暴く者

「……今の私に求められるのは強い魔術師を産む事でしょう。ですが、私は子供・・を産めません」


それがたとえ近親間での子供であったとしても、力を追い求めるこの一門ではその禁忌さえ軽んじられる。

私が単純に魔術を使えなくなっただけであるなら何の問題も無くその禁忌は破られていたはずだ。

けれど医師の診察では私は魔術師を産む事は出来ない――そう、何も求められる事は無かったはずだ。

唯の人間であれば育てる意味もない。

ギル様の時と同じ事が繰り返されるだけで、一門にとっても無駄だ。

それが分からないはずはないだろう、と睨み付けると、お父様は溜息を吐いた。


「それも承知の上で試しに一人、という事だ。君が魔術師を産めない身体だと知ってもなお君の才を諦められないんだろう。馬鹿らしい事だ」


その言葉に乗ってこの離れを訪れた人が何を言うのか。

それに何度試したところで無駄にしかならない。

【オリガ】は死ぬまで子供を産む事はなかったのだから、どんなに【私】の寿命が引き伸ばされたところで新しい存在をこの世に産み落とす事はない。

悪役が死んだ後もまだ生き残っていたキャラクターならその辺りも期待できるだろうけれど、私にだけは有り得ない。


「それで、どうする?抵抗するならしても良いが余計な怪我をするだけだ。これから暫くは通い詰める事になるんだから、初めは穏便に済ませた方が君にとっても良いだろう」

「………」


今日が終わりではない、とお父様はそう言って肩を竦めて何でもない事のようにこちらの様子を見守るだけ。

今ここで抵抗したところで、撃退する事の成功したところで、この離れの屋敷は鍵を内側からはかけられない。

今日が駄目だったならまた明日、明後日、一週間、一月、毎日訪れるだろうこの人を私は一体いつまで拒み続けられるだろうか。

体格も、体力も、今となっては魔術でさえもこの人に及ばない私が一体どうやって―――。


……先の事を考えたら少しでも体力は温存しておいた方が良い。

拒む事が無理ならより良い選択をするだけだ。

目を伏せ、分かりましたと呟くと、お父様は何も言わずに私の手を引いて立ち上がらせた。

あと一歩踏み込めば身体が触れ合ってしまう。

その先にあるものが何なのかが分かってしまうだけに、酷く嫌悪感が湧き出た。


「生かされている以上、こういう道もあるとは覚悟していました。私は一秒でも長く生きたいのです。だから、その為なら……止むを得ません」


仕方がない事なんだ。

それが例え何日先であろうとも、ギル様が私の元に訪れるまでの時間を稼げれば良いだけ。

小刻みに震える手を握り締めて唇を噛みしめる。

大丈夫。

今夜だけ我慢すれば良い。

一回経験してしまえばきっともう何も感じなくなる。


「何の為に?君らしくもない。実の父親と関係を持つ事を強いられるような生を求める理由は何だ」


問いかけられた声には先程までの艶は一切なくて、ただ純粋に聞いただけといった声音だった。

今までの【オリガ】なら、原作通りの彼女なら、ここまで愚弄されるような事態を是とはしなかっただろう。

たとえ状況は原作から大きくずれてしまっているのだとしても、そんな生を生きるぐらいなら単身で戦場に走っただろう。

でも、私は。


「……今、私が死ねば情勢は大きく傾いてしまうでしょう。教育体制は見直しました。成果も一定以上は出ています。でも、私のあとを継げる程突出した才能は結局現れなかったのですから」


すらすらと口をついて出る言葉は、嘘ではない。

あれ程幼年の教育に関して口出しをしたのにも関わらず、期待していた通りの結果にはならなかった。

【オリガ】までとは言えずともそれなりの魔術師が登場するだろうと思っていたにも関わらず、だ。

彼等がギル様がこの国を救う英雄となる将来において、ギル様の助けとなれるようにしてきたつもりだったのだけれど――結局、多少の改善は出来たけれど満足な水準にまでは至らなかった。

アトラスが魔術一門の称号を返上したという話も無理はない。

もう、魔術師という存在自体の衰退が定められているのだろう。


「護国の要の首が凡庸な魔術師に挿げ替わったと知られてしまえば、この国は終わりです。魔封石の破壊に成功したという事例も聞き及んでいます。今がどういった状況かは分かりませんが、少しでも長く私とという存在が抑止力になれば、」

「ああ、もう良いよ。そういう建前は」


必死に言い募る私の言葉をさえぎった声から、まるで灯火を吹き消したかのように温度が消えた。

どくり、と心臓が大きく波打つ。

まるでかつてギル様に施している修行が何であったのかを問い詰められた時のように、いや、それ以上に空気が明らかに変わった。



「君の言は確かにごもっともだ。魔術師の鏡。正に護国の要。随分と練られたお利口な返事だ――でも、本当はそうじゃないだろう?」



ぐい、と顎を持ち上げ無理やり視線を合わさせられると、至近距離で赤銅色の瞳が私の顔を覗き込んだ。

唇は、今まで見てきたお父様の表情が全て作り物であったかのように醜悪に歪められている。

まるで私の中身を、目の前に立つ人間の中身を見透かすように細められた瞳が正確に【私】の思惑を見定めているようで。


いやだ、怖い


怯えて身体が一瞬動いてしまったのに気づいたのか、顎を固定する指に力が入る。

片手だけしか使っていないのに、一歩たりとも、一瞬たりとも逃がさないと言うような拘束。

赤銅色の瞳が、【オリガ】の瞳が、私を責めるように色味を深めていく。


「君に聞きたい事がある。何故あの時ハーベスタの子供に治癒魔術をかけた」


問いかけは思いもよらないものだった。

何故今ここでそんな事を聞くんだろう――考えようとする思考を遮るようにぐっと顎に力を籠められ、痛みで顔が歪む。


「………友達、だから。助かって欲しくて」


そう、友達だから。

ギル様にとって掛け替えのない後ろ盾となれる人間だから。

あの状況、この物語の展開を考えるなら優先されるべきは私ではなくてアトラスだった。

それに、私が死ぬまでの間さえ生き延びてくれれば私の死は無駄にならない、から。


「調書は全て読ませてもらった。君がどんなに錯乱していようとも、あの状況では彼を癒したところでより長く苦しめるだけだと分かっていたはずだ」

「それでも、少しでも助かる可能性を見込んで」


そして結局、設定は、神様は、私もアトラスも死なせる事はなかった。

私達のどちらをもこの先のギル様の成長の為には不可欠な存在として判断したからなんだろう。

私は【器】を壊してしまったけれど、それでも今まで犯した罪は私を悪役として成立させる。

諦めてしまった展開は、結局私を見捨てる事なく定められた結末へと動き出した。


「君のそれは偽善ですらない、か」

「……え?」

「もう一つ。君は、人間を人間として認識した事があるか?」


至近距離で見詰めてくる赤銅色の瞳は、酷く昏い色をしていた。

何度も戦場で向けられていた色だけれど、何故私にほんの少しも興味を抱いていないお父様にこんな風に見られなくてはならないのかが分からない。

それに、人間を人間として、認識?


「どういう意味か分かりません」

「そのままの意味だ。君は目の前に現れた者達を人間として、心ある存在として認識していたのかと聞いているんだ」

「勿論……」


嘘を吐くな。

その一言を吐き捨てるように言うと、お父様は勢いよく私の体を突き飛ばした。

よろめいた身体を慌てて立て直して振り向くと、大きな身体が私を威圧するように怒気を発していた。

どうして急に怒り出したんだろう。

どうしてお父様は急にこんな事を言い始めたんだろう。

彼らは人間で――只の脇役。

それ以上にどう認識しろって言うの?


「僕は君と言う人間がこの世で一番おぞましい存在だと思ってる。何もかも分かってるような態度で誰にも腹を割らず、信用せず、全てを見下し、自分の進む道が絶対的に最善だと妄信する―――愚か過ぎて反吐が出る」


君は本当に幼い頃から変わらないね、と嘲笑うと、お父様は私の髪を乱暴に掴んで歩き出す。

あまりの痛みに顔を歪めて小さく悲鳴をあげると、手を緩めるどころか強く引いて私を床に叩きつけた。

涙で視界が歪む。

赤銅色の髪が視界を遮る。

何かに縋ろうと手を伸ばすと、硬い木製の脚に手が触って慌ててそれを掴んで身体を引きずるように上体を起こす。

歪む視界でそれが何の脚だったのかを認識し――一気に心臓が冷えた。

いつの間にか寝室に連れ込まれている。


「多くの人間を踏み躙って、誰にも心を寄せず、嘘塗れの自分の殻に篭り切って悲劇のヒロインぶるのは楽しかったかい?僕の娘」


声のする方に顔を上げると、無表情で立つお父様がいた。

私が愚か?

私が悲劇のヒロインぶっている?

この男は一体何を言っている。

心の中で反発するように声を荒らげる私とは裏腹に、身体はかたかたと震え始める。

乱暴にされる事を怯えてではなく、赤銅色の瞳に見据えられる事に怯えている――でも、なんで?


「君は徹頭徹尾、魔術師達を思って動いていたんじゃない。自分の望みに忠実だっただけに過ぎないだろう?」


暴かれていく事が怖いのか。

【オリガ】の身体を纏う【私】を正確に見定めるこの男が恐ろしいのか。

炎獄公女を演じ切れてない事を突きつけられるのが、怖いんだろうか。

私は【オリガ】のように純粋に魔術師を思って行動してきた訳じゃない。

一門の魔術師を信頼してきた訳じゃない。

王に忠誠を誓ってきた訳じゃない。

でも。


「本当の事を言ってみろ。人間を、人間として見た事なんて無い――そうだろう?」


それで、どれだけの人が死のうが。

それで、どれだけの人が涙しようが。

それで、どれだけの人が絶望しようが。

関係ない。

だって貴方達は皆、この物語の中でそういう役割なんだから。

人間じゃない、キャラクターなんだから。


「君はギルフォード以外の誰も愛してはいない。友人と言ったハーベスタの子供の事でさえ、その存在を認めてすらいない」


それの何がいけないの?

国民の事よりも、魔術師の事よりも、一門の事よりも、友人の事よりも、自分の事よりも、ギル様を優先する事の何がいけないって言うの。

心の中で渦巻いていた反抗心が、身体の震えを叱りつけるように口を動かし始める。

肯定してはいけないと理性は訴えながらも、感情の奔流は止められない。


「……ええそうです。そうですよ、私はお兄様を愛してます。尊敬しています。敬愛しています。その人生が幸せなものになるように祈ってますし、そうなるように幾らでも努力します、私がお兄様の未来を守ります。お兄様以外の誰がどうなっても構いません。でもそれの何がいけないって言うんですか。どうして責められなくてはならないんですか。貴方達がどれだけ犠牲になろうとも私には何の関係もありません。お兄様の為だけに存在している人達なんですから!」


だって、そうじゃなきゃ。


「君が何でアレにそこまで執着するのかは知らないけれど」


――だって、そうじゃなきゃ。



「どこまでも嘘つきだね、君は」



嘘じゃない。

嘘なんかじゃない。

この物語はギル様の為に、ギル様の為だけに存在する。

子供も大人も女も男も魔術師もそうではない人間も脇役も悪役も、そして私も。

ギル様の為だけに存在するキャラクターなんだ。


「その言葉が本音だったら僕も何も言うつもりもなかったし、もっと好意的に受け止められたんだろうけれど」

「………」


本音だよ。

ずっと思ってきた事だ。

この物語はギル様が成長し、国を救い、魔術師を救う物語。

私はそれをずっと愛してきたし、ギル様の事はどのキャラクターよりも愛してきた。


「ギルフォードを守りたい?笑わせてくれる。君がそんな殊勝な兄妹愛でアレに構っていたのではない事ぐらい分かり切ってる。君はあれを見る自分を鏡で見た事があるか?君は―――」


愛してる。

絶対的な主人公ヒーローを。

正義の味方を。

誰よりも憧れた存在を。

誰よりも病床の私を勇気付けて、生きる楽しみを与えてくれた人を。

私を一人ぼっちにしないでくれた存在を。


「やめ…て…」


でも、いつだって思っていた事じゃないか。

私は皆から憎まれ疎まれる悪役なんかじゃなくて。

本当は。




「君は、ギルフォードを誰よりも憎んでいるじゃないか」



―――私は、お兄様主人公になりたかった。



「ちが、い、ます」


誰からも大事に思われず、誰にも何もできず、たった一人で病室の中で死んで行くような人生の中で憧れていたのはギル様だけだった。

仲間を想い、国を想い、それ以上に色んな人に慕われて大事にされて元気に遊んで泣いて笑って、そして英雄となる。

他の誰よりも輝いている、物語の主人公。

他の誰よりも価値のある人間。


「ちがいます、ちがいま、す……わたしは、おにいさまの、」


なのに。

どうして私が悪役に生まれてしまったの。

どうして私は大好きな人達を守れない役割なの。

どうして私は多くの人に恨まれる役割なの。

どうして私は、こんなにもこの物語を愛しているのに。


「私は……お兄様の為、に」


――どうして私は、お兄様の為に死ななくちゃ何の価値も無いキャラクターに生まれ変わってしまったんだろう。


かたかたと震え続ける身体が私の言葉を遮る。

私はギル様を憎んでなんかいない――本当に?

私はギル様に幸せになって欲しいと祈っている――心の奥底から?

私は、ギル様の為に死にたいの?

自問自答の答えは導き出すまでもない。

私は、本当は。


「信じられない程に醜い心根だ。自分の心まで偽って、全部を蔑ろにして、妬みの中で沈んでいる。……あの子が生命を削ってまで産んだ一人娘がこんなに愚かだなんて、本当に殺してやりたい程に憎い」


お父様は【オリガ】とよく似た赤銅色の瞳で【私】を見下ろし、冷然と言葉を吐いた。

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