懇願の夜
ここまで辿り着くのに、長い長い時間がかかった。
そして、ここからはきっと坂道を転がり落ちるように簡単に終わって行くのだろう。
吐いた溜息に込めた感情には、何の力もありはしない。
他国への情報提供、ダミーの商会を開設しての魔術師の人身販売。
果ては、実戦にて兵器の実地試験。
挙げ出せばきりがない程の犯罪行為の数々がこれまでに露見しなかったのは、その潜在的な支援者の数があまりにも多かったからに他ならない。
逮捕しても、摘発しても、暗殺しても、殲滅しても、新しい支援者は次々と現れる。
そして、その根がどこにまで張っているのかを根気良く探り続けて行けば―――思いもよらない人物にまで当たってしまった。
最初からそういう設定だったのか、それとも運命が早まったから人物に変化が加わったのかは分からない。
どちらにしろ私の記憶とは違う結果が出ている。
それならば私が知る事のない脇キャラが居るのだろう、と探し続けて。
そして。
「愚かね、ヒーデリクス辺境伯」
全身を縛り上げた上で猿轡を咥えさせらて床に転がされた男は、静かに【オリガ】を見上げた。
どこかぼんやりとしている様子に、少しは睡眠薬を飲んでいたのだろうかと内心で考えたが、それを確かめる必要は特には無い。
どうせ屋敷の中に居る人間は全員薬で眠りについているのだから、辺境伯の様子が演技だとしても隙をついて助けを呼ばれるなどと言う事もないのだ。
背後でぱちり、と小さく燃え始めた本棚が、焦げた匂いを放った。
壁に立てかけられた姿見に映る赤銅の髪は、炎に照らされてその色味を際立たせる。
火の申し子、炎獄公女、そう呼ばれるに相応しい容姿。相応しい年齢。
もう少しでかつて幾度も眺めていた【オリガ】の年齢に追いついてしまう事に焦っていたが、その前にこの男を始末する事が出来て本当に良かった。
「火の処理が甘くて辺境伯のお屋敷が深夜に全焼。残念な事に屋敷にいた人間は全員、それに巻き込まれてしまいました。……明日には王都にもこの報告が行くでしょうね」
ぱちり、と音と焦げた匂いを部屋に充満させながら炎が立ち込め始める。
魔術を使って屋敷を一気に燃やすという手もあったのだが、碌な抵抗も見られなかったから強引に焼き払う必要もない。
自然と館が燃え尽き、中に居る人間が誰一人として生き残る事のないように見張っていなければならないという手間はあるのだが―――それも致し方ない。
魔術を使用した痕跡がなければ、辺境伯の一家が焼死したと聞いて真っ先に【オリガ】を怪しむ者は少数だ。
あのお人好しで真っ直ぐな友人には怪しまれるだろうが、それでも確証は持たないだろう。
「さて、館に火が回りきるまで少し時間がかかるのですけれど、それまで暇ですし何かお話しましょうか……ああ、これでは喋れませんね。ちょっと待ってください」
結んでいた革紐を外してあげると少し咳き込みながらも、大人しく床に転がるだけだった。
魔術的なものはともかく、私が体術についてはほぼ学んでいない事は周知の事実。
高名な軍人である彼が薬を盛られているとは言え、十四の娘に逆らえないものだろうか。
やはり、この男は最初から私に抵抗する気は無かった?
辺境伯は音を立てながら緩やかに燃え始めた部屋を見渡して、ゆっくりと溜息を吐いた。
「………」
「何かお聞きになりたいことはありまして?折角ですから、何でもお答えします」
「薬、か。屋敷の者達は」
「含ませたのは睡眠薬です。毒薬ではありませんから、皆、眠っている間に苦しむことなく死ねるでしょう」
「そうか」
諦めたように、しかし安堵したかのように息を吐く辺境伯の様子に、不信感を抱く。
どこまでが彼の所業に関わっていたのかは分からない。
だからこそ、彼に関わりのあった者達を処分する事にしたのだ。
男も、女も、女中も、庭師も、料理人も、警備兵も、物心付いていない幼子も。
誰一人として生かして屋敷を出すつもりはない、と言っているにも関わらず、辺境伯はあまりにも落ち着いていた。
「何故私だと分かった?確証を持たれるような物は残していない」
「……わざとらしい。でも、確たる証拠ではありませんでしたから、焼いてしまう事にしたんです」
一年かけてようやくケイカが突き止めた証拠では、どうせ表に引きずり出したところで証拠不十分で握りつぶされる事は明白だった。
根が深すぎて私やハーベスタ様ではそれに抗う事も出来ない。
どうせ枝葉でしかない辺境伯を私が見つけた事を知れば、すぐさま彼の周辺からは微かな証拠も隠滅される。
それならいっそ焼いた方がマシだ。
「では、こちらからも質問です。何故尻尾を掴ませようと思ったんですか?」
「………」
「貴方が隠そうと本気で思えば、私では貴方に辿りつく事は出来ませんでした。諜報を得意とする貴方が、私を誘き寄せた理由が分からない」
私に見つかれば、今のように自分どころか家族を皆殺しにされると分かっていただろうに。
調査をしてみれば家族を愛する男である事は直ぐに知れた。
何故そんな男が自らの命と家族を差し出してまで、返り討ちにする為でもなく私を誘き寄せるような真似をしたのかが分からなかった。
切り捨てられたのか、取り引きを持ちかけたいのか。
そのどちらであったとしても、話を聞かない事には進められない。
教えて頂けませんか、と促すと、少しの沈黙を保ってから低い声が彼との間に響いた。
「全てはこの国の為だった」
視線を上げた男の目に宿っていたのは、覚悟だった。
「君のような【化け物】が居るから、魔術に傾倒する輩が増える。そして皆、進歩を拒む」
彼は、全ての元凶は【オリガ】であると言った。
稀代の才を持った、国の護り手である魔術師。
その私こそがこの国の発展を阻害する、と。
「他国を見るが良い。足りぬ能力は技術で補おうと切磋琢磨し、成長を続けている。それを我が国はなんだ。血筋に拘り成長を拒み、衰退して行く。今は貴女が居るから良かろうが、貴女が倒れれば我が国はすぐさま亡びる。……そう考えて、君を排除するべく動いてきた」
「未来を手に入れる為に、ですか」
その考えには、否定の気持ちは湧かなかった。
魔術に頼り切っているこの国は、発展が遅すぎて周囲の国の技術に追いつく事が出来ずにいて。
国の生産も無理やり魔術で底上げしているような状況では、魔術師の血が衰え始めている以上近い将来に破綻する事が見えていた。
そんな状況で未来を考えるのであれば、旧時代の象徴であるような魔術の申し子などただの障壁でしかない。
逸脱した象徴に縋る者は思考を止め、異論を排除し、成長を諦める。
現実に魔術師の絶対数が減っている事を考えれば、私が最高の火の魔術師であり続けたとしてもこの国には衰退の未来しか存在しないのに、だ。
それを憂慮しての行動―――例え、それが建前だとしても同調する者は多くいるだろう。
「貴方はてっきり排斥派の方かと思っていたんですけれど、その口ぶりですと違うのでしょうか」
「……いや。私は魔術を嫌悪している。皆、多かれ少なかれその心は抱いている。魔術師は、」
煙にむせて切れた言葉の先を思い、歪む唇から笑みがこぼれてしまう。
【魔術師は人間ではない】
それが魔術師を取り巻く意識だという事も、これが広まるのが世界的な流れであるという事も理解はしている。
自分とは異質な存在であり、少数派であり、強い力を持つ生き物。
それを排除しようとする流れが起きるのは、誰かの思惑の上で動いているとは言え、ごく自然な事なんだろう。
いつ、誰が、この流れを作ったのかは分からないけれど、誰もがその考えに心のどこかで同調している。
だからこそ。
「やっぱり一人、二人の考えで動かせるような計画ではなかった、か」
兵士が一人を殺す間に、魔術師は十人を殺す。
けれど、魔術が無ければ普通の人間と何ら変わりのない肉体だ。
切り伏せればあっけなく死ぬ。
魔術師の力を削ぐ兵器の開発には、魔術師という存在を知り尽くしたこの国の協力無くしては成り立たない―――そして、この国に住まう人間は、魔術師を排除する方向に意識を傾け始めている。
そう、それは国境沿いの人間だとか、一貴族による機密の漏洩などという末端だけの話ではない。
「魔力を吸収し、無力化する
「……そうだな。幾度も君が全力の炎を出さざるを得ない状況下に落とし込んでいたのだ。改良の機会には、事欠かなかった」
この数年。
戦場に国王の命令で赴く度に、魔術師の犠牲が増えて行った。
状況を打破するために動いても動いても、また次の戦場の難易度は上がるばかり。
そうして少しずつ魔術師の力が通用しない兵器が戦場に普及し始め―――この三年で、中級の魔術師でさえ通用しなくなりつつあるという事態にまで追いやられてしまっていて。
「魔術師を排斥するだなんて正気の沙汰とは到底思えませんけど、ね。―――陛下は随分と私達がお嫌いなのね」
「………」
「まあ、どうでもいいのですけれど」
王妹であるお母様の死後に活発化した兵器の開発は、あまりにも露骨なものだ。
最大の後見であるその母親を喪ってしまえば、何の気兼ねも無かったのだろう。
魔術師を追い詰めていく戦況。作為的な情報伝達ミス。運ばれない物資。味方の裏切り。
オリジナルのオリガが暴走し、国に叛逆した理由は全てこれにあったのだろう。
主人公の目線では語られる事のなかった、魔術師に対する悪意の塊―――黒幕は、主導者は、国王だ。
この国の状況で魔術師を追い詰めるなんて狂気の沙汰としか思えない。
そんな愚行を一体何故主導しているのか、王が何を考え、何を目指しているのかは分からない。
けれど、分からなくていい。
それは、私の物語ではない。
「私達が戦わなければこの国はすぐさま陥落します。鉱物資源も、民の数も、兵力すらありません。あるのは魔術のみ。けれど、貴方達はその現実を受け入れられない」
ヒステリックに魔術師排除の為に動く人々は、現実を認識しない。
魔術師がいるからこその勝利だというのに。
魔術師がいるからこその平和だというのに。
魔術を捨ててしまえば、残るのは過去の栄華のみ。
この国の命運は、魔術師と共にある。
「魔術師嫌いな皆様の努力は報われ、私は近い将来に必ず力尽きる。……随分と自虐的な計画ですね」
――――この国は、化け物を飼う事でしか成立しない国だというのに。
「……陛下は、事を急がれすぎた。あの兵器は最早、我が国の管轄から外れている」
「あれに協力する事で得られる物は、同盟ですか?それとも兵器の輸入経路?」
「隣国は約定を破ったのだ。我等は自衛の手段を断たれた」
辺境伯は答えようとせずに濁したが、恐らくはそのどちらもなのだろう。
魔術師を疎む世界的な流れは、最後には魔術師の聖地とも言われるこの国に必ず向かう。
人類の脅威としての存在を生み出す聖地を潰そうと、感情的に暴走する事は容易に想像できる。
だからこそ敵国に対して技術や情報を提供する代わりに、新しい庇護を求めたというところだろうか。
魔術師という生命線を売り払い、手に入れるはずだった新しい戦力が無ければ、この国の滅亡は秒読み。
「それで私に全ての事情を明かして泣きついている、という訳ですか」
首謀者の一味である辺境伯が、自身の命と愛する家族の身命と情報を差し出す事で、少しでも滅亡の流れを堰き止めようと考えた―――それが自発的なものだったのかは分からないけれど。
魔術師の一門を、そして国の護りを担う私を殺す為に動き続けていたのは彼等だ。
最後の砦である【炎獄公女】があとどれだけの間戦場で通用するのかなんて、私の全力を観察して来た彼等が一番よく分かっているだろう。
掠れた笑い声が、のどを震わせる。
「何て、馬鹿馬鹿しいの」
―――魔封石の開発は、もうあと一年もしない内に、私の魔術も通用しない段階に辿り着く。
それは全て、小説にあった通りの展開だ。
全ての基盤は整った。
これが、主人公の為の|物語の舞台裏(サイドストーリー)。
これが、主人公の為の【私の物語】。
「君は、魔術師を疎むこの国を滅ぼすかね?」
小さく笑い続けていると、唐突に辺境伯に問いかけられた。
「……安心してください。【彼】がいる限り、私がどう動こうともこの国は必ず救われます。私はその先を見据えて動くだけ」
「彼?」
最高峰の能力を持っている【オリガ】用に作られた魔封石が完全に浸透すれば、ギル様とてどうなるのかは分からない。
小説はそこまで語らずに終わってしまったけれど。
平和を選び、掴み取る主人公達は、まだ気付かない未来。
創造者たる【作者】が描いた、未来風景。
明確な文字として世に出される事はなく、けれど設定として確かに存在した事を【私】は知っている。
私がどう動いても、オリガはルージルの当主となり、お母様は死に、世界は魔術師排斥に向けて動き続けている。
―――介入すれば
それが、私がこれまでの生で手に入れた真実。
「魔術師は滅びる
設定は残酷だ。
ギル様がどれだけ足掻こうとも、どんな道を歩もうとも、どんな風にこの国を救おうとも、この未来だけは確定している。
この先、幾人もの魔術師が産まれるだろう。
けれど、魔封石によって無力化された魔術師達は迫害の対象となる。
そうして、世界中で魔術師狩りの歴史が始まるのだろう。
ギル様も私もアトラスも、有力な魔術師が誰も居なくなった未来。
そんな未来に産まれる魔術師達を、一体誰が守ってくれるのか。
産まれた瞬間から罪人に仕立て上げられる魔術師達を、一体誰が救ってくれる?
魔術師の未来は絶望的だ。
――だけどまだ、主人公が歩んだ先が幸福な結末か、不幸な結末かは明示されていない。
私のしている事は、幾千の人を焼き払っているだけに過ぎない。
只の殺人鬼だ。魔女だ。
けれど、悪役が居なければ護れない未来も、きっとあると信じてる。
「【彼】が表舞台に現れるまではこの国を必ず護って差し上げます。……その過程で多少の犠牲が出るのは、目を瞑ってください」
「魔術師の為に、民を犠牲にすると言うのか」
「貴方達にだけはそれを言われたくはなかったのですけれど」
辺境伯は国の未来を護りたいと、私はギル様の選ぶ未来を護りたいと、そう考えての行動だ。
その護る対象が違えば、犠牲になる対象もまた変わってくる。
誰を護るのか、選んだだけだ。
「私は国の護り手である以前に、火の魔術一門の長。魔術師を護る事が最優先です。例え多くの罪無き人を手にかける事になろうとも、全ての魔封石を破壊します」
「……君が幾ら優れた魔術師であろうとも、それは無理だ」
「勿論この頻度で魔術を使っていれば、幾ら私と言えど魔力は枯渇し、器が壊れて死ぬでしょうね」
それこそが望みだっただろうに辺境伯はその言葉を聞いて顔を歪めた。
魔術師最強と呼ばれる私さえ倒れてしまえば、あとは魔術師を疎む世界の流れにとって簡単な話だ。
抵抗勢力と成りうるのは、攻撃魔術に分類されないハーベスタの当主と風の一門の当主のみ。
【オリガ】を封じる為に改良された魔封石が戦場に投入されれば、彼等では太刀打ち出来ずに魔術師は無力化し、国は亡ぶ。
けれど、勝算はある。
「魔封石の核は数が限られています。今ある魔封石は、あと、両の手で数えられる程度しかない。それさえ始末出来たら……あとは、お兄様が何とかするでしょう」
「……何故君がそんな事を知っている。あれは機密事項だ。魔術師に漏れるはずはない!」
王が隠したのならば、国に仕える魔術師である【オリガ】は知る事は出来ない情報だ。
でもそれが、設定である限りは【私】は知っている。
私の一番の武器は通用しなくなっていく魔術でも、部下でも、家族でもなく、この知識だ。
【オリガ】の享年の設定も、魔封石の数も、魔術師の行く末も。
全てを知っているからこそ、戦える。
未来を、掴み取ってみせるんだ。
「……ねえ、辺境伯。私が死ぬのが先か、魔封石が尽きるのが先か。貴方はどちらに賭けられますか?」
「君は、一体何だ」
愕然としたように呟かれた言葉と、充満した煙が視界を歪ませる。
くるり、と部屋を見回してみると部屋の支柱が激しく燃え始めていて。
もう十分に火は回っただろう。
「さあ、もうお喋りは終いにしましょう。お休みなさい、辺境伯」
*
十五の誕生日を迎えてすぐの頃、風の噂でギル様が水の魔術に適性を現した、と聞いた。
まだまだ使い物になる段階ではないらしいけれど、無能力として火の一門を追放された子供が魔術に目覚めたという話は、誰もが注目する。
友人の口から報告を聞く前には、久しぶりのギル様の動向を知った。
その夜、私は戦場を業火で焼き尽くす夢を見た。
傷付く主人公を、火炎で焼き殺そうとする私の顔が見える。
歓喜に震える、【私】の顔が。
―――どうか、お兄様。早く私を。
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