炎獄公女 後編

魔術師が配備されていた国境沿いの砦が陥落。

敵国側の異常なまでの兵の配置。

あの地域に、重要な資源はない。

ならばこの展開から考えられるのは、それがたとえ有り得ないものだとしてもただ一つしかない。

小説の主人公の成長の裏で起きていた世界の流れは、容易に想像出来る。

だからこそ、悪役に出来る最善はこれしかない。


「樹の魔術が扱える者はアトラス様の援護に回って。私に護衛はいりません」

「オリガ様が危険になります!」

「加減する気はないの。私の周りに居れば焼けますから」


下していた髪を紐で簡単に結わえ、軍服の襟を整える。

これから集中しなければならないのだから、気の散る要因は少しでも減らしておきたかった。


「おい……」


歩きながら指示を出すと、異論を唱えていた者達も遅れて持ち場に付き始める。

後ろに控えていた騎士達に、次々と指示を加えて行く。

例え誰の息がかかっていたとしても、任務の遂行は完了させるだろう―――さもなくば、私の炎に焼かれて死ぬのは自分達なのだから。


「私が魔術を発動し終えたタイミングで別働隊の方には信号を。細かいところまで制御出来るか分からないから、水量が回復しだい延焼を防ぐように水使いに指示を出してください」


そうなるつもりは無いが、もしも私が魔力の使い過ぎで倒れたらその後の対応が厳しい。

今まで散々修行をしてきたけれど、私は未だに【オリガ】という少女の才能の底が見えていない。

全力で焼き払うとなると、炎を自分のコントロール下に置いておけるかどうかも怪しいのだ。

これではまるで実験ではないか、という言葉が頭を過る。

まさに、その通り。

悪役も悪役だ。


「他に何か質問は?無ければ各自速やかに持ち場に移動してくだ、さ」

「おい、待て!それじゃ被害が出すぎる。国境沿いには非戦闘民も沢山いる。それを攻撃するだなんて道に反する!」


腕を引かれて無理矢理に振り向かさせられると、間近で見上げるその黒い瞳は怒りで染まっていた。

引き離すように周囲に目で訴えても、皆、僅かに目を逸らしてその命令を拒絶した。

あまり時間がないのに、と少しだけ苛つきを感じながら、掴まれた腕の痛みに眉を顰めて、早口で事実建前を捲し立てる。


「私が取る方策は、確かに歓迎されたものではありません。道に外れています。ですが私がここに呼ばれた以上、陛下は早急に現状打破を望まれていると考えるべきです」

「……砦には魔術師達が捕らえられているのかもしれない。魔術師の安全の確保も、陛下のご希望だ」

「捕らえられて三ヶ月になります。取り引きすら仕掛けて来ないなら、既に生きていないか―――もう、手遅れでしょう」


速やかに国を護る事。

それが私に下された王の命令であって、私がそれを遂行しようと全力を尽くすと言っている以上、何人たりともそれを覆す事は出来ない。

魔術師の保護を優先すべきだ、という主張もこの状況では私の行動を止める為には弱過ぎる。

それでも、彼はその口を開いた。


「敵兵に勧告を出さない理由は何だ。彼等にも家族がいる、守るべき者がいる。無闇に犠牲を強いれば、いつか自分達に回りまわってくる」


それが正論だ。そんな事分かってる。

けれど、そんな綺麗ごとで全てを守る事が出来るのは主人公だけだ。

私には、そんな事は出来ない。

かつての自分が憧れて、夢中になった主人公達の姿が思い出される。

その瞳に映る今の【私】は、一体どんな風な表情をしているのだろうか、と少しだけ可笑しな気分になった。


「壁を作りたくないというのであれば、お好きにどうぞ?ここにいる魔術師達に防護膜を作らせれば、土地はともかく住民の命は守れるでしょうからご心配なく」


溜息を大きくついて、腕を払うと、口元に笑みを浮かべ。

【オリガ】らしく、誰をも退ける笑みを意識して。

この恐怖を悟られないように、侮られないように、同情されないように。

私以外に、この罪を背負わせないように。


「アトラス・ヴィル・ハーベスタ。この作戦の指揮官は私です。貴方に決定権はありません。これは、私の名の下に掴まれるべき勝利です」


そしてそこに築かれる屍は、【オリガ】に集約されるべき怨みだ。


「最大火力で焼き払います。―――民を守るのが役目と仰るなら、私の炎から守ってさしあげてください」







水を吸った樹々が異常な速さで成長を遂げ、川を枯らしながら壁を作り上げる。

本来の樹の色からは程遠い、半透明な壁が川縁に出来上がった。


「流石」


異常な成長をコントロールし続けるのは、針に糸を通すような緊張感を継続するのに似ている、らしい。

水のみで崩壊させずに成長を維持するのは非常に辛いだろう。

しかし、生命の中に取り込まれた水は魔術師には扱えない。

彼の作り上げた歪な樹々の壁が、その自重に耐え切れずに崩壊してしまうまでは、水の魔術師達に打つ手は無い。

これで、私の為の舞台は用意された。


岩の上に立ち、敵軍の拠点と成り下がった砦を見下ろす。

ここから敵地の人々はよく見えない。

何人居るのかも、見えない。


相手方の魔術師がこちらの動きに気づいたのか、何らかの大がかりな魔術が構築されているのを肌で感じた。

防護の為の魔術か、攻撃の為の魔術か。

どちらにしろその発動を確認してからでは、如何に【オリガ】でも対処は厳しいものとなるだろう。

感傷に浸っている暇なんて存在しなかった。


目を瞑り、息を深く吸い、炎のイメージを固めて行く。

せめて、苦しませる事のないように。

身体から一気に魔力が流れ出て行く感覚に、背筋が震え。



灼熱の炎が、対岸を包み込んだ。






局地的に雨が降り出し、舞い上がる火の粉を収めたのはそれから幾許も立たない間だった。

熱された大地に降り注ぐ雨が蒸発し、視界を塞ぐ。

身体に降り注ぐ雨は、血の気が引いた私の体から体温を奪い取っていく。


生まれて初めて奮った全力の魔術の威力は凄まじいまでだった。

魔術師同士の戦いではなく、純粋な破壊の為に振るう力。

それは、川の対岸を炭と化し、アトラスが築いた歪な樹々の防護壁さえも所々焼け落としていて。

【オリガ】は、まだ、成長途中のはずだ。

修行の甲斐あって技術力は付いたけれど、本編の【オリガ】程の魔力量はまだ、ないはずなのに。


異様に重くなった身体を引きずるようにどうにか丘の上から降りると、待機していた兵士たちが隊列を崩して呆然としたように私を見ていた。

しん、と静まり返った場に聞こえるのは誰かが後ずさる音と、粗い自分の呼吸音だけで。

ぐるり、と自分を取り囲む数々の目には、畏怖と恐怖と、少しの憎悪が含まれていて。

どこからか小さく、化け物、と呟く声が聞こえたような気がした。


「……監視兵。戦況報告を」


周りの視線に耐えきれず、感情の乱れが熱気を生み出す。

誰が裏切り者かも分からないこの状況で、私の動揺は悟られるべきではないというのに、どうしても収める事は難しい。

ぐらぐらと揺れる視界が限界を訴えていたが、それでもせめて、眼だけは逸らすまいと監視兵を見据えた。


「はっ。川より内側、地面に乾燥が見られますが支障はないものと思われます。占拠されていた砦一帯につきましては、敵兵は一人も見当たりません!」

「ご苦労様。熱気は十五分以内に収めます。馬は使わず、装備を万全にして川を越えるように。別働隊に信号灯で報せるのと……橋についてはアトラス様に手配して頂い」


言葉の途中で平衡感覚が保てずに、足から崩れ落ちた。

ざわつく兵士たちの声も、耳に入らない。

息が、自分の意図する以上に速くなる。

久しぶりに過呼吸になったな、と冷静に考える自分と、こんなところを見せる訳にはいかない、と慌てる自分がいる事に苦笑いが浮かんだ。

魔力の使い過ぎ、精神的な負荷が原因だろうから、休養が必要だ。


片膝を立ててどうにか立ち上がろうとすると、伸ばされた誰かの手が私の腕を引き上げる。

ぐらつく頭で礼を言おうと目線を上げると、困惑したようなアトラスの瞳が見えて――――心臓が引き絞られたように痛んだ。


「お、い。お前」

「……大丈夫。魔力を使い過ぎただけです。少し休みます」


どうしても彼には、主人公の影のちらつく彼等にだけは、今の自分を見られたくない。

目を逸らして、後は宜しくお願いします、と呟いて力の入らない脚を動かす。

掴まれていたいた腕は何の抵抗もなくするり、と彼の手から離れた事にほっとした。


橋の製造に取り掛かる、と宣言したアトラスの一声に弾かれたように行動を始めた兵士達の合間を縫い、自分の天幕に戻ろうと歩を進めたところで、熱気が揺らめく一点に気付いた。

自然な動きではなく、風の魔力による揺らぎ。

こんな醜態を全部見られてしまったのか、と舌打ちをしながらもその揺らぎの元に足を向けて。


「ご苦労様です、鼠さん」


すれ違いざまに囁くと、見覚えのない何の変哲もない青年兵の身体が震えた。







次に目が覚めた時、一番最初に聞こえたのは怒声だった。


「待ちなさい、君!」


空が赤く染まり、ようやく自分の中で魔力の乱れが収まった頃、天幕に飛び込んできたのは自分と同じ年頃の少年だった。

まだ怠さが残っていたがどうにか簡易のベッドから身を起こすと、こちらを認めた少年が走り寄ろうとして警備兵に捕らえられたのが見えて。

簡素な衣装に、飾り気のない髪―――この村の住民だろうかとぼやける意識のは片隅で見当を付けていると、少年が叫び声をあげた。


「なんで!なんでサーシャを殺したんだ!この人殺し!」

「申し訳ありません、オリガ様!取り乱しておりまして」

「離せ!」


慌てたように警備兵が少年を天幕から引きずり出そうとしたのを止めたのは、何故だったのかは自分でもよく分からない。

今の精神状態で、自分を責める言葉を聞いたって何にも良いことは無いと分かっているのに。

構わないから、好きなように話させてみろ、という意を告げると、警備兵に拘束されたままの少年は目に涙を溜めながら叫び続けた。


「今まで俺たちの事なんて見向きもしなかったくせに、砦が攻められた時だけ守りにくるのかよ!」

「不作の時だって、飢饉の時だって、俺たちを見捨てた癖に」

「俺たちの為に戦ってたんじゃない!あいつらを皆殺しにする必要なんかなかったんだ!」

「なんで、なんでサーシャがお前たちの見栄の為に殺されなきゃならなかったんだよ!」


国境沿いに居たのが、全てが全て軍人だったとは、思っていない。

長丁場の戦端だった。

敵国側には商隊が常駐し、簡易の宿屋が開かれ、開拓民を誘致し始めていた事も知っている。

私が焼き殺したのは、民間人も間違いなく含まれて居た。

きっと、少年の言っていた友人はそういう人だったのだろう。

―――どんな理由があったにせよ、私は私の目指すものの為に彼の友達を、生活の一部を、燃やし尽くした。

一生消えないであろう傷を、彼に刻み付けた。

その憎悪は全部【オリガ】に向けられてしかるべきものだ。

だからこそ、私は最後まで【オリガ】でいなくてはいけない。



「……ええ。その通りです。貴方達の為ではありません。この私の初陣ですから、華々しいものでなくてはいけないでしょう?」



目を瞑ってそう告げると、少年は怒りに染まった瞳で呪いの言葉を叫んだ。

一年前に浴びた賞賛の声とは真逆の反応に、心は痛む以上に安堵する。

そうだ。その反応が正しいのだ。

私は化け物だ。

私は虐殺者だ。

私は悪役だ。

だからこそ、あの人の未来を―――。


警備兵に連れて行かれた少年に、あまり酷い折檻はしないように、と伝えると天幕に残ったもう一人の兵士は顔に安堵を浮かべながら了承し。


「どうやら村の者の一部は、敵国の者達と交流を持っていたようです」

「……そう、それで」


天幕の掛け布を穏やかな風が揺らす。

ここまで漂ってくるはずはないのに、焦げた臭いが鼻についた。

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