ごめんね、お兄様

幾本もの火炎の柱が、お父様の編み出した炎を飲み込み、燃え上がる。

他者の生み出した魔術さえも自らのそれへと書き換える事が、どれほど高度な技術であるのかは、自分が一番よく分かっている。

生み出すだけならば誰にでも出来るが、支配権の書き換えは相手の技量を上回っている証拠。

ただでさえ難度の高い魔術であるのにも関わらず、その炎は最優とまで謳われる者が生み出したもので。

誰もが呆然としたようにその光景を見守り、口を噤んだ。


「―――戦うまでもない、ね。降参だよ、オリガ」


美貌に心からの笑顔とも、嘲笑とも、苦笑とも取れる複雑な笑みを浮かべ、ルージルの現当主は手を上げる。


「今、この時を持って、ルージル家当主の座を受け渡す。完敗だ」


証人となった一門の重鎮達が、次々と頭を下げ、才気に溢れた新しいルージルの当主に忠誠を誓う。

轟、と燃える炎柱は、娘の感情の薄い瞳を照らすように大きく揺らめいた。



こうして、天賦の才を持つオリガ・エメルダ・ルージルは、十歳にして一門の長の座に着いた。







ついにやったよ、私!頑張ったよ!

小説の筋書きより六年前倒しで当主の座を勝ち取った。

これでギルフォード様の不遇な少年時代を、可能な限り短縮させる事に成功した。

ああ、なんて長い道のりだったのだろうか。

ギル様に忍び寄る魔の手をはたき落とす傍らで、自分の能力に磨きをかける為に毎日毎日鍛練を重ね、屋敷から出ない引き籠り生活を送る事、実に四年!

ついに私は一門で一番、いや、この国一番の火の魔術の使い手にまで成り上がった。


「オリガ様。前当主様のご処分については如何致しましょうか」


……なんて、苦労が報われた感慨に浸る暇もなく、当主の役目を直視しなければならない状況が現れてしまいまう。

これからの事を考えると憂鬱で仕方ないけれど、これの為に四年間をがむしゃらに生きてきたと言っても過言ではない。


本来、降された当主は実力主義を保つ為に、その場で速やかに殺される運命。

この伝統を変える事は、例え新しい当主の命令だとしても許されない。

私の代になるまで、何人も何人もこの伝統に殉じてきた。

何より力で押し切ろうとしようにも一気に魔術を使った今この瞬間では、流石に一門総出の制裁には勝てないだろう。

けれども、今回ばかりは幸いだ。


「お父様には生きて頂きます。――王族の姫であるお母様の配偶者ですから、王家への忠誠を示すためにも害する訳にはまいりません」


今後の処遇については追い追い決めるとして。

それよりも、と。

ざわつく人々を見渡し、そこには存在しない人物を睨みつけるように。

緊張に渇く喉を無理矢理震わせ、当主として、【炎獄公女】として、最初の命令を下した。


「排するべきは別にいます。――お兄様をここへ」





男達により連れて来られたお兄様は、地面に膝をつかされて困惑したように眉を寄せる。

けれど、ずらりと並んだ一族の重鎮に怯えながらも私の身体を上から下まで眺めると、安心したように息を吐いた。

ここでの一幕を見れたのは一門の中でも限られた存在だけだが、誰もが私が代替わりの儀としてお父様に決闘を申し込んだ事を知っている。

けれど、どんなに才能があると謳われていても私はたったの十歳。

街に降りれば、この屋敷からでれば、ただの庇護すべき子供でしかない年齢だ。

身体は小さく、力は弱く、肉体は恐ろしい程に脆い、守るべき存在。

特に、ここに連れてこられるまで普通の環境で育ってきたお兄様にとって、その意識は強かったのだろう。


「代替わりの儀、おめでとうございます」

「ありがとうございます。ここに来ていただいたのは、お兄様の処遇についてお伝えする為です」


初めて貰ったお兄様からの祝いの言葉も、胸に響かない。

ただ、これから行う行為への罪悪感を増すばかりで。

親愛の情を感じさせる、戸惑いに揺れる緑の瞳から、目を逸らさないようにするのが精いっぱいで。


「私達は十分に待ちました。貴方に少しでも火の才があれば宜しかったのです。ですが、ルージルを名乗らせられぬ程に………貴方は無力でした」


お兄様が引き取られてから四年。

無心に自らを磨き続け、ついに準備は完了した。

弱さは罪であり、排除すべきものだと一門の者たちは認識している。

故に、当主代替わりの儀の際は、新しい当主が強さを示す為に降した者を殺すのだ。

前当主を恨んでの仕打ちではなく、ただの伝統。

弱きを排し、強さを誇示するだけの様式美に過ぎないのであれば、お父様を殺す代わりに―――――。



「故に、二度とルージルを名乗れぬよう焼印を施し、追放致します」



目を見開き、膝を着くギル様との距離は五歩にも満たないものなのに、あまりに遠く感じられた。

今日、この時をもって、私達の道は決定的違えらる。

どうしようもない程に胸の内は騒ぐけれど、これも物語通りの展開。

ギル様が【オリガ】に命を狙われ、友の手助けによりルージルから除籍されるだけで済む、という内容が小説にはあった。

私が自ら除籍に持って行ったという流れにはなってしまったけれど、これは過程が違うだけの既定の結末だ。

【私】が何を感じ、どんな方法を選んだとしても、お兄様が主人公である限りいつか必ず起きていた出来事。


「オリガ様。それではあまりに甘い御処置に過ぎませぬか。我らは魔術を尊ぶ一門。無能である事はそれだけで罪でございます」

「……お兄様はルージルで生まれ育った訳ではありません。種が優秀であっただけの、無能なただの子供に過ぎません。彼を我ら一門の存在であったと認め、処する事は祖先の顔に泥を塗るようなもの」


幼児期の教育が重要であるのは、魔術師ならば誰もが知る事実。

お兄様が何処の誰とも知らぬ存在に育てられ、魔術に全く触れられなかった事が魔術師として開花しなかった原因だと告げれば、納得するはず。

そんな魔術のまの字も掠らない存在を、護国の要としての家名の元に処刑する事は、彼を魔術師として認めたも同然。

恥ずかしい事だと嘆いてみせれば、誰もがそれ以上反論はせずに後ろに下がった。


他に異論はないか、と周囲を見回し確認した後、男達にお兄様を抑え、口に布を詰めるように告げる。

抵抗するも取り押さえられ地面に仰向けに倒された身体の横に膝をつき、お兄様の襟をゆっくりと開き。

縁を絶つことを意味する古代文字を空中に描くと、赤く燃えながら刻印へと形を変えて。


「心の臓に―――いいえ。貴方の魂にまで、刻んで差し上げましょう」

『貴方の身体を、焼いて、焼いて、塵も残らぬように――』


いつか見た光景が、頭を過った。

私の声で、私の顔で、私の炎が、記憶の彼方で揺らめいて。


そんな事、したくない。


それが何に影響を及ぼすかなんて考えもせず、感情が身体を突き動かす。

いつか来る未来を否定する為に、そこに誰にも見えないように素早く、特別な陣を書き加え―――指先に描いた刻印を肌に焼き付けた。


「――――っ!!っ―――っ!!!」


肉の焼ける鈍い音と、お兄様の声にならない絶叫が響き。

痛みによる叫びが、焼ける臭いが、感触が、私がどれ程の非道な行いをしている事を指摘するけれど、目を逸らす事は許されない。

だって、これは、私の犯す罪なのだから。


「――――っが、―――………」


跳ねる身体に指を押し付け続け―――刻印が無事、焼き付いたのを確認した時には、周囲は静まり返っていた。

ここに居合わせた誰もが、ギルフォード・ルージルが、火の一門の籍から永遠に外されたのを確認したのだ。

もう誰も、痛みで気絶した彼に視線も向ける事は無い。

殺意を向ける意味も、手を汚す価値もない存在へとなり下がったのだから。


「……ケイカ、寄付金を騎士養成所に。お兄様が目覚め次第、必要な装備を充分に持たせてお送りして」

「改姓の方はいかが致しましょう」

「産みの母親の名前で申請しておきなさい。本人にも、これからはそう名乗るようにとお伝えして」


お兄様を若者達に運ばせたところで、代替わりの儀に呼ばれていなかった者達も、祝いの言葉をかけに場になだれこんできて。

力に酔ったかのように、事を理解してないかのように満足げな人々が私を囲み、次々と祝いの言葉をかける。

誰一人として、私の行いを責め立てない。

誰一人として、身体を焼かれた人間を見向きもしない。

そんな異様な光景なのに、誰もがその異常さに気付いてすらいない。

その何もかもが恐ろしい。


部屋に戻るから場の後始末を頼む、と侍女のケイカに告げると、高揚した瞳で頷いた。

彼女は今日から当主の側近となる。

その事に感動したかのように、祝いと自身の忠誠を謳う言葉を口にする。

けれど、そんな言葉すらも耳に一かけらも入っては来ない。

とにかく今は、一人になりたかった。

誰の事も視界に入れたくない。

見えない重圧から逃げ去るように、踵を返して屋敷に戻った。



こつりこつりと靴音を響かせて、たった一人で部屋に戻る。

その足音に乱れはないし、傍目には私はいつも通りの顔色だろう。


これで、やるべき事は全て成した。

ギル様はこれから友に出会い、自分の道を選び、力を得る事だろう。

それは、主人公ヒーローが血に濡れた因縁を切り裂き、悪を打ち砕き、誰もが幸福に生きられる国を作る王道の物語。

そこに、悪役が介入するべきではない。

これからの私の人生は、再び物語の表舞台に出るまでのサイドストーリー。

―――――非道を重ねる、物語。


扉の取っ手を握ろうとすると、何故か手が震えて力が入らない。

鍛練の際は火の防護膜を張って火球を扱っていたから、自分の魔術で人を焼いたのはこれが初めてだった。

あんなにも、臭いがするとは。

あんなにも、叫びが上がるとは。

あんなにも、感触が生々しいとは。

あんなにも、呆気なく焼けるとは。

あんなにも、人間が脆いとは。

思っても、いなかった。


私は、これから数多くの人間をこの魔術で手にかけて行くのだろう。

誰かの家族を、恋人を、親友を。

焼いて、焼いて、焼いて。

私に出来るのは火の魔術だけ――かつてギル様が言ったように、怨みを生み出すばかりで、何一つ救うことは出来ないのだ。



脳裏に過るのは、かつて何度も読み返した光景。

たった一人、幾千の死体の転がる焼け野原に立つ魔女――――【オリガ・エメルダ・ルージル】



自分の望み通りに行動し、結果を得た。

これは私の思い通りの、願い通りの結果だ。

心の底から私は満足している。

けれど、いつまでも、震えは止まらなかった。






自我を持ったキャラクターは、規定の出来事に抗い、ほんの少しの歪みを作った。

それは、本来存在しなかった感情を生み出し、存在が消されるべきものが生き長らえさせる。

それは、誰かの描いた未来を否定し、過去に回帰する道導。


決められた配置から動き出した登場人物は、新たな道を模索する。

かくして、神の定めた運命ストーリーは捻じ曲げられた。

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