第1章 主人公の物語

待ってて、お兄様!

バシン、と硬い音を立てて扇が閉じられる。

指向が示されないままに、ただひたすら放出されていた魔力は霧散し、何一つ形にはならなかった。

極限の緊張から強制的に覚めさせられた少年は、知らぬ間に止めていた息を大きく吸って喘ぐ。

薄い金茶色の髪を綺麗に結い上げた女は、冷たい瞳でそんな少年を見据え。


「ギルフォード、貴方、まさか火球すら出せないのかしら」

「……申し訳、ありません。義母上」


心底落胆した、と言わんばかりに女が溜息を吐いて頭に手を当てた。

これで少年は最後の砦とも言える最後の存在に、ついに見限られた。

庇護無き存在となってしまった。

この魔術一門において不可侵の権力を持つ女の試験を、達成出来なかったのだから。

無能な者にまで心を配る余裕はこの女には無い。

例えこれが決まり切っていた結果とはいえ、胸が痛む。


―――でも。

肩で息をしながら謝罪する美少年の新緑の瞳に涙の膜が張っているのを見て、つい、つい、私の胸は高鳴ってしまった。

灰銀の髪に緑眼の美少年が、金髪美女に見捨てられ涙ぐむ挫折の瞬間。

どん底から這い上がるストーリーで一番重要な、どん底に落とされた瞬間。

こんな絵になるシーンを目に出来る日が来るなんて、全く思ってもいなかった。


傍目には冷徹な養母にしか見えない存在ではあるだが、彼女には例えお情けの試験を失敗したのだとしても、何度でも、何年でも指導を諦めない優しさがある。

けれどお身体の弱いお母様に心労は禁物。

落ちこぼれの試験後の指導までさせてしまったら、確実に倒れてしまう。

感動のあまりに震える心臓を宥めながらも、その役目は私が引き受けようと二人の間に割って入った。


「お母様。私が、お兄様のお相手を務めさせて頂いても宜しいでしょうか?」


お母様に赦しを得て、彼女が部屋を去って行くのを見送ったならば。

さてさてそれでは、私の出番だ。

くるりと身体の向きを変え、悪役然とした強気な瞳で美少年を見据えて、手のひら程の大きさの火球を空間に打ち出す。

敢えて自分の実力に見合った魔術ではなく、彼が今日まで必死に鍛錬してきた初級・・の魔術を量産して。

一つ、二つ、三つ――――――二十。

小さな私の身体を取り囲むような火球の多さに、少年の瞳に絶望の色が宿るのを見つめながら。


「いつまでも実力の伴わない存在を、我がルージル家に置いておく事はこの私が許しません」


小さな腕を振り上げたなら、火球はその動きに合わせて少年の身体へと一気に向かっていく。

防護膜を張られた魔術であるとはいえ、触れれば相応の熱さを伴うそれが少年の無防備な身体に降り注ぐ。


「お兄様に、格の違いを思い知らせて差し上げましょう」


例え年上でも、目上でも、力のある者は力なき者に対して優位に立てる。

兄も妹も、父も娘も、師も弟も関係ない。

この絶対実力主義なル―ジル家、すんごい脳筋なのだ。






フィクションにはよくある話だけど、【私】は転生というものをしている。


かつて静かなブームで始まり、じわじわと火が付き、さあアニメ化も間近か!完結は目と鼻の先!……という素晴らしいタイミングで出版社が潰れ、お蔵入りとなった作品。

それが、魔術師と夜の国、という小説。

かつての私はそれに物凄くハマっていた。

一年に一冊、酷い時は三年に一冊。そんなペ―スでしか刊行されないそれは、日々を退屈に過ごしていた私にとって唯一心が躍る楽しみだった。


好きなキャラクターは沢山いたが、中でも特に主人公がお気に入りだった。

よくある【最強の存在】ではあるのだが、作中における人間としての精神の成長の様は、力でごり押しするような無粋なものではなかった為大変格好良かったのだ。

生い立ち、不遇な幼少期、開ける世界、友との旅立ち、立ちふさがる陰謀、守護精の祝福、戦場での嘆き、困難、成長。

そのどれもが彼を輝かせる良いスパイスで―――惜しむらくは、彼が最後の難関を打ち倒したところで出版社が潰れた事のみ。


さて、私が転生した世界というのは、まさしくこの魔術師と夜の国。

本当に幼い頃は記憶にぐらつきがあった為よく分かっていなかったのだけれど、自我が芽生えた時、私は状況を正しく認識した。



ああ、私は近い将来、主人公―――水の大魔術師ギルフォードという兄を持つことになる、と。



正直それを認識したときには興奮のあまり眠れない日々が続いたりもした。

だって、前世の自分が生涯で一番好きだった小説のキャラクターに生まれ変わったのだから。

毎日毎日興奮して、魔術の勉強にも熱心に取り組んで。

父親と母親に身の丈以上の知識を披露して見せたり、魔術を会得していったりしたものだ。

しかし、少し落ち着いて一つずつ記憶をなぞってみると、私の兄となる存在が辿る道筋は困難に溢れていた。

勿論、成長に困難は付き物だからそれを否定するつもりは毛頭ない。

戦場での悩みも、敵対する存在についての葛藤も、友情の軋みも、成長には不可欠だから大した問題ではない。



けれど。けれども。

後の護国の魔術師たる我がお兄様―――これが問題なのだ。

紛れもない主人公なのだ。しかし、大器晩成型だったのだ。



私とギル様が育つルージル家は火の魔術師一門。

創国の時代に敵軍を焼き払い、明確な国境を打ち立てた、偉大なる魔術師の直系一門。

そして現在も虎視眈々と我が国を狙う隣国を蹴散らす、護国の要。

そんな重要なポジションを誇りに思わない貴族がいるだろうか。いや、いない。

結果として、強さが最重視された我が家系は完全実力主義。

だから、大器晩成型なお兄様は、長い間この家で虫ケラよりも劣る存在として扱われる事となる。


そも、お父様がある日突然男の子を連れてきて、こいつは俺の胤だ、なんて言うから大騒ぎになったのだ。

小説には記述こそ無かったが、恐らく娘の才能に有頂天になり、以前撒いた胤も力が強いのではないかと考えたのだろう。

ギル様は私よりも歳上の子供―――つまり、やんごとなき身分だったお母様との婚約期間中にこさえた子供。

前々から政略結婚で仮面夫婦ではあったようだが、これにより両親の仲は最悪な状態にまで陥った。

信頼でのみ成り立っていた関係だから、それも仕方のない事ではあるのだけれど。

それでも護国の要たる我が家に嫁いだのだから、とお母様も腹を括った。

国を支える有力な魔術師は一人だって多い方が良い。

だから、ギル様にもきっちりびっしりルージル家の魔術を教え込んだ。


結果だけ言うと。お兄様には火の素質は全くない。

夫の不誠実の象徴、才能の無い只の穀潰し―――そんな存在を夫に押し付けられたお母様の王族の姫としてのプライドは、もうズタズタのぼっろぼろ。

ギル様に少しでも火の魔術の才があれば、成長すれば例え後方支援だとしても護国の魔術師として働く事になっていたのだから、夫の不実な行動も国を支える事に繋がるのだと耐えられたのだろう。

しかし、実際には教えども教えども何の力も発現しないばかりの少年がいるばかり。

そうして追い詰められて行くお母様に同情し、その立ち位置に嫉妬した一門の者により、このままギル様は口にするのも可哀想な程の扱いを十年程続けられてしまう。

それは小説の中で詳細に語られている。

実力主義で成り立つ家だから、そういう面は仕方のないものではあるけれど。


でもでも幾ら成長の為に必要な試練だと言ったって、そんなのってあんまりだ!

悪いのは下半身に締まりの無いお父様だけなのに、ギル様も、そしてお母様もあまりに可哀そう過ぎる、と私は奮起したのだ。


幸いにも、【私】はオリガ・エメルダ・ル―ジル。

あの、小説中最強の悪役・・と言われた炎獄公女オリガ。

小説では、火の魔術の申し子とまで呼ばれたオリガは、燃えるような苛烈な性格で一門の誰も彼もをばったばったと実力で薙ぎ倒し、お父様から若干十六歳で家督をもぎ取るのだ。

そしてその苛烈なまでの実力主義で色々な事件を―――でも、これは今は関係の無い話。


確定している未来を多少前倒しにしたところで、何の問題もない事はず。

だって、これは魔術師ギルフォードが成長し、国を救うという最終的なエンドに向かって進んでいく物語。

彼が才能を開花させ、国一番の魔術師として君臨する、という大筋以外ならば、私が物語に干渉する事も可能だと考えたのだ。


と、いう訳で。

さっさと能力に磨きをかけ、誰にも文句を言われない形でギル様とお母様を、速やかにこの因縁から解放させてあげたい。

故に、今日も今日とて悪役に徹するのみなのである。

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