追慕の春と、 後編
情報を口頭で伝える内に、日が傾き始めていた。
そろそろ彼も帰営しなければならない時間だろうと言葉をかけると、迷ったように口を開き。
「俺も春が来たら本格的に戦場に出る事になる」
「え?」
告げられた言葉に、一瞬頭が呆けた。
あの戦いをきっかけに国境付近での戦闘は激化してきているとは言え、見習いの身分まで戦力に数える段階ではないはず。
それは、もっと先の話だ。
例え敵国があの技術に着手し始めたとしても、まだまだ国力には余裕がある。
それにそもそもの問題として、だ。
「騎士として戦場に出るのであれば、十六にならないと出れないのでは有りませんか?」
「養成所は籍だけ置いてる形になる。学ぶ事は皆学んだ。あとは実地だけだが……俺は魔術師として戦場に行く」
「……そう、ですか」
アトラスがそれを選ぶならば、それはそれで問題はない。
でも、ギル様の年齢を考えるとこの決断はあまりにも早すぎる。
魔術を切磋琢磨して成長をして行かなければならないはずなのに、現時点で魔術師であるという選択肢を取れば、今後の展開でギル様との間に信頼関係が構築できなくなるのではないだろうか。
―――おかしい。やっぱりおかしい。
これでは、原作の通りに話が進んでいかない。
「同じ戦場に派遣される事もきっとあると思う。……背中を預ける事も。だから、【騎士見習い】の俺として言いたい事がある」
硬い声に、意識が引き戻される。
魔術師ではなく、騎士見習いとして―――それは、どういう意味なのだろう。
焦点を茶色の瞳に合わせると、一言一言噛みしめるように口に乗せられた言葉は。
「俺はお前が嫌いだ。強さを振りかざし、弱い者を虐げる奴が嫌いだ」
かつて憧れた人の一人に真っ直ぐに伝えられた気持ちは、心の奥の傷を抉った。
それは【オリガ】というキャラクター性の事であるけれど、それでも今、彼が口にしているのは私に対しての嫌悪感だ。
私がしてきた行いだ。私が犯した罪に対しての感情だ。
「……それは、ギルフォード・イヴリスの事でしょうか。それとも、」
あの戦で、私が焼き殺した人達の事か。
口にしなかった言葉の先を読み取ったのか、低い声はそれに対する答えを告げる。
「解決を急がなければ出さなくても済んだ犠牲だ。ギルも、あの砦も」
ギル様の事を犠牲として彼が認識しているのであれば、ギル様との間で出自に関して話す機会があったのだろう。
だから、初対面で私に対してあんなにも敵意をむき出しにした。
そうか。
彼がイヴリスの姓に戻ってから一年も経つのだから、もうある程度の関係性にはなっているのかもしれない。
それなら、彼がこんなに早く将来を決めてしまった事も、問題では、ない?
「彼はどんなに時間をかけたところで、ルージルの名に相応しい存在足り得ませんでした。それに、以前申し上げた通りあの勝利は私の名の元で掴んだものです。あれが最善だと、私は考えています」
「救える命は幾らでもあった。お前は、自分が決めた事は全て正しいって言いたいのか」
私を刺すように睨む鋭い目に、心臓がどくり、と大きく拍を取った。
正義の瞳、真っ直ぐな心根、正道を進むキャラクター。
数年先にあったはずの問答が今ここで行われてしまっている事に、物語の歪みを突き付けられている事に、心臓が冷える――――これは、【オリガ】が国を滅ぼす間際の問答だ。
有り得ない。これだけは、有り得てはいけない。
だって私はこの国に攻撃を加えた事はない。
まだ、彼等との生きる道の違いを明言する時期ではない。
けれど、【オリガ】の答えは決まっている。
これ以外にどう答える事も、出来はしない。
「わ、たしがこの犠牲を否定する事は、死者に対する冒涜でしょう?―――私の選択は、間違っていません」
指揮官が背負うべきは、部下達が犯す罪だけではない。
奪った命を無駄にしない為にも、その行為が正当だったと胸を張り続けなければならない。
部下に迷いが生じないように、前進し続けなくてはならない。
だから私は揺らいではならない。悪役でなくてはならない。
弱い【私】ではあってはいけない。【オリガ】でなくてはいけない。
心の内は、隠し通さなければならない。
「………俺の言っていることは、理想論だって事は分かってる。けど、騎士を志す者としてはお前を許せない」
じっと見つめていた目が逸らされ、大きくため息を吐かれた。
それも、知っている。
悪役である私と、正義である彼等とは最初から目指すものが違うのだ。分かってもらえる訳がない。
それに分かってもらったところで、何の解決にもなりはしない。
分かり切っている事なのに、厳しい視線が外れても心は安まる事なく心臓の痛みを訴える。
こんな風に傷ついて、立ち止まってる暇なんてありはしないのに。
正義の存在の断罪の声に耳を傾ける悪役だなんて、こんな滑稽な姿は本物の【オリガ】なら晒すはずは無いのに。
「―――でも、魔術師の立場としては理解してる。あの砦に居た人間は殺すしかなかったし……それに、結果論かもしれないけどお前はギルを護った」
「え……」
「俺の家や風のとこならまだしもルージルだ。お前がああいう形でギルを家から出さなければ一門は荒れてただろうし、あいつはきっと殺されてた」
確かに、火の一門でさえなければもっと寛容な傾向にある。
魔術一門としての力を失い始めているという意味は、只人との間で血を繋いでいるという事だ。
生まれる子供の魔力も急速に衰え、将来的には魔術師の血はその力を発現しなくなる。
当主一家はまだまだ血脈婚に縛られるだろうが、ルージルとは違って他の一門に属する魔術師は自由に結婚し、自由に血を繋いでいる。
だからこそ、ギル様のような存在だって許されていただろう。
けれど、ギル様はルージルの当主の胤だ。
「お前は何の理由も無しに事を起こしてる訳じゃない……と、思う。だからギルの事も何か事情があったんだって考える……事にした。そもそもがお前とギルの問題だから、俺が口を出すべきじゃないってのも分かってる」
アトラスの躊躇いがちな、自分自身に言い聞かせるような低い声が、私の意識を攪乱する。
そう、私はギル様を助けようと思って――――だって、大好きだから。
そう、私には事情があって――――だって、生きて欲しいから。
――どうして【私】はそう思うの?
感情がぐるりと反転する。
気持ち悪い。気持ち、悪い。
「だから謝る。あの時、酷いことを言ったし、やった。ごめん」
「私こそ、必要以上にキツく当たりました。すみません」
作り笑顔を顔に張り付けて、吐き気を抑えて。
今喋っているのが【オリガ】としてなのか、【私】としてなのかも怪しい。
言葉が空虚に空回って、アトラスの言葉が頭の中に溢れていく。
早く、早く、この話題を切り上げてしまいたい。
「ですが、彼の事はそんなに気にしないでくださって結構ですよ。もうルージルとは切り離された存在ですから、今更どうこうしようなんて人はいません」
「お前がギルの妹だからとかは関係ない」
私はギル様の為に、お母様の為に、一門の為に、魔術師の為に。
もうそれで良い。
それ以上考えたくない。考えたくない。
「あの時にお前の顔を潰したのは分かってるんだ。酷い事をしたってのは分かってる。それでも父上と、その……俺の事を信頼してくれるって言うんだから、俺もその信頼に報いたい」
そう続けながら心なしか硬くなった顔で、もう一度謝罪の言葉を口に乗せ。
消え入りそうな声で、
「友達に、なって欲しい」
―――心の奥底で蠢いた感情が、動きを止めた。
「ともだち」
呆けたように口にその四文字を載せると、アトラスは居心地が悪そうに視線を逸らした。
もごもごと続けられる言葉は意味の通じない単語ばかりであって、聞き取って意味を繋げる事も困難な程だ。
いつもの自分の意思をはっきりと主張する彼の姿はどこにもなくて。
なんて、なんて真っ直ぐな人なんだろう。
信じてもらったから、信じたい。
許したいから、許されたい。
だから、友達になりたい。
そんなのは子供の考えだ。
そんな単純に人の関係が構築されるのは物語の中だけで、現実はいつだって醜いというのに。
【私】は彼の友達になれるような人間なんかではないというのに。
貴方は、私と親しくなってはいけないキャラクターだというのに。
色々な考えが一気に頭の中を巡って、どうするべきか最善の答えを頭は叩きだしていたが。
顔をほんのりと赤く染めながら忙しなく紅茶のカップに触れる様子に、つい口元が震えてしまって。
「なんだよ。言いたい事があるなら言えよ」
「……私、お友達が出来たの初めてです」
あんぐり、と開かれた口がおかしくて、ついに堪え切れずに笑い声が出てしまった。
関わってはいけない、と警鐘を鳴らす理性は私の心を止める事は出来なかった。
―――この返事を後悔する未来には、気づかないフリをして。
それからの事は、毎日が小さな幸せに満ちていた。
たまに屋敷を訪れるハーベスタ公爵やアトラスと、沢山他愛もない話を重ねた。
彼等の存在や気遣いが私の心身を癒してくれたのは間違いがなく、みるみる内に私の魔力は安定して行った。
それでもようやく通常の防衛に戻れるようになったのは、春を迎えてからだった。
*
戦場に戻る前に王都の邸宅に移る必要があって、身支度をしていると上機嫌な様子のケイカに来客を告げられた。
客間に入ると、豊かな金色の髪を結い上げた女性が座っていて。
歓声を上げながら駆け寄って腰に抱き着くと、笑いながら白い手が赤銅色の髪を撫でてくれた。
「お母様!お久しぶりです。お身体の方はよろしいのですか?」
「久しぶりねオリガ。貴女がまた戦場に戻ると聞いたからその前に挨拶をしに来たの。あんまり急な話だったから、あの人は置いてきてしまったわ」
お父様の影響を遠ざける為にお母様の療養に随行してもらっていたから、どうしても会うことは出来なかった。
会いに行けば、お父様に対する社会の目が変わってしまう。
けれど、病弱な彼女は前世の自分に重ねるところがどうしても強くて、あれこれと気を使って贈り物をしていたから交流だけはあった。
だって、彼女はもうあまり―――。
「オリガ?」
「……お母様にお会いできて、本当に嬉しいです」
「あら。貴女は大人びている方だと思っていたのだけれど、まだまだ子供だったのかしら」
冗談を交わしながら、明るい声でここ一年であった事を報告していく。
襲名後に陛下に謁見した事、ケイカにエスコートしてもらった事、ハーベスタ侯爵にお会いした事、アトラスにダンスの相手を断られた事、そして今、彼は自分の友達になってくれた事。
楽しい思い出を聞かせていると、お母様も鈴の鳴るような声で笑い、久しぶりの会話が弾んだ。
私の魔術の失敗体験や、王宮に出入りする貴族の服装の流行や、赴任先の料理の話も面白おかしく話して聞かせると、自分の頬に浮かんでいた作り笑いが自然な笑顔に変わってくのを感じる。
こんな風にお母様とお喋りするのなんて、初めて。
「貴女がそんなに楽しそうにしているのは、初めて見た気がするわ」
「お母様?」
お母様に会うのは、一年ぶりだ。
相変わらずの美貌とピンと伸びた背筋に、最後に別れた時の声が蘇る。
彼女は【当主】に対して夫を生かした事の感謝を告げ、そして娘に対して抱擁を送ってくれた。
あの時も立場上言葉には出来なくとも、彼女はこんな風に抱きしめて私を心配してくれていた。
前世でこんな風にお母さんに心配してもらった事なんて、記憶に無い。
だからなんだろうか。
そんな風に気に病まれる事がどこか恥ずかしくて、嬉しくて、心配を掛けたくない、と思って。
いつかの【私】がして欲しかった事を、この人にしてあげたいと思って。
「貴女はいつも何か思い詰めていそうで、とても心配していたの」
でもお友達が出来たのならもう大丈夫ね、と続けるとゆっくりと微笑んで。
私の赤銅色の髪を撫でながら、掠れたように細い声で囁いて。
「貴方|達(・)が幸せになれるよう、祈ってるわ」
そう言ったお母様の笑顔は、揺らいでいた。
儚い微笑みを浮かべる青白い頬に、時間が来てしまったことに気が付いて、目を伏せて。
*
王都でお母様の葬儀が行われた。
陛下が花を手向け、多くの貴族がそれに倣い、墓の周りはお母様の好きだった花に包まれた。
きっと、私が知らないだけで、お母様はとても慕われる人だったのだろう。
多くの人がその早過ぎる死を悼む。
多くの人がその美しい人の生を儚む。
兄妹の情が薄いのではないかと考えていた陛下ですら、沈痛な面持ちをして。
それを眺める私は、他人事のようにただ黙々と喪主としての役目をはたす。
次々と訪れ、涙を流す人々の声が、私の耳を素通りする。
たった一つの命が喪われただけなのに、これだけの涙が流される―――その事実がじわりと私の首を圧迫するようで。
本当の事を言うと、葬儀の日の事はあまり覚えていない。
ただ、少しだけなら思い出せる。
お父様と並んでお母様のお墓に祈りを捧げていた時に、アトラスが訪れて。
慰めの言葉と共に密やかに差し出した手紙は、兄からの物だった。
本当に、何故そんな事をしたのか覚えていない。
何を口走ったのかすら覚えていない。
けれど、気づいたら私は、兄からの手紙に火を灯していて、その中身を読む事は出来なかった。
傍でそれを眺めていたお父様が何かを言って嗤っていた気がするけれど、覚えていない。
……何も覚えていたくないと、強く思った事だけはよく覚えいる。
そして、その日を境にお父様は姿を消した。
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