔術を練り始める。

剣でこの人数程度に負けるつもりはないが、長引いて騒ぎになれば増援に囲まれてしまう。

魔術を使えば一気に気絶させてしまう事も可能だが、もしも魔封石を所持した兵士ならば手加減を加えた瞬間にこちらの不利が確定する。

ほんの少し迷って、剣に置く手を外した。

やるなら、一撃で。


幹から飛び出しながら繰り出した鞭は、目標を仕留める前に――――鮮やかな炎で一瞬の内に焼き払われた。

続いて飛んできた火球を横に転がって避けると、前方の木立から男達の悲鳴が耳を打った。


岩陰からゆらり、と出てきた人物の後姿には見覚えがある。

魔術師の頂点、象徴、護国の要。

いつだって自信に溢れていて、いつだって頼れる存在で、いつだって揺るがない存在。



「オリガ!」



けれど、振り返った友人の瞳は虚ろ。

その左腕は彼女の瞳よりも色濃い赤色に染まっていて。

だらりと下げられた左手の指先からぱたり、と血がしたたり落ちる。


身体中を血と泥で染め、蒼褪めた頬をしたオリガがそこに居た。





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