追慕の春と、 前編
雪が庭を白く染め抜いた。
暖炉に灯された炎は優しく揺らめきながら、部屋に冷気を入れない。
私はどちらかと言えば身を切るような冷たさが好きなのだけれど、それに当たるには体調が芳しくはなかった。
もう二月はこうして部屋から出られない日が続いていて、様変わりした外の風景に時間の流れを感じる。
いい加減社交界の方にも顔を出さなければいけないというのに、身体がついてこない。
溜息を吐きながら曇った窓を指でこすると、浮かない顔で扉を開く侍従の姿が写っているのに気が付いた。
「オリガ様。お加減は如何でしょうか」
「大丈夫。どうかしたの?」
「見舞いにいらした方がおりまして…」
見舞いと称して押し掛けて来る輩は慇懃に断るケイカだが、侍従という立場での独断では断れない相手だったのだろう。
そんな彼女の行動を普段は過保護だと思っていたが、最近はそれが有難かった。
暗く沈んだまま切り替えきれない心では、満足に物も考えられないし、魔力が安定しない。
何がきっかけで魔術のコントロールを失うのか分かったものではなくて。
とにかく今の私には休養が必要だった。
「そう。申し訳ないのだけれど、今はお会い出来る状態ではないとだけお伝えして欲しいの」
「ですがその……ハーベスタ様のご子息なんです」
思ってもいなかった見舞客の名に、ほんの少しだけ表情が強張った。
*
「こんな格好で申し訳ありません」
「いや。こちらこそ突然訪ねてすまない」
部屋を簡単に片づけて書斎にアトラスを通させると、手土産の花束を手渡された。
春先にしか咲かない花を中心に小さく束ねられたそれは、今が冬だという事を忘れさせるように色鮮やかなものだ。
どんな季節でも種さえあれば手土産に花束を作れるとなれば、どんな女性も口説くのに苦労はしない事だろうな、と可愛げの無い事を考えながらもその魔術の出来に見とれてしまった。
だって、ルージルとは違って主に自然災害や農業関連に派遣されるとは聞いていたけれど、実際にその魔術が正しく使われているのを見たのは初めてだったのだ。
流石は樹の一門だと驚いた気持ちを伝えると、それが本業だと素っ気なく返されて。
「体調が悪いのか」
「まだ、一気に魔術を使うと身体がついてこれなくて。……アトラス様は大丈夫でしたか?」
図星だったのだろうか眉を顰めてむっつりと押し黙ったアトラスに、少しだけ笑いがこみあげる。
火の魔術より数段コントロールが難しいと言われる樹の魔術をあんな風に乱暴に使わせたのだから、暫くの間は立ち上がる事も出来なかっただろう。
何に、とは明言せずにお礼を言いながら椅子を勧め、ケイカに紅茶の準備を願い出た。
茶器に注がれる湯の音と、柔らかな香りだけが空間に満ちる。
対面に座り、何かを躊躇うように視線を動かす彼が、一言目を発するのを静かな気持ちで眺めていた。
今日の訪問の理由は何だ、とは聞こうとも思わなかった。
正義感の塊、主人公の友達、魔術師一門の未来の長。
そんな設定付けされた人間があの戦場を見て何も考えないはずがない。気付かないはずがない。
その疑惑に確証が持てたからこそ、私の元を訪ねてきたのだろう。
―――けれど、本来ならば彼等がこれに気づくのはもっと、ずっと、後だった。
原作ではあんな戦いは無かった。
そして、この段階で犠牲になった魔術師も存在しなかった。
だからこそ、彼等がこれに気づくのは物語が終盤に至ってからだと言うのに。
私が干渉したのはギル様についてとオリガの当主襲名の時期だけで、国外にまで影響が及ぶ事ではないはず。
それなのにあまりにも前倒しになっている展開に、訳も分からず少しだけ背筋が冷えた。
もしかして、私は何かを間違えているのだろうか?
「あの砦、魔術師の死体の数があり過ぎたそうだ」
昏い瞳で吐き捨てるように切り出されたのは、予想通りの事実だった。
あの砦で死んだであろう自国の魔術師と、私が焼いた敵の魔術師の数。
それ以上にあった魔術師の死体が意味するのは、魔術師にとっての危機的な未来。
「素養のある奴隷もだろうな。うちの国の者じゃない。恐らく自分達であの砦に調達したんだろう。ただ」
ああ、でも。何も恐れる事はない。
これに主人公達が気づく事までは原作の通りなのだ。
きっと、時期が早まっただけ。
きっと。
「拘束陣がなければ魔術師が普通の人間に捉えられるはずがなくて、魔術師用の拘束陣は我が国でしか研究されていない、ですよね。……アトラス様と同じ事をこちらでも現在探っています」
緊張したような面持ちで顔を上げ、その黒い瞳が私の視線を捉える。
その瞳はまだ成長途中の明るさと戸惑いに満ちていて、かつて何度も眺めた【彼】の印象との差に戸惑うばかり。
【彼】が私を見る目は、もっと猜疑心と憎悪に満ちていたはずなのに。
アトラスも、私というイレギュラーに近づきすぎてしまったのだろうか。
「知っていたのか」
「まさか。ですが」
知っていたのなら、砦が陥落する前に無理やりにでも私があの場の防衛に向かっていた。
けれど、予想以上に世界の動きが早まっている。
主人公サイドからでは見えなかった世界の動きは詳細には分からないが、陰謀が蠢いているのは知っている。
原作よりも随分とその影がチラつくのが早いとは言え、魔術師が配備された砦をたった一日で陥落させているのだから、予想出来るのはあの流れしか無い。
開いた口は、紅茶を含んだばかりだと言うのに既に乾いていて。
「敵国は魔術師を無力化する研究を行い、あの戦場において一定の成果を挙げたと見るべきです」
室内に落ちた沈黙は、あまりにも重いものとなった。
「ケイカ、新しいお茶をお願い」
臥せっている間、ケイカに調査を進めてもらっていた為大まかな事件の概要は彼女も知っている。
けれど、これから先の話は如何に【オリガ】の侍従と言えど聞かせる訳にはいかない。
ケイカは少しだけ眉根を寄せたように見えたが、丁寧に礼を取り部屋を退出した。
彼女の魔力の揺らぎが遠のくのを感じながら、小さく呟くようにアトラスに言葉を紡いだ。
「私が戦地に投入されて一日でした。慌てて対処したとしても、実験内容は完全には引き揚げきれてないでしょう。どれだけの情報があちらに渡ってしまっているかは分かりませんが出来るだけの事はしました」
結果として後手に回ってしまったが、現場にあったものは残さず燃やし尽くした。
例え制圧後にこちら側に潜り込んだ間諜が動いたとしても、残った実験データは敵国には渡っていないはずだ。
「……これを報告しなかったのは」
「何処までが裏切り者か分からないから、です。アトラス様も気づいておられたのでしょう?」
カップの中の水面に映った顔は、まだ頼りない幼さの残る子供の顔―――まだ十二歳にもならない子供を、誰が侮らないでいられるだろうか。
子供が魔術一門の当主であり、この国の最高の護り手、そして魔術師というイメージの象徴。
―――もしかしたら展開が早まったのは、私が原因なのかもしれない。
「私も貴方も監視されておりました。ただ、誰の子飼いの者か分からないので迂闊には手出し出来なくて……でも、恐らくはそれなりの立場の人間であるかと」
オリガが十五歳で家督を継ぐからこそ、あの魔術師達は原作では死ぬはずがなかったのではないか。
私が今、こうして報告を遅らせている事も、誰かの死に繋がってしまうのだろうか。
震えた手が水面を揺らし、不安げな【オリガ】の顔は掻き消えた。
「魔術を封じられたらこの国は滅びる。何を考えているんだ馬鹿共は…っ!」
憤慨したように低く唸るアトラスの声が、【物語】が大きく動き始めた事を告げる。
ついに、ついに、世界が動き出す。
魔術師を巡る、王道の物語。王国の未来と魔術師の未来を巡る物語。
だからこそ、この陰謀を解決していくのは私ではない。
そこから先は、主人公達の物語(メインストーリー)だから。
ただ、それにほんの少しだけ手を貸してあげる事は出来る。
これを最後に、アトラスに関わる事も止めてしまえばいい。そうすれば彼が苦しむ事も、きっと。
「一年ほど前になりますが、ワシリス商会が新設されています。数字上は健全な動きをしているようですが、関わっている貴族が少しきな臭くて。これ自体はダミーだと思うのですが……調べて頂けませんか?」
「父上やお前が表立って動けばダミーごと証拠隠滅に走られる、か」
「そうですね。それに、私が頼れる相手はあまり居ないもので」
集めておいた資料を手渡すと、濃茶の瞳に灯った意志が私を見定めるように据え、真意を尋ねられて。
信念でもって道を切り拓く事の出来る、正道を進む事の出来る彼からしたら、きっと理解出来ないだろう。
その率直さにどうしてもギル様を重ねて、心の中にどろりとした感情が生まれたのを頭の片隅で認識しながら、作った笑顔を頬に張り付けた。
「現状、私が信頼出来るのは貴方達しかおりません」
「ルージルは」
「……さあ。力関係が動けば傾くのが我が一門ですから。有望株がいればそれだけで状況は変わります。私とて何年当主の座に居られるか」
ケイカが良い例だ。
彼女は私を信頼しているのではなく、力に惹かれているだけだ。
だからこそお父様を裏切り、私に付いた。
私も彼女を信用してはいるが信頼はしない―――だって、小説に出てこなかったキャラクターだ。
原作でギル様の為に動いてなかったキャラクターなんて、信頼出来る訳がない。
それが、例え【私】に生涯の誓いを立てた人間だったとしても。
「……ご安心ください。敵国が研究していた物は、私が責任を持って調査と対処に当たります。売国の輩についてはハーベスタの一門にお願いしてもよろしいでしょうか」
「―――分かった。父上にも報告を上げておく」
強引に切り上げた話題に少しだけ困惑しながらも私の求めていた返答を出したのを聞いて、目を閉じた。
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