世界を変えた者


「俺は救える命は全て救いたかった。だから、俺に水魔術の才能があると分かった時には凄く嬉しかった。これで、誰かを護るために誰かを殺すんじゃなくて、誰も傷つけずに誰かを助ける事が出来るんだって……君の力になれるって、そう浮かれてた」


誰も殺さずに、多くを救う――それは【ギルフォード】の信条だ。

その主張があるからこそあの物語は幸せな結末に向かって進んでいた。

悪役以外の誰も死なない物語。

ギル様がそれを主張し続ける限り、ギル様は主人公だ。

それなのに、でも、とギル様は言葉を続けた。


「君の言葉を聞いて、君が犯した罪を知って、恐ろしくなった。君は魔術という手段がある限り人を殺し続ける。それが例え無抵抗の者だったとしても、躊躇わずに」

「……それが、必要だったからそうしたまでです」


絞り出した声は無様に震えていたけれど、それでもどうにか声は届く。

私は主人公が前に進んで行く為に、理由となる為に必要な存在。

私が殺した分だけ、主人公が救う人間は増えていく。

それはきっと、誰もが幸せになれる幸せな結末に繋がっていく。

だから私が退く理由なんてないし、実際、私が殺していなければ多くの魔術師が殺される事となっていただろう局面は沢山あった。

たとえ人間として許されない行為だとしても、物語としては正しいと知っているから私はどんな事があっても進んできた。

そんな無言の訴えを捕らえたのか、顔から手を外し、そっと微笑んだギル様の表情は酷く穏やかだった。


「そう、だね。俺は、きっと君を止められるだけの言葉を持っていない。――そして、君を許す事も出来ない」


それは、主人公としてあってはならない感情だ。

【ギルフォード】なら抱かない諦観だ。

たとえどれだけ傷つこうとも、諦めずに妹を止めようとし続けるのがギルフォードだ。

性善であると信じて、分かり合えると信じて動き続ける。

それなのに、この人は。


「だから、俺は逃げた。ケイカさんが報せに来なければ……アトラスが居なければ、きっと俺は君を放置していた。あそこで君がどう使われていくのかを知っていながら」

「………それ、は」



――私が殺されるでもなく、一族の糧として消費されていくだけの未来を肯定した。



嘘だ、違う。この人は違う。

【ギルフォード・イヴリス】ならそんな事は絶対にしない。

何が何でも私を救おうとしたはずだ。

どんな罪を犯していようとも、妹を救おうとしたはずだ。

人間としての誇りを守ろうとしたはずだ。

言葉に出来ずに目を見開くと、僅かにギル様の表情が強張った。


「本当は君の火傷を治療する気も無かった。魘されて弱ってく君を見て、このまま死んでくれればとすら願った」


でも、とアトラスの方を見遣って口元だけで笑うと、結局はこうなったと言った。


「……最低な考えだ。あんなにも誰かを見捨てる事を嫌ってたのに、俺はこんなにも簡単に君を見殺しにする判断を下した。自分の考え一つじゃ君を止められないからと、自分の手で君を殺す事を疎んで、どこか俺の知らない場所で死んでくれればって、」


何を思ったのか、ふと消えるように言葉を切ると、少しだけ屈んで手を伸ばして来た。

思わず避けようとして身体が動いたのよりも早く、ひんやりとした指が私の頬に触れる。

するりと私の頬を撫でる指は確かに生身のものだ。

文字とほんの少しの絵で表現されただけの主人公の物じゃ、ない。

その事実が混乱に拍車をかけてくる。

これが現実なのだと訴えて来る。


「………ずっとずっと、強くて真っ直ぐな君に憧れてた。どんなに俺には許容出来ない選択だとしても、いつだって君の言葉は正しかったから」


私のどこに憧れを抱く要素があったのだろう。

私は【ギルフォード】の信念とは対極の行動をするキャラクターだ。

例え同情し、戸惑う事はあったとしても、その存在に憧れる事なんて有り得ない。

正しくないと断罪する事が主人公の役目だ。

この人は、私を正しいなんて言ってはいけないのに。


「君はもっと超えられない壁のような存在で、子供の頃からずっと俺の憧れだった。でも、今はこうして簡単に君に手が届く。俺の手で、君を」


表情はぴくりとも動いていないのに、まるで泣いているように震える声音だった。

喉へと冷たい指先が降りてくる。

一本、二本、三本。

ほんの少し力を加えられるだけで圧迫感を覚える。

この手が少し動くだけで私は簡単に死ぬ。

殺したくないと嘆く優しい心の人の手ではなく、底の見えない暗さをもった心の人の手によって。


――ああ、嫌だ。

認めたくないのに、違うところばかりが目の前に現れる。

同じ顔で、同じ存在で、同じ世界に生きているはずの人なのに。

この人は、この人は。

違うんだ。


後ろでアトラスが焦ったようにギル様を呼ぶ声がして、ゆっくりと首筋を撫でた指が離れていった。

ギル様は何事も無かったかのように一歩分だけ後退して距離を取ると、再び言葉を紡ぎ始める。

冷たい色味を帯びた瞳は変わらないのに、声音だけは不自然な程に優しい。

それが、酷く恐ろしくて泣きたくなって。


「誰が魔術師を追い詰めてるのか、何を正せば良いのか……それを調べて先に進もうとする度に君の痕跡があったんだ。最初はそんな訳ないって色んな可能性を考えた。でも」


君が人を殺した証拠だけが沢山あった、と言って薄く笑う。

自嘲するような笑い方に、ギル様にそんな表情は似合わないのに、と現実から逃避するようにぼんやりとした頭のどこかで考える。

肉体的に何の危害も加えられていないのに、ただそんな表情をしているだけで身体が震えだす。

私は、こんな【人】は知らない。


「君はいつだって俺のずっとずっと先を歩いてる。いつだって正しい。だから、何かを護る為には犠牲を強いなければいけないんだって、君は最初から知っていたんだろ?」

「……何の事ですか」

「派手に人が死んだ場所には、いつだって魔封石が破壊された痕跡があった。俺じゃない。君が全部壊してたんだ」


魔封石の多くを破壊していたのは私だ。

ギル様が一人で対処しきれる量ではないと判断して、一つでも多くのそれを破壊する為に暗躍した。

公式の記録ではギル様が魔封石を破壊した初めての魔術師となっているだろう。

それは救国の英雄として、魔術師の頂点として立つ上での重要な要素なのに、ギル様は全てを知ってしまった。

それが用意された筋書きだったのだと、全て妹が仕組んだ栄誉なのだと。


「分かってるんだ。君がああやって人を焼かなければ、きっと君が焼いた以上の魔術師が死んでた」


全てに気付いた上で、怒るでも嘆くでも叫ぶでもなく、ただ穏やかな声音で。

例え人が沢山死んだとしても、それが正しかったんだって頭では理解しているんだ、と言って目を閉じた。


違う、違うの。

本当は誰も死んではいけない。

だって、皆誰かに必要とされてた。誰かが帰りを待ってた。

お願い、そんな風に間違わないで。

貴方は正しい道を歩んで、間違えている悪役を断じてくれなきゃならないの。

私の間違いを正して、私の罪を裁いて、私の死を意味のある物に、誰かの未来に繋げなきゃならないの。


「君は誰よりも強くて、多くの魔術師の拠り所で、いつだって正しかった。……それでも今、全てを失って此処に居る。正しかった行為に耐え切れずに殺してくれと、泣いている」


正しい、正しい、と繰り返す言葉はまるで言い聞かせるように酷く丁寧でゆっくりと私に絡みつく。

一番それを言ってはならない人が、その言葉で私の存在を認める。私の行為を認める。

正義の主人公が、人を殺した私に理解を示す。

そんな事、間違ってる。



「誰が何と言おうと君は正しい。だから、俺を殺したいと言うのなら殺してくれて構わない」

「っ……!」

「君がそう思って俺を殺すなら、きっとそれが一番正しい事なんだ」



一歩、二歩、と下がったギル様は壁に背中を預けると、だけど俺は絶対に君を殺さない、と小さな声で呟いて私を無感情に見据えた。

もう、その言葉がギル様の信念で発せられる言葉だとは到底思えない。

この人は私の【ギルフォード】なんかじゃない。

生ぬるい善意と正義で人を生かす主人公じゃなくて、私が予測もしなかった事に考えを巡らせて、私を生かすと選択した――きっと負の感情の元で。


……こんなの、もう、認めるしかない。

この人はキャラクターなんかじゃなくて、【人】なんだと。

ここは、現実の世界なんだと。

小刻みに震える腕を押さえつけようとしても震えは収まらない。

どうしよう、【この人】は、怖い。


「……今の俺の前には、誰よりも正しかった君が乗り越えられなかった壁がある」


私を見ているのが耐えられないと言うようにお兄様が目を伏せると、新緑の瞳が翳った。

目の下は薄っすらと影が濃くなっている。

疲労を感じさせるそれが、病的に白い肌を際立たさせる。


「俺は卑怯だから、誰かが道を拓いてくれるまで壁を見ようともしなかった。ずっとそこに壁があるって知りながら綺麗事だけ言って、いざ目の前にそれが現れたらどうして俺が壁を壊さなきゃならないんだって。でも、目の前に現れたらもう逃げる事なんて出来ない、誰も逃げる事を許してくれなんてしない。俺に壁を壊せって、壊さなきゃ俺のせいで沢山の人が死ぬんだって。壁の先に進む為には誰かを殺さなきゃならないんだって知っていながら、誰もが俺にそれを要求する」


話し始めた内容が唐突過ぎて、頭の中で意味を成さない。

何の話をしているんだろう。

怖い。何を言っているか分からない。理解したくない。気づきたくない。

ぼんやりと靄がかった思考で、追い詰められたように早口で捲し立てられるそれに、それでも何かを言わなくちゃいけない気がして声を出す。


「どういう、意味ですか」

「どうして俺にしか出来ないんだって何度も思ったよ。他の道もあるんじゃないかって何度も何度も考えた。でも何処にもそんな道無かった。どうせ俺が眼を逸らして足掻いたところで、いつか俺の前に壁が立ちはだかるんだ。誰かが切り拓いた道を歩いて、誰かが積み重ねた死体を踏んで。そうだよ、結局俺が逃げたところで、俺の知らないところで誰かが代わりに罪を背負うだけなんだ。だったらこうするしかない、だって俺にはその力が」


私の声が聞こえていないのか、それとも敢えて無視しているのか返答は無い。

静かに言葉を紡ぎ続ける調子は君が悪い程に一定だ。

一体何処を見ているのかすらよく分からない。

焦点の合わない瞳がゆらゆらと揺れて、蒼白になっていく顔色。

――こんな酷い顔をする人じゃなかったはずなのに、私がこうしてしまった。


どうして、こうなってしまったんだろう。

いつから間違ってしまったんだろう。

もう何度考えたか分からない疑問が頭の中を駆け巡る。

こんなはずじゃなかったのに。

こんな風にしたくなんてなかったのに。

皆を幸せにして、そして私の死を無駄にしないで欲しかっただけなのに。


「落ち着け」

「………」

「オリガは何も知らない。説明が必要だ」


アトラスが間に割り込むように私の目の前に立つと、お兄様は声を出して笑った。

本当に可笑しいものを聞いたと言わんばかりに明るく、嬉しそうに、壊れてしまったように。

そして。



「何も知らない訳、ないだろ」



笑って首を傾げるその様は、私の知っている【ギルフォード】と何も変わらない。

明るく天真爛漫で前向きな、主人公。

けれど、だからこそ異様さが目に見えて分かる。


「オリガはいつだって迷わずに進んで、そして俺をここまで連れてきた。知らない訳がない。こうなる未来を最初から分かっていたんだ」

「ギル、」

「オリガが何も知らない?馬鹿を言うなよ。俺がこうなるのを知ってなきゃ、」

「いい加減にしろギル!」

「――だったら、どうして俺は誰にも教えを請わずに水魔術を使えたんだよ!」


アトラスが声を荒らげるのに被せるように、低く穏やかに紡がれていた声が一転して大きく部屋中に響いた。

ああ、そうか。

それが、歪みだ。私の過ちだ。

【ギルフォード】は水の魔術を友に教わるはずだったのに、【この人】は誰にも教わらずにいきなり水魔術を使う事が出来てしまったんだ。


「お前が一番知ってるだろ?幼少期に鍛練を始めないと、その属性の魔術は使えない。ルージルは火魔術以外の修行は禁じていた。たとえどんなに魔力があったって、あんな環境で俺が水魔術を使えるようになる下地が出来るはずないんだ!俺だって水魔術の修行をした事なんて一度だってない!火の魔術を少しでも使えるようにする為に、水なんて一番避けてた!」


捲し立てられる言葉に怯んで、アトラスがそれは、と言いかけて言葉を紡げないままに唇を閉ざす。

魔術教育に関しては研究と理解が進んでいる一門だったのだから、お兄様の異様さは早い段階で気付いていたんだろう。

素養がなければどんなに才能があっても凡庸な魔術師にしかなれない。

それなのに、【この人】は。

アトラスの様子に肩を震わせながら息を吸って、声が低く潜められる。


「……でも、雨の降った日は、いつだってオリガは俺に外で修行するように言った」


私がしてしまった過ちの始まりは、それだったんだ。

世界が変えてしまった始まりは。



「俺が水の魔術師なんだって―――最初からこうなる事を知っていたんだ。なあ、そうだろ、オリガ」



【オリガ】が、未来展開を知っている【私】だった事なんだ。



「君が、俺を壁を越えられる人間にしたんだ」



新緑の瞳が私を見下ろす。

そこにかつての親愛の情は無い。同情も憐憫も存在しない。

ただ只管に冷たい色が、私を責めるように向けられていた。

魔術師を救う存在へと仕立てあげたのだと、耐えられない重荷を押し付けたのだと、責めるように。

視界が涙で滲み始める。

もう何も言えなくて、喉の奥が絞まるように息が吸えない。


「……例えそうだとしても。今こうしてオリガが生きている事も、魔術を使って国を変えるのも、お前が選んで決めたんだ」


アトラスの声にお兄様はゆっくりと俯いて私から目を逸らすと、苦しそうに何度か大きく息を吸って、痛みを逃がすかのように自分の腕を掴んだ。


「ごめん。今更こんな事を言ったって何も変わらないのは……分かってる」

「ギル」

「俺は水の魔術師になった。やるべき事がある。俺は自分の意思でそれを選ぶ。それだけだ。大丈夫、ちゃんと分かってる」


自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟いたお兄様は、もう一度、分かってるとはっきり口にすると顔をゆっくりと前に向けた。

青白い顔色はそのままに、けれど瞳に悲壮なまでの決意が見える。

ああ、嫌だ。どうしてそんな顔をするの。

もうやめよう。

もう間違えたくない。

もう、こんな物語見たくない。


「どうしてオリガが俺に水の素質があるのか知ってたのかとか、どうして修行させたのかとか、もう知るつもりはない。オリガが何を考えているのか俺には分からないし、理解出来ない。でも、良いんだ」


ゆっくりとお兄様の声に芯が通り始める。

不安定に揺れていた感情の色が落ち着きを見せて、だけど諦めたような色がある。


「過去は君の思い通りになった。でも、これから先の未来を君に左右させたりしない。全ては俺が、俺の意思で行う事だ」


それは役割キャラクターからの決定的な逸脱だ。

聞きたくない。

聞きたくない聞きたくない聞きたくない。

お願いだから、聞かせないで。


「―――俺は君を生かして、正しい道を進む。生きるために、王を降す」

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