怪物姉乱戦記(前)
季節は初秋。
帝都は四季の変化がそれほど激しくない地域なので、秋になったという実感は湧きにくい。
しかし、辺境の方では季節に応じた特産品が出てくるため、流通の中央となる帝都にも、秋らしいものが出そろい始める。
特に食材は、夏の間に栄養を溜め込んだ野菜が、店頭にたくさん並んでいる。
料理好きの者にとっては、腕の揮い甲斐のある季節だった。
心なしか市場通りを歩く人々にも、どこか浮ついた気分が広がっていた。
セツノ・ヒトヒラも、そんな一人である。
「――あ、いいのが入ってるなあ。今晩のメインはこれにしよっかな」
るんるん気分で食材を見て回る。
その足取りは軽く、今にもスキップを踏んでしまいそうなくらい。
それに対し、ユメカ・ヒトヒラは論外だった。
「……えー。まだ買うのー? ちかれたー。帰りたいー。ユウキさんとはぐはぐしたいー」
両手には多数の紙袋。中には食材が一杯で、いつ積載量オーバーしてもおかしくない。
その足取りは重く、表情はだれにだれきっていた。
「うっさい馬鹿姉。日頃全く家事しないんだから、荷物持ちくらいは手伝ってよね」
「えー。それを言うならユウキさんはー?」
「お、お兄さんはいいの! お仕事してるし、手伝ってくれようとするし」
「仕事なら私たちだってしてるじゃない。しかもユウキさんより高給」
「……私たちのは後ろ暗いお金じゃない――っと、これもいいなあ。あーでもさっきのも捨てがたいし……むむむ」
「もー。材料なんか何だっていいじゃない。セっちゃんなら美味しく料理できるんだからぁ」
「黙れ」
姉の文句を一蹴する。
料理に関してはちょっぴりこだわりのあるセツノだった。
と。
「――お。ねえねえセっちゃん」
料理に関しては全くこだわりのないユメカが、何かを発見したのかセツノの裾をくいくいと引っ張る。
「なに? 可愛い猫でも見つけたの?」
「可愛い猫さんじゃなくて、可愛いユウキさんがあそこに」
「っ! ……ん。は、話しかけたい気持ちはわかるけど、多分お仕事中だろうから、余計なちょっかい禁止」
「あ……喫茶店に入ってった」
「…………ち、ちょっと休憩しよっか。姉さんも疲れたでしょ?」
「やったー」
帝都の喫茶店は、ただ茶を飲んで休憩するだけのところから、社交場の役割を果たすところまである。
ユウキの入っていった喫茶店は、上の下クラス、高級といって差し支えない店だった。
単に休むだけなら、もっと別の店を選ぶだろう。
ということは――
「……ねえ、セっちゃん。あれって」
「……うん。とりあえず、私たちも離れた席に座ろっか」
「すみません、お待たせしました」
「ああ、待った待った。ここお前の奢りな」
「……あの、待ち合わせ時間まで、まだ余裕ありますよね?」
「アタシは待ったぞ。それで十分だろ」
「……理不尽だ……」
項垂れながらも、ユウキは席に着いた。
学院生の頃から、目の前の人物はこんな感じだったので、今更どうこう言う気はない。
とはいえ、なにかと難癖付けてこちらの奢りにするのであれば、もう少しランクの低い店にして欲しかったりする。
「いやー、しっかし久しぶりだなユウキ。元気してたか?」
「おかげさまで何とか。……アマツ先輩も変わりないみたいですね」
「ばっかお前、アタシの方は色々大変なんだぞ。
就任してすぐなのに遠征任されるし。しかも戦闘あったし。マジ疲れたわ」
「ああ、噂は聞いています。任務お疲れ様でした。しばらく帝都に滞在されるんですか?」
「んにゃ。明日には向こうに戻らなくちゃいけない。
色々面倒な手続きがあるんだよ――っと、注文がまだだったな」
ユウキの先輩にして元学院執行部長、アマツ・コミナトは、指を鳴らしてウェイターを呼びつけた。
相変わらず偉そうな仕草が似合ってるなあ、という感想を、ユウキは心の裡に留め置いた。
見た目こそ、流麗な金髪と整ったプロポーションが周囲の男の視線を集めるが、その実中身は、誰よりも男らしいという、非常に希有な人物だった。
普段は騎士という立場上、騎士服や甲冑を身に纏っているのだが、今はオフだからか、落ち着いた女性らしい、シックなドレス調の服装をしていた。
「ほれ、ここはお前の奢りだ。好きなの頼め」
「……はい。えっと、紅茶をひとつ」
「んじゃアタシはマルクス産の珈琲と、サーモンチーズのサンドイッチ、クリームスープをラスク付きで。
あとはそうだな……子羊のローストとアップルパイを2つずつ。こんなもんかな」
さようなら僕の財布の中身。
と、ユウキがぼんやり儚んでいたところで。
「ほら、お前も好きなもん頼め。コイツの奢りだから何も遠慮しなくていいんだぞ?」
と、アマツはユウキではない人物に、そう声を掛けた。
「…………」
第一印象は、白い、の一言に尽きる。
そんな女の子だった。
輝くような白銀の長髪。
飾り気のない、薄い色彩の長袖シャツと膝丈スカート。
年の頃は10代前半か。育ちの良さそうな上品な姿勢で、ちょこんと椅子に座っている。
「ほら、何でもいいから。腹減ってるだろ。
好きなの指させ。この字体は読めるだろ?」
「あの……アマツ先輩? その子……」
「ん? ああ、こいつ、喋れないんだ。実はコイツのことでお前を呼び出したんだが――」
アマツは少女に選ばせるのを諦め、適当に、年頃の女の子が好きそうな甘味をいくつか注文した。
(……おや?)
ふと、ユウキは気付いた。
アマツが少女の注文を決めた瞬間。
ほんの少し。決してアマツに悟られないように。
少女が、残念そうな表情を、していた。
注文したメニューが届き、まずか互いの近況報告を済ませてから。
アマツは、改めて本題に入ろうとした。
が、その前に。
「すみません、その前に注文させて下さい」
言いながら、下手くそな指鳴らしでウェイターを呼びつける。
「? 別にお前の奢りだから構わないけど」
「えっと、子羊のローストと、ウィンナーの盛り合わせ、あとは渋めの紅茶を適当に見繕って下さい」
「うん? 珍しいな。お前がこんな時間にそんな重いもの頼むなんて」
「えっと、まあそれはそれとして、お話をどうぞ」
「ん、ああ。それで、さっきも言ったが、今日の用件はコイツについてなんだ」
アマツはそう言って、傍らの少女を手で示す。
「コイツ――名前は、ホワイトっていうんだけどな。ホワイト・ラビット。
アタシの遠縁の親戚なんだが、ちと困ってる状況にあってだな」
「? はあ……」
剛胆な先輩にしては、妙に遠回しな話の進め方だな、とユウキは微かに首を傾げた。
ユウキのよく知るアマツだったら、余計な前情報なんてすっ飛ばして、単刀直入に本題から言い始めるのだが。
「さっきも言ったが、こいつ、ちと訳ありで、しかも喋ることができないんだ。
そんな感じだから、ここんとこ、誰とも打ち解けることができなくてだな。
最近じゃ私しか構う相手がいないって始末なわけだ。で、えっと……」
もごもごと、何か言おうとしては止める、を繰り返すアマツ。
こりゃあ本格的におかしいぞ、とユウキが思い始めたところで。
「――お待たせしました。こちら、ご注文のお品になります」
ユウキの追加注文したメニューが、届いた。
「お、来たみたいだな。話の前に、先にそれ食ってもいいぞ?」
「――いえ、すみません、これらはそちらの女の子に」
ユウキはそう言って、少女の方を示した。
「かしこまりました」
言われたとおり、少女の前に料理を置くウェイター。
アマツも少女も、不思議そうな顔をしていた。
もっとも。
アマツの方は“どうしてコイツに?”という、ユウキの行動を理解できていない表情だったが、
「どうぞ。こっちも食べたかったんでしょ?」
ユウキはそう言い、にっこりと微笑んで見せた。
少女は、“どうしてわかったの?”という、心底驚いたような表情を、していた。
しばらくユウキが笑顔を向けていると、はっとしたように我に返り、彼に対し、はにかむような笑顔を見せた。
美味しそうに肉料理を食べる少女を横目で見ながら。
アマツは恐る恐る、ユウキに向かって訊ねてきた。
「……どうして、コイツが肉食いたいって、わかった?」
「いえ、何となくですよ。
それより――この子が周囲と上手く打ち解けられないって話ですけど、大体察しは付きましたよ」
「へ?」
「この子、凄く頭が良いですよね。会話は出来なくても、周囲の状況をよく見ています。
だけど、自分なりに状況は整理できても、他の人と言葉を交わすことができないから、周りは周りで、勝手にこの子の状態を決めつけて、色々押しつけることになっちゃってるんじゃないでしょうか。
この子にとって、それは大きな重圧なのだと思います。だから、周りに積極的になれないのかと」
自分が思ったこととは別のことを、周りから勝手に決めつけられるのだ。
それを否定しようにも、言葉は出ず、常にコミュニケーションは一方通行。
これで社交的になれと言う方が間違っている。
「だからまずは、近くの人が、この子の話をじっくり聞いてあげることが必要なんだと思います。
別に言葉を話せなくても、仕草や視線を、時間を掛けてじっくり見てあげればいいんですよ。
――っと、別に君が悪いって話をしてる訳じゃないですよ。
それより、ゆっくり味わって食べて下さいね。あ、口の周り、汚れちゃってますよ。ほら」
食事の手を止め、こちらの様子を伺っていた少女に、
ユウキは声を掛け、身を乗り出して口の周りをハンカチで拭ってやった。
少女は嫌がる素振りもなく、目を細めてそれを受け入れていた。
「……ふむ」
それを見て。
アマツは何やら、ひとり頷いていた。
「しかしアレだな。お前は歩く託児所か。このロリコンめ」
「褒めてませんよね。というか酷いですね」
「まあそれはともかく、これなら大丈夫そうだな」
「?」
アマツは隣の白い頭をぽんぽんと撫でながら、
「コイツ、住むところがないんだ。
できれば中央に置いておきたいんだが、私は明日からまた出なくちゃいけない。
というわけで、ユウキ。
――お前が、コイツを預かってくれ」
そう、言った。
「…………はい?」
「お前、今は省庁の個別寮に入ってるんだろ。
一人二人増えても問題ない広さだから大丈夫だよな?」
「い、いえ、その、いきなりそんなこと言われても」
だいたい、既に二人居候してるし――とは言えないが。
「生活費の心配はしなくていいぞ。ちゃんとそれなりの額を払うから。
家事とかの手間も、気にするな。コイツ、物覚えが凄く良いから、教えれば一通りできるようになると思うし」
「と、とは言ってもですね、勝手に僕たちの都合で決めるのは良くないというか」
「なあホワイト、お前はコイツ――ユウキのところで住むの、嫌か?」
アマツの問いかけに。
少女は、ふるふる、と首を横に振った。
「ま、そりゃそうだよな。今の寺院に押し込めてられるよりは数百倍マシだろ。
というわけで決まりな、ユウキ」
「ちょ、そんな一方的に――」
ユウキは抗議しようと声を上げかけて。
少女の表情を見て、ぴたり、と止まってしまった。
少女は。
――私、行っちゃダメなの?
と、目で訴えかけていた。
今住んでいるところがそんなに嫌なところなのか。
それとも自分のことをそれなりに気に入ってくれたのか。
わからないが、少女のそんな“声”を聞いてしまっては。
ユウキが断ることは、できなかった。
それからは、話の流れは激流の如き速さだった。
あれよあれよという間に、少女を預かる上での手続きについて確認させられ。
気付けばアマツから纏まった額の生活費を渡されて。
引っ越しに当たって、少女の荷物がまとめて置かれている場所を教えられ。
最後に、きっちりと店の伝票を押しつけられていた。
(……ユメカさんとセツノちゃんに、何て説明しよう……)
アマツは、既に店の外。
向かいには、美味しそうに肉料理を食べている白い少女。
ユウキは、誰にも悟られぬように。
こっそりと、溜息を、吐いた。
「――あ、お兄さん、溜息吐いた」
「お人好しだもんね――じゃなくて! これは一大事よセっちゃん!」
「え? 何言ってんの姉さん?」
「私とユウキさんの愛の巣(+お邪魔虫)に、刺客が送り込まれるってことじゃない!
どうしてそんなにのほほんとしてられるの!?」
憤慨するユメカだが、セツノは落ち着いた表情で、
「誰がお邪魔虫よ誰が。
……っていうか、ユウキさんの部屋なんだから、私たちが口出せることじゃないし」
余裕たっぷりに、そう言った。
それに対し、ユメカは納得がいかない模様。
――と、何か思い当たったのか、はっとした顔になる。
「そうか……!
セっちゃんには家事というアドバンテージがあるけど、私には何も無い……!」
「姉さんには(胸焼けしそうな)豊満な体があるじゃない」
「あ、脂っこくなんてないもん!
……というかセっちゃん、最近たくましくなってない?」
「気のせい気のせい。
しっかし、あんな可愛い子と一緒に住むことになるのかあ。
楽しみだなあ。物覚えがいいって言ってたから、料理も教え甲斐がありそうだなあ」
「ああっ!? セっちゃんがお姉さんモードに!
そういえばイナヴァ村でも、小さい子の面倒をよく見てたよね……!
くうっ! たとえセっちゃんが裏切っても、私は負けないからね!」
「あーはいはい。がんばってー」
「ふんだ! こうなったら私だけでも戦い抜いてやるんだから!
――あんな小さな女の子に、ユウキさんは渡さないもん!
ユウキさんをロリコン道に堕とそうとする小悪魔は、私がこの手で成敗してやるんだから!」
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