引き受ける者達

震え続ける私を見据えたまま、お父様は私の生がどれだけ汚らしい存在なのかを示すように言葉を紡ぐ。

私はお母様の生命を削って生まれ、そして多くの誰かの生命と感情を踏み躙って、自分の為に生き、自分の心を守る為だけにそこで震えているのだと突き付ける。

そんな言葉なんて聞きたくない。

それでも、と一旦言葉を切ると、お父様は目を逸らして感情を逃すように息を吸った。


「これだけは忘れるな。君がどんな存在だとしても彼女は君を愛していた。君を助けて欲しいと最後に僕に願った。……誰かに望まれたからこそ、君は今、こうして生きているという事を」


それが、何。

生きているから何だと言うの。

私にはギル様に殺される以外に生きている価値なんて存在しないキャラクターだ。

お母様が私を愛していたなんて嘘だ。

その言葉が意味しているのは何だ。

子供を駒のように扱って保身に走っていた人の言葉なんて信じられるはずがない――でもそれは、ギル様を利用していた私も同じでしょう?

頭の中で未だに【オリガ】を演じようとする私を諌めるような声が聞こえる。

嫌だもう何も聞きたくない、考えたくない、と耳を塞ごうとしたところで、凛とした声音が耳に届いた。


「旦那様、本邸の中から助命派は全員退去したようです」


その声に慌てて視線を彷徨わせると、いつの間にかそこには黒い装束に身を包んだ人が居た。

燭台の火がすべて消えてしまったこの部屋ではそれが誰なのかはっきりとは見えない。

でも、この声はケイカだ。


「監視は?」

「そろそろ交代の時間ですので私が誘導して参ります。最も近付いてきたタイミングで合図を灯します」

「出来るだけ人を集めなさい」


了解しました、と硬い声で返事をして音もなく部屋からリ出しようとするケイカは、私には一言も声を掛けようとしない。

お父様の側に寝返った事は分かるけれど、一体彼等は何の話をしているんだろうか。

人を集める?――何の為に。

ぐ、と力を込めて立ち上がろうとすると、お父様は私の肩を蹴って床に転がした。


「折角全ての事から離れて静かに暮らせていたって言うのに、また此処で戦っていかなきゃならなくなるなんて。面倒な事この上ない」

「…っ、ぐ」


だけどまあ、約束だからね、と独り言のように呟くお父様の言葉の意味は分からない。

俯せの状態でもがいていた私の太腿を踏みつけると、首の根元を掴んだ。

首は固定しているだけなのかそれ程苦しくないが、太腿に込められた体重が重い。

抗議の声を上げようとしたところで――服を引っ張られる感覚と、びり、と被っていた夜着を引き裂く音がして身体が固まった。

私の動きが止まった事に気づいたのか、忍び笑いが背中に降り注ぐ。


「そう身構える事はない。娘を抱きたいとは思うような性癖は持ち合わせていないものでね、彼等の申し出を利用させてもらったんだよ。取り敢えず努力はしたと証拠ぐらいはあった方が言い逃れが出来るだろう?」


君を処分したいと願う派閥に気取られないように彼等は今日は本邸から下がっている、とお父様は楽しげに言う。

申し出を利用しただけだと言うのなら、やっぱり私を殺すためににこの離れに訪れたんだ……!

こんなところで殺される訳にはいかない。

殺されたくは、ない。

こんなところで死んだら只の無駄死にだ。

私の死には、もっと価値があったはず。


「君は少し殺し過ぎた。穏便に済ます方法も無い訳ではなかったんだが、これでは流石に注目され過ぎてしまうからね。自業自得だ、少し我慢しなさい」


抗う為に力を籠めてみても太腿を踏みつける脚は少しも動かず、上半身は首を戒める手で地面から離れそうもない。

それでも動こうとする私に更に体重をかけると、頭上から降ってくる声は溜息を吐いた。


「あの子達もあの子達で中々忙しくて、今日しか機会が無いんだ。多少手荒になってしまうけれど彼女には許してもらうしかないな」

「……な、にを」


手を動かそうにも俯せの状態じゃお父様に届かない。

あの子?協力者がいるっていうの。

息を吐くのにも辛いけれど、どうにか声を発すると、お父様の酷く穏やかな声が耳に届いた。

そう言えば、と。


「君は彼女の葬儀の時に何を口走ったか覚えているかい?君は妬んでいたよ、羨ましいと」

「そんな……こ、と…」

「言った。可愛い娘の願いだ。忘れる訳がないだろう?」


本当に浅ましい娘だ、とお父様は笑って。


「望み通り、君を殺してあげよう」


その言葉が耳に届き、意味を成す前に。

背中に手が添えられたのを感じて―――――――視界は真っ白に染まった。






「っああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」






痛い。痛い痛い痛い。

痛い痛い痛い!

背中が焼かれている。

押し付けられた掌から圧倒的な熱が伝わり、嫌な音を立てて私の肌を焼いていく。

痛みのあまり背中が反っているのに、足と首元を押さえつける手足を跳ね除ける事は出来ない。

痙攣する身体が少しでも痛みを散らそうと暴れているのに、背中に走る痛みは逃がせない。


「――――――――――っ!―――――――――――――――――――っ!!!」

「……君の大好きな【お兄様】と揃いだよ。これで君はルージルの一員ですらなくなる」


喉の奥から絶叫が走り続けているけれど、それが私の耳には聞こえない。

お父様が何か言っているけれど、頭の中では何の意味にも成らない。

全ての感覚が背中の痛みに書き換えられる。


「後は……まあ、生きるか死ぬかは君次第だろう」


幸運を祈ってるよ、僕の娘。

その言葉は酷く遠くで聞こえたような気がした。


酷い痛みに焼かれた意識が微かに痛み以外の物も認識し始めるようになって、大きな音と床の揺れる振動が再び傷に刺すような刺激を与えているのに気付いて呻き声を上げた。

喉の奥からは声にならない息しか発されず、口の中はいつの間に切ったのか血の味がする。

辛うじて見開いた視界は涙で歪んで殆ど見えはしない。

けれど、ほんの少しの間に部屋の中には多くの人間が増えて居るのだけは分かった。


「………達に、招かれたんだよ。意味は分かるだろう」


音が戻らない。

聴覚は痛みに圧迫されて音を正確に拾えない。

脳が認識しようとしない。

一体何を言っているのかを噛み砕く事も出来ない。


「抵抗し……焼いただけだ。噛み付く……嫌いだ」

「ですが………ではないですか!」


すっと身体の戒めが解かれるのを感じた。

けれど、もう少しも動ける気がしない。

必死に顔をずらして視線だけを虚空に転じると、そこに見慣れた色を見つけて自然とそこに吸い寄せられる。

お父様の赤銅色の瞳と目が合った気が、した。

すっと細められた眼差しは、どうしてか穏やかに笑っているように見えて。



「何を迷う事がある―――当主は私だ」



その冷たく圧倒的な質量を持つ言葉を聞いたのは何年ぶりだろうか。

他者を寄せ付けない冷酷な当主の声。

感情の籠らない底の見えない声。

瞬時に部屋は静まり返り、私の荒い呼吸音しか部屋にはない。

部屋中の視線が私に―――私の背中に集まる。

本能的にそれを隠そうと身を捩って、引きつるような背の痛みに声にならない悲鳴を上げた。


今、この男は何て言った?

私の背中に、何を焼き付けた?

……まさか。

私は、私が、全ての罪を背負っていなくちゃいけないのに。

あの人に全ての罪を裁かれなくちゃならないのに。

けれど焦る心とは裏腹に枯れた喉は言葉を紡げない。

息を吸おうと口を開けるだけで、背の痛みが全身に突き刺さる。


そうだ、やはり殺すべきだったのだ。

この場にいる誰かがぽつりとその一言を述べた後、さざ波のように誰もが口を開き賛同の言葉を口にする。

規定の儀式の通りでなくても仕方がない、証人は我らが、と声が部屋の中に響き始める。


一門の者が当主の身体を焼く。

この行為は、儀式だ。

古い当主を力で降し、新しい当主となる継承の儀式。

ならば私の背に刻まれたのは敗者の焼印――これを付けられたなら、待っているのは死だけ。

案の定すぐにでも私を殺してしまえと囃し立てる彼等の声は、興奮に満ちて部屋を揺さぶり始める。

王の血族だろうが関係ない、掟は掟だ、と叫ぶ声は次第に方向性を見失い、仕えるはずの王族に対しての不満すら混じり始めて。

けれど冷ややかな声はそれを遮り、一門を捨てるような真似をしたこの女を代々の当主の墓に入れてやる事もない、と言って切り捨てた。


「虫の息だ。外がこれだけ寒ければ、放っておいても野犬の餌となって死ぬだろう。ケイカ、その塵を外に捨てて来なさい」

「かしこまりました」


いつから其処に居たのだろうか。

ぐい、と乱暴に腕を引いて私を担ぐと、ケイカは興奮に染まる離れの屋敷を堂々と出る。

開かれた扉をくぐると外の世界は雪がちらつき始めていて、冷たい外気が熱を帯びた私の肩を冷やすように素肌に触れる。

寒さに一瞬だけ咳き込むと、背に激痛が走って姿勢を崩した。

けれど、痛みに苦しむ私の事など構っている暇など無いとばかりにケイカは私の腰を支え、再び歩きはじめる。

その背後からはお父様の名を讃える声と、歓声が響いて来ていた。





ぐったりとして運ばれていく私を見てすれ違う誰もが驚いたように目を見開いていたけれど、その先の離れから聞こえる歓声を耳にすると、納得したようにこちらにはもう関心が無いと言わんばかりに離れに向かって走っていった。

さっき助命派は全員本邸から退去したと言っていた通り、私が命を落とそうとしている現状に対して異を唱える者達もいない。

ケイカの歩みを阻む者はどこにも居ない。

ルージルの敷地を一歩一歩横断し、ケイカが迷いもせずに一直線に進む先には裏門がある。

そこを出てしまえば、私は―――【オリガ・エメルダ・ルージル】ではなくなる。

それは私という悪役の、死だ。


最初から。

最初から、全部仕組まれていたんだ。

助命派の願いを聞き届けるフリをして、私を当主の座から引きずり下ろす事が目的だったんだ。

抵抗しようと下半身に力を籠めてみても、身体は思うようには動かない。


「…ど……し、て」


どうして。

どうしてこんな事を。

どうして私を当主の座から引きずり下ろしたの。


無言のままだったケイカは、ゆっくりと息を吸うとぽつりと言葉を落とした。

全部私が仕組んだ事です、と。

その言葉に一瞬痛みも忘れて彼女の横顔に視線が奪われた。

――私に子供を産ませるようにと助命派に進言したのも、お父様が私の元を訪れるように仕組んだ事も、私から当主の座を奪い返すようにと吹き込んだのも、全てケイカが自ら画策した事だった。


「オリガ様が私に心を許してくださらなかたったのは知っています」


前を向いたまま小さな声で呟かれる言葉は、私以外の誰にも聞こえない。

ちらり、と薄暗い空に舞う雪が音を吸い込んでいく。

浅く吐く息が白く染まり続ける。


「最初は私が未熟で失態を犯してばかりだからなんだと思ってました。落ち込みもしましたけれど、信用が得られないなら何年でも真摯にお仕えすればいいだけ。そう思っていました。でも……気付いたんです。オリガ様は誰に対しても心を許してない。アトラス様に対してだってそうでした」


貴女はそういう人なんです、とケイカは静かに微笑んだ。

すれ違う人が居なくなったのを確認すると少しだけ立ち止まり、私を抱え直して今度はゆっくりと振動の少ないように歩き始める。


「貴女は誰をも平等に価値を見出していなかった。だから私の事も――一門の他の人達と同じように信用してくださらない。私はそれがどうしても耐えられなかったんです」


ケイカは、ケイカ・ルージルは、出世する為に先代当主だったお父様を裏切って私に忠誠を捧げた。

例えどんなに実力主義であっても、裏切り者は歓迎されるものではない。

だからこそ彼女はこの一門の中で孤立してしまった。

私はそんな彼女を誰よりも便利な存在として使ったし、誰よりも私の抱える【未来】という秘密に近寄らせていた。

それでも、彼女を信頼した事なんて一度も無い。

だから、核心に近い事は何一つ触らせなかった。

――だって只の脇役にそこまで知る必要は無い。


「私は強欲です。どんな誹りを受けようと構わない。でも、他の誰よりも信用してもらえないと、価値を見出してもらえないと気が済まなない。だから私は貴女に忠誠を誓ったあの日からずっと……貴女の一番になりたくて、なりたくて、仕方がなかったんです」


でも、と言ってケイカの声が震える。


「信用しなくて正解でしたよ。だって結局私は貴女を裏切って、先代様に鞍替えしたんだから」


私の顔を見て、にっこりと笑って見せた笑顔は唇が震えて、泣き顔のようにすら見えた。

ケイカの無理に作った明るい声が、私の耳朶を揺さぶる。


「先代様は私を活用すると仰いました。あの方は利用出来るモノは最大限に利用する人です。だから、貴女と違ってきっと私に価値を見出してくれます。貴女が私にくれなかったものを与えてくださります。信用してくださります。背を預けて、…くださります。……一人で、全部背負ってしまうなんて……しません」


次第に震えていく声に合わせて、ぽつり、と涙が彼女の頬を伝う。


――この人は、誰だろう。

あの物語で一度として名前が出た事のないこのキャラクターは。

一番になりたかったと言って、信じて欲しかったと言って、背を預けて欲しかったと言って涙を零すこの人は。

【私】一人に背負わせたくなかったと泣く、この人は。

刺すような背の痛みで思考がぐちゃぐちゃに乱れて纏まらない。

でも、私はこの人の事を知らない。分からない。

こんな風にオリガを思って泣くキャラクターなんて、まるで、【人】みたい。


溢れた嗚咽を堪えるように深く息を吸うと、ケイカは再び凛とした声音で言葉を紡ぎだす。


「……もう、ルージルに貴女のような無能は要りません。これからは旦那様の元でこの一門は栄えるのです」


それは、嘘だ。

ルージルの当主という地位は栄光だけではない。

それは、今代で最も強い魔術師の称号であり、多くを殺す魔術師の称号でもある。

だからこそ罪を犯し続けた私がこの地位から引きずり降ろされ、オリガや炎獄公女という呼び名がこの世から消えたところで、ルージルの当主という地位にも憎悪は向けられ続ける。

魔術師を疎む者達も、王も、それを煽り続けている。

そうでなくとも王妹の娘を追放したとなれば、叛逆の意があると彼等に口実を与えるだけだ。

こんな形でルージルの最高の魔術師であったオリガという脅威が無くなったとなれば、この衰退し始めている一門に栄光なんてありはしない。

待っているのは――。



「貴女が背負うはずだった役目も、責任も、全部私が頂きます。私が旦那様と共にルージルを導く栄誉を手に入れるんです。貴女はもう私達にとって無用です。貴女は最早当主ではなく、ルージルを名乗る資格もありません。……いいえ、むしろこの国にすら居て欲しくない」



金属製の門扉を手で押して開くと、屋敷の外壁に半身を凭れられるように私の身体をゆっくりと降ろす。

身じろぎして声を掛けようとしたのを遮るように自らの黒い外套を脱ぐと、跪いてそれを私の身体に掛けた。

冷たい空気を遮るそれは、ケイカの温かさが移ってまだ熱を持っている。

動こうとする私を目で制し、掌に見覚えのあるぼんやりとした魔術陣を描くと、それを私の手に重ねて焼き付ける――痛みは全くない。

この、魔術陣は。




「二度と私の前に現れる事なく―――どこかずっと遠いところで、生きていてください」




緩慢な動作で視線を上げると、濡れた瞳と目が合って。

どうかお願いします、とケイカは涙を零しながら笑っていた。

すっと立ち上がった彼女に向けて伸ばした手は空を切る。

私の死ではなく、私の生に価値を見出した人に、手が届かない。

何故かそれがとても悲しい事のように、心の底で感情が悲鳴を上げる。

―――行ってほしくない、その先にあるのは破滅だけなのに。


「待っ、て……ケイカ、ケっ……、……開け、て!ケイカ!」


必死に声を上げて手を伸ばしても、歩き出したケイカには手が届かずに。

扉を叩きつけるように乱暴に閉め、屋敷の方向に去っていく彼女は、私の声に最後まで振り向く事は無かった。

それでも雪の舞う夕闇の中で、意識が途絶えるまで叫び続けた。

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