心配しないで、お兄様!


いつも通りに髪を結い上げていると、鏡越しに主人が視線を合わせてきた。

小さな主人は人に物を尋ねる際、静かに目を見つめてくる癖がある。

その赤銅色の瞳は、何の感情も灯っていないかのように凪いでいる。

動きを止め、首を傾げて質問を待つと、かけられたそれは思いもよらない内容だった。


「ねえ、ケイカ。貴女は私とお父様、どちらがよりルージルに貢献出来ると思うのかしら?」


まだやっと九歳になったばかりである幼い主人は、完成された微笑を浮かべながら問う。

赤銅色の髪と瞳は、落ち着いた彼女の雰囲気を大人びて見せて。


自分と、一門の長、どちらに忠誠を誓うのか―――そう、裏切りを唆す。


主人は、ここ二年で急激に成長していた。

昔から才気に溢れた少女ではあったが、無能な兄が引き取られて以降はのめり込むように魔術に傾倒して行った。

その成長の仕方は何処か狂気を感じさせるような程の在り様で、実の母親どころか力を重んじる一門の者達さえ距離を置くようになっていた。

まだまだ技能的に未熟な面はある。

しかし、最優と呼ばれる現当主と比べても成長性を見込めば彼女に軍配が上がるのは明白だった。


ケイカは正しくルージルの娘であり、魔術師の一人だ。

その主はルージルの長であり、それ以外にあってはならない。

けれど、そんな禁忌すら蹴散らすように、赤銅色の少女は昏い感情に染まった瞳で誘う。

現当主の側近は既に固められていて、ケイカは侍女以上の道が望めないという状況を知りながら。

当主を裏切り自分の最初の忠臣となるか、それとも此処で生涯を凡俗として生きるかを、提示して。


その人生の岐路を、チャンスを逃せる程に余裕のある魔術師でない事は、自分が一番知っている。

ケイカは興奮しながらも、手足から血の気が引いていくのをどこかで感じていた。


「……わ、私は。……貴女に生涯の忠誠を誓います」

「ありがとう、私のケイカ。一つ、調べて欲しい事があるの―――」


にっこりと笑う主人は、囁くように侍女の耳に策謀を囁く。

恐怖と歓喜に震える侍女は、夢見るようにその命令を受けた。






早朝の修行を終え、汗を拭きに自室に戻ろうと外廊下を進んでいたところ、柱の陰からギル様がちょいちょいと手で招いているのが見えた。

何だろう。

いつもは私を怖がってか何となく避けているのに、珍しい。

普段通りに一睨みして自室に戻っても良いのだけれど、丁度用事もある事だし、と内心ウキウキしながら誘われるままに東屋へと足を向けた。


椅子に腰掛けると、向かいに座ったお兄様は私の顔をまじまじと見つめ、ちょっと困ったように眉を下げた。

可愛いけど、何なのだ。

そんな可愛い顔で困り顔だなんて、萌え殺したいんですか!

妹様にその胸の内を曝け出して構わないんですよ。気に食わない相手は全部焼き滅ぼしてきてあげます。

そんな心持でギル様の言葉を待っていたけれど、口から出てきたのは予想を裏切ったもので。


「オリガ、あまり根を詰めないようにした方が……」

「お兄様に言われるまでもありません。自分の身体の管理はきちんと行っております」

「あんまり顔色が良くないように見えて。間違ってたならごめん」

「………まあ」


―――ちょっと驚き。

もう、そこまで読みとれる程に水の素質が洗練されてたんだ。

水の魔術は治癒の魔術でもある。

優れた使い手は顔を見ただけで、どこを患っているのか余命は幾許か、なんて分かるのだと聞く。

ギル様がそう言うのであれば、自覚は無いけど少し疲れているんだろう。

生まれ変わってからは健康な身体という事もあって、どこまでが自分の限界なのか分からなくて、よく魔術の使い過ぎだったり勉強のし過ぎで体調を崩すから注意しなくてはならない。


「……分かりました。後ほど休憩を入れます。それで、他には?」

「他?」

「それだけの理由でわざわざ中庭に連れ出したのですか?」


きょとん、としたように目を瞬かせる様子に、珍しい、とつい素で呟いてしまった。

私自体に苦手意識を持っているだけでなく、一門の者に目を付けられる可能性が高いから、いつもは私と距離を取っているというのに。

そう言えば最近ちょっと積極性がでてきたような気もする。

やっぱり小説通り、剣の師匠との相性が良いんだろうなあ、とかつらつらと考えていると。

緊張からなのか薄っすらと顔を赤らめながら、爆弾発言をしてくれた。


「あー…えっと、な。息抜きに街の祭りに行かないか?」


――――は?

あれ、小説ではギル様がオリガを誘った事なんて一度も無かったような。

じゃあこれは、私が運命ストーリーを早めたから生じたイベント?

って言うか、主人公とデート出来るだなんて、ファンがこの世界に居たら、確実に絞められる。

それくらいに熱狂的なファンのいる主人公だったのに。


「……………」

「最近街に降りてみたんだけど、近いうちに祭りがあるって聞いたんだ。オリガは街に行った事ないだろ?だから、折角の機会だしどうかと思っ……て…?」


いいかな、いいよね、いいはずだ!

準備期間も含めて五年は炎獄公女を演じてきたんだから、これくらいのご褒美許されるんじゃないかな。

好感度最悪だろうにどうしてこんなイベント起きているんだ、という疑問は置いておくにしても。

確か小説にはなかった展開だし、役得したってこの程度なら揉み消せるはずだし。

お兄様と手をつなぐのは無理でも、はいあーんとかぐらいなら、ついうっかり出来ちゃったりしてもですね!


「…………」

「……オリガ?」


一気に盛り上がる妄想と心の叫びで、暫し意識が飛んでいた。

急に無言になって百面相しだした妹なんて、恐怖でしかないだろう。

現に、ギル様がちょっと顔を引き攣らせてる。

とにかくなんとか答えようとどうにか口を開いたところで、

―――残念ながら合図が灯されたのを感じた。



……この会話もまた、お父様の手のものに見張られている。

先日の一件から少しずつ増えてきてはいたが、ここ最近はあまりにも露骨だ。

これも、私達の思考を見定める、試験と罠なのだろうか。


すっと頭が切り替わるのを、何処かで意識しながら、努めて冷たい声で返答をする。

ノー、と。


「……お兄様は理解してらっしゃらないのですか?今や隣国といつ戦が起きてもおかしくないのです。護国の要が寸暇を惜しんで術を磨かず、どうすると言うのですか」


戦が近いのも、火の一門が必要とされるのも、史実設定通り。

変える術はない。

だから、一刻も速く能力を磨く必要があるのは確か。嘘は吐いていない。

私は【オリガ】が口にしていた事を、記憶の通りになぞって行けばいい。


「それで力を付けて、人を、焼く?」

「ええ、そうです。火の一門が敵を焼き払わねば、我が国の民が蹂躙されるのです」


困惑したような表情を浮かべる未来の救国の魔術師とは違って、私にはそれしか出来ない。

火の魔術は、誰かを救う為のものではないのだから。

無言で立ち上がって場を後にしようとすると、腕を掴まれた。

ゆっくりと視線を合わせると、決意を灯した瞳で私の心を抉るように見上げていて。


「オリガ、やっぱり街へ行こう。この家の人は強いよ。でも、普通の人達にも触れるべきだ」

「触れて、儚くも脆い命の大切さを学べとでも?馬鹿らしい」


世俗に疎い箱入り娘に新しい世界を見せて、この殺伐とした家を、人を人とも思わない実力主義を少しでも変えたい。

この家でまともに彼に向き合うのは妹である私だけで、だから私に声をかけた。

今日の彼らしくない行動は、そういった狙いだったのだろう。

けれど、【オリガ】は揺るがない―――それは、ストーリーに決められてる。


「いい加減、戯れ言に付き合ってなどいられません。時間の無駄です」

「人を殺せばそれだけ恨みが生まれる。そうしたらまた繰り返す事になるだ、」

「お兄様。その身体に生涯消えぬ焼き跡を残したくないなら、今すぐその口を閉じなさい」


パチリ、と指先に小さな炎を灯し、鼻先に示すと、目を見開きギル様は固まった。

紅い炎がもたらす痛みを、彼はよく知っている。

これは、この魔術は、怨みと痛みしか生まないと。


怨み怨まれ、歴史は繰り返す。

人命を第一とするのは個人的には正しい考えだとは思う。

小説のギル様もその考えの元で立ち上がった。

私もその考えには同調するし、その徹底した考えこそが私の憧れたギル様なのだ。

けれど。それを受け入れて共に戦うのは私ではない。


「血を流させる事を嫌うのであれば、そうさせないだけの力を付けて、そういう事は仰ってください」

「オリガ、待って」

「私達には、いいえ、我が国にはこれ以外の手段が無いのです。最良の手です」


遠く、聞き耳を立てる者たちに告げるように、自分に言い聞かせるように、繰り返して。


「これが最良である以上、お父様も、私も、護国の炎を絶やさず灯し続けるでしょう」


話は終わった、とお兄様の腕を振り払って立ち上がると、遠くで再び合図が灯されたのを感じた。

低温で密やかに灯されたその炎の意味は、捕捉。

私の手足となるように引き込んだ侍女の合図。


今の会話をお父様の耳に入れようとする者を特定し、表舞台から排除する―――それが、私の初めてのお父様に対する反抗。

何度か修行につき合わさせた際には多少ムラがあったけれど、オリガの侍女に選ばれるだけあってケイカは優秀な火の魔術師だ。

合図を飛ばしてきたからには、恐らくお父様の信奉者の特定に成功したのだろう。

余計な事にまで気づき、考えを巡らせ、そっと当主の耳に囁く鴉に。


こうして後手の対処にならざるを得ないのが酷くもどかしいけれど、仕方がない。

才ある者が無条件に無能力であるお兄様を甘やかせば、一族の者は確実に彼に害を及ぼす。

私の侍女であるケイカが良い例だけれど、彼等の力に対するコンプレックスは、あまりにも強烈だから。


かつて五大魔術名門と謳われた家々も、今では火と風と樹の一門を残すばかりとなったこの時代。

代が変わるごとに少しずつ血も能力も薄まって行く様は、魔術にのみ縋って生きてきた一族には辛いものがあるようで。

だから、最優の血を引きながらも火の素質を微塵にも感じさせないその存在は、彼らにとって衰退の象徴として強く映るのだ。

故に、誰もが過剰なまでにお兄様を意識し、排除したいと考え、存在自体の忘却を望むのだろう。


お兄様を守る為の方策は二つあった。

一つは、私がお兄様を気に入っていると公言し、自らの力でお兄様を護りきる事。

――けれどこれは、大変な労力である事に加え、お兄様の自立という観点からもあまり良くない手だ。

だから私は、もう一つの突き放し、むしろ私が率先して排除の姿勢を示す手段を取っている。

彼等のコンプレックスを刺激せず、尚且つ一定のライン以上はお兄様を追い詰めずに済むように。

奇しくも悪役である【オリガ】と同じ行動を取る事にはなってしまったけれど、これが【私】に出来る最良の手だった。


「ああ、そうだ。―――あまり、余計な口ばかりきいていると。無駄な知識を与えた方お兄様の剣の師匠にまで類が及びましてよ?」


言葉にはお気をつけくださいね、と脅す形で釘をさし。

がたり、と椅子の揺れる音を聞きながら、本館へと向かって今度こそ足を動かした。

この後はケイカを使っても物凄く忙しくなるだろう。

ギル様が自らの考えを持ち始めたのだから、ストーリーが動き出したと考えられる。

予定より数年早いが、それも【オリガ】の動きに合わせたものであるのならば、今後に起こる事は分かりきっている。

設定とストーリーを知っているとは言え、異質な存在を殺そうとする策謀への対応も本腰を入れて行かなくてはならない。


ちらり、と後ろを見やると、一人で項垂れているお兄様の姿があった。


お兄様が歩む未来を思えば、私に対して悪感情を抱くくらいが丁度良いのだろう。

舞い上がったあまり気付けずに居たが、時期はもっと後にはなるけれど、思想の違いで私達が対立するのは小説の展開としてあるのだから。

今日のこれがそれだったと考えるのが妥当だ。

これを切っ掛けに、もっともっと兄妹間が疎遠になる。

あの小説のように。


本当は、正面から彼を助けられたならばどんなに良いだろうか。

けれど、ギル様は優し過ぎるから、きっと切り捨てる時に苦しむだろう。

だからこのくらいの方が良いのかもしれない。






成長による魔力バランスの乱れを無視しながらも修行に励み過ぎたせいで、少女が貧血を起こして倒れたのは二日前の事。

部屋には見舞いの品が溢れかえり、少女への一族の関心の大きさが窺えたが、少女自身はそれらに全く興味を抱けない。

それらに込められた想いは純粋に彼女自身を思いやるものではないのだから、わざわざ掬い上げて心からの礼をする必要もない。

希望通りに快復した姿を見せさえすれば、それが礼となるのだから。


怠さがまだ残る身体を無理に動かしながらテラスに面した窓を横切ると、外に何かがひらりと揺れるのが見えた。

気になって窓を開くと、そこには見舞いの言葉が記されたカードとリボンで綺麗に結われた小さな花束があった。


手に取った野に咲く花で出来た花束は酷く質素で、けれどどんな豪奢な花束よりも優しさが伝わって来る。

少女はこんな花束をくれる人を、たった一人しか知らない。

少女は相手に直接礼を述べる事は出来ない。

彼女を取り巻く者達にそれを見られたら、贈り主が酷い目に遭うだろうから。

だが、少女が元気になったと言っていつも通りの姿を見せたとしても、体調が未だ戻らぬ事はすぐに気付かれる相手である。

故に、少女は礼を示す事も出来ない。


少女は少しだけ考え込み、花を一輪だけ引き抜いて、カードの中身は一瞥して暖炉に焼べた。

誰も読まないであろう辞書にそっと花を挟み、困ったように微笑んで何事かを呟いた少女は、扉に向かって歩き出した。

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